「隙 間」

2010年11月30日(火) 「田村はまだか」

朝倉かすみ著「田村はまだか」

吉川英治文学新人賞受賞作である。

わたしは、少し大袈裟だが、自分を褒めてやりたい。

でかした!
よくぞ、朝倉かすみをその手で選び、出会ってくれた!

「肝、焼ける」で、おやおやなんだか無性に臓腑があったかくなっているぞ、と変調を覚え、題が「肝」なだけにそのせいだろうと。

「そんなはずはない」で、いやいやいや、まさかまさか、そう、そうに違いない、そんなはずはない、と。

そして気づけば手に取り、読みながら腹の内で作中に合わせて共に口にしている。

「田村はまだか!」

マスターがひとりで経営しているススキノのスナック「チャオ」に、五人の男女が集まっていた。

同窓会の三次会で、「田村」なる同級生だった男を待っている。

それぞれがそれぞれの人生を歩み、もうそこそこという四十代の彼らが、田村を待ちながら、語り合う。

連作短編形式で、何よりもすべてが、小気味いい。

小気味いいまま、気持ちがよいほどに、ストンと涙の泉に落とされそうにも、なる。

果たして田村はやってくるのか?

来る。
きっとやってくる。

読みながら、彼らと一緒に、田村を待とう。

夜は長く。
そして、あっという間である。

……。

田村はまだかっ!



2010年11月28日(日) 「優しい嘘と贈り物」

「優しい嘘と贈り物」

をギンレイにて。

ロバートはスーパーに勤め、ひとりで暮らしている高齢者。
そんなとき、メアリーという老婦人と出会い、一目で恋に落ちてしまう。

スーパーの若き店長マイクに、

「デートはどうしたらいい?」
「どんなプレゼントがいいだろうか?」

次々と相談し、メアリーとの仲を確かなものにしようと、そして今までの孤独で寂しくて、無駄だと思っていた人生とは比べものにならない薔薇色の日々を送りはじめる。

マイクが、いい。

なんとあたたかい若者だろう。

よし、フレンチの店は予約しておいた。
支払いもカードだから安心してくれ。

彼女とデートするために一日仕事を休ませてくれだって? 気にするな、もちろん休んでいいさ。彼女とのデートを楽しんでくれ。

ヨボヨボの冴えない爺さんに、なんとあたたかいのだろう。

ロバートとメアリーの仲は順調に進んでゆき、メアリーの娘とマイクも一緒に過ごすようにもなり、やがてロバートは、メアリーにプロポーズをしようと決意する。

そんな矢先。

ロバートが目を覚ますと、メアリーの姿がない。

パニックになるロバート。
家中探しても見つからず、彼女に電話しようとする。
しかし番号がわからない。
寝室のサイドテーブルに番号のメモが「いつも」貼ってあったが、それすら思いつかず、電話帳で番号を探そうとする。

彼女の名字を知らない。

手当たり次第にかけまくり、彼女をだしてくれ、彼女と話したいんだ、とさらにボロボロに壊れてゆく。

「ただいま」

メアリーが帰ってくる。

何日もどこに行っていたんだ。
今朝用事があるからとお別れしたじゃない。たった数時間前よ。
もう二度と離れないでくれ。

強く抱き締めるロバートの肩越しにメアリーは、

離れてゆこうとしてるのは、あなたなのに。

しかし混乱していたロバートは、騒ぎを聞きつけて出てきたマイクたちを振り払い、向かいの、彼らのメアリーの家に逃げ込みドアに鍵を掛けてしまう。

ロバートが見たものは、家族の写真。

自分とメアリーと、マイクたちが一緒に並んでいる。
スーパーのオーナーに自分の名前が書いてある。

「わたしたちは家族なのよっ」

メアリーがドアの向こうから叫んでいた。



アルツハイマーだかわからないが、ロバートは記憶がなくなってしまっていたのである。
作中、淡々と朝食をとり薬を飲み、としていた毎日の支度を、実は毎日こっそりメアリーがしていたのである。

場面転換でおそらくシナプスを模した画像が使われており、それを暗に示している。

ロバートとの日々を取り戻そうとするメアリーに、娘は最初反対だった。

お母さんが傷つくのが心配なの。
大丈夫。それでもやりたいの。

さて。

大袈裟にとられては困ってしまうが、わたしにはロバートのような気持ちが、体験としてわかる。

なんせ、記憶を整理しているだろう睡眠に、問題がある身である。

自分がやった仕事を、たまにすぐ思い出せない。
なにかきっかけをたどってゆくとやっとその記憶を引っ張りだすことに成功する。

自分がやったことに、自信が持てないのである。

ああ、たしかにやった、かもしれない。いや、やった。やってある。
うむ、やった。

そんな事態を避けるために、毎日毎晩をきちんと、ひとと同じようにとまでは望まないが、それに近い睡眠がとれることを祈るしかないのである。

そんな危うい記憶だからこそ。
その記憶に日々を任せたい。

全てを文字や記録で残したとて、それだけでは記憶には遠く及ばない。
誰かが残したものとさして変わらないからだ。

しかし。

記憶を呼び出すためにそれらが役立つこともまた、否めない。



2010年11月27日(土) The Tango...

ただケーブルの接触の調子が悪いだけだと思うから……。

「土曜日に、ランチでもどう?」

寺子屋からの誘いに、応、と答えたのである。

てっきり銀座かどこか、当日の何かの用事の帰りがけの途中での誘いだろうと思っていたのである。

だから、どこら辺がよいのかと訊ね返したら、

「地元、谷根千でしょう」

と。
寺子屋もこの近所に住んでいるのである。
しかしだから、敢えて近所でというのはなかなかなかったのである。

待ち合わせは徒歩五分のとこであり、近いところほど、ひとは油断するものである。
まして、わたしはよほどでない限り、ギリギリか、やや遅目に姿を現すのである。

先日、凪にチクリと刺された通りである。

とっくに起きていたが、目覚ましにシャワーをかぶってから時間を確かめると、五分前、である。

「三十分ばかり、遅らせて」

ああどうしよう、どうしようもないか、と構えなおしていたところに、寺子屋からの連絡が入っていたのである。
おかげで、わたしは慌てず三十分後くらいに待ち合わすことができたのである。

寺子屋は、時間を遅らせてしまって申し訳ない、といってくれていたが、遅れて困ることもない。
むしろよいタイミング、であった。

さあランチである。

我が麗しの気象予報士であるネモミこと根本美緒さんがご来店されたことがある、これまた徒歩三分のとこにあるお箸でフレンチの店である。

毎朝、わたしが駅へと、または赤札堂へと前を通過していた店である。

まあ、飾らぬ店であり、飾らぬ店だからこそ、ワンプレートランチに関わらず長居してしまった。

賽の目にトマトソースがかかっていた野菜がいったい何か、途中から議論が始まったのである。

発端はわたしである。

「トマトに大根?」
「え?」

わたしはまだ三つほど皿に残った状態で聞いてみる。
寺子屋はすでに残り一つになっていたのを、まじまじと見下ろしながら、パクリと口に運ぶ。

「かぶ、でしょう」

いやいや、これは大根だ。
この酸味はかぶだって。
いやいや、苦味が大根。
だから、かぶだって。
かぶでこんな立派な賽の目にはできないだろう。

「うーん、そうかもしれないけど」

ささやかな勝利を得る。
しかし実際の答えを店からいただかなければ、それはまだ早過ぎる確信である。

「すみません」

給仕の方に訊ねると、「はい、大根だったと思いますが」と答える。

「よしっ」

ガッツポーズで、ふふんと鼻を高くしてみせる。

トタタタと給仕の方が引き返してきて、

「すみません。かぶでした、京都から取り寄せてる」

向かいで寺子屋が、「してやったり」と意気を取り返しニッコリと勝利の笑みを浮かべていた。

そうか、京都のかぶなら、しっかりと賽の目にできるほどに大きい。
頭になぜか千枚漬の姿が浮かび、敗北感を酸味と共にほろ苦く噛み締める。

店を出ると、寒さがブルブルと染み込んでくる。

なにせわたしは、昼飯だけだし、と赤札堂へ買い物にゆくような格好で出てきたのである。

店に長居もしたし、肌寒いし、さらに寺子屋は仕事のメールをチェックしに家へ戻らねばならない、という。

「じゃあ、上着も欲しいし」

そういうことならば、まあそろそろ頃合いだろう、と。

「じゃあ、一時間後くらいに」
「済んで連絡くれれば、そしたら出ますので」

わたしはその足で赤札堂に入り、広告の食パンと牛乳を買って帰ったのである。

冷蔵庫に牛乳をしまいながら、ふと想い淀んだのである。

「なぜまた一時間後に」

となったのだろうか。
まあ、やっぱり、という気になれば、寺子屋から断りがくるだろう、いや、それなら断りやすいようこちらからそんなひと言を送っておくのがよいか。

つまらない深謀遠慮である。

しかし、考えながらも時間は刻々と過ぎてゆく。
ベッドに腰掛け、携帯を開き、にらめっこしたまま。

落ちていたのである。

「ブーン、ブーン」

左手で突如震えだした携帯に呼び戻され、

「はいっ、もしもし」

居眠りを起こされたときの、寝起きの第一声の、素っ頓狂な声で、反射的に出てしまったのである。

「お待たせしました」

寺子屋からであった。

あれ?
おや?

このように落ちていたところから復活したときには、軽く全速力で走ったときのような心拍数に、なっているのである。

頭は空白、状況把握に追いつかない。

「寝てたでしょう」
「いやいや、大丈夫。おう、大丈夫」

今どこどこを歩いていて、じゃあどこどこで、と電話を切る。

小中高生の頃は、正直全速力で徒競走やリレーで走ったとしても、後半は流す程度でも十分速かった自負がある。

しかし今のそれは、それ以上なのである。

急ぎ財布と上着を支度し直し、空白の頭の中に、バクンバクン、と極太字で鳴り響くまま、外に出る。

小走りで表に回って、そこで心臓が、一瞬、

止まった。

寺子屋が、ふうんと、目の前に立っていたのである。

我が家の階下にあるイタリアンの店を見ていた、らしい。

「どわっ、ビックリしたっ」

その声に振り向く。

なんでわかった?
なにが?
なんでこんなとこに?
美味しそうなお店があるから今度こようかなぁ、と思って。
で、なぜここまで来てん?
どこどこまで来て、まだ来てなかったから、さっきこの道から出てきてたから、ここにくればいいかな、と。

我が家はその裏側に出入口かあり、右回りで道に出ていたら完全にすれ違いであった。
左回りを選んだのは、無意識である。

うち、この上やねん。
うそ。
うそちゃう。
じゃあ。

「この店きて、お勘定のときになったら連絡するから」
「お勘定だけかいっ」

ベランダからお勘定だけ、ちょうだい。
おりてくるんちゃうんかいっ!?
うん、お勘定だけでいいや。

百円ショップでビニル紐とザルを買って用意しておこう。
しかしそんな日が来ないことを祈るばかりである。

さあ、ここから、である。

谷中に来たならこのパティスリーを是非。

「イナムラショウゾウ」

である。

寛永寺側の谷中霊園入口脇にある店は販売のみだが、ひっきりなしの大盛況である。
反対側の日暮里側にある店は、チョコ専門で、カフェもついているのである。

ひとりでフラリと入るには敷居が高すぎる。

「美味っ」

まったりととろけるようなチョコに、ブランデーの薫風のような香り。

「ブランデーなんてよくわかったね」

馬鹿にするでない。酒は飲めぬがブランデーくらい香りでわかる。
あっそ。

チョコのケーキにまさか日本酒や焼酎が入っていたりするはずがないだろう。
いや待て、どこかで日本酒をスポンジかなにかに染み込ませたのがあると聞いたような。

しかしそんな話は束の間である。

もっぱら仕事の愚痴や不平や不満や、共感を求める話で、それらをおおいに吐き出し合う。

いや。
吐き出してもらう。

わたしのそれらは、もうそこそこあちらこちらで吐かせてもらっている。

しかし寺子屋のそれらは、話を聞いてもらえても会話になる相手がいないらしい。

それが当たり前、ときているひとらに、いやいや当たり前はこうだから、とわかってきているひとの言葉は通じないのである。

つまり。

電子レンジでチンすれば料理なんか簡単じゃん。

というひとに、

安いのや安心なのや、野菜や魚や肉を買ってきて、洗って刻んで捌いて、味付けでひと工夫してみたりして、そうしてやっと「料理」ができて、さあ召し上がれ、と食卓に並べて食べてもらう。

という話が理解してもらえないのと同じである。

かつて同じ釜の飯を食っていた、というのは古臭い言い回しだが、だからこそ共感もでき、会話にもなるのである。

今回、口うるさいことをわたしが言わずに、まあまあ、と聞いていられたのは、ひとへに絶品のチョコケーキによるものであった。

やはり、甘いものは重要である。


Markな一日ではあったが、こんな日があってもよいだろう。

Halloweenは、とっくに過ぎている。



2010年11月23日(火) 「深き心の底より」

小川洋子著「深き心の底より」

作家小川洋子の、作家デビューから十年の間のエッセイ集である。

いったいどんな日々のなかから、あのような静鎰な世界を描いているのだろうか。

それがわかったような気がする。

いや、正確には日々は関係ないということが、わかった。

これにも語弊がある。

小説の世界を描くのはあくまで作家の内面にあるものであって、それは書いている本人ですら、特定できるものではない。

他の作家らはそうではないかもしれないが、答えありき、で描かれた世界は、魅了されることはない。

一行だって、一文字だって、それが正しいと思って書けたためしはない。

といっている。
まさに、その通りである。
だから、勢いに任せ、いやわたしの場合は「負かせ」て書いてゆくのがほとんどである。

原稿用紙のマスのひとつひとつを埋めてゆく作業が、小説を書いていることだと思える。

ワープロ原稿となっても、背景に原稿用紙の罫線を表示して書かなければ気持ちが悪いらしい。

笑われるかもしれないが、わたしも原稿用紙ではないにせよ、やはり手書きでないとどうにも実感がわかない。

もっぱら携帯電話でカチカチやっていることが多くなっている最近は、だから実はあまり気持ちがよくはないのである。

しかし、手軽さにはつい負けてしまうのである。

小説を書くということは、肉体労働のそれとは違うが、捻れたようなギシギシとした疲労をもたらす。

これならばフルマラソンで全身を痛め付けた方が、よっぽど清々しく、思考どころではない疲労の世界にひれ伏すことができる。

そして。

孤独に切り離されることが、小説を書くのには必要。

だと言っている。
小川洋子は妻であり母である。
しかし、だからこそ、である。

子どもが待つ、夫が待つ家に帰りたくない。

そう、小説をただ書き続けていたくなる。
食事も最低限、そうせざるを得なくなったときだけでいい。
恋人や家族の悲鳴が聞こえたところで、それはただ迷惑な騒音にしか過ぎない。

どうか割り込んでこないでくれ。

本心、である。
しかしその直後、その己の人でなしさ加減に、たちまち自己嫌悪にとらわれる。

だから、特に没入しているときは己に関わってくるものがないところで、書く。

まことに勝手なものなのである。

彼女がデビューした「海燕」の評で、なんと色川武大さんが、こう表していたそうである。

彼女の作品は、石をひとつひとつ積み重ねてゆくような作品である。

ひとつひとつを埋めて、積み重ねて、だけどそれはゼロの白紙の状態から不確かな、もろい継ぎ目のままで。

だからこそ余計に、慎重にひとつひとつを積み重ねてゆくしかないのである。

積んで、ふと振り返ったら崩れてしまっているかもしれない。

それと向き合い続けなけれはならないのである。

それだからこそ、小川洋子作品の「静鎰」さはそこから生み出されて、いや生まれているのかもしれない。

色川武大氏。

阿佐田哲也の名で「麻雀放浪記」を執筆し、また純文学でも高い評価を得た作家である。

ここでまた、ひとは繋がっているのである。

言葉は生き物である。

気を抜けば勝手気儘にあちこちへといってしまう。
それを言い聞かせてじっとさせながら、ひとつひとつを積み重ねてゆくしかないのである。

積み重ねたその先がどこに着くのか、そもそも崩されずにそこまで着けるのかわからない。

それでも。

やはりひとつひとつを埋めて積み重ねてゆくしかないのである。



2010年11月21日(日) 「クレイジー・ハート」

「クレイジー・ハート」

をギンレイにて。

カントリー歌手としてかつて有名だったバッドは、今や地方のどさ回りで稼ぐ日々。

酒に溺れ、かつての教え子トミーからの新曲作成の頼みにも、素直に応じない。

トミーは今や売れっ子のアーティスト。

どさ回りのなか、ひとりのシングル・マザーであるジーンと出会う。

地方紙の記者で記事を書かせて欲しい、と始まったが、やがて彼女と愛し合う関係になり、彼女の幼い子どもバディともうまくゆきかけていた。

しかし。

アルコール依存症であるバッドに、

「お願いだらバディの前ではお酒を絶対に飲まないで」

との約束があった。
それを守っていたバッドだった。

それが子守りを任されたある日、ショッピングモールのバーでジュースを飲ませてあげようとしたときに、
「ちょっと探検してみるか」

と店内に興味津々だったバディに、ジュースが出てくるまで遊ばせてあげようと目を離した隙に、いなくなってしまったのである。

バッドは、まったく悪くない。

バディに言って、バーテンにひと言交わして振り向いたそのときにバディの姿が見当たらず、奥のトイレに行ったのか、昼間のひとが居ない店をすぐに隅々まで探したが見当たらない。

一分と目を離したわけではないのである。

しかしそんなことは関係ない。

ショッピングモールをかけずり、バディを捜し回る。

やがて警備員に見つけられて、さらに駆け付けたジーンに、

「不安だった。だけど」

信頼を裏切られた、と。

バッドはアルコール依存症の更正施設に入院し、信頼を取り返そうとする。

そして、トミーからの依頼も受けて、これからの人生をやり直そうと踏み出して行く。

本作品、とにかくいいひとばかりの、心温まる作品なのである。

かつての師弟関係だったトミーもまた、ものすごく、いい。

「あんたにカントリーのすべてを教わった。俺の師匠だ。あんたのおかげで、今の俺がいる」

「あんたは、まだまだ才能がある。俺はあんたに、それで手伝ってもらいたいんだ。だから、俺とあんたの新曲を作って欲しいんだ」

売れっ子のトミーのツアーの前座で歌って欲しい、との依頼がマネージャーからバッドにきたときがあった。

金のため、知名度のために絶好の機会だと、自分を納得させて会場に向かう。

「特別ゲスト」

そうバッドのことを書いてあったのである。

「やってくれるじゃねぇか」
バッドもつぶやく。
まさに、やってくれる、男気である。

さらに。

バッドが歌っている最中に、袖からそっとステージのバッドには知らせずに現れて、一緒に歌う。

「俺の師匠だ。俺も袖で、じっくり師匠の歌を聴かせてもらう」

観客に、バッドへの敬愛の気持ちを伝える。

まさにまさに、胸を熱くさせる男気である。

トミーの新曲依頼に、「俺はもう新曲なんか書けん」と断っていたが、ジーンとの出会い、ジーンへの想いを込めて、新曲を書く。

そしてそれをトミーに贈る。

「最高の曲だ。みんな気に入って欲しい」

ステージでトミーが披露しているのを背にして、袖で見守っていたバッドは立ち去ろうとする。

「新曲のギャラだ」

バッドのマネージャーから小切手を渡され、おそらく大金が書き込まれていたに違いない。

バックステージを出ると、ジーンが、いた。

地方紙ではないプレスカードをぶら下げていた。
一年ぶりの再会であった。

「素晴らしい曲ね」
「きみと出会ったから書けた曲だ」

小切手を、ジーンに渡す。

「受け取れないわ」

返したジーンの薬指に、指輪が光っていた。

「バディは、元気か」
「ええ、とっても」
「会わないほうが、よさそうだな」
「今のひとも、とてもいいひとよ」

飲みにゆく代わりに、この景色をみながらはなさないか。

広大な荒野の素晴らしい景色を指差す。

なんとあったかい出来上がりの作品なのだろう。

落ちぶれたベテランの再生劇といえば、ミッキー・ロークの「レスラー」が名作で有名だが、あちらはハードでヘヴィーだが、こちらはホットでウォーム、である。

この二作品を見比べてみて、違った満足感を味わってみてもらいたい。



2010年11月20日(土) ゴスペルの光と凪と阿房列車

コンサートにいってきた。

「Ginza Graceful Choir
チャリティーコンサート2010」

すべては一曲の歌との出会いから、始まった。

二十年ほど前に、とある曲に出会い、そしてそれを追いかけ続けているうちに、ライブ会場で、当時はまだ彼氏だった現在の旦那さんと一緒にきていた陽朔さんと、知り合った。

「RENT」のオリジナル・メンバーによる最終日本公演を陽朔さんも観に行っていて。

「感動した。私もあんな風に「seasons of love」を歌いたい」

そういっていた。

彼女はゴスペルの教室に通いはじめ、わずか一年と経たずに、今日、そのソロ・パートをステージで高らかに歌い上げた。

パワフルに。
のびやかに。
ほがらかに。

「一年を何で計る?
愛で計ろう
仲間たちとの、愛で
仲間たちの、愛で」

NHKアナウンサーの司会と指揮者である先生との、おそらく先生のわざとだと思う掛け合いが観客席を、ステージを和ませる。

素晴らしいステージだった。

たとえばもし、ひとりきりで来ていたとしても、満たされていただろう。

さてここで時間を戻そう。
宮藤官九郎の浦安キャッツアイ形式、というわけではない。

当初陽朔さんにコンサートのお知らせをいただいたときは、ひとりきりで駆け付けるつもりだったのである。

しかし本番が近付くにつれ、尾てい骨の上のあたりがむずむずしだしたのである。

誰か、誰か付き合ってくれそうな、内田百ケン先生のところのヒマラヤ山系のような相手はいないか。

そこで駄目元で白羽の矢を立てた人物がいる。

この「白羽の矢」とは、本来、「犠牲になる」という意味で、よいことではないのである。

つまり、ステージでソロに選ばれた陽朔さんとは真逆の意味でわたしに選ばれてしまった相手、である。

高屋凪さんである。

彼女を知る地元の友人らは、

一年を凪と会った数で数えよう
えいと、会ってないから、数えられない

となる者が多いだろう。
ここ最近は、一回で一年、数えられるように努力されているようである。

わたしが放った白羽の矢が、ヒュンと予想外に返ってきたのである。

サクッと脳天に矢を刺しながら、すぐさままた矢文を返す。

先日友人らの出産祝いのとりまとめ役を、凪がやってくれていたのである。

それで今年の彼女のお役目も済んでしまったのだろうと、半分決め込んでいたのであったわたしである。

「立て替えといたお品代、よろしくね」
「あれ。振り込んでなかったっけ」
「うん。まだなにちゃんからしか受け取ってないから間違いないよ」

取り立ても兼ねていたようであった。

矢文の以前、「山田詠美さんの本はあれがお勧め」「なら、誰々のあれがお勧め」との話をしていたのである。

それを出かける直前、靴を履いた時点で思い出した。

しかし、誰の何をわたしが勧めたのかが思い出せない。

おう、夏の高知の土産の竜馬伝ストラップは、どこの山に埋もれさせてしまったか。

それも思い出す。

本はとりあえず有川浩あたりを一冊手にとってみる。
いやこれも、いやいや、ならこの三部作全部だろう、と紙袋が別に必要になりそうな量になる。

諦めよう。
貸さずとも、買って読んでもらえばいい。

はたと時計を見る。

いかん。
十五分くらい、遅刻だ。

矢文を飛ばしておいて、すぐさま出かける。

地下鉄である。
途中の駅か下車した駅にならねば着信はできない。

怒りマークの返事が、到着した駅で返ってきたのである。

わたしはそれくらいのことでへこたれるつもりはない。

「前のときも遅れて、しれっとした顔できたから、怒りマーク付けてみたんだけど」
「前っていつ」
「なにちゃんのお宅にいったとき」

おおっあのとき以来か、と一年経たずに再会したことに気が付く。

そっかそっか、とわたしはカラカラ笑う。
笑いはしたものの、一応、神妙な顔で遅れた謝罪はしておいたのである。

そして会場に向かう前に昼飯を、というわけで、日本橋の甘木天丼屋に寄ったのである。

凪の勤め先が贔屓にしている店、とのことであった。

何を天丼、こちとら浅草は江戸時代から創業の「三定」をいきつけにしてるんでい、と鼻っ柱を気付かれぬようにピンと立てていたのである。

ポッキリ、折られてしまったのである。

海老に穴子にししとうにイカに、それらに絶妙な辛味と甘味のつゆがかけられている。

美味っ。

ボリュームもまた、しっかりしている。
板前弁当として湯島にあるという。
会議だなんだで注文した感想をみてみると、やはり皆、褒めてある。

創業者は浅草の生まれ、料理協会の理事だとかなんだとかで、三代目らしい。

浅草の天丼は、それは高級店はよく知らないが、シンプルに醤油の辛味が特徴なのが多い。

江戸っ子の辛口カリカリさが表れているといってもよいかもしれない。

しかしこの店のは、甘味と深みが、あるのである。

舌も胃袋も大満足、である。

さあ、あまり満足感にひたっていると、肝心の開演時間に間に合わなくなってしまう。

しかし、わたしは凪にそろそろ、といわれるまで至福に酔って席に張り付いてしまっていたのである。

おお、歌姫のステージが、待っている。

そうして、コンサート会場へと地下鉄で急いで向かったのである。

ここでコンサート会場に話が合流。

とにかく美味い天丼で腹も満たされ、素晴らしい歌で胸も満たされ、後は乾いた咽喉を潤わせるだけである。

アイス珈琲をちゅるちゅる吸いながら、本の話になった。
そこで、意外な嬉しい話題になったのである。

「内田百ケンって、知ってるよね」

凪の口からよもやまさかの百ケン先生の名が、飛び出したのである。

知ってるもなにも、ない。

とある作家さんが百ケン先生の作品がどうの、と触れていたらしく、それをみた凪が興味をもったらしいのである。

本来は別の話を根掘り葉掘りすべきだったかもしれないが、もう、わたしは止まらない。

百ケン先生は岡山のひとで、岡山といえばわたしが好きな作家さんらは皆、岡山に関わっていたり、縁がある云々。

まずは百ケン先生に影響を受けたという川上弘美やら、倉敷にくらしている小川洋子やら、それに名友の奥さんもほら、岡山の方で云々。

阿房列車特別急行発車、でる。

どれがお勧めかしらん?

百ケン先生のお茶目な、癖のある愛すべき人柄に触れてもらいたいならば、「やっぱり阿房列車、かな」との凪に頷きたいが、不思議な世界に癖になってもらいたい。

それならば「冥土・旅順入城式」か「東京日記」あたりを勧めたい。

いやいや「ノラや」や「恋文」「恋日記」の、デレデレメロメロオンパレードな百ケン先生の一面に、母性本能をくすぐられてみてもらいたい気もする。

いややはり「阿房列車」が、一番入り口に相応しいかもしれない。

凪と別れた後、その足で神保町にとって返し、三省堂の棚の前に腕組み思案して、にらめっこである。

独特な文章に、はたしてついていってくれるだろうか。

気に入ってもらいたいものである。



2010年11月14日(日) 「さよなら、そしてこんにちは」

荻原浩著「さよなら、そしてこんにちは」

これはもう、わたしはすっかり舌を巻き、尻尾を巻いて、スタコラサッサと東海道をひた走りしたくなってしまった。

荻原浩は、やはりスゴい。

荻原作品で渡辺謙主演の映画「明日の記憶」ならば馴染みがあるかもしれないが、シリアスなだけではない。

軽快でコミカルで、ニヤニヤさせられながらも、ジンとさせる。

この「ながら」というのが、絶妙なのである。

誰にでもできることではない。

表題作を含めた短編集である。

はじめに言っておこう。

是非、小さな子どもがいる方、もうすぐ産まれる方、産まれたばかりの方らに、読んでもらいたい。

あるある、わかるわかる、と、知らず知らずのうちな、口元目元がゆるんでしまっているに違いない。

表題作の「さよなら〜」は、葬儀社に勤める男が、妻が出産間近で仕事と私事の狭間で送る日々の物語である。

一般に地階等に設置される霊暗室が彼らの営業の戦場であり、その上階の産婦人科に、妻が出産を直前に入院している。

あり得るその舞台設定に、だからこそ共感し、そして舞台設定の魔術師たる荻原浩の仕掛けが、ジンと胸をあたたかくする。

戦隊ものの若き出演者に萌え、子どもをだしにして悪戦苦闘する母親や。

スロー・ライフを求め、実は引きこもりになってしまった息子のために田舎に引っ越し、妻も娘も、例え買い物に車で何十分ゆかなくてはならなくても、携帯電話のアンテナを届かせるために藪をかき分け山に登らねばならなくても、環境へのそれは言えども決して息子や弟への文句や不平は口にしなかったり。

スーパーの仕入れ担当が、売上のためにワイドショーの健康情報コーナーに振り回され、家族も犠牲になり、小さな娘は観たいテレビのチャンネルをかえられて「い・や・だ♪」と画面の前でお尻ふりふりダンスの抗議をしたり。

寺の住職が、若い妻と小さな娘のために、初めて禁を破ってクリスマスをサプライズで用意しようと奔走したり。

すべてが、愛らしい。

すべての感情や出来事が、そうして出会い、別れ、また出会いを繰り返してゆく。

荻原浩。

スタコラサッサと何度逃げ出しても、読むためならば何度でもわたしは帰ってきてしまうような作家である。



2010年11月13日(土) 「華麗なるアリバイ」

「華麗なるアリバイ」

をギンレイにて。
生誕百二十周年という、知らぬものはないミステリ作家アガサ・クリスティーの「ホロー荘の殺人」が原作。

原作でも登場し、アガサ作品に欠かせない名探偵ポワロを、本作では出さずに別の人物に任せている。

これはアガサ自身も、実は舞台化した際にそうしていたらしい。

わたしは片仮名の人物が複雑に入れ替わり立ち替わりすると、誰が誰だかわからなくなる。

それは学校の図書室で、怪人二十面相やアルセーヌ・ルパンを読んだ小学校を過ぎた頃から、現在に至っている。

しかし、栗本薫のグイン・サーガのように、長く、印象深く、そして愛すべき登場する人物らは、別である。

であるから、残念ながらアガサ作品はほとんど読んでいない。

しかしNHKドラマのポワロならば、姉と父が観ていたので知っている。

わたしがたまに「灰色の脳みそを」と口にするのは、その影響である。

もとい。

わたしがミステリをまったく避けて本を選んでいるのは、だいたいの作品が、そこに答え、或いは、結論が間違いなくあるからである。

揺らぎがない。
必ず犯人、動機、結果に向かって物語が収束する。

勿論、そこに辿り着かせるまでの筆者の技量に、とんでもない魅力や罠や牽引力があるならば、それは別である。

謎が解き明かされることこそがミステリの醍醐味である。

というのではなく。

謎は解かれぬまま。
解こうとする主役、またはそれらが最後まで無事生き残ったりしない。

つまり、謎は解くが答えには辿り着かない、しかも謎の解が正しいかもわからない、断定しない。

だからミステリとしては成り立っていない。

そんなミステリ作品はないだろうか。

ミステリ、いや推理小説、としよう。
その推理小説は、数学の問いである。
文芸、一般小説は、国語の問いである。

一般的に、答えはひとつしかない数学の解に、いかにして辿り着くかという快感は、ある。

その過程に独創性、意外性、そして真理が必要であるにせよ。

解がひとつしかないそれが、わたしの天の邪鬼気質にどうもそぐわないのである。

これはミステリだ推理小説だの話ではなくなるが。

わたしは建築学科卒であり、理工学部であった。
しかし数学は足を引っ張るほどの、落第点ギリギリのチョンチョン、をどうにか越えて単位をとってきたのである。

普通、一般教養といわれる初期の数学系の試験範囲は、何項から何項まで、の公式や解法を丸暗記してしまえば、楽に及第点はとれる程度の問題である。

わたしは、その片一方しか、やがて覚えなくなっていたのである。

それは公式ではなく、解法のほうである。

皆、身に覚えがあると思うが、かけ算とは足し算の応用である、ということである。

たかが一般教養の数学である。
短い範囲の公式らは、初期から延々、数珠つなぎに変化していった過程を切り出したそれぞれである。

それなら、最初の「一足す一が二」を覚えておけば、やがて「九九が八十一」に辿り着く。
その辿り着き方を覚えればいいだろう。

それだけで、試験に臨むのである。

他のひとらは記憶してきている公式を書き出し解法にそって解いてゆくところを、わたしは、一問ごとにその公式に辿り着くまでを、記憶してきた解法を辿り、たぶんこれでよいだろうという解をだしてゆくのである。

時間が、すぐに足りなくなる。
やがてそれも面倒くさくなり、他の履修で単位が足りるか、そちらを計算しだす。

なにせ、一般教養である。

とっつきやすそうなのを選び、選ばずにとばした問いは、そのままである。

したがって、解答欄は空白が目立つ。
奥ゆかしく、目立つことを苦手とするわたしは、とりあえず記号なり、過程で出てきた数式にのせてみた解を、埋め込んでゆくのである。

うむ。
なんだか、きちっと解答した気分に、なれた。

といった次第である。
よくもこれで進級できたものである。

もとい。

アガサ・クリスティー「ホロー荘の殺人」読者は、ポワロ不在の寂しさを覚えるかもしれないが、懐かしさを感じる出来具合ではあるので、観てみるのも悪くはないかもしれない。



2010年11月09日(火) 「切羽へ」

井上荒野著「切羽へ」

著者の直木賞受賞作である。
「せっぱ」ではない、「きりは」である。

「切羽」とは、トンネルを掘っているその一番先のことであり、掘りきってしまえばなくなってしまう場所である。

「切羽詰まる」という言葉があるわけだが、これはそこからきている。

かつて炭鉱で栄えた島で、小学校の教師であるセイは夫と中睦まじく暮らしている。
同僚の奔放な月江と、憎まれ口を叩きながらも可愛がってくれる近所の老婆、無邪気な子どもたち。

そこに新任の男教師として石和がやってくる。

どこか違和感と距離感を持っている石和にセイは、惹かれてしまう。

夫を愛している。
何の問題もわだかまりも、傷一つありもしないのに。

月江が石和にちょっかいを出す。
セイをわざとからかうように。

切羽にある想いは、どこへ向かうのだろうか。

巻末の解説で、山田詠美さんが書いているのである。

「井上荒野は書くことと同じくらい、あるいはそれ以上に、書かないことをも大事にしているひと」

なるほど。
わたしが井上荒野作品に感じていたのは、まさにこういうことだったのかもしれない。

書けないものやことを書き表わし、ほほうっと嘆息させられるものもある。

書くことによってそこには書かれていないものやことに触れ、それが書いてあるも同然にし、なるほどなるほどと頷かされるものもある。

井上荒野はそれとも、ちと違う。

書かないのである。
触れないのである。

であるから、行間から汲み取るようなことではおさまらない。

どこにもない空白のページを頭に開き、そこに読み手が、自然と無意識に、あまつさえそうしていることすらまったく気付かないまま、埋めさせられてしまう。

事実や結果を並べたてられたところで、誰も感心や心動かされたりはしないのである。

動くためには、揺さぶられるためには、余白や空白がいちばん必要なのである。

しかもそれはだだっ広くあけられたスカスカの行間の類いではなく。

知らぬうちにページが最後まで読み進めてしまったかのように、自然に無意識に、あるものでなくてはならない。

想像する暇なく、次から次へと与えられ振り回され、という森見登美彦のような真逆のものもまた面白いが。

さて。
本作を読んでいて、ふと思ったことを。

しばらく人として男だ女だとしか考えてない、無味乾燥な日々を過ごしているが。

男として女をみたとき、やはり女は男にとって得体のしれない存在なのだと思うのである。

これはわたしという男の、一感想意見である。

男は、心が動けば体も伴って単純に、動く。
行きたいと思えば行こうとするし、思ったことや感情を、体のどこかで現してしまう。

落ち着かなくなったり。
ふてくされたり。
真逆の反応をしたり。
まったく無反応だったり。

しかし女は、それとは別次元で、違うように思うのである。

心と体と感情と、男のそれらは、人のなかで連結機だか何かでつながって納まっているのに対して、女のそれらは、つながっているのではなく、ただ集まって人のなかに納まっているかのようなのである。

男が上の空のとき、女はその空の先を当てることがままあるが、女の上の空を、男がその先を当てるのは至難のわざである。

それはときに、女が己の女自身に対してすら、わからないときがあるほど、なのである。

であるから男たちは次のゆうな言葉を生み出したのかもしれない。

「嫌よ嫌よも好きのうち」
「女心と秋の空」

万が一、不安にかられた男子諸兄がいたならば、安心してもらいたい。

その気持ちは、必ずどこかに現れ、相手に伝わるだろう。

さらにもまして、男がそう感じること自体があれば、まずは大丈夫だろう。

何もないほうが、もしやマズイのかもしれない。

しかし、これらの諸々がある相手がそこにあることもまた、至福のひとつなのである。



2010年11月07日(日) 孤独な鳥がうたったあと

「孤独な鳥がうたうとき」

渋谷BOXXにて。
つい先日誕生日を迎えられた篠原美也子さんのライブである。

しかし。

最近どうも、高ぶりのようなものが落ち着いてきてしまっている。

よろしくない。

先日、やはり誕生日を迎えた友人に祝電を贈り、同じ日に誕生日だった麗しの小西真奈美さんのこともすっかり忘れてしまっていたほどである。

日にちに関する記憶が、ますますあやしい。

慌て送られてきた篠原さんのチケットの封を切り、日にちと時間を確かめる。

うむ、とようやく三日前にカチリとピースが当てはまる。

モディリアーニ画伯には当然ご足労いただき、直前にはリタ嬢にもご助力願う。

万全である。
しかし、うすぼんやりとした感覚はやはり否めないところが、ある。

願わくば。
落ちることなく。
終演まで。

立ち見ありのなかなかの盛況ぶりであったが、わたしは後ろから二列目のほぼ真ん中に、ポツン、とひとつ空いた席に尻をねじ込んだ。

そこが、落とし穴。

前の席の男性が、背が高い。
ど真ん中で、肩と頭がステージの篠原さんとの間に立ちふさがる。

右に左に、隣席に迷惑が掛からぬよう首をねじ曲げ、ようやく片目で見られる程度。

諦めかけた開始十五分後。

ゆらりゆらりと前の方が揺れはじめたのである。
わたしも合わせて、彼の反対側に右なら左に、左なら右にと首をずらす。

するとやがて、彼は完全に船を漕ぎだしたのである。

複雑な心境だが、漕いでうなだれたままでいて欲しい、と願ってしまった。

しかし漕いでいるのだから、ハッと起き上がることがある。
そうなると、わたしはふたたび、ぐいと首を片方にねじ曲げ、片目で篠原さんのご尊顔を拝謁することになる。

それを何度も繰り返しているうち。

はじめはおそらく、船を漕いでいる彼、を気にしたのだろう、ステージ上の篠原さんが、こちらをみたのである。

ゆらゆら揺れ、船を漕いでいる彼の背後に、彼がうなだれたときにだけ、しっかと篠原さんを見つめている眼鏡の小男。
服が黒なものだから、顔だけの背後霊かなにかか、と思われたのかもしれない。

「あーあ、なんかかわいそうな席の男がいるなぁ」

くらい、目ざとく気づいてくれたかもしれない。

思い込み、気のせいだとしても、ひょっこり、前の彼がうなだれている束の間のそのとき。

こちらにあたたかくピアノを弾き、唄ってくれていたような気になったのである。

篠原さんのライブの特徴である「途中休憩」

立ちっぱなし、座りっぱなしの体を動かしたり、トイレにいったりするためのインターバル。

本人はステージにいるままなので、はじめの頃は思う存分、喋りまくっていたのが、近頃は「ハーフタイム・ショー」となって、予定外の曲を歌ったりする。

そのときを、わたしは待っていた。

「はいじゃあ、きりーつ」

と篠原さんが音頭をとり、トイレに行ったりストレッチ代わりにのびをしたり、観客らがざわざわと動き出す。

そのまま、篠原さんはピアノを弾きだして歌いはじめる。

立ったまま皆が手拍子し、盛り上がっているなか、わたしは、さすがに起きて立ち上がっている前の彼の席を、そっと十センチほど、横にずらす。

これでなんとか、首をねじ曲げるまでではなく、一方に傾ける程度ですむようになったのである。

めでたしめでたし、である。

さて満喫したライブ終了直後。

出口のすぐ脇に白い杖をつく男性と、付き添いのさらにやや年上の男性が話をしていたのである。

「僕は初めてライブに来たんですけど、本当に長かったですね」
「みんないつものことみたいに、本人もそういってましたねぇ」

全盲の彼が篠原さんのライブに初めて行くのを、福祉関係の方が付き添ってきたのだろう。

付き添いだから篠原さんのことを全く知らない。
杖の彼も、初めてだからライブのことはわからない。

他の観客は、ぞろぞろともう姿がなくなってゆく。

付き添いさんと杖の彼は、結局答えがわからぬ問答をそこから繰り返しはじめたのである。

だって三時間半ですよ。
本人もでずっぱりで歌いっぱなし、話しっぱなしで……たしかに滅茶苦茶たくさん話してましたけどね。
それにしても、いつものことなんですかね。

付き添いさんが、それまでわたしに背中を向けていたのが、ついと振り向いたのである。

「いつものこと、なんです」

わたしは答える。
あ、そうなんですか、いつものことらしいですよ、と杖の彼にまた振り返る。

十七歳で歌いはじめて十七年って繰り返してたから、今は三十四歳って、あれ、なんかおかしいような、と思ってたんですけど。

戦前派(メジャーレーベル時代からのファン。さらにオールナイト・ニッポンのパーソナリティー時代)にかろうじて引っ掛かっているわたしである。

お教えせねば。

ライブハウスで歌いはじめたのが十七歳で、メジャーデビューしたのは二十云歳ですから。
あ、そういうことだったんですか。

腑に落ちた顔になる。

では、と会釈してわたしは立ち去る。
立ち去りながら、以前の光景を思い出していたのである。

やはり視覚に障害がある方が、いた。
彼はファン関係のコミュニティで知り合った仲間らと、彼らに囲まれ案内されながら会場やライブ後に皆で食事に行ったりしていたような気がする。

まだ、篠原さんを聴いているのだろうか。

「やっぱり、身体に音が響いてくるでしょう。いいですよね」

付き添いさんが、彼にいう。

そうですね、いいですね。

わたしは聴覚ですべての情報を判断しなければならないような感覚は、味わったことが、ない。

自分が、勝手が全てわかる場所にいるわけではない。

初めての場所で、初めての経験で。

彼の強さを、感じてしまった。

見えないのが当たり前の日々のなか、その何気ない一歩を踏み出すことさえ、怖い。

慣れるしか仕方がない。
そうやって、やってゆくしかない。

わたしは、それじゃあ、と彼らより先に立ち去った。

付き添いさんがいるとはいえ、杖の彼が、そうやって一歩一歩、踏みしめながら歩いて行く姿を、見送る自分の強さなど持ち合わせていないのを、この身に味わいたくなかったのかもしれない。

職業柄、ハートビル法だ、ひとまち条例だ、と福祉の感覚が要とされているが、わたしはまるっきり、薄っぺらい。

賑わう夜の渋谷に、わたしのぺたんぺたんという足音が、すぐさま飲み込まれかき消され、消え去ってしまう。

誰にも聞こえない。
しかし、たしかにわたしは歩いている。
歩いていくしかないのである。



2010年11月04日(木) イ氏と毒太

今宵、大森あがりである。

イ氏が開口一番、

「水嶋ヒロのあれは、ないよなぁ」

あっはっはっ、やはりそこに来ますか。
ゆくよ、もちろん。

ならばわたしは毒太となろう。

「イ氏です。毒太です。
二人あわせて、シンサツシズです」

マイクスタンドを挟んで立つ。

「シンサツならぬ辛辣に、ゆこうと思うんですが」
「あなたねぇ、親子ほどの年の差があるんだから、少しは私をたてて、やさしくゆきなさいな」
「じゃあ、イ氏の専門を考慮しまして、やっぱり「無呼吸」で一気にゆきます」
「なるほどうまい。まあいいでしょう。で、なんですか」

漫才調も疲れるので、元に戻そう。

あれは、出来レースだよなぁ。
芸能に詳しくないイ氏からみて、その感想である。

一般の方々も、まず、信じられないだろう。

出版業界は軒並み不況の谷底で、さらに落ちぬよう必死である。

これはわたしのひがみと、ひと握りの情報から膨らまして筋道立てた、「悪い妄想」のシナリオである。

主催社名を聞いて、ピンとくる。

以前から各種文学賞を企画してきた。
企業小説などジャンルを限定したり。

受賞作品イコール出版・単行本化、それが売れるかどうかはわからない。
そんななか、だから「大賞に該当作品なし」という文学賞の選考結果がよくみられたりする。

文芸誌を抱え、そこで反応を窺うこともできない。

書店で、目立つ正面の棚を確保できる力があるわけではない。
メディア化し、勢い展開できるネットワークは、他社に握られている。

まず確実な一撃でなければならない。

必死の、必至の一手。

である。
規定枚数の二三百枚は、初めて書いて書けるものではない。

ライターをつけましょう、奥様のこともありますから、テーマは命にしましょう。

応募の際に必要な頭紙ですが、経歴やプロフィールはなしにしましょう。

予審査で通過する際に、本人確認の連絡は必須ですが、なに、構いません。

審査員が確認するわけじゃあありませんから。

「受賞作品が決まってから、水嶋さんだと、初めて知りました」
(審査員評)

「純粋に(ただ私が、に限らず、ではなく誰かが)書くことを評価していただき……」

話題は確実です。
この不況に、どこが売れるかわからない素人が書いた作品に賞金を出しますか。

これはぶら下げたニンジンです。

ニンジンに、せっかくだから、素晴らしい演出をしましょう。

いえいえ。
たとえお支払いしても、ちゃあんと、元はとらせていただく算段はございますよ。

え?
辞退なさる。
(後ろめたさ。一握の誇り。いや、せめてもの)
それはまさに美談です!
コメントしましょう!
賞金を未来のために!

いやなに、算段というのはですね。

単行本化、やがて映画もしくはドラマ化。
なに、枠なんか、簡単にあけてもらえますよ!

ただし。

テーマソングを、ちょっと奥様にご協力願いたいのですが。
いやいやいや。
作詞作曲までで構いません!
水嶋さまも、たとえば「特別出演」としてご出演いただければありがたいです!
(ドラマなら、いつ出るかサプライズにしておけば視聴者をひきつけるネタにもなるし。それはPの腕に任せればよかろう)

世間から離れ過ぎますと、話題力は一気になくなってしまいます。
今のこの時期が、チャンスです!

元の事務所の役者さんやらアーティストさんやらを絡ませれば、協力的にもなってくれるし。
そうすれば、ご恩返しもできます!
世間的にも「円満」を伝えられるし。
まあ、これはあまり強く言わない方がよいですが。

ブランク、場違いな再登場、のプレッシャーがあったかもしれない。
しかし、元役者である。

棒読みのような、押し殺したような話し方をするだろうか、と思うのである。

戸惑いがあれども、ちらりとでも、こぼれてしまう「喜び」を、彼のどこかに誰か見ただろうか。

おそらく二作品目は、無いとわたしは思う。

その前に、別の世界か、役者の世界に戻るか。

「水嶋ヒロでないと出来ない役なんかない。似たような顔の役者なら、他にもいる。あくのある替えがきかない個性的な役者じゃあないから、使えるうちに使いきってしまえ」

あくどいが、わたしならばこんなシナリオを描くだろう。

「わたしも、名前を売ってから本を書くようにします」

イ氏に宣言してみたのである。

「へえ。それで何で名前を売るの」
「それが、大問題なんです」
「それは問題だ」

あっはっはっ。

大森の宵闇に響き渡る笑い声。



2010年11月03日(水) 「或る少女の死まで」

室生犀星著「或る少女の死まで」

最近映画にもなった小説「森崎書店の日々」の作中に、主人公の女の子が手に取る作品として登場している。

わたしはそういうのに、弱い。

室生犀星といえば、名前は知っているが一体なにを書いたひとだらう、というくらいの知識しかない。

犀星は詩人であった。

なんと。
だからといって詩集を読んでみよう、とまでは思わないようにする。

詩集には、わたしがとりつけたしまの覚えが、まったく無いのである。

映画「メンフィス・ベル」でイエーツを読んでみようと思い、しかしわたしが読めるのは翻訳された日本語しかないのであるから、詩というもの本来とは異なったものであり、つまり、まったくつまらないやり方をしてしまった、自業自得である後悔がある。

二つめは、高校入試の国語の問題で、中原中也の「汚れっちまった悲しみに」が出されていて、解答の見直しもせず「汚れっちまった」を、ふむふむほほお、とニヤニヤ眺めていた記憶が、書店の棚で中原中也と偶然の再会をした際によみがえり、そのまま我が家の棚に開かれることなく鎮座まします運びに至っているのである。

もとい。

本作「或る少女の死まで」は、「幼年時代」「性に目醒める頃」の二篇と合わせて、自伝的三部作となっている。

詩人を目指す鬱屈とした青年と近所に住む少女とのあたたかき交流を描いている表題作。

舞台がなんと、我が家の近所。
今のひとつ前の住まいならばお隣さん、くらいのところが舞台なのである。

千駄木は団子坂、谷中墓地に根津から上野広小路。

さてそんな舞台の当時、肺病によって亡くなる方が多くいた。
いわゆる不治の病である。

行きつけの酒屋の少女が、しばらく行かぬ間に肺病を患いいなくなってしまう。

その無邪気さ快活さ朗らかさに救われていた近所の、日々弟を連れたりまたひとりで部屋や庭先に遊びに来ていた少女が、来年また東京で遊びましょう、と指切って田舎に帰ったまま、やはり肺病で亡くなったと、その家族からの便りが届いたり。

不治は不治だが、命にかかわらないものでよかったと、我が身を思ってしまったりする。

作中、動物園(上野動物園だろう)に少女をつれて行く場面がある。

おとなしくやさしそうな象を少女は気に入るだろうと犀星は思っていたが、少女はちっとも思わない。
むしろ、犀星が小馬鹿で忙しないと気に食わないでいる猿山の猿たちを少女は気に入る。

実はそういった機微のすれ違いはどこにでも誰とでもあり、それをすくいとるのが、うまいのである。

さすが詩人。

比喩ではなく、事象でスマートに表現する。
これは、やるのは簡単だが果たすのは難しいのである。

果たすには、何はさておきやり続けて、それを積み重ねてゆかなければならない。

一日一文。

それすらも滞りがちではあるが。


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