「隙 間」

2012年08月27日(月) スーパーよさこい

「そんなによさこい好きなら、好きな人同士で友だちになったりしないんですか?」

わたしが各演舞場の出番表を見ながらニヤニヤしていた金曜の夕、隣席のひろちぃに言われたのである。

仕事の残りもそこそこに、あとはもう帰るだけと仕度をはじめたくてウズウズしていたのである。

「好きな連を追いかけているから、そんな余裕はない」
「でも、わたしたちとか、いますよ?」

ひろちぃは二十代あたまだというのに韓流スターファンで、たまの仕事がない土日などに、コンサートだかなんだか、そういった先でファン同士の交流を広げているらしい。

「追いかけるといっても好きな連が幾つかあるから、下手すると分単位で追いかけることになりうる」
「へぇ〜」

……。

「……って、分単位ですか!?」

一度流してからのツッコミがなかったら、わたしは幾分か寂しい気持ちになっていたところであった。

あの連この連どの連その連とチェックしてみたら、なかなか大変な状況になっていたのである。

全国からこの「スーパーよさこい」に参加している連で今年も楽しみにしているとこが、もちろんある。

高知のよさこい祭りで観た連でスーパーよさこいにも出場しているのも、追いかけなければならない。

関西大手芸能事務所の人気芸人並みのスケジュールである。

初日の土曜朝、まったくとんでもない事故が起こり家を出るのが遅れてしまったのである。

その事故処理を許される限り先送りにし、それでも開会式に間に合わないのが地下鉄に乗った時点で明解であった。

まあ落ち着け、と出番表とにらめっこする。

明治神宮前の階段をかけ上がり、原宿口ステージでとっくに始まっている演舞を鬼のような目で睨みながら振り切り、NHK前ストリートへ急ぐ。

怒りに我を見失った風の谷の姫様が敵兵をなぎ倒してゆくかのごとく勢いで、人をかき分けかき分け突き進んでいたのである。

と、その時――。

わたしの切り開いた視界の真ん前に、突然遮るように飛び込んできたのである。

はっ……。

きらびやかでありながら、洗練された落ち着いた衣装。
その背中には――。

「ほにや」

と書かれていたのである。

なんと「ほにや」の代表さんであった。
次の演舞場であるNHK前ストリートへ向かわれているところだったのである。

逆立っていたにこ毛が穏やかに伏せてゆく。

そう焦っても大して変わらないのである。
本命のひとつを率いる御方が、目の前にいるのである。他の本命も、出番表ではまだまだひと息つける余裕がある。

C1000げんきいろステージの前で催されている「ふるさとじまん市」で軽く腹ごしらえを済ませる。
ここは踊り子さんらもたくさん憩う場所で、見回すとあの連この連どの連その連の衣装が見える。

関東圏の「上總組」「東京花火」「踊り侍」そして「ぞっこん町田」に「音ら韻」

もちろん、高知の「帯町」「旭食品」「サニーズ」そして「ほにや」に「國士舞双」

一度観ればいいだろうと思われるかもしれないが、そうはいかないのである。

何度でも観て、そしてその度に、感動させられる。

また観たくなる。
観ていたくなる。

この二日間は、わたしにとってネバーランドである。オーバー・ザ・レインボウである。

日曜日限りの「表参道ストリートステージ」で、思わぬベストポジションの観覧場所で観ることも出来た。

「懸命に」踊っている。
「楽しそうに」踊っている。
「自分が主役」で踊っている。

わたしは、全員がそうである連が、好きだ。

五十人から百人ほどまでの大人数の中でも、一人一人が目一杯弾けている。

その圧倒的なまでのエネルギー。

「國士無双」は、踊りに物語と振り付けに芝居を融合させ、爽快で痛快で魅入らされる見事な演舞を、ここでもみせてくれた。

「ほにや」は、「ほにや節」ともいえる華麗さと軽快さと統率の美で、観るものたちの心を潤してくれた。

「音ら韻」は、とにかくパワフルで弾けてて、ストリート・ダンス全開で、誰一人輝いてない者はなくて、ワクワクさせてくれた。

そして、「しん」

東京の連で、またひとつ、惹かれる連ができてしまった。

これまでに挙げてきた連だけでも、追いかけるのに分刻みのスケジュールになりがちだったのである。

現に、今回どうしても時間が合わず、やむなく見逃さざるを得なかった連もある。

それはまた、きたる十月頭の池袋「ふくろ祭り」の「東京よさこい」を待とう。

いや、待てないかもしれない。

待てなかったらどうするのかという解決策もないまま、悶々とするしかないのである。

あゝ、素晴らしき哉!
よさこいの夏!



2012年08月18日(土) 特別阿保列車〜道後温泉編その三〜

最終日は伊予の道後温泉。
夜の七時に松山駅前発のバスで東京へと帰らねばならない。

道後温泉本館のすぐ裏に「湯神社」というのがある。

そもそも道後温泉のはじまりは、大国主が、怪我をした少彦名を癒そうと湧き出ていた湯を茶碗だかにため、ちゃぽんと浸からせたらたちまち回復した、というところかららしい。

その二柱をまつった神社が湯神社である。

それならとりあえず手を合わせとかねばなるまい、と。

伊予の国は、かつて出雲神話の世界の範疇に属した国であったようである。

湯神社のついでに、そこからすぐのとこにある佐爾波(イサニワ)神社という神社があり、そちらにも手を合わしとく。

実は、四国は出雲神話の世界から外れていると思っていたのである。

そうだ。
十月「神無月」の連休に「神有月」の出雲にでもいってみよう。

ふと思いついたのである。

以前訪れたときはやはり夏で、お参りの帰りにレンタカーで前の車について田舎道を走らせていたら。

スピード違反で切符を切られてしまった。

お巡りさんとなどというとんでもないご縁を、即日のうちにお結びつけくださった強力なご利益があることは、身をもって立証済みである。

しかしそれでは、今年はやけに出掛け過ぎだろう、と一瞬頭をよぎった。

一瞬なので、すぐさま忘却の彼方へ過ぎ去ってゆく。

しかも、くどいようだがわたしははじめの高知で魂の半分を落として、或いは奪われてしまった後である。

すっかり腑抜けである。
そして歯抜けでもある。

であるから、もろもろの間抜けさルーズさは、仕方がないことなのである。

松山観光の締めくくりは、夕食である。

帰りのバスは夜七時である。
それから十二時間かけて東京に向かう。
したがって、夕食だけでなく車中の夜食の購入も済ませておかなければならないのである。

「銀天街」というアーケード付の大きな商店街があるのである。

そこをぶらつきながら、まずは夜食用にパンを買い込む。

デニッシュやらメロンパンやら大小あわせて五つが袋詰めになったのが、三百円くらいである。

こんなパン屋が近所にあれば、なんとありがたいことだろう。
コジャレたベーグル屋やらよりも、よっぽどわたしは必要だと思うのである。

もとい。

夕食の店を探しているうちに、すっかり「銀天街」を通り抜けていた。

松山といえば「海の幸が美味しい」と、観光やガイドブックには書かれている。

わたしが欲しているのはもう、海の幸ではないのだ。
ガッツリB級な食事が、したい。

イライラしはじめた矢先に、

ブッブーっ、ブッブッブー!

クラクションがやかましい。
信号が青に変わったのになかなか走り出さない車に鳴らされたものであった。
ほんのついさっき、赤で停まった直後のことである。

うるさかろうがっ!

フンヌ、と鳴らしている車を振り向くと、運転席は可愛らしい女子が。

それでは、と、諸悪の根源である停まったままの方をすぐさま振り向くと、運転席で口をポカン、と開けて寝てしまっている青年が。

いくら鳴らしてもいっこうに動き出す気配がない。

女子がとうとう降りて注意しようとシートベルトに手をかけた。

それには、及びません。

わたしは、サッと片手をあげて制す。
そして、颯爽と、口ポカン青年の窓横に駆け寄る。

まるきり柴田恭兵のような軽快なステップで、である。

カツカツカツ。

爪を立てた五指を使い、窓で軽快なリズムを奏でる。

間抜けなほどのポカン口が、窓の向こうでこちらを挑発したままである。

コンニャロぅ。
人がおとなしく下手に出てやってるのに、ジェントルマンにも限界があるぜっ。

おいおい、本当のジェントルマンとはこういうもんだぜ。
ちょっとどいてな。

と制してしゃしゃり出てくる相方のダンディ高山は、あいにくいない。

ゴンゴンゴン。

親指を中に握り混んだパンチで、強めにたたく。
このパンチは通称「お友達パンチ」といい、あまり強く殴ると己の親指を痛めてしまうので、決して強くは殴れない。
これはつまり、愛情友情を親指に込めた心優しきパンチである。

ポッかぁん。

そんなわたしの思いやりを味わいもせず丸呑み、吸い込んでゆくその口が、だんだん憎たらしく見えてきた。

いや、憎たらしい。
悪魔の権化だ。

ドンドンドン。
ドンドンドンドン。

もはや「お友達パンチ」などと生ぬるいものを用いたわたし自身の浅はかさすら、後悔、懺悔の対象である。

心を鬼とせねば。

詰まっている後続の車は、女子たちのだけではない。
しかし、わたしと女子の車とのやり取りが見えていただろう三台目くらいまでは異常を理解していたようである。

まだか、と窓から顔を出して様子を窺っているくらいで、おとなしくしてくれていた。

ドンドンドン。
カツ。
ドンドンドン。
ドドン、ドン。
カツ。

んあっ。

パチリと間抜け口の上で、メガネのまなこが開く。

「信号、青!」

はっ。

鼻メガネのままで、大慌てで、走り出す。

わたしに、なにもなく。

なんと。
頭のひとつでも下げるか、片手をちょいと上げるかしてもよいだろう。

「ありがとうございましたぁ!」

後続の女子の車の開けられた窓から、ペコリニコリと、ホントウにアリガトウございましたと頭を下げられ、すすうっとすれ違われた瞬間、いくらムツカシくメンドクサいわたしでも、たちまち笑顔で応えてしまう。

どもども、いえいえ。

ププッ。

次の車が、クラクションをわたしにおくる。

普通のカップルの車であった。
わたしは運転席の彼氏であろう男に、意味は伝わったことを表すために軽く片手をあげるだけというそっけなさで応え、ついときびすを返し歩き出す。

本当は、間抜け口だった彼に、脇に停めてひと眠りしてから、車を運転しろ、と怒鳴りつけてやるつもりだったのである。

しかし、その隙がまったくなく、また余計なお節介かもしれない。

ふと気が付くと、もうすぐ松山駅に着いてしまうというところまでやって来てしまっていた。

夕食の店がまだ見つかっていないので、あらためて辺りを探し回ってみる。

「俺の餃子」

ででん、と店の名が掲げられていた。

「俺の」「餃子」である。

期待はできないが、興味がそそられる店名である。

それが。

美味かった。

この旅最後に食す名物、というのにはちと違うが、意外にも大満足な名店であった。

ああ、夜はすっかりそのとばりをおろし、松山駅の灯りが、静かに淡々と浮かび上がっている。

ついに、四国四県を巡った旅の終わりである。

「祭り」いや「踊り」に、旅のはじめに完全燃焼、残りはもはや余生の観があった旅だったが。

旅がわたしを放っておいてはくれないようで、何かしらの出来事を放り込んでくる。

おかげで話のネタには困らないですむ。

あらためて言っておくが、これらは、本当にあった出来事である。

ゆめゆめ作り話だなどと思い違いがないようにしてもらいたい。

さて、飛び飛びながらもチンタラチンタラとやってきた「特別阿保列車」も、ついに最後の、重大な告白を残すのみとなった。

どうか、こころしてお聞き入れ願いたい。

「特別阿保列車」は、実は。

「特別阿房列車」が正しかったのである。

字を間違えていたのである。

これではまことに「アホウ」である。



2012年08月17日(金) 特別阿保列車〜道後温泉編その二〜

道後温泉を四国四県制覇の最終地に選んだのは、最後くらい温泉でのんびりしようじゃないか、という理由があった。

高知「よさこい祭り」
徳島「阿波おどり」
香川「こんぴらさん参り」

で汗かき回る毎日であったから、それらとこれまでの日常と旅のあれやこれやと一緒に、さっぱり洗い流そうと。

たかが温泉でそれらが洗い流せるわけではないが、気持ちの問題と、自己満足へのこじつけである。

わたしが温泉だけで一日じっとしてつぶせるわけがない。
とりあえず、松山城には行っておいた。

さて他に何があるかとなると、まったく思い付かない。

ホテルのチェックアウトが昼前なので、朝食の後、ホテルの今治タオルを首にぶら下げ「道後温泉本館」へ、湯に浸かりに行ったのである。

宮崎駿作品にあるとある湯屋のモデルとなったらしいが、それよりなにより、歴史的趣きある外観が、人だかりとなる理由がようくわかる。

入湯券を購入し、混雑を極力避けるために時間制限が設けられているのでもしや落ち着かないのではと危惧していたのであるが、なに、男のひとり湯である。

そんな危惧は杞憂である。

入れる湯によって三つのコースに別れているが、下のコースの湯に入ることができるので、迷ったら一番上の個室休憩所付きを選んでもよい。

しかし。

「建物の中に入りたい」というがためにだけ、そのコースを選ぶつもりでいた方がよい。

「道後温泉別館」がすぐ近くにあり、そちらは本館とまったく同じ湯をひいている。

しかも公衆浴場として地元の方たちにとっての銭湯のようなものであるから、入湯料が安い。

広い。

のんびり好きなだけ浸かれる。

しかも混んでいない。

表通りではないから、湯上がりの呆けた顔や、艶やかな色気たっぷりの顔を、ばしゃばしゃ写真におさめられる心配もない。

いいとこ尽くしである。

昨日湯屋に行く前に、そこで使うタオルを物色するのもよかろう、と、アーケードの店先をうろうろしたのである。

日本髪の浴衣美女が描かれた、いかにも昭和チックなタオルが並べられた店を発見したのである。

「温度で絵が変わる!」

と、お勧めのメッセージがやけに目を引いたので、わたしはしげしげと立ち止まって眺めていたのである。

「いらっしゃい。これは、面白いですよ」

人好きのする顔のおやじが、ほいほいと出てくる。

絵がね、お湯に浸けたり温めると消えるんですよ。

色んな絵柄を広げてみせる。

消えるんですか。真っ白に。

いやいや、と目尻をおかめさんのようにまるまると引き上げながら手のひらを左右に振る。

全部は、消えません。
服だけが、消えるんです。

ニタリ。

ほう、服だけが。
そう、服だけが。

「てことは、スッポンポン、てことですか?」

いやだなぁそうに決まってるじゃあないですか、とおやじはたらいで湯あみをしている女性をひらひらさせてみせる。

「会社の景品とか、まとめ買いされる方もいらっしゃいますよ」

なるほど。
もしもこれを、名古屋の友に土産だと送ったとしたら。
家族旅行の宿屋での風呂上がりに、部屋で合流した奥様に息子が、

「パパのタオル、はだかだったんだよ!」

と無邪気に報告する姿が目に浮かんだ。

そううまくはゆかないだろうが、面白いかもしれない。

昭和な土産も、度が過ぎてもはや貴重かもしれない。

「それじゃあ、おやじさん」

ひとつセットで、とは続かず、「面白そうなものが他に見つからなかったら、また来ます」と踏みとどまって店を出たのであった。

こうして友の父としての沽券は、本人がまったく預かり知らぬところでわたしによって勝手に危機にさらされ、勝手に守られたのである。

道後温泉本館には、もちろんそのタオルを買わずに、ホテルの今治タオルを借りて行ってきた。

たいそう人の好い湯婆婆たちが大勢で待ち受けていたのだが。

ああ。
また、足りなくなった。

続きはまた次回ということで、ここまでに。



2012年08月16日(木) 特別阿保列車〜道後温泉編その一〜

わたしが敬愛する作家・内田百ケン先生の師匠は、夏目漱石である。

松山道後温泉とくれば、「坊っちゃん」の町である。

宮崎駿の甘木アニメ映画のモデルとされたらしい建物も、有名である。

正直、夏目漱石作品は「吾が輩は猫である」しか、読んだことがない。

であるから、「坊っちゃん」の登場人物らで賑わう街並みも、サザエさんらで賑やかしい街並みとさして変わらないようにわたしには見えてしまうのである。

先生の師匠に所縁ある街として、神妙にお邪魔させていただいた。

しかし。

道後温泉は、大した目的があって訪れたわけではない。
「四国四県制覇」などという馬鹿らしいこじつけの理由が大半であった。

道後温泉本館と松山城くらいがせいぜいの興味であった。

明日の夜にはこの地を発ってしまうのである。
もっと有意義に、計画を立てて観光を味わうべきだろう。

しかしわたしは最初の高知で、魂の半分を抜かれてしまっていた。
あくる阿波で、さらに半分をさらわれてしまっていたのである。

湯治客ではないが、ちゃぷちゃぷ三昧で締めくくってもよかろう。

宿は、道後温泉のホテルをとっていた。
わたしがとるホテルであるから、観光ホテルよりもビジネスホテルに近いものばかりである。

それが。

着いたら、驚いた。

とてもとても、コジャレた、それでいて落ち着いた和風の演出がなされたホテルだったのである。

なんせ一番に驚いたのは、部屋のトイレが東陶のなかなかグレードが高いやつを、たかがシングルの小部屋に使っていたのである。

木質の内装は部屋の全てに渡り、ベッド脇の明かり取りの窓は「無双窓」がしつらえている。

「無双窓」とは、格子をずらして隙間加減を調節する味わいのある窓のことである。

しかし。

部屋に風呂はついていない。
シャワーがついているだけである。

いや、必要ないのである。
なにせ、すぐそこに公衆浴場「道後温泉別館」があり、もう少しゆくと「本館」があるのである。

夜の十一時まで入湯できるのだから、ホテル内に余計な風呂はいらない。

備え付けられたシャワーにしても、これまた「デザイナーズ」物件でしか使用しないような、やはりハイランクのものなのである。

おまけに、バスタオルは「今治タオル」を好きな種類のものを選べ、それで温泉に行き、帰ってきたら返却籠にポイと返し、また使うときは別のタオルを選んで、の繰り返しなのである。

わたしはトイレの時点で、思わず全く無関係の名古屋の友に驚嘆のさまを伝えてしまった。

注釈を入れておくが、トイレの時点で、というのは、入室直後についついやってしまうチェックのことであり、用を足すときに、という意味ではない。

値段もお手頃なあたりだというのに、ここは、素晴らしい。

スタッフも皆、きちっとしたホテルマンであり、「お夜食にどうぞ」とラップに包まれた可愛らしいおにぎりをフロント前に用意してくれている。

「おひとつずつ、それぞれどうぞ」

思案していたわたしに、「これは炊き込みごはんで、塩むすびで、わかめになります」と、ひょいひょい手渡してくる。

いただきます、と三種類ぜんぶを腕に抱えて部屋に帰る。

今夜の風呂は道後温泉別館の方であった。
湯は本館とまったく同じらしいので、広々としていたのと時間を気にしなくてよい分、快適であった。

有名な建物である本館の方には、明日浸かってみよう。

ホテルのチェックアウトが、なんと昼の十一時という、のんびり支度ができる時間なのである。

ホテルについている朝食は、これまたコジャレたレストランで、地産地消で地元の有機野菜を中心としたビュッフェスタイルである。

しかも、クリームコロッケやソーセージは注文してから調理がはじまり、席に届けてくれるのである。

これがまた、美味かった。

注文制でなかったら、わたしは大人取りして、皿ひとつをそれだけで埋めていただろう。

気がつくと、宿のことしか書いていないままであった。

つまり、高級老舗旅館でもない比較的リーズナブルな宿でたまたま出会したこちらのホテルは、なかなか素晴らしいお勧めのホテルであったわたしの衝撃度具合が、伝わっただろうか。

「やや」語り足りないが、観光についてもまた語らなければならないので、まずはここまでで。



2012年08月15日(水) 特別阿保列車〜こんぴらさん編〜


わたしにとって、四国旅の目的は「高知よさこい祭り」であった。

「阿波おどり」の日程がうまく合ったので、それで阿波を訪れたのである。

そこで旅の目的は果たしてしまっていたのである。
前回高知を訪れたときのように、ここから京都に行く、という選択もあったのである。

しかし。

四国の広さ、遠さはわかっているつもりである。
高知、徳島は毎年夏に訪ねる機会があるが、香川、愛媛はどうだかわからない。

何かの勢いでなければ、きっと訪ねる機会がないだろう。

そこで、「四国四県制覇」ということにしたのである。

日程上、香川と愛媛は一日ずつしか時間がない。
愛媛は「道後温泉」とすぐに決めたが、香川がいまいち思い付かな。

「うどん県」の要潤のポスターしか、頭に浮かばない。

わたしは「蕎麦派」である。

そこで、友が家族で「こんぴらさん」を訪ねたといったのを思い出したのである。

そうだ。こんぴらさんへ行こう。

旅だというのに、わたしはまだ、神社仏閣を訪れる予定がなかった。

わたしとしたことが、なんという落ち度だろう。

友がいうには、奥殿まで大した時間はかからなかった、と。

朝イチで高松を出、昼前に琴電琴平駅に着き、ホテルに荷物を預ける。

入山にあたり、食事はうどん一杯だけである。

こんぴらさんは、たしかにずっと、階段を上って参拝するが、一般的に拝殿までで皆さんは参拝をすましてゆく。

そこまでは、まあ、賑やかなものである。

老若男女、和気藹々と両側にズラリと並ぶ土産物屋をひやかしながら、石段を上ってゆく。

わたしをなめるな。
かの熊野古道最も険しいとされる「大雲取越」を踏破した男である。

なんの、これくらい。
拝殿までで、勘弁してやろう。

「うちの子も、ちゃんと歩いて上ったからねぇ」

友がいっていた。

ふっふっふ。
その挑発に、乗ってやろうではないか。

膝も一緒に高笑いをあげる。

そして見事、奥殿までの遠い道のりを、度重なる難所難敵を乗り越え、拝殿に帰ってきたのである。

雨にも降られ、衣類はびしょ濡れである。

拝殿で休憩、いや、参拝をすませたということで、御朱印をいただこうとしたときである。

御朱印帳が、見当たらない。
ホテルに預けた荷物に入れたままだったのである。

なんという落ち度。

御朱印自体は用紙におされたものもあり問題はないのだが、その己の間抜けっぷりがいけない。

拝殿の隣の方にヨットが展示されており、何やら太平洋横断だかに使用されたものらしく、様々なパネルが陳列されていた。

こんぴらさんといえば、航行安全である。

「すみません。写真いいですか?」

ぼうっとパネルを読むでもなく眺めていたわたしに、背後から若者の声が。

「はいどうぞ、では」

とiPhoneを受けとる。
わたしは、タッチパネルと相性が悪い。
であるから、画面を慎重に触る。
青年三人組が仲良く並んでいる。

しかし、全身を入れたがり、顔が小さい。
一歩わたしの方から近付く。
彼らは、一歩、下がる。

ズーム動作など、わたしの指に反応するかわからないので、また一歩前へ。
すると彼らもまた一歩下がる。
えい、知らんぞ、と。

カシャッ、だか、チロリーン、だか音が鳴り、どうやらうまく撮れたようだ。

「確認してみ」
「ああ、大丈夫大丈夫です」

信用し過ぎである。

「それより、お洒落な帽子ですね」

わたしの麦わら帽を指差し、青年が言った。

「それ、お前が言われたいだけだろ!」
「すみません、ほら」

他の二人が彼の首根っこを掴んで引き下がらせる。

たしかに、彼もわたしと似たような麦わら帽を被っていた。

「君の帽子こそ、いい帽子だね」
「いえいえ、先輩ほどじゃなっ……いっすょ」

仲間のひとりがグイッと彼のシャツをさらに強く引っ張り、首に襟を食い込ませながらも彼はめげなかった。

なんと微笑ましい青年らだろう。

「ほんと、すみません」

二人に両側から羽交い締めにされて引き摺られながら、「ナイス・ハット!」とわたしに親指を立てて去ってゆく。

ちょっとした台風に出会した気持ちになったが、それはなかなか愉快だったという意味である。

参道の階段を下りると、待ちに待ったアイスの時間である。

「釜あげうどんソフト」なるものがある。

バニラソフトクリームのアイスが細くうどんのように巻き上げられている。
さらに刻みネギがパラパラとトッピングされており、仕上げに醤油をさっとひとかけ。

まあ、あれだ。
バニラアイス用の醤油がある昨今、驚くほどの味ではない。

しかし、なかなか美味い。

ペロペロと「釜あげソフトクリーム」を平らげた後は、夕食である。

まだ夕方前で、今のうちに店を決めておきたい。
一軒は候補があったが、それ以外にガッツリと食える店がないか探しはじめる。

しかし、わたしは驚愕の事実を間もなく知らされることとなったのである。

「あのう、ガッツリ腹を満たせるようなのが食べられるお店は、この辺りにありませんか?」

車に荷物を積んでる最中の地元の男性に、尋ねてみる。

「ないですねぇ。うどん屋さんしか」
「観光客向けの店ではなくてよいのですが。こう、空きっ腹を満たすような、ご飯ものとか」

ふう、とひと息つくと男性は言ったのである。

「僕らは、普通に、腹がへったらうどんを食べて満たしてきましたからね。それ以外と言われても」

部活帰りの空腹とかもですか?
ええ、大体は。

恐るべし「うどん県」
環境がそうであれば、それに順応するのは当然である。

そして紹介されたのは、ホテルでもガイドブックでも紹介された「骨付き鳥」の店であった。

ざっくりいえば、鳥ももの丸焼きである。

「うどん以外の名物として、最近特に盛り上げようとしてるんですよ」

とはいえ、こんぴらさん近辺には店が一軒しかなかった。
であるから、きっと混むだろうと他の店を探してみていたのである。

店は夕方からで、まだ時間がある。
アーケードの商店街に戻り、最初に見つけた中華屋の営業時間を確かめ、他にもないか、琴電の駅の方を偵察に向かったのである。

川沿いの明らかに裏道のような細道を抜けて近道しようとすると、向こうからワイワイと歩いてくる一団があったのである。

「あっ!」

その声に顔を上げると、拝殿で写真を撮ってやった、三人組である。
さらに声をあげたのは、くだんの彼であった。

「お、おう」
「ナイス・ハット!」
「な、な、ないす、はっと」

ハイタッチを迫られ、おざなりに手を合わす。

いったいなんなのだ、この若者は。

いぇーい、と一回転して舞い踊る彼の後ろで、ほかの二人は「ど、どうも」とたたずんでいる。

「先輩も、行くんすか!」

このこのぉ、と肘でつっついてくると、二人が慌ててまた、両側から羽交い締めにして連行しようとする。

「じゃ、失礼しまぁす」

彼は二人の手を鮮やかに振りほどいて軽快に逃れ、そして二人はすぐさまそれを追いかける。
その前に、ちゃんとペコリとわたしに会釈を忘れずに、である。

まるで児童図書に出てきそうな三人組である。

彼が言った「先輩も、行くんすか?」とは、まさか、なかなかな美味くてガッツリ食える穴場の店でも行ってきたところだったのだろうか。

「骨付き鳥」の店に予約を入れてしまったが、もしもそうならば。

日も落ちて、川面に提灯の電灯がゆらゆらザワザワと揺れている。

わたしは足を速める。
するとすぐ、怪しげな看板を掲げた建物の前に出たのである。

それは、いわゆる「特殊浴場施設」であった。

わたしは予想外のものに出会して驚いてしまった。

まさか、こんなとこに。

そして彼の言葉が、脳裏に瞬時に浮かび上がってきた。

「先輩「も」、行くんすか?」

はっはっはっ。
そうか、そうだったのか。
青年の「若さ」とはまさにこの醍醐味をいうのだろうか。

わたしはひとり、ケラケラ笑い転げてしまった。
それはそれは、バツが悪いはずだ。
彼とは違って、二人がそそくさと去っていったのもわかる。

穴場の飯屋があるかもしれないという期待は気持ちよく諦め、わたしは予定通り「骨付き鳥」をかぶりつくことにしたのである。

「骨付き鳥」に「鳥めし」で、なかなか満足な食事であった。

しかし、「うどんに次ぐ名物」には、まだ足りない。
注文から卓に出るまで、時間がかかる。
ちゃんと注文を受けてから焼く丁寧さはわかるが、それでは回転が悪くなってしまう。

もう少し、設備など調理法の改善が必要だろう。

ともあれ。

個人的には、なかなか好きな部類の料理である。

明日は愛媛の松山、道後温泉へ。

いよいよ旅の終着点である。



2012年08月14日(火) 特別阿保列車〜阿波編〜

四国三日目は、ついに「阿波おどり」である。

とっくのとうに「よさこい」にこころを奪われてしまっているわたしには、「阿波おどり」をたかをくくって見ているところがあったのである。

東京でも「高円寺阿波おどり」が有名だが、あいにく観に行ったことはない。
「神楽坂祭り」で、ギンレイのついでにちょいと阿波おどりに遭遇したことがあった程度である。

しかし、さだまさし原作の映画「眉山」を観たときに、本場の阿波おどりを一度観てみたいと思ったのである。

しかし、「よさこい祭り」と「阿波おどり」は日程がだいたい重なっているので、なかなか訪れる機会がなかったのである。

演舞場がある徳島市内に宿がとれなかったので、香川は讃岐の高松駅前に宿を確保した。
特急で一時間ちょいとでゆけるので、なかなか悪くはない環境である。

「阿波おどり」は「よさこい祭り」と違って、日が落ち始める夕方からはじまる。
しかし実際には、まだまだ落ちてない五時頃からである。

朝に高知のはりまや橋からバスで高松に向かったわたしは、これは定刻通りに昼前に到着する。

昼飯は当然、決めてあった。

「釜バターうどん」

である。

今はヨーロッパでポルトガルを目指してブログ旅をしているエヴァ娘が、まだ四国一周程度ですんでいた頃に紹介された「うどん」である。

そのお店「手打ち十段 うどんバカ一代」さんを目指す。

うどんにバターひと切れと黒胡椒を散らしただけのつゆもないうどんである。

これがまた、美味かった。

以前に自宅で試してみたときは大した感想はわかなかったのだが、「バカ一代」さんで食べるこれは、まったく違う。

まさに、

「U-DON」

である。
イロモノだと見くびっていたら、損をする。

わたしはちゅるちゅると、あっという間にどんぶりの底が丸見えになってしまった。

東京へ帰ったら、もう一度挑戦してみよう。

さあ、いよいよ「阿波おどり」である。
徳島駅に着くと、なにやら雲行きがあやしくなりはじめた。
雨がポツポツと地面をたたき始めたかと思うと、一旦はすぐにやんだのである。

よしよし、と時間前からゲリラ的に出くわす「阿波おどり」を観ていたのである。

いや、本当に、踊り出すのである。

移動中や、集合しているだけかと思っていたら、チャンカチャンカ、チャンカチャンカ、と囃子がはじまり、踊りだす。

皆はもう慣れた光景、もしくは、待ちかねていたと、スムーズにわらわらと場所を開けてゆくのである。

街角でどこからともなく集まった踊り子らが踊り出す、という話は聞いていたが、まさか本当のこととは思わなかった。

油断していた。

「無敵の二拍子」

阿波おどりのポスターにあったキャッチフレーズである。

マズい。
ヤラレてしまう。

わたしは「阿波おどり」の恐ろしいまでの凄さに、ガツンと脳震盪を起こしそうになってしまった。

伝統的な型の踊りに、ただそれだけではない、呑み込まれてしまう、ほう、と感嘆の息をこぼしてしまうような、迫力、美しさ、凛々しさ、陽気さ厳かさなどが、圧倒的なリズムで押し寄せてくる。

まだ本番前だというのに、どうする。

とりあえず「眉山」にでも登って頭を冷やそう。

入り口でもある「阿波おどり会館」に逃げ込んだのである。
ロープウェーのチケットを買おうとしたそのとき。

「荒天のため、運転中止」

の札が券売機に掛けられてしまったのである。

すると、次々に踊り子らが入り口から逃げ込んでくる。
外を見ると、雷鳴、稲光、路面がけぶるほどの雨滴である。

祭りの開始まであと三十分もないというのにである。

「祭りは中止かやるのか」
「まだ連絡はないのか」

祭りの事務局とは無関係なのに、阿波おどり会館の案内嬢に詰め寄る観光客ら。

やがてあと十分となったころに、外から掛け声が次々とあがりはじめた。

ドン、ドン、パンっ
ドン、パンっ

開催の花火が、曇り空に打ち上がる。

ワァァァー!

うわぁぁぁ……。

七時頃からまた雨が降りだし、わたしはさすがに高松の宿にそろそろ戻らなければ、と帰りの特急に向かったのだが。

阿波おどりはまだまだ続いているのである。

もしもお気に入りの連などを見つけてしまったら、わたしは阿波にも毎年来なければならなくなってしまう。

後ろ髪ひかれる思いを断って、高松に戻ったのである。
そして高松駅の駅前に出ると、

ドドーン、パンっ
ドン、パンっ、パンっ

花火の大輪の花が夜空に咲いていたのである。

高松の花火大会のとりにちょうど行き当たったのである。
夏の風物詩、花火をこんな予想もしていなかったところで、こんな間近で見上げられるとは、なかなかよい巡り合わせである。

大輪の花が夏の夜に散ってゆく。

本物の雨と、雨のような祭りの感動に打ちつけられ続けたここまでの旅だが、なんだかもう、まだ四県のうちの二県だというのに、燃え尽きてしまったような気持ちである。

まだ、残り半分、続くのである。



2012年08月13日(月) 特別阿保列車〜土佐編その三〜

わたしの高知滞在二日目は、よさこい祭りの最終日であった。

最終日は全国大会となっていて、昨日までの二日間の本祭で見事各賞を受賞した連が、全国から参加した他県の連とともに祭りを華やかに彩る。

最終日の出番表は、「受賞チーム1」「受賞チーム2」と前日の受賞チームが決まるまで仮名で記載されているのである。

分単位で演舞場をはしごしなければならないわたしは、早速、朝一番に高知城下の演舞場にある案内所へゆき、今朝刷り上がったばかりの本日の出番表を手に入れる。

これにはもう、具体的な連の名前が記載済みである。

高知城見物の観光客らがずんずんと城内に入ってゆくのを横目に、まずは出番表をマーキングである。

昼から開始なのだが、すでに演舞場では全国大会開会式のリハーサルをかねて演舞が披露されていたりする。

わたしは決めていたのである。

午前中は「高知城」を観よう、と。

それなのに城門の前に設えられた舞台から、「よっちょれよっちょれ♪」だの軽快な音楽と鳴子のリズムがわたしを誘惑してくる。

ようし、今は城内見物に集中しなければ。

振りきるように出番表をカバンに捩じ込んで立ち上がる。
それにはもう、しっかりとお目当ての連のところにはマーキングが済んである。

高知城は名古屋城や熊本城などのように広く高くはない。
しかしそれでも山の上にあるので、天守閣からは高知市街がぐるりと見渡せる。

ああ、そうだった。

わたしは、ふと、思い出したのである。

市街を見渡すなら、是非ともあの映画のあの場面と同じ場所から。

「君が踊る、夏」

溝端淳平が主演をつとめ、「よさこい祭り」を舞台に、小児ガンと闘う女の子の夢と、故郷を離れて夢を追いかける青年と、「いちむじん(一生懸命)」に生きる希望を描いた作品である。

実在の女の子をモデルとして、今話題沸騰中の子役・小林聖蘭が演じていた。

一昨年の初夏に公開され、モデルとされた女の子は公開直後の高知「よさこい祭り」、真夏の原宿表参道「スーパーよさこい」で、撮影に協力したほにやの最後尾で、楽しげに、目一杯の笑顔で、踊っていた。

そんな胸が苦しくなるようなエピソードがある名作のとある場面で、溝端淳平らが高知城から市街を見渡す場面があるのである。

あのう、すみませんが、と意を決して案内係の女性に声を掛けてみる。

なんでしょう、とガイドを尋ねられたかと当惑気味の顔で答える。
「映画のワンシーンで、市街を見渡す場面で使われた場所はどこかわかりますか。君が踊る、」
「君が踊る、夏、ですね」

最後の「夏」がぴったり重なった。

「この裏門を出たところで撮影をしてましたから、たぶんそこだと思います」

ありがとうございます。
わたしは帽子をとってお辞儀をし、感少しのあたたかさと感謝の気持ちを返す。

ああ、たしかに、いやおそらくここだ。

「旗のお兄ちゃんと踊るのが夢やき。うち、がんばる!」

汗が目に入って、また頬を伝ってゆこうとする。

そうはさせるかと、シャツの肩口でぐいと拭う。
アイスクリンを自転車のおやじさんから買い、つかの間の清涼で仕切り直す。

ちょうど昼どきで、城下すぐにある「ひろめ市場」で昼食をとろうと思い、足を向ける。

「ひろめ市場」はただでさえ観光で有名な場所である。しかもさらに、すぐそばを主な演舞場で取り囲まれ、踊り子らの更衣・控え室に定められた建物の隣になっているのである。

とてもとても混雑していたので他で食おうかと思ったが、目が合ってしまったのである。

「マンボウの空揚げ」
「ウツボの天ぷら」
「クジラのたたき」

を盆に載せ、ほくほくと席を探す。
フードコートのようになっているのだが、当然、空いている席はない。

うろうろしつくして、早く盆の上の珍味らを食いたくて、思いきって外の席を探すことにしたのである。

炎天下に外の席で長く居ようとする人間はいないはずである。
ビールやかき氷をちょちょいと、ですぐに席を立つだろう、と。

しかしそれでもなかなか見つからない。

こうなったら最後の手段、立ち食いだ、と腹を決めかけたその時、ひとりでビールを傾けているおやじさんと目が合ったのである。

長椅子で、ちょいと詰めてくれればかろうじて座れる。さらに盆も、ちょいとはみ出しそうだが、置ける。

「ちょいと、ここでいただいていいでしょうか?」

おう、どうぞどうぞ、と快く譲ってくれたのである。

おやじさんはビールを、わたしはマンボウだウツボだクジラだのの珍味をつまみながら、語らう。

広島から酒を買いに、しばしばここまで来ていて、よさこい祭りと重なった今日の人の多さに酔ってしまったらしい。

いや、ビールに、でしょう。
いやいや、こんなもんじゃ酔わねえよ、俺は。
はっはっはっ。

ジリジリと日除け傘からはみ出てる体の半分が、香ばしく日に焼けてゆく。

「戦闘機のミサイルにも使用期限みたいのがあるんだけど、知ってるか?」

俺はそういったヤツを、保管所やら処理場までトラックで運んだりもしてるんよ。
ミサイル、ですか。
ほうよミサイルよ。
うへぇ。

眉唾である。
もっと詳しく聞いてみたい気もしたが、そろそろ演舞場へ向かわなければならない。
それに、これ以上いたら、体の半分がこんがり照り焼きになってしまう。

お話の時間は期限切れだが、せっかくのおやじさんの機嫌をキレさせてしまうわけにはゆかない。

タイミングを計って、どうもお邪魔しました、と笑顔で席を立つ。
「おうよ、またな。つってももう会わんじゃろうけどよ」

いやいやわかりませんよ。また偶然どこかで、なんていってみたり。
そんなことあるかぇ!
はっはっはっ。

おっと、珍味の感想を忘れていた。
「マンボウの空揚げ」だが、驚いた。

まるっきり上等の「イカ」のようなプリプリの食感で、美味い。

もし機会があったら、是非食べてみてもらいたい。
宮城の方でも食されているらしいので、行かれることがあればそちらの方でも。

ああ。
あとはめくるめく歓喜と感動の渦に呑み込まれ、二度とは浮かび上がってこれないくらいの底の底に引き込まれてしまった。

「ほにや」は相変わらず比類なき華麗さと鮮やかさで虜にし。
「國士舞双」は揺るぎない実力に基づいた粋で闊達で、物語のような演出で魅了する。

これが、また観たのか、何度観てるんだ、と言われても、それでもまだまだ観足りない。

全身の血液が沸騰する。
全身の体毛と皮膚が音楽とかけ声と熱気に、ありがとうとうち震える。

わたしは魂の半分を落としてきてしまったようである。

だからそれほどならばと、何がしたい、何をすればよい、といったことではないのである。

ただもう、ずっとそのままでいたいだけなのである。

もう、この気持ちのまま旅が終わってしまえばいい。
いや、終わってしまったら東京のいつもの日常に戻ることになってしまう。
それはイヤだ。
ならどうすればいい。
祭りはそれでも夜には終わってしまう。

ならば、先へ行くしかない。
先へ行けば、そうだすぐに「スーパーよさこい」が待っているではないか。

夢見て候う――。

「ほにや」の曲のお決まりの一節が、遠くに聴こえた気がした。

お気持ち頂戴いたしますーー。

「國士舞双」のねずみ小僧たちが大挙して現れ、そして小走りに去ってゆくのを眺めていた。

まだ四国巡り一県目だというのに、いったいどうしてくれようーー。



2012年08月12日(日) 特別阿保列車〜土佐編その二〜

さて。

土佐の高知のはりまや橋に、
坊さんかんざし買うを見る。

突然の大雨、しばらくしてやんだかと思えば、また大雨。

その繰り返しであった。

天気予報は晴れ。
なのにいつも傘の仕度。

であるわたしは、折り畳みの傘を旅先にも忘れてなどいなかったのである。

しかし。

踊り子らは、熱く、晴れ晴れとした笑顔で、踊っているのである。

これには、傘などまったく不要である。

よっちょれよっちょれ♪
よっちょれよっちょれ♪

祭りだ、祭りだ♪
上町よさこい鳴子連♪

ほにや、ほにや♪
ほにやよさこい♪
ほにやよさこい踊らにゃ損損♪

いつまでも、この中に居続けたい。

旅の前に、そんなに好きならどこかの連に参加すればいいじゃないですか、と言われたのである。

しかしわたしは、決まってこう答えた。

「参加してしまったら、他の連が観られなくなるじゃあないか」

もはや全国によさこいの連がある世の中である。

我が実家がある千葉県にも、柏や稲毛に全国大会に参加できる優秀な連があれば、都内にだってもちろんさらに沢山の連がある。
しかも、本場高知の優秀常連組の連に追い付け追い越せといった連が多数あるのである。

しかしわたしは、それら上手い下手でなく、すべての連のはち切れんばかりによさこいを楽しんでいる踊り子さんらの笑顔を、観たいのである。

つまり、だから、上手い下手や好みかどうかの前に、目一杯、よさこいを楽しんでる、踊っている顔が見られない連には、わたしは一気に興ざめしてしまうのである。

その中で、わたしがいつも、感心を通り越して脱帽し、ペチりと額を叩かされてしまう連がある。

サニーグループよさこい踊り子隊SUNNYS

である。

四歳くらいから中学生までの子どもたち(女児・女子)ばかり百名以上で構成された連である。

よさこい「萌え」担当ということで、その可愛らしさはもはや全国区で有名かもしれない。

しかしその「萌え」だけにとらわれては大事なところを見逃してしまう。

彼女らの全員が、常に、全力で笑顔なのである。
そして、その笑顔で、曲を楽しそうに歌いながら踊っているのである。

芦田愛菜らを輩出したテアトルアカデミーの子役らでも、おそらく全くたちうち出来ないだろう。

もし仮に、わたしが高知に暮らして娘がいたとしたら、間違いなくこちらの連にどうにか参加させていただきたいと思うだろう。

そして本命の「ほにや」はもはや鉄板である。

こちらも、もし娘がいたら、ほにやで踊る娘の姿を、パネルにして居間の壁から決して外さないだろう。

ほにやの踊りは、まさに「たおやか」なのである。見ている者は思わず目を奪われてしまう。

人気は絶大で、登場すると「ほにやぁー」「キャアァー」などの歓声奇声拍手喝采があがる。

これはもはや浜崎あゆみや安室奈美恵のような人気実力アーティストのようなものである。

そして揺るぎなく名実共にトップにあり続ける「粋さ」「格好よさ」「貫禄」がある連として、「とらっく」「帯屋町筋」「上町よさこい鳴子連」「旭食品」等々もまた、「見事」である。

ここでまだ、わたしがお気に入りなのに名が出てきていない連がある。

今回わたしが「やられた」のは、「國士舞双」である。

まごうことなき、実力・歴史・人気共にトップの連のひとつである。

今回の「國士舞双」のテーマは、「あなたのこころをいただきます。ねずみ小僧」であった。

ああ。
もはや節操なくよさこいにやられてしまっていたわたしは、「やっぱり」貞操を守りきれなかった。

まるっきり「蔵理素にそう告げて敬礼をした銭形」状態である。

彼らの受賞チームの大体が、「原宿表参道元氣祭り」で開かれる「スーパーよさこい」に出場するのである。

8月25日26日の二日間。

ああ。
もう。
盆休みからの社会復帰のリハビリどころではない。

高知に落としてきてしまったわたしの魂の半分を、少しずつ埋めてゆこう。

さてここまできてなお名が出てきていない連がある。

実はその連、今回出場辞退をしたのである。

辞退の間違った理由をわたしはちらりといってしまったようなので、一応ここで正させてもらいたいと思う。

連の主宰者が、あろうことか恐喝容疑で逮捕されてしまったのである。
それはよさこいとは関係無いが、共に容疑者となった者が暴力組織関係者だったらしい。

よさこい祭りに参加するにあたって、関係者は誓約書を提出する。

「当方は一切、そのような組織との関係はございません」

祭りと暴力組織との関係は歴史も長く、込み入り、なかなか難しい問題であった。
しかしそれが、「安全・安心な祭り」を市民が積極的に取り組むようになり、また暴対法によるものやらで時代は変わってきている。

踊り子らは、一切関係無い。

名実共にトップの位置を手に入れるために努力をしてきた。
主宰によるところの様々な批判の意見があったりもするが、それもこの際は関係無い。

関係無くとも、主宰が組織と関係ありとなってしまったら、祭りへの参加など出来ようわけがない。

「それなら仕方ない」
「それなら当然だ」
「そうすべきは明白だ」

わたしはまさに「仕方ないこと」と、残念に思ったのである。

そう。

ただ残念に思った途端、不意にこみ上げてきたのである。

「仕方ないこと」と、あっさり思ってしまったこと。
わたしなどにそう思われてしまった連の踊り子らの悔しさ。

雨粒が激しく降りだしたのを幸いに、わたしは人垣に生まれた隙間にもぐり込む。

雨をものともせず、夏たちが踊り咲いていた。



2012年08月11日(土) 特別阿保列車〜土佐編その一〜

夏、真っ盛りである。

世間は盆休みということで、田舎へ帰ったり妻子らのご機嫌とりのために、地方や都会へと奔走する。

しかしわたしには、そんなことなど興味がなく、また、因縁などもまったくない。

海だプールだとまとわりつく小僧らもいなければ、何樫さん家はどこそこにお出かけらしいとこぼしながら、嫌がらせのように毎食そうめんを出し続ける妻君もいない。

何よりもこの時期は、わたしにとってなにごとにもかえがたい重大な催し物があるのである。

「よさこい祭り」である。

今や全国各地で「よさこい」が見られるようになったが、発祥は「高知」であることを忘れてはならない。

毎年八月九日から十二日までと決まっているので、こちらの盆休みと日程がぴたりと合わなかったりするのである。
昨年はそれでぴったり一週間合わずに、わたしは断念したのであった。

今年は、かろうじて「よさこい祭り」の後半に引っ掛かることができた。

ここで簡単に「よさこい祭り」の四日間の内訳を紹介しよう。

第一日目。前夜祭
第二日目。本祭一日目
第三日目。本祭二日目
第四日目。全国大会、後夜祭

前夜祭は、昨年の受賞チームらの演舞がまとめて見られるのである。
本祭の二日間で、今年の受賞チームを決めるのである。
全国大会は、日本全国からよさこいの連(チーム)が集まり、さらに前日に決まった本祭の受賞チームが演舞する。

その三日目から、わたしはよさこい祭りを堪能する予定だったのである。

夜行バスで朝九時前に到着するつもりで、すっかり算段していたのである。

まず荷物を預けて、高知市街各所に設けられている演舞場の案内図と出番表を手に入れて、お目当ての連の予定をさらってどの演舞場、どの連から追いかけて行くかの予定表を作らなければならない。

ホテルにはまだチェックイン出来ないだろうから、荷物だけをまずは預けよう。
予定表につけるためのマーカーを手荷物の方に入れておかなければならない。

予定表を作成する場所も、確かちょうどいい何処其処のあたりにカフェがあったと思うからそこへ行こう。

その算段が、すっかり、消し飛んでしまったのである。

高知駅前に着いているはずの朝八時半だというのに、見覚えのない道をバスは走っていた。

寝ぼけまなこである。

ゴシゴシと目やにをこすり落としてみても、やはり見覚えは、ない。

「帰省ラッシュに巻き込まれ、ただ今、西宮を走行中です」

西宮。
はて、そんな地名などあったか。

ようやく脳やにも剥がれ落ちたか、どうやらまだ、淡路島も渡っていないようだということに気が付く。

「鳴門で松山方面と高知方面のバスに予定通りわかれていただくのですが」

運転手の案内のマイクが、すっかり歯切れが悪い。

「乗り合わせる他のお客様のバスが、さらに事故渋滞に遇ってしまいまして」

運転手に代わって歯切れよく説明しよう。

鳴門に我々のバスが着いたのは、朝十時前である。
本来ならば、とうに荷物をホテルに預けてカフェでモーニングコーヒーを頂いているはずの時間である。

合流する他のバスが鳴門に到着するまで一時間程度、待たなければならなかったのである。
しかもそこにはコンビニが一軒しかない。

朝食にパンとコーヒーを買い、食べながら待合所で待ち、その待合所にひとつしかないコンセントを、皆で順番に携帯電話の充電に使い合う。

やがて他のバスが到着し、松山方面と高知方面のそれぞれのシャトルバスに乗り換え、鳴門を出発したのが朝十一時半頃である。

ここから高知駅前まで、予定で三、四時間かかるのである。それは渋滞にはまったりした場合も見込んでいる。

とはいえ、もはや今回、すでにその見込みを大きく超えて、途中の鳴門の時点ですでに五時間以上遅れているのである。

信用できない。

しかし、皆、本来朝到着で予定を組んでいたのが叶わなくなったとわかり、それぞれの連絡先にその事情を説明して頭を下げたり、あきらめのため息をこぼしたりしたあとである。

わたしはバスの待ち時間の間に、演舞場の出番表をノートパソコンで調べておいたのである。
携帯電話用のサイトだと出番表まで見つからないのである。

本祭二日目は昼一時から夜十時頃までだが、受賞チーム発表とそれぞれの演舞の時間がある。
つまり、夕方四時頃から観て回ろうなどと、時間が無さすぎるのである。

よさこいの踊りは、ステージで披露するのと、通りを進みながら踊る「流し」の二通りがある。
であるから、それぞれの連のその二通りの踊りを、観なければならないのである。

とりわけ「流し」は、百人を超える大きな連など、圧巻であり、また荘厳であり、絢爛である。

しかし、街のあちこちに点在する演舞場を、お気に入りの連の舞台と流しの二種類をうまくはしごするには、なかなか時間に余裕がないのである。

結局、バスがはりまや橋にやうやう到着し、ホテルに着いたのは夕方四時前。

ああ。
荷物の紐を解くのも惜しい。

部屋の扉を開くなり、バッグをシャーッ、と奥の方に蹴り転がす。

粗暴ではしたない行為なので、紳士たる諸兄には真似される方はいらっしゃらないだろう。

主な演舞場はふたつ。

追手筋南・北(流し)と中央公園(舞台)演舞場である。
そちらでの演舞が、審査員らによる採点が行われているのである。

追手筋は高知城前から続いている大通りで、そのもう少し手前あたりに中央公園演舞場がある。

わたしのホテルから最遠の位置にあるのである。

なぜそのような位置に宿をとったのか。

以前にもお話したが、半年前に高知市内の宿は満室になるくらい、よさこい祭りの期間は宿がないのである。

はりまや橋近くに宿がとれただけでも、幸運極まりないのである。

だがしかし。

まさか八時間もバスが遅れるとは、なんたる凶運。

やはりわたしは「持ってる」のかもしれない。

凶運の持ち主――。

ところがなんと、ホテルを出たすぐ先が、「菜園場演舞場」(流し)だったのである。

やはりわたしは「持ってる」のかもしれない。

強運の持ち主――。

しかも二、三十分待てば、お気に入りの連がやってくる。
その前には、東京の知っている連もやってくるのである。

わたしは自称だが「境界線上の魔術師」というふたつ名がある。

これまで、周りの者をはらはらさせるが、ギリギリのところでなんとか帳尻が合ってしまう、また、周りに助けていただいてなんとか合わせてもらえたりしてきているのである。

実は今回の旅の直前に、嫌な予感がわたしの中にチクチクとしていたのである。

どうやらそれは、己ではいかんともしがたい事象であるバスの到着八時間遅れを指していたようである。

しかしそんなことがあっても、このように、それはとても完璧に満足というわけではないが、間に合ったりしてしまうのである。

ああ。

地方車(曲を流すスピーカーを積んだトラック)の音楽が、聴こえてきた。

全身に、鳥肌がたった。

そしてわたしは、泣いていた。



2012年08月09日(木) 夜さ、来い

「高知よさこい祭り」の本祭が、本日からはじまりました。
本祭は明日までの二日間。
わたしは今夜出立して、翌朝、高知入りします。

本祭二日目に駆け込みです。

「ほにや」「十人十彩」「早稲田大学踊り侍」「国士舞双」「サニーちゃん」おっと「ぞっこん町田'98」に「かなばる」も。

明後日の全国大会と後夜祭まで、よさこい三昧です。

そう、まさに、

わたしの「よっしゃ来い!! の夏」のはじまりです。

そう、前夜祭です。

今月末の「スーパーよさこい」から、十月あたまの「東京よさこい」あたりまでの、わたしの長い夏の祭り。

明日の朝にはわたしが「土佐の高知のはりまや橋に♪」いるなんて、半ば夢うつつで、現実感がありません。

「祭り」は元々「ハレ」と「ケ」の世界で、アヤシイ世界との繋ぎ目や、入り交じり易いものです。
だから、頭のネジを一本外してゆきたいです。



今回、私史上最大に楽しみにしていた「よさこい祭り」がメインの四国旅です。



が。



漠然と、なにか嫌な予感、悪寒、違和感を覚えてしまってます。

いったい何が起きるのか、はたまた、逆に一切何も起きないのか。

ザワザワと胸が騒いでます。



2012年08月03日(金) 「宵山万華鏡」

森見登美彦著「宵山万華鏡」

京都を舞台に繰り広げられる妙チクリンな物語。
今回は祇園祭の「宵山」が選ばれた。

ああ。
京都のよくしてくれたお上さんから宴席のお誘いがきていたのに、前歯が片方不安な状態でゆくわけにもゆかず、御返事も出さぬままになってしまっている。

四国のお遍路から、詫びの絵手紙でも送らさせてもらって許していただくことにしやう。

さて本題。

やはり森見ワールド健在である。

連作短編の体裁をとり、宵山での出来事をそこに関わった登場人物たちそれぞれの物語を描いている。

理不尽で妙チクリンな話があれば、妙チクリンだが神妙な話もある。

ああ。

手配を済ませていなかったら、四国の帰りにまた京都へ寄らせてもらいたかった気持ちでいっぱいである。

とある筋から得た情報だが、「行ってみたい縁結びの御利益がありそうな神社」というものがあった。

出雲大社
東京大神宮
地主神社
熊野速玉大社
今戸神社
神田明神

なんだ、行ったことがあるところばかりじゃあないか。

八坂神社
貴船神社

ううむ。
ここはやはり、京都参りを考えなければならないようである。

「竹さんて、古事記とか読んだりしたこととかあるんですか?」

職場のハチマキが、不意に訊いてきたのである。

これは珍しい。
よもやこんな職場でそちらの関係の言葉と出会すとは思いもしなかった。

古事記も日本書紀もあるが、日本書紀の方はほとんど記憶にない。
しかし古事記だって、神の名前をスラスラ言えたりするほどの記憶は残ってないが。

「興味が湧いたか?」

ズイとハチマキに顔を突き出して訊き返す。

いや、そうではないんですが。竹さんは読んだりしたこととかあるのかなあ、と。

答えになっていない。

興味が湧くような出来事にでも出会したかと訊いているのである。

ちなみにハチマキは、イタリアに建築留学がしたい、とイタリア語を習い始めた男である。

いいか、アマテラスとツクヨミとスサノオは、両目と鼻からだぞ。
しかもツクヨミは、バランスをとるために後から付け足されたという説があってだなあ。

「どうしてそんなに詳しいんですか」
「だてに神田明神へ月参り同然で訪ねてないさ」

そんなに、何をしにいってるんですか?

なかなか、核心をついた質問である。
ならば、真摯に答えよう。

「妄想を垂れ流しに、だ」

ぽかん、と絵に描いたような口の開けようである。

そんなに願いを頼むようなこともないし、あちらさんもとうに聞き飽きたに違いないだろう。
それに、神は「願いを叶えてもらう」ための存在なんかではない。

「おっ、言いますね」

叶えてくれるなら、とっくのとうに叶っているはずであるからな。

「なんだか説得力があるように聞こえますね」

えい、余計なお世話である。

叶えてもらうのではなく、叶えるのである。

実感がわかないまま叶うものなど、みずものである。
見ずモノである。
どうせならば、見ながら味わいながら叶えようとしたいではないか。

はあ、とわたしを見てハチマキがひと言いったのである。

「わかりますけど、なんか、いちいちメンドクサイですね」



2012年08月01日(水) 「おおかみこどもの雨と雪」と遠吠え

「おおかみこどもの雨と雪」

をTOHOシネマズ有楽座にて。

平日の映画サービスデー。
当たり前の残業を早く切りあげて、

「悪いのはわたしではない。今日が一日なのがいけないのだ」

と言い捨て、わたしは会社を出てきたのである。

「時をかける少女」「サマーウォーズ」で日本アニメ映画界の代表者のひとりになった細田守監督の作品で、かなり期待値は高かったのである。



おおかみおとことの間にできた子どもふたりを抱え、シングルマザーとなった花が懸命に子育てをしてゆく。

姉の雪、弟の雨。

まだ里山の残る田舎に引っ越し、自在におおかみに変身してしまう姉弟を見守りながら母親の花は三人だけの暮らしを精一杯に送っていた。

姉弟がもう立派な小学生になったある日、嵐が町を襲う。

その日、三人は重大な決断を、それぞれが選ぶ。



勝手に期待してハードルを高くしていたが、どうやらそのハードルの下をくぐってしまったような、残念な印象であった。

友との電話で、そんなに期待していたらよくないかもしれない、という話を聞かされたのは記憶にあったのである。

まず、「見せ場」が、まったくわからない。

おおかみおとことの出会いから、雪と雨が生まれて、おおかみおとこが亡くなってしまい、人目を避けるために都内から田舎に引っ越して。

そこに、クスリとさせてくれる場面があれども、ただひたすら「長い」「余分」な印象。

そして、田舎の暮らしで懸命に、周囲の皆に助けてもらいながらの日々。

おそらく「人々との絆ある暮らし」を伝えたいのだろうが、そのインパクトがない。

小学生になった雪は、はじめて女の子として人の社会で暮らしはじめ、人間として生きてゆこうとする。
弟の雨は野生の本能に目覚め、山の世界へとはまりはじめ、人の世界に背を向けようとしはじめる。

そのそれぞれの「きっかけ」が、弱すぎる。
理由として伝わらない。
いや、理由などなく、人間とおおかみの本能が敢えてあげるなら理由なのだ、ということなのか。

そして、母親の花の決断。

「それぞれの夢をかなえられる子どもに育ってくれるまで見守ろう」

おおかみおとこと描いていた将来と約束。

とはいっても、その決断は、きれいすぎる。
感情が、なさすぎる。
大いに、納得できない。

そして何よりも。

花の声をやった宮崎あおいが、宮崎あおいなのである。

しかも、土日のドキュメンタリー番組のナレーションの宮崎あおい。

素朴で、物語の邪魔を決してしない、しかしたしかにそこに語っている「宮崎あおい」がいる宮崎あおいの声なのである。

わたしは宮崎あおいが好きである。
しかし、それとこれは別である。

終演後、シャンテ前広場にポツリと立つ「ゴジラ」の像を見上げる。

まん丸のお月さまが、まぶしいくらいに輝いていた。

「ガオォォォー!!」

ゴジラはわたしに答えず、沈黙のまま月下にたたずんだままであった。


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