「隙 間」

2012年07月23日(月) 「桐島、部活やめるってよ」

朝井リョウ著「桐島、部活やめるってよ」

著者が早稲田大学在学中に小説すばる新人賞を受賞した作品。

田舎の高校が舞台。
バレー部のキャプテンである桐島が突然バレー部をやめてしまった。
そのことが、ささやかな関わりしかなかったはずの五人の日常に変化を与えて行く。

バレー部の桐島の控えだったものや、恋人が桐島の同級生で評判だけは知っていたり、大して影響がなさそうな同級生たちの心に小さな波紋を起こす。

五人の物語で構成され、桐島自身はその中に入っていない。
なぜバレー部をやめたのか、やめてどうしているのかなど一切触れない。

「桐島」という投げられた小石ではなく、「部活やめるってよ」という噂が起こす波紋こそが、同年代の若者、高校生にとって重要なのである。



とはいえ。

いまいち目新しさや感動といったものにぶっつからなかったのである。

ただ、

「輝いている」

と描かれている学生時代(高校)は、たしかに輝いているひとときである。

輝いてなどいなかった、というものは、思い込みである。
光の強弱の差はあれど、自覚できていなくとも、過去は、とりわけ青春と代名される時期のものは、光を放っているものである。

たとえば漆黒の闇のなかだとしても、そこに自身という生命の輝きがある。

子の社会だけではおさまらず、親の社会にも同じようなものがあり、顔も声も温度もない世界が我が物顔で闊歩していたりする。

生きろ。

とは言わない。

だから、

探せ。



2012年07月21日(土) よっしゃー、いくぞ

割り子そば
ざるそば
冷やし中華
トマトサラダそば
ピリ辛涼麺

などなど。

この一週間、それらを主食に生きてきました。

ボンドで仮処置していた自分の歯は、昨日、とうとう「割れ」落ちてしまいました。

「ムリじゃ! エンジンが焼け落ちてしまう!」
「谷までもてばいい!」

昨夜の食事前、ナウシカの決意がごとく、いっそ思いっきり噛むものを食べてしまいたいと思いました。

明日歯医者の予約がとれているんだし、と。

耐えました。

ちゅるちゅるる、と、それでも慎重に、臆病に、麺をすすったときに、ポロっと。

ボンドで接着した面をひとかわ残したところから、です。

「自分の歯がベニヤ板みたいになっちゃってる」

らしいです。

だから「剥がれる」ように、強度ももたない。

とりあえずで仮歯をいれてもらいましたが、やはり固いものは避けるように、とのことです。



いったい、いつまで。



歯医者を出たあと、あてどなく上野の街なかを歩いていました。

ふらふらと。

(チャッ、チャッ)

ボウゼンと。

(はりまぁやぁばぁぁしぃでぇ)

空耳。

(ぼん〜さぁ〜ん〜)

違います。

「かん〜ざぁしぃ〜」

買うぅを〜みぃる〜!

人垣の隙間からチラリと見えた衣装。

「ほにや」っぽいカラー。

まさか、ほにやが今、高知から上野に来るなんてありえない。

曲だって、ほにやの曲っぽくない。

だけど。

ああ、やっぱり違った。

だけど。

よさこいです。

原宿よさこい連の皆様でした。

鳴子の小気味よい音が鳴る度に、鳥肌がゾワゾワとたってゆきます。

ああ。

もう少し、がんばろう。



今夏、お盆休みは四国四県をまわってきます。

高知の「よさこい祭り」から徳島の「阿波おどり」、香川のこんぴらさん、愛媛の道後温泉。

だからそれまでに。

食べたいものが食べられるように。

気分を高揚させやすい、心拍数よりやや早目のリズムを駆使した曲ばかりのモモクロと。

全身の毛穴から魂にまで震わせてくれるよさこいと共に。



2012年07月16日(月) 「永遠の僕達」と、飲み物です。

「永遠の僕達」

をギンレイにて。
この作品は、予想外に「お薦め」な作品である。

イーノックは両親を交通事故で亡くし自分も臨死体験をした。
以来、イーノックにしか見えない特攻隊で戦死したヒロシだけが友人らしい友人で、他人の葬儀に勝手に紛れ込んで日々を過ごしてばかりいた。

やはり紛れ込んだ告別式で、アナベルと出会う。

アナベルはガンで余命いくばくもない身だったが、イーノックはそんな彼女の「準備」を手伝う約束をし、しかしやがてふたりはかけがえのない存在となってゆく。

そして。



イーノックにとりついている幽霊として登場するヒロシを加瀬亮が演じている。

なぜカミカゼ?
なぜ長崎の爆撃シーン?

という細かい疑問点は置いといて、その加瀬亮がなかなかよい。

お人好しで気の弱そうな永瀬正敏、という印象があるが、瑛太よりも実直な人物を演じるのにふさわしいようにわたしは思う。

公開当時、このヒロシの存在がいかにも胡散臭く感じたために、はしごする候補から外していたのである。

しかし、それをこうして掬い上げてわたしに観させてくれる「ギンレイホール」は、もはや生涯のパートナーといっても過言ではない。

ギンレイがいかに当たりかは、わたし個人の問題である。

「永遠の僕達」は、お薦めしたい作品である。

さて。

歯抜けで墓参りである。

「いっそ、まっ金金の差し歯にしたらどうだ?」

父のありがたいアドバイスである。

貴重なるそのアドバイスは、そのユーモアのみいただいて、わたしは上野の歯科にトンボ返りである。

担当医が休みなので、仮処置、ということであった。

「これが、抜け落ちた歯です」

サランラップに幾重にも巻かれたひと歯を懐から取り出す。

「牛丼を食べていたら、前触れもなくぼろっと」
「それじゃ自然に折れたんですね」

事実は「スタ丼」であるが、ニンニク生姜醤油の豚肉が、醤油出汁の牛肉の「牛丼」にかわったとて大した害はない。

「担当医が治療方針を決めるまで、仮のセメントで接着だけしときますからね」

担当医はたしか副院長的だが若々しい紳士的な男性医師だったが、今回は女性医師でなかなか快活な方であった。

「麺類以外、噛まないで下さいね。パンも、サンドイッチも。簡単にまた取れちゃいますから」
「コンビニのおにぎりも、巻いてある海苔はアウトですか?」

うーん。

しばし考えた後に、

「アウトですね。引っ張られちゃうので」

真面目にだが、ユーモアをちゃんと含み返してくれたのである。

「とにかく、前歯で噛みきらなければいいですから。奥に一気に流し込んで、奥歯ですりつぶして下さいね」

日常的に、無理である。
自宅ならまだよいが、勤務中の昼食は、もはや「ざるそば」「冷やし中華」の類いしか、選択肢が残されていない。

これは否応なしに、痩せられる。

二キロくらいは、自然に体重が落ちてくれるに違いない。

食えないとなると、上野から秋葉原にかけて軒を連ねる飲食店の看板やらが、やけに目につく。

世の中には、かくも食べ物が溢れているというのに。

この悲哀、いや怨唆の叫びを、とりあえず友に投げる。
申し訳ないが、今は投げれる相手が友しかいないのだから、そこはいつかそうでなくなるときまで辛抱して欲しい。

しかしその後、わたしは悪魔にも似た閃きを手にしたのである。

「噛めないなら、飲めばいい」

なんとシンプルで容易な回答だろう。
これならば、問題ない。

「おにぎりは飲み物」です。
「唐揚げも、飲み物」です。



2012年07月15日(日) レッドな気分と冗談chaimaxx

金曜、多分夜十時頃から、日曜朝九時過ぎまで寝てました。

土曜昼前に一度起きて姉にメールの返信して。

次は夕方か夜だったかに一度。

そして日曜朝四時に。

自己嫌悪。



頑張っchaimaxx♪
冗談chaimaxx♪

勇敢な挑戦者たちがリングサイドに現れた♪

惨敗のトラウマを脱いでdance or die 星を掴むまで♪

手強すぎる夢は最高のパートナーでライバル♪

高めあって勝負する♪

Gong♪
Chime♪
Max♪

本気で本気で本気で本気で♪

とりに行くから飛んできて♪
ここはニュートラルchanceへの下剋上♪

成り上がっちゃいます♪
試されchaimaxx♪

こんなん困難なんて言えないよ♪

突き破っちゃいmax♪
Fight!サバイバルなミスマッチゲームだってサクセス・ドリームを♪

びゅんびゅんびゅんびゅん♪
びゅんびゅんびゅんびゅん♪
びゅんびゅんびゅんびゅん♪

立ち向かう♪

くるりんチラリンきらりんするりんワンround♪

milkyでクセモノ♪
chaimaxx♪

己を鼓舞するのに、ヘビロテしてます。

冗談chaimaxx〜♪

前歯が、根元からポッキリと折れました。

音もなく。

およそ36時間ぶりに食べた食事の最中に。

予兆も、予告もなく。

「伝説のスタ丼」を、

食い終わる間際でした。

歯抜けで、明日は墓参りです。

母親も驚いてお墓から飛び出してくるかもしれません。

笑っちゃうしかないけれど。
笑うと歯抜けが見えてしまふ。

「ティファニーで朝食を」で、ブルーよりも最悪な気分を「レッドな気分」とヘプバーンは名言を残しました。

何色で表現しようか?



2012年07月09日(月) 「ヒアアフター」

「ヒアアフター」

をギンレイにて。
スピルバーグ総指揮、クリント・イーストウッド監督作品。

霊と交信できるジョージは、その力を隠して暮らしていた。
マリーは大津波に襲われて臨死体験をした。
少年マーカスは双子の兄を亡くし、頼れるものを失ってしまった。

三者はやがて出会う。



マリーが津波に襲われるシーンが、昨年から何度も目にしてきた「現実の津波」の映像と重なる。

ちょっとこれ、どこですか?
「ディズニーランド」だよ。

これは?
仙台の空港らしいよ。

窓の外の黒煙は?
テレコムセンターの方らしいよ。

落ち着くまで、何かできることがなければ仕事でもするしかないね。

エレベーターが止まったままの地上二十階。
階段も、おりている途中で揺れて転倒転落しないよう、そして外部での被害を避けることも含め、しばらく自粛。

あれ。帰れるの?
歩ける道があれば、なんてことないですから。

そう言ったのが、一年と少し前。

最近は、電気料金と再稼働の話ばかりしか見かけない。

それはつまり「政治」の話であって、身近というには、一枚何かが挟まって感じられる。

そんなことを思い返した。

それくらいの感想しか湧いてこないが、ジョージ役のマット・デイモンを久しぶりに見た気がする。

わたしはとりわけ俳優に詳しいわけではないが、だからこそ名前が思い浮かぶのは有名人だったりする。

何々に出てた誰々が、といった話をして返ってくるひとが、なかなかいない。

やや歳上の、まだ気が若い方々、例えばアニメ漫画に詳しい春さんや、テレビはまったく観ないが名画の類いならわかる虎子さんあたり。

「ピアース・ブロスナンを最初に知ったのは、探偵ドラマの、ブルームーンじゃなくて……」
「レミントン・スティールやろ。月のは、ブルース・ウィリスのブルームーン探偵社でしょ」

といったことがポン、と出てくる。

わたしの場合は、もっぱら姉の影響でそれらを観てきたので、世代やらがちょうど合うのだろう。

俳優の名は繋がらなくとも、本の感性について、わたしのめんどくさい論説に付き合ってくれる貴重な正一くんもいる。

果たして、個人的な趣味嗜好に触れるような雑談の類い以外、何を話しているのだろうか。

社会や政治や経済のカタコトくらいは会話できるようにあろうと思っているが、そんな言葉や用語は、周りから露とも聞こえた場面がない。

もとより勤務時間中に休憩以外で私語など好ましいものではないと思っているが、だからこそ。

自分と世間の情報にどれだけのギャップがあるかを確認する機会なのである。

上っ面だけの情報ばかりでも、無関係に見えるそれらを繋ぎ、編み合わせてみれば意外な模様が出来上がったりする。

それが的外れなのかそうでないか、自分で見出だした答えなのか既に誰かが出した答えなのか。

「メンドクサイひとですねぇ」

村上春樹作品に対するわたしの距離の置き方、接し方について語ったときに、正一くんに言われたことである。

「文学であり、読んで一度は身体を通しておかねばならないという義務感であり、好きではないが嫌いではない。
物語の寒暖の差が激しくなく、かといって決して快適に満足させるようななま易しい文章でもない。
気付けば温度がなく、また気付けばジットリとまとわりつき、サウナに迷いこまされるようなときもある。
アクがあるほどのクセはないが、しかし全体通してクセモノで満たされている」

といったようなことを評しただけである。

これに限らず、彼にはかれこれ三度ほど、同じことを既に言われた覚えがある。

それならば、何度でも言わせてみせよう。

自分ですらもつれてからまり、身動き出来ぬくらい一筋縄ではゆかないわたしの思索の森は、まだまだ奥が深い。



2012年07月08日(日) 恐れ入谷の朝顔市

低気圧のせいです。

金曜日から始まっていた入谷の朝顔市。

土曜日は、鬱々とした天気に出かけるのを諦めてました。

それでも洗濯くらいは済ませなきゃいけないと思っていたのに。

朝九時過ぎに起きて、昼一時過ぎに起きて、夕方五時頃に起きて、夜九時半にまた起きて。

二十時間?

寝てました。

そしてその晩は、それでも夜中一時半過ぎにはまた寝てました。

日曜朝九時にやっと起きました。

今のわたしのテンションをあげるためには「もののふ」化が一番らしいです。

桃黒は、麻薬的です。
本人らはもちろん、バックアップしているものらも、ようく考えて、そして考えずに、世間を巻き込んでいるのが、よくわかります。

もとい。

冗談chaimaxx
頑張っちゃいchaimaxx

に乗せられて、てくてく向かいました、鶯谷に。

三時の方向に敵機発見、デストロイ&乙女の祈り。

リン、リンリンリリン
リン、リンリンリリン

ああ、ダメな大人です。

しかし。

これくらいの勢いをつけないと倒せない敵が待っているのです。

富士山盛り
激盛り
男盛り
愛情盛り
メガ盛り

そんな札が正々堂々と貼り出されている

「焼きそば」

をデストロイしなくてはならないのです。

これらは皆、同じ盛りを指しています。

昨年は大震災の自粛ムードによって朝顔市自体が開かれなかったので、二年ぶり、四度目の戦いです。

「ひとつ、ください」
「はぁい、袋広げて待っててくださいね」

言うより早く、わたしはコンビニ袋をビッと千切り取り、クルクルと口を丸めながら広げて構えてます。

もう勝手知ったるなんとやら、です。

どっからでも、かかってこい!
(こい!)

でっかいヤツが、現れたー!
(わー!)

どさっ。

三、四歳児なら頭よりデカイです。
これで五百円です。

腹へったー!

いざ、尋常に勝負です。

最上級のhappiest届ける
花盛り、夢見がち
乙女の祈り

届きました。
いただきました。
完食です。

ぷふぅ。

くちくなった腹をさすって、満足です。

花より団子。

朝顔は、なにはさておき団十郎。

品種はよくわかりませんが、団十郎の鉢をずらっと眺めて回って、わかった風な気分に浸りました。

今年はちょいと小振りだねぃ、などと。

はい。
今年も買いはしませんでした。

十川さつきが現れたら、そのときに買います。

ダメな大人化に、拍車がかかってしまってます。

しかし違和感を忘れていません。
これこそが、社会学的見地におけるわたしの冷静さと理性の欠片のはずなのです。



2012年07月07日(土) 低気圧がある大森

大森である。

忙しさとはとんと縁遠くなっている今のところ、訪ねる時間もいつもより三十分くらい早くなってしまう。

そうなると、待合室には五、六人はいる時間帯になっている。
そうなると、わたしの後にもひとがいるということで、イ氏と長く話し込むのは難しいのである。

イ氏も最近は小説を読む余裕や気分が持てず、もっぱら評論関係ばかりらしい。
わたしも語れるほどの作品を読んだりしていないので、盛り上がりには欠けてしまう。

しかし、そんなときでも癒しのひとときをめぐんでくれるマコトさんがいる。

「なんだか、私のときに限ってよくないみたいじゃないですか」

え、そんな、何が?
よく寝られてないみたいだし、眠気が仕事中にあるみたいだし。
いや、そんなことは。それはきっと。
きっと?

「マコトさんだからと、きっと緊張でドキドキして、ほら、この日の脈拍数だって」

問診票のやや高めのとこを指差す。

「わかりました。伝えておきます」

ぐっとご年配の婦人が担当だった日を指差していた。

違う、違います。
いや、わかってますから。
いや、熟女がタイプとかではなく、いやいや、魅力的じゃないといっているのではなくて。
わかってますから、大丈夫ですよ。

何をわかっているのか。

不安である。

当初、錠数の計算をきっちりしないと気が済まなくて、わたしのざっくり勘定をしゃっちょこばって厳しい口調で詰問してきたりしていたのが、ずいぶん砕けてきてくれたものである。

しかし、それくらいしかオアシス的なひとときがないのである。

舞姫の廉価版が今回から出るようになったのだが、しかしどうにもなんだか違和感を覚えてしまう。

成分自体は変わらないはずである。

そうだ、きっと低気圧のせいに違いない。
そういうことにしておこう。



2012年07月06日(金) 「エンジョイしなけりゃ意味ないね」

朝倉かすみ著「エンジョイしなけりゃ意味ないね」

短編のそれぞれがどこかで交差している短編集。
それがわたしは、最後まで読み、あとがきの解説を読んでいたなかで初めて気付かされたのである。

それまで気付かないままでいた自分の腑抜け具合が、なんだか悔しい。

目の前の行と文字しか追いかけられていない。
行や文字を追いかけているのは、わたしにとって、まったく見当違いも甚だしい。

行や文字が見えていてはいけないのである。
その中に入り込んで、同化しているのがわたしにとっては正常なのである。

もとい。

主人公たちは、奥田英郎の「ガール」の彼女らに近いかもしれない。

しかし「ガール」らと違うのは、戦う姿や意思や本音を、自らの内面で閉じ込めているところだろうか。

わかりにくいが、それこそがリアルさなのかもしれない。

いや、たんにわたしがいわゆる不感症気味になっていらるだけなのだろう。

朝倉かすみならではの「熱さ」を、激しく感じたかった。



さて、これの実際の日付が前後したりとあやしいのだが、もう少ししたら「夏」の到来である。

入谷の朝顔市が、今年は開かれる。
七月六日から八日までの、金土日の七夕またぎである。

鉢を買ったりしたことはない。
枯らしてしまうこと必然であり、そもそも鉢をぶら下げて家まで歩いて帰るには、ひとりはもの悲し過ぎる。

八月になれば、盆休みに高知の「よさこい祭り」である。
四国四県をついでに回ってくる予定である。

そこからおそらく九月十月は、「スーパーよさこい」と「東京よさこい」などが続く。

長い夏。

である。

「ほにや」
「十人十彩」

そして

「音ら韻」

なにげに「乱舞姫」の、

「姫さまの言うことは〜?」
「ぜっ、た〜い!」

が聞きたかったりする。

既に何樫に熱中症になりかかっているわたしは、無事に年末には平熱に帰ってこれるのだろうか。

激しいエビ反りジャンプができるようになっていたら、おそらくそれは、要注意である。



2012年07月05日(木) 「ヘヴン」

川上未映子著「ヘヴン」

クラスで男子にいじめられている少年は、ある日机の中に、

「私たちは仲間です」

という手紙を発見する。
同じクラスの、そちらは女子にいじめられている少女からだった。

学校では互いに言葉を交わしたりしない。
しかし、ひっそりと手紙をやりとりするくらい。

いじめは毎日、歯を磨くのと、息をするのと同じ感覚で、続いている。

「意味なんかない。やりたいと思ったことをやるのに、いちいち意味なんか考えないだろう?」

「いじめられていることには、私たちにとって大きな意味があるの。
いじめている連中には絶対にわからない、私たちの存在意義のようなもの」

「お前は、ただ受け入れているじゃないか。抵抗することもできる。ひとりずつナイフで殺して回ることだってできるというのに」

学校の外で、たまに少年と少女は会うようになる。

しかし、それがある日クラスメイトたちにバレてしまい、囲まれてしまう。



紫式部文学賞だかをとった作品らしいが、賞はともかく、川上未映子作品として発表当時かなり話題になっていたのである。

「乳と卵」「わたくし率イン歯ー」から、それなりに期待していた作品であった。

ニーチェ的なんたらで神の存在をきっただの、大層な感想が目についたりしたが、なんてことはない。

少年は斜視で、それが原因でいじめられている、と思っていた。
しかし、いじめる側の男子のひとりとの会話の中で、そんなことが理由じゃない、とサラリと重さもなく言われてしまう。

少年の斜視の眼を、少女は「好きだ」といった。
「それこそあなたが他の連中とは違う、あなただけの目印」で、「きれいな目」だと。

手術で簡単に治るよ、と医師に言われる。

「一万五千円くらい」

で、その眼が治ってしまう。

たった一万五千円で、エスカレートし過ぎているいじめがすべてなくなるとは思えないが、何かが変わるに違いない。

せめて「自分の目印」がなくなるくらいは、

変わってしまうかもしれない。

やがて決断し、少年は手術を受ける。
それまで厚みのない薄っぺらな世界にしかみえていなかった毎日。
少年は、立体感と鮮やかさのある世界を手に入れる。



今までの作品の語り口とは、違う。

だからこそ、なのか、傑作だ素晴らしい、と思うのかもしれない。
しかしわたしは、そんな大層な、と思ってしまうのである。

何を「らしさ」というのかまだ曖昧だが、川上未映子作品に対するわたしが感じる「らしさ」を、感じなかった。

もっとこう、水溜まりからチロチロと流れる水のような、どちらに流れるか判断つきがたいがたしかにあちらに向かって流れている、といったような。

今回の「ヘヴン」は、その水溜まりに映った世界、なのである。

どこかへ流れ出すのではない。
見上げて見えた空がそこに映っていたと気付く。

作品をまだ二、三しか読んでいない程度のわたしの印象なので、まったく勝手なものである。

どうやら今のわたしは、もっとザラザラした作品を欲しているようである。

卓の上に平積みになっている未読のものが、二桁をとうに超えてしまっていた。

それでも、週末毎にまた積んでいってしまう。

調子を戻さねば。



2012年07月01日(日) 「きっと ここが帰る場所」「星の旅人」「臍帯」

一日、映画サービスデーである。
レイトショーのみでかぶってしまったり、なかなかうまいことはしごできる作品がなかった。

選択肢がないということは、迷わずにすむということでもある。

しかし迷わなければ、欲求はなかなか高まらない。

面倒くさいところである。

「きっと ここが帰る場所」

を有楽町ヒューマントラストシネマにて。

ショーン・ペン演じる引きこもりの元ロックスターが、三十年疎遠だった父親の危篤をきっかけに、ナチの残党を探しに旅にでる。

うっかり素で観てしまい、途中から落ちてしまって内容がよくわからなかった。

うかつである。

気を取り直して、

「星の旅人」

を同じくヒューマントラストにて。

トムの元に、巡礼地巡りをしていた息子が、フランスで不運にも嵐に逢って亡くなってしまったと突然、連絡が入る。

トムは遺体の確認と引き取りにフランスへと飛ぶ。

四十歳になる息子は大学院の博士課程を辞めて「世界の巡礼地を回りたい」といい、トムは出発前に空港へ車で送ったのだった。

インド、中国、チベット、世界中の聖地で撮った写真や日記。
しかし今回の巡礼帳は、サンティアゴへ向かう最初のスタンプしか押されていなかった。

「普通のひとは、そんなフラフラ旅行に行ったり出来ないぞ」

空港への車中、トムは吐露した。

「世界を見たいんだ」

息子はそういった。

「かなったのよ」

トムに彼の秘書がかけた慰めの言葉。

トムは、息子が目指そうとしたサンティアゴへの巡礼を、息子の遺骨と共に巡ることにした。

眼科医で自分のクリニックを開いているトムには、息子の気持ちがますますわからなかった。

トムと同じ巡礼の同行者は、ダイエットが目的といいながら食べてばかりいる男や、禁煙が目的といいながら煙草がやめられない女や、作家でスランプで作品が書けないといいながら実は小さな新聞の連載しかない男。

四人は巡礼の目的地サンティアゴに何をみるのか。



とにかく不思議なことに、一番の秀作だった。

騙されたと思って、観てみてもらって構わない。

巡礼のゴールは、ゴールの地に着くことではない。
着いたからと、それは本当のゴールではないのである。

巡る過程、見えない思い、意思、きっかけ、それらすべて、それぞれが、巡礼の目的なのである。

わたしも、ゆきたくなった。

今夏、まずはよさこい祭りからのお遍路参りだろうか。

さて場所を移して、

「臍帯」

を新宿武蔵野館にて。

「臍帯」とはへその緒である。

ミカは、ある一家の様子を観察していた。
そして、中三のひとり娘あやのを誘拐、監禁する。

「あなたの一番大切なものを、壊してあげる」

母親へ送られたミカの脅迫文。

衝撃のラストシーンに向かって、物語は進んでゆく。



一瞬「八日目の蝉」のような話かと思ったが、違う。

ミカは、あやのの父親の違う姉だった。
生まれてすぐ、ごみ置き場に捨てられ、運よく助けられて施設で育った。

母親は前夫のDVに苦しみ離婚し、あやのの父親と出会う。
再婚しようとしたとき、前夫の子、ミカを妊娠していることが発覚した。
再婚して幸せを手に入れるために、ミカをバレないように生み、捨てたのだった。

だから、母親はミカのことを誰にも話せないし、まさか生きて目の前に現れるとも思っていなかった。

ミカはあやのを閉じ込めた小屋で、共に過ごす。

食べ物も、水も、トイレもない。

ふたりきりで、ただただ、無言で、過ごす。

「あなたはまだ、壊れてない」

閉じ込めた者と閉じ込められた者。

愛されている者と捨て去られた者。

帰りたい場所がある者と帰る場所などない者。

ふたりの娘とひとりの母親。

ミカは、やがて「壊れた」あやのを母親の前に運んでゆく。



物語に「凄さ」をあまり感じなかった。

「凄さ」を感じさせられたのは、ミカとあやのを演じたふたり。

極限状態の刹那的な儚さ。

圧し殺した感情。

瞬間、解放した激しさ。

なんだか、勿体ない。

もっと象徴的なエンディングが、あったように思う。



久しぶりの映画のはしごだったが、なんだかすっきりしない。

「図書館戦争」をとっといて今日観ていたら、きっとよかった。

観てみたい作品が都内だが遠方だったり、なかなかうまくゆかないものである。

「普通のひとは、フラりと映画のはしごなんか出来ないぞ」

贅沢な悩み、なのだろう。


 < 過去  INDEX  未来 >


竹 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加