鶴は千年、生活下手

2005年07月27日(水) どピーカン

わたしが「どピーカン」という言葉を初めて耳にしたのは、上京し
て姉の家でのことだった。
義兄がそう言ったのだ。
今日のような、台風一過の晴天のことを言うようだ。
その後に、「ピーカン」という言葉は時おり耳にするようになった
が、「どピーカン」はなかなか聞かないものである。

今日は子育てサロンの日だった。
高校生が取材を兼ねて参加していた。
指導者が二人ばかり付き添っていたが、最初の頃の様子を見ながら、
「本来の目的を忘れてるわね。」と話しているのが聞こえた。
子供達の相手もさることながら、一番の目的は保護者から子育ての
こと(苦労話)を聞くことであるらしかった。
話を聞こうとして途中で大きめの子供に遮られてしまったりして、
苦労しているのは高校生達の方だったようだ。(笑)

子育てサロンは来月はお休みということもあってか、お茶やお菓子
のほかにかき氷までふるまわれた。
暑かったので、それはありがたかった。

今日のもぐちゃんはステージに近い場所に陣取っていたので、電話
が気になってしまったり、スピーカーが気になったりしていた。
スピーカーの真ん前で把手をいじったりしていたら、係の人が大き
な声でマイクで話し始めた。
もぐちゃんは、泣くでもなく、ただただ固まってしまった。
どうやら動けなくなってしまったようだった。
少ししてわたしが腕を持って引き寄せると、わたしにすがりついて
泣き始めた。
どうして早く助けに来ないのだと言いたそうだった。

マイクでの話が止んで、もぐちゃんはまたもやスピーカーの前に行
ってしまった。
またすぐにマイクを使って話が始まり、またまた泣き出してしまう
もぐちゃんであった。
そのままわたしの胸に顔を埋めたままでいるので、話が終わるまで
スピーカーから遠くにいることにした。
後ろの方でお菓子を食べたりお茶を飲んだり、下駄箱の戸を開け閉
めしたりした。

自分が怖い思いをした時は、必ず母が助けにきてくれると思ってい
るのだろう。
ちょっと様子を見ていたりすると、怒られてしまうのである。(笑)
母はいつも自分を見ているということを、もぐちゃんは知っている
のである。



2005年07月26日(火) 通院日と台風

今日は通院日。
もぐちゃんは預ける予定だったが、昨夜、夫と相談して夫は休み
を取ってくれた。
半休ではなくて、1日の休みだ。
新しいプロジェクトの取引先との定例会議の日だったのだが、今
のところはまだ本格的な参加が必要ではないらしく、休みをもら
うことができたのだった。
台風が来ていたので、預け先までもぐちゃんを連れて行くのもどう
したものかと思っていたので、助かった。
わたしは、往きはバスで帰りはタクシーにした。

検査結果は、先月の逆戻りした検査結果が無かったことになるよう
な、2か月分の下降だった。
帰宅して夫と二人、先月のは何だったのかねぇと苦笑い。
体重が少し増えてしまったし、全体的に食べ過ぎなのである。
夏バテしないようにとか言って、食べてしまうので夏太りする。
困ったものである。

もぐちゃんの検診の予定も終わり、自分の通院日も終わったのに、
なんだかまだ何かをしなくてはならないような焦りを感じてしまう
のは、きっと検査結果のせいだろう。
じわじわと現実のものになっていく人工透析への道のりを考えてし
まうからだろう。
焦っても何にもならないのに。
その時が来たら、そうするだけのことなのに。
なんとかもぐちゃんが小学校に入学するまで持ってくれと思う。

本日、待合室にて。

 病院の待合室で父親に似た老人を眺めておりぬ(市屋千鶴)



2005年07月21日(木) 1歳6か月歯科検診

またもや、10日近くが過ぎてしまった。
もぐちゃんの昼寝時に、映画を見過ぎである。

今日で、もぐちゃんは1歳と7か月。
1歳6か月の歯科検診の日だった。
受付は朝の9時から10時までということで、9時には到着する
ように家を出る予定だったが、15分ほど遅れた。
南保健センターまでは、ベビーカーを押して行って20分くらい
である。到着したのは、9時10分頃。
ベビーカーを押して急いだわたしは、もう大汗だった。
会場は2階で、エレベーターに乗った。
それがいけなかったのか、もぐちゃんは受付に向かおうとするわ
たしの手を引っ張って、エレベーターにもっと乗りたいと主張。
仕方が無いので抱き上げたが、もぎゅもぎゅと動いて大変だった。
更に汗だく。

保健師さんの受付が終わって、20組ほどで歯磨きの講習。
その後で歯科医の検診を受けた。
もぐちゃんは、まだうまくコップのみができない。
哺乳瓶を卒業するためにと、フォローアップミルクをコップにス
トローで飲ませてみたことがあるが、一口飲んで押し戻されてし
まった。
ミルクは哺乳瓶で飲むものだと思っているようだ。
そんな話を歯科医と話し、コップでの飲めない以上は他にミルク
を飲む手段がないわけだから、哺乳瓶を使うのは仕方の無いこと。
まずはコップ飲みの練習をして、それから哺乳瓶の卒業へと進む
ことですねと言われ、激しく納得。

ついついストローマグに頼ってしまうので、コップの練習を意識
的にしなくちゃなと思った。
いくらこぼしても寒くない夏はもってこいか。

そうだ。ぷらむの日に作った歌を。

 ホームにて特急電車が連れて来る風を待ちおり真夏日の午後(市屋千鶴)

 真夏日の弱冷房車は乗車率二割減にてホームに入る(市屋千鶴)

これらを公民館でひろたさんに見せたら、続きの歌を詠んでくれた。

 黄しゃつがホームに立てり市松のひとつの角に風夏休み(ひろたえみ)

その日、わたしは黄色いチャック柄のシャツを着ていたのだった。



2005年07月12日(火) 裸んぼでシッコ

暑くなってから、シャワーで済ますことが多くなった。
が、わたしが体を拭いている間に、裸んぼで走り回るもぐちゃん
が、オシッコをしてしまった。
2回目である。
(そう言えば、お風呂に入る前に、足拭きの上でしてしまった
 ことが有ったっけ。)
どちらも、フローリングの上で、布団の上では無かったのが救い。

お風呂と違って、すぐに体が冷えていくからだろうか。
次からは、まずおむつを履かせてから解放しないと駄目だな。

しかし、もぐちゃんの憎めないところは、自分で拭こうとしてい
るところである。
いつも、テーブルの上には、よだれを拭いたりするために、もぐ
ちゃん用のタオルハンカチを置いている。
多めにお茶をこぼした時に、そのタオルハンカチを使ったからだ
と思うが、自分のしてしまったオシッコを、こぼれたお茶を拭く
ようにタオルハンカチで拭いていたのである。

1回目の時は、わたしが拭こうとしたらタオルハンカチを持って
手伝っただけだったが、昨日はわたしが体を拭いてそこに行く前
に既にタオルハンカチで拭き始めていた。
昨日の方が量が多かったので、もぐちゃんのかがんだところには
水たまりが出来ていた。
体を拭くわたしからは、もぐちゃんの手しか見えなかったが、そ
の手がタオルを持って左右に動いていたので、今行くよと声をか
けながら、動き回らずにいてくれて良かったと思っていた。

1回目の時に、お茶をこぼしたのかオシッコをしてしまったのか
が最初はわからなかったので、もぐちゃんにこう言った。
「オシッコが出ちゃったのは、おむつをしていないんだから仕方
のないことで、お母さんは怒らないよ。でも、お茶を飲んでいて
ばーっと吐き出したんだったら、お母さんは怒りますよ。」と。
子供がおむつをしていなくてオシッコをしてしまうのは、当たり
前のことだもの、そんなことで怒るわけにはいかない。

わたしだって、かなり大きくなるまでおねしょをしていたので、
オシッコのことは大目に見てやりたいのである。(笑)



2005年07月11日(月) 「ジャバ・ザ・ハット」

ぷらむの歌の三首目にまつわるエピソード。

「スター・ウォーズ エピソード3」の公開を記念して、ペプシ
の500ミリにはキャラクターのペットボトルキャップが付いて
くる。
早速2本買ってきた夫は、それを置いたままたばこを吸いに出た。
わたしは、2本のうちでコロコロとした感触のおまけの方を手に
取って、袋を開けた。
コロコロしているのはもしやR2D2ではと、だいぶ期待して袋
を開けたのだった。
が、出てきたのはコロコロとした「ジャバ・ザ・ハット」。

これは夫の陰謀だと思った。
きっと手触りで「ジャバ」を選んだのだと思った。
う〜〜むと唸りながら「ジャバ」を見つめていると、夫が帰って
きた。
夫は、「ジャバ」に驚き、そしてそれとにらみ合っているわたし
に大笑いした。
わたしが、選んで「ジャバ」の付いているのを買ってきたのかと
思ったと言うと、ますます笑った。

それ以来、「ジャバ・ザ・ハット」は「ジャバ先生」として飾り
棚の中にいる。
もぐちゃんも、それの定位置はそこだとばかりに、手渡すと飾り
棚の中に置く。

ぷらむの歌だと、大好きで一番先に「ジャバ・ザ・ハット」を買
ったように受け取られてしまったが、そう読める。

 星戦の「ジャバ・ザ・ハット」とにらみ合う 君がたばこを燻らす間
                           (市屋千鶴)



2005年07月10日(日) ぷらむの日

今日はぷらむの日。
夫がいいと言ってくれたので、歌会後の納涼会にも参加した。

今月のお題は『集』。

 集まれば互いが心の支えだと難病トリオ 姉、従姉、われ(市屋千鶴)

 子を連れて集う母らは手始めに子の月齢を推測し合う(市屋千鶴)

 星戦の記念グッズを集めれば一番先に「ジャバ・ザ・ハット」(市屋千鶴)

一首目。
姉は、わたしと同じ多発性のう胞腎で人工透析中。
従姉は膠原病の一首、多発性筋炎である。
身内の新年会や旅行や暑気払い会などで集まると、従姉は姉に対
して決まってこう言うのである。
「あんただけが頼りなんだから、先に死んだりしちゃ駄目だよ。」
と。
まあ、わたしも腎臓の温存期ではあるが、毎月通院していること
もあり、難病仲間になった。
姉と従姉は同じ年で、田舎にいる時から仲が良く、上京してから
も数年間を共に暮らした間柄である。
身内で何か企画する時は、その二人が中心だった。
難病を抱えた今でも、昨年の旅行は二人が企画してくれた。
互いの存在が、心の支えになっていることは間違いないのだ。

二首目。
子育てサロンに集う場合は、子供の背中に名前と月齢を書いた紙
を貼付けるので、月齢を推測し合ったりはしない。
しかし、こどもセンターや公園で同じくらいの子供を連れた女性
と遭遇すると、一番最初にするのはお互いの子供を見ることだ。
母親の顔を見るよりも先に、子供の月齢が気になる。
自分の子供と同じくらいなのか、とか。
同じくらいに見えるがやっていることはかなり器用なことのよう
だ、とか。
母性本能という奴なのか、母親は子供同士を見比べるものなのだ
ろう。
あからさまにじろじろと見比べることでないとしても、手始めに
することは、他の子の月齢を推測して自分の子供と比べることな
のである。
しかしそれは、優越感に浸るためでもなく安堵するためでもない。
話のきっかけが欲しいのである。
そして誰もが、我が子のことを話したいと密かに思っているのだ。

三首目。
この歌を作るもとになったエピソードを話した。
話の方がずっと面白いので、説明的な言葉(「記念グッズ」)や
注釈(発表時には「ジャバ・ザ・ハット」の注釈付き。)を除い
て、「星戦」と「ジャバ・ザ・ハット」だけを活かしてみてはと
いう助言をいただいた。
この件は、明日の日記で。

納涼会を終えて帰宅すると、もぐちゃんは夫と一緒に寝ていた。
シャワーは、どうやらもぐちゃんだけを洗うという方法でクリア
したらしい。
昼寝をしなくて、散歩のあとで寝たのが夕方の五時。
一時間ほど寝て起きたら、大泣きしてしまったらしい。
用意した夕飯も、大好きなフォローアップミルクも、それならば
と与えたオレンジジュースも拒み、小さいゼリーを与えたらそれ
は食べたのでゼリーを食べさせたのだと夫は報告した。
夕飯以外は、いい子だったということだった。
きっと、起きた時に母がいなくて、泣いても現れなかったので、
へそを曲げたのだろう。
夕方に寝たのがまずかったのだなぁと夫と反省会。



2005年07月04日(月) 10日間

すっかりさぼってしまった。

夫の鴨居でのプロジェクトは、先週末に中止と決まったそうだ。
メーカーさん側でも曖昧なスタートだったようで、問題点が多す
ぎてやっぱり中止となった模様。
今日から黒川に通うことになった。
夫の仕事は、ハードの中に組み込まれるシステムを作ることで、
これまでは、機種こそ違っても同じ種類のハードのシステムを、
我孫子の二年目からずっとやっていて、それはハードの進化に追
われるような開発ばかりだったので、毎日遅かったのである。
今度は、ハードの種類が変わる。初めてのハード。
ちょっと面白そうである。(くうう、言いたいっ!)

先週は、一息つこうということで、火曜日からお休みをもらって
もぐちゃんと遊んで過ごしていた。
わたしは、木曜日に一人で買い物に行かせてもらった。
というのも、月のものが始まり、イライラするのが目に見えてい
たからだ。
こんなときは家にいない方が、夫のためにももぐちゃんのために
もいいように思えた。
黄色いパッチワーク風のシャツと、黄土色の靴を買った。

夫は、休み二日目の水曜日には、「今日は仮面ライダーがある日
に思えて仕方が無い。」と言っていた。
休みの二日目は日曜の気分なのだな。
わたしは、自分だけ出かけた木曜日に、なんだかぷらむの日のよ
うな感じがして日曜みたいだと思った。
自分だけ出かけるのは、ぷらむの日だけだからだな。

もぐちゃんは、夫の休みの間は、寝るまでに一時間かかった。
わたしと二人だと三十分で寝るのだが、夫がいると興奮はなかな
か醒めないらしい。就寝時間は、概ね午後九時半だった。
もぐちゃんから見て、おとうさんはどういう存在なのだろうか。
夫は、どうも自分は弟分に見られているのではないかと笑うが、
一歳半の子供の頭の中で、どういう風に解析されているのかは、
もちろんわからない。
ただ、わたしが出かけた木曜日は、お兄ちゃんっぽかったという
夫の話をふ〜んと聞くだけである。


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