ひげのお兄さんの日記

2005年12月31日(土) 今年もまたまた

今年こそは早めに片付けをして、
テレビでも見ながらゆっくりと年が
明けていくのを味わいたいと思ってたのですが、
ヤッパリ例年と同じ事になってしまいました。
忘年会ラッシュを切り抜けたものの
片付けは予想以上に大変で、適当に済ませながら
次に大掃除。
これまたやり始めると凝ってしまうもんで、
やり始めたら徹底的。
案の定、予定してたペースの倍はかかり
やっと終了。
今、わたしの時計は18時40分、これからもう一分張りで
年賀状の市内用の手書きのものをもう少し準備して
それから風呂に入ってサッパリして、蕎麦の準備をして
それでやっとテレビを見ながらの大晦日です。
結局毎年こんなギリギリ駆け込みの大晦日ですが、
案外、余裕をもって迎えると時節の雰囲気を感じないかも
しれませんね。
なにはともあれ、今年1年、皆さんお世話になりました。
皆さんにとって来年が良い年となりますように。
来年も宜しくお願いします。



2005年12月30日(金) 美味でした〜

昨日は年末の挨拶回りで日中は終わり。
夜は今年最後の忘年会をやりました。
メンバーは随分前にある教材用ビデオっていうか
そんなのを作成したチーム。
その時の出演者とその友人、そして私。
実はこの撮影の時、私は何と撮影監督だったのです。
楽しかったな〜。
それはそうと、昨夜はそのメンバーが久しぶりに
集まり、話に花を咲かせながら一杯やったわけです。
いろいろな事情で全員は集まりませんでしたが
楽しい忘年会でした。
それと、何よりは、メインが「ふぐの刺身」と
「ふぐちり」。いや〜美味かったですよホント。
さあ、忘年会も全部終了。
あとは大掃除に机の上の整理。それと年賀状。
何だかウンザリしてきますね。



2005年12月27日(火) 風邪ぎみ

スポチャンの最後の練習も終わりました。
今年から始めた新たな取り組み。
子供たちの健全育成に私なりというか、
私らしいやり方で少しでも役立てればと
思っています。
先日、居合も今年最後の練習をやり、納会を
しました。
約1時間半ほどの練習を、いつもより1時間
早くスタートさせて、そのあと無礼講で忘年会。
毎年なんですが、実はこの納会、酒飲んでますが
日本刀を携帯しているのです。
周りの人は全然気付いてませんけどね。
ですから、いつもなら二次会へドンドン繰り出す
のですが、座敷のあるところでやって一次会で
終わり。
さあ、今年もいよいよラストスパートです。
少々風邪気味ですが、年賀状を何とか書き上げて
気持ち良く新年を迎えたいものですね。
でも、あと2回ほど忘年会があるんです。
頑張って乗り切らねば。



2005年12月24日(土) いよいよ今年も

今年最後の大きな仕事が終わりました。
昨夜は居合の稽古をいつもより早く切り上げて
納会という事で、駅前で打ち上げ。
館長から今年の各剣士それぞれの評価をしてもらい、
そのあとの宴会では無礼講で。
結構飲んでしまいました。
70歳を超える先生が二人いらっしゃるのですが、
昔の方のほうが日本酒になったら強い強い。
方に刀袋を引っ掛けて歩く姿は、まるで新撰組。
さすがに刀を所持しての飲み会なので、ウロウロ
せずに早めに帰りました。
さあ、あと一週間で今年も終わりですね。
水曜日くらいまでは雪模様の天気のようです。
風邪をひかずにもう一息頑張りましょう。



2005年12月17日(土) 回復に

今日は3週間ぶりに武道館で刀を握りました。
道場の凍りつくような寒さの中で
素肌に胴衣を身に付けながらガタガタしていた
カラダも、着替えて正座をして、刀礼をしてから
立ち上がって、鞘から抜きつけ一閃。
そのあと3〜4回抜きつけ稽古してからは
寒さなんて頭の片隅にも無い常態。
今日は約50の技を稽古してアッという間に
2時間が経ってしまいました。
肘の状態も回復に向かっているようで
痛みの具合も変わってきました。
年内の居合の稽古は、あと1回。
この調子でいけば初稽古までに肘も随分と
良くなりそうな感じです。
それにしても、これから雪模様の天気が続きそうです。
気合十分で寒さを吹き飛ばしたカラダも、稽古が終わって
駐車場に出たとたんにガクガク。
今夜は風邪ひかないように暖かくして早めに寝ようと
思います。



2005年12月15日(木) 冬模様

寒い日が続きます。
それでも、それほど雪は積もりませんね。
私は車のオールシーズンタイヤを今年は変えなければ
ならないのですが、忙しくてまだ変えてません。
いくら4WD でも積もってからの凍結はやばい。
来週いっぱい、積もらないで欲しいものです。
昨日は久しぶりに、かつて勤務していた会社の
連中と美味い酒を飲みました。
昔、苦労を共にした仲間たちで良い酒でした。
これから約10日間、かなりの厳しい忘年会日程が
待ち構えていますが、昨日のようないい酒は
元気になりますね。



2005年12月12日(月) 本腰で

またまた子供が殺されたニュースです。
小6の女児が塾の講師に刺殺されるという
事件、この犯人は同志社大の4年生だそうですが、
先日の刺殺事件を考えてみても、とにかく
人間の命が軽く扱われすぎています。
今回の犯人の話を聞いていても、いかにも自己中心的で
人間としての愛情表現など未発達な感じが伺えられます。
ここ最近の状況は、こういった、人間関係から会得する
チカラが備わってない大人が多く出始め、子供たちも
ゲームや携帯電話などの影響でコミュニケーションが
下手な子供たちが増えています。
学校での様子の中で、先生と生徒が、同じ目線でというより、
同じレベルで会話をしないと付き会えないなどという話も
聞いたりします。
そろそろ本腰で社会が動かないと、どんどん犠牲者が
増えていく気がしてなりません。



2005年12月09日(金) 看板

一昨日の海外のニュースよりますと、
アメリカのハリウッドの象徴みたいによく映像で
出てくるハリウッドサイン、あの丘のところに
建ててある看板の初代のものがオンライン競売
にかけられて、45万400ドル日本円にして約5400万円で
落札されたそうです。
1923年から78年まで建っていたものだそうで、
売主はプロデューサーのダン・ブリスさんという35歳の
方だとかで、今回の売却資金でエルビス・プレスリーの
ドキュメンタリーを制作するそうです。
そういえば、かつてロスでノースハリウッドあたりの
ジャズ・バーに飲みに行ったついでに近くのリカーショップの
地図を描いて貰ってウイスキー買って、夜中一人で歩いていたら、
途中銃声の音が響いて、そのうちパトカーとヘリの音。
その1〜2分後、いきなり自分の周りが異常に明るくなり、
見上げたら前方の空からサーチライトに照らされていて、
その直後にパトカー4台に囲まれ「フリーズ!」。
犯人と間違えられて困った事がありました。
パスポートが入っているポケットに手を入れるわけにもいかず、
左手のジャックダニエルを掲げゆっくり指差して、「ちゃうちゃう!」
なんとも情けない経験をした事があります。
今となってはお笑いの良い土産話ですが、そのときは死ぬかと
思いました。
ロサンゼルスかぁ〜。また行きたいなぁ〜。



2005年12月06日(火) 寒波

昨日からめっきり寒くなってしまいました。
昨日あんなに雪が降るとは。
例年の市内での初雪としては決して早くは無いのですが
積もるほど降るとは思いませんでしたね。
皆さんは、もうスタッドレスに変えました?
私のハイラックス・サーフはオールシーズンタイヤを
履かせてるんですが、雪道で効果があるのは3シーズン
くらいまでかな。
今年は買い換えなければと思っています。
走るのは4駆でガンガン行けても、滑り出したら同じ事で
よく大山の道べりで突っ込んでるのは4駆を過信した人たちと
聞きます。
これからいよいよ本格的な雪シーズンへ突入です。
皆さんも気をつけて。



2005年12月05日(月) 感激

昨日、倉吉にボクシング元世界チャンピオンの
六車卓也氏が来て講演をしました。
鳥取県の生涯スポーツ指導者研修会に
県のスポーツセンターが招いての事です。
その前日に六車氏は倉吉入りし、夜は懇親会。
6時半ごろから始まってたのでしょうか、私は米子で
用事を済ませてから列車で駆けつけたわけですが、
遅れて会場に入って、思わず六車氏と目が合った瞬間、
彼は立ち上がってこっちに駆けつけてくれました。
7年は逢ってなかったと思います。
阪神大震災の時、やっと電話がつながって、元気である事を
確認して、その後お互い予定が噛み合わずで、そのうち
私が今の仕事について、その後鳥取県西部地震や様々な
バタバタ状態でズルズルと出会わずじまいでしたが、
とにかく再開を手を握り合ってお互い喜びあいました。
私はこの日は倉吉に泊まる訳には行かず、わずか2時間半ほどの
再開でしたが、「今度は大阪で待ってるから必ずおいでや!」って
事で必ずそう遠くないうちに再開する事を約束して帰路につきました。
店を出て、列車に乗った直後に携帯に電話をしてきてくれて、
お互い再開できた喜びを再確認。
昨日の講演は聴きに行けなかったので、彼が帰る列車の時間に
今度はこちらから携帯に電話しておきました。
しかし、何年経ってもこんな再開が出来て、改めて友情を
確認できた事、感激ですよ。



2005年12月03日(土) じわ〜っと、ほのぼのと

映画「ALWAYS・三丁目の夕日」を観に行ってきました。
昭和33年の東京、ちょうど東京タワーが出来る頃の
設定で、町の自動車修理工場の家族やそこへ集団就職で
青森から出てきた女の子、近所の人たちなどを描いた作品。
私は昭和37年生まれなんですが、5歳ぐらいまで倉敷市で
育ちました。その頃のまちの風景とそう変わらず、テレビや
冷蔵庫、車など、懐かしさたっぷりのほのぼのとした映画でした。
色んなエピソードがあるのですが、涙がボロボロという感じ
ではなくて、じわ〜っとくる感じの良い映画でしたよ。
合間を縫って行った映画館は私ともう一人、60後半くらいの
おじさんだけでしたが、私がたまに目頭を拭うのと、
おじさんの鼻をすする音が響く静かな映画館、お互い何か
ダブる思い出があったのでしょう。


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ひげのお兄さん