「隙 間」

2009年10月26日(月)

わたしは彼女の鍵を手に入れた。

空室になっていた彼女のふところは、広くて深く、なによりも、無垢だった。

わたしははやるこころをおさえた。

手には汗がじっとりとにじんで、なんだか恥ずべきことをしているような気持ちになった。
恥ずべきことなど何ひとつしてはいないし、正当な手段をもってこの鍵を手に入れたのだった。

無駄な金を遣った、と非難もされた。

しかしそれは、わたしにとっては無駄ではなく、生きてゆくために必要なものだった。

糖尿病患者にはインシュリンが必要であり、心臓病患者にはニトログリセリンが必要であるように、わたしには彼女が必要だった。

「ずっと、一生、そうやって暮らしてゆくつもりか」

と罵られた。

いつか別れなければならない日がくるのを覚悟した上で、わたしは選んだのだった。

そんな胸のささくれを抱えたままで彼女を前にすると、そのあまりにも無垢な様がわたしのささくれを剥いでしまわなければ気が済まない、と非難の目で見つめているような気持ちにさせられた。

わたしはささくれのある人差し指を、隠すように手のひらに握り込んだ。

長くいると、無垢な世界に飲み込まれ、そこから出てゆけなくなってしまうように思えて、わたしはそうなる前に逃げ出した。

彼女がそれに紛れて外にでてしまい、その無垢さが世俗の垢に汚されてしまうのが怖かった。
そしてその無垢さがわたしに恐れを感じさせていたという矛盾もまた、そこにあるのはわかっていた。

しかし、扉の鍵穴に鍵をさし、ガチャンと鍵が締まる音がすると、至福で満たされてゆくのがわかった。

そこにはもう、恐れの姿はどこにもなかった。

夕飯の買い物帰りの主婦とすれ違った。

「あら、お豆腐買い忘れちゃったわ」

きびすを返したその背中は、小さくて丸く、世俗に色褪せていた。

色褪せていることが、安らぎとぬくもりを与えてくれるものなのだということを、わたしはぼんやりと眺めていた。

わたしは安らぎやぬくもりよりも、恐れや寂寥感に惹かれていた。

ひりひりするようななかにいるときこそ、自分はここにいる、と常に、容易に実感できるからだ。

わたしは冷たくなった鍵を、ポケットのなかで握り締めた。



2009年10月25日(日) 猿ロックでもない思考

イッチーこと市原隼人さんと、遭遇しました。

場所は御徒町の、コリアンタウンと呼ばれる老舗焼肉店街の近くです。

「おい!」

少ししゃがれた、どこかで聞いた声が人垣の向こうから聞こえてきたのです。

銀髪に黄色のウインドブレーカー姿。

ドラマ「猿ロック」

のロケでした。

「おい!」というのはもちろんわたしに向けてではなく、ドラマのセリフです。

イッチー、イッチ、イチボ。

焼肉が食いたいです(汗)

来週金曜に、雇用時健康診断があります。

それを越えれば、何の心配もありません。

イ氏から「一応飲んどくかい?」と処方してもらってるけれど、再検査とかの指摘が出るような健康診断ではないはず、とのことで、真面目に飲んでません。

しかし、そろそろ値を落とさなければならない時期なのです。



落とすといえば。



この半月、人や組織の思考を想像し、そしてそれらのそこからを創造してゆくことにかまけ過ぎてしまい、ナチュラル、いやニュートラルな想像の創造がうまくできなくなってしまったようです。

こうなるようにこうしてやろう。
いやいや、そうはさせないようああしとこう。

作為的な思考がムクムクと、頼みもしていないのに、湧き上がってきて邪魔をするのです。

よくない傾向です。

そんな邪念を、まずは落とさなければなりません。



来週末の引越の準備やら手続きやらをやらなければならないのに、昨日わたしは何をやっていたんだっ、と、本気で愕然としてしまいました。

昨日はちゃんと不動産屋にいって契約を締結して、新しい大家さんに挨拶して、それから、篠原さんのライブに行ったんじゃあないかっ。

思い出すのに三分ばかしかかりました。

やはりここまでで、脳みそのキャパを若干超えてしまっているようです。

十八さんの声が聞こえてきます。

「しっかり寝て、頭すっきりさせてから考えようっ」

わたしの目が泳ぎはじめたり、よどんできたときに掛けられていた言葉です。

ひと晩考えなかったからといって事態が悪くなるわけではありません。

それくらいの調整は自分でできています。

しかし。

営業職や普通の仕事をしている方々は、毎日このような脳みそのフル回転をしながら仕事をし、暮らしているのか、と。

ひたすら感心するばかりです。



2009年10月24日(土) 「HELPLESS」

篠原美也子ワンマンライブ
「HELPLESS」

いってきました。

まずは篠原美也子最新情報から。

来年一月から四月まで、

「マンスリー・篠原美也子」

というのを都内の「7th Floor」で催すそうです。

最新アルバムを年明け、新年に発売予定で、そのアルバムを、一から篠原美也子ひとりで作成するそうです。

これまでインディーズとしてレコード会社からアルバムを作成していたのを、篠原美也子社長として自ら準備、手配して作成するのです。

レーベル名がいったい何になるのか、まだ決まっていないそうです。

「R493」だとか、わたしたちが予想できるものに、篠原さんが素直に決めるのかどうか楽しみです。

メジャー時代からのファンを「戦中派」
インディーズになってからのファンを「戦後派」
と呼びならわしてきたのが、「新世代派」という第三世代ができるようになるとはっ、とご本人もびっくり笑いしてました。

さて。

やはり。

篠原美也子の歌は、胸に染み渡ります。

flower
夜間飛行
Dear

そして、

ありふれたグレイ

走馬灯のように、わたしのこの一年あまりが頭の中を駆け巡りました。

You'er so cool
my old lover

月と坂道
流星の日
空に散る

胸と耳が、ちくちくと痛みます。

プラネタリウム
Wing with Wind(未発表曲)

Last Quarter
compass rose
逆光

わたしのこれからはじまる、新しい世界。

HELPLEESS(未発表曲)
いずれ散りゆく花ならば

S

もう、自分の人生、自分で生きてゆくことを選んだのだからやるしかない。

そしてアンコール。


M78

秒針のビート

journey

誰のせいでもない。
誰のようでもない。

誰のようでもなく

をアカペラでスペシャル大合唱。

夕方までどうにかもっていた天気は雨になり、まさに篠原美也子デイズ。

わたしははたから見れば「ばか者」に違いない。

「Fool in the rain」

負けたくはない。



2009年10月21日(水) 「寡黙な死骸 みだらな弔い」

小川洋子著「寡黙な死骸 みだらな弔い」

どうやったら、この小川洋子のような世界を書くことができるのだろうか。

試しに挑戦してみたのだが、それはしょせん形のみをわら半紙の上からなぞってみただけで、とてもお手本とは似つかない、おぼつかないものだった。

本作は十一編の短編が納められており、それらが互いのどこかで関わっている。

小川洋子の作品は、必ずどこか閉ざされた世界を描いている。

それは舞台となる世界の地理的なものであったり、登場人物たちの心であったり。

閉ざされているからこそ、そこには静寂や神秘や秘密というものが相応しく存在するのである。

閉ざされた物語たちが閉ざされたまま繋がっている。

まるで鎖のようである。

硬く、冷たく、鉄の味がする。
しかしそれは決して不快なものではない。

わたしも静イツな世界を描くことができるようになりたいものである。



2009年10月19日(月) 「新釈走れメロス他四篇」

森見登美彦著「新釈走れメロス他四篇」

呆れてしまうほどに、森見登美彦世界が展開されている。

お、オモチロイ……。

文学史上名作と語り継がれてきた作品たちを、現代京都を舞台に書き直している。

表題作の「走れメロス」なぞ、傑作である。

日没までに戻らねば、無二の親友が学園祭で詰めかけた衆人観衆の面前で、ドナドナの音楽に合わせて桃色ブリーフ一丁で踊りを披露させられる。

「ヤツは約束など守らん。それでこそヤツが俺の親友たるゆえんだ」

と、勝手に人質にされた親友は落ち着いた様子で断固と語る。

「約束通りに戻ってたまるか。戻ってしまったら、ヤツの信頼を裏切ってしまう。逃げ延びてやるっ」

なんだかヘンな気がしないでもないが、なるほど、頑張れっ、と胸熱く鼓動激しく脈高鳴らせて応援したくなってしまうのである。

愉快痛快。

原作を知らずとも、十分に滑稽で楽しめる作品である。



2009年10月18日(日) 「それでも恋するバルセロナ」と身辺整理

「それでも恋するバルセロナ」

をギンレイにて。

ウディ・アレン監督作品。

ペネロペ・クルスが、

素敵です。
情熱的です。
魅力的です。

作品の内容はもう、ウディ・アレンの軽快で飽きさせないストーリーそのままです。

気楽に観られます。



さて。



引越しの手配をしなければなりません。

ダンボール七、八箱程度です。
棚の類いはすべてハンガーネットを結束バンドで組み立てただけなので、解体すれば跡形もありません。

問題なのは、文庫本の量だけです。

とはいえ名古屋の誰かさんには遠く及びませんが、上を片付けたはずの座卓が、びっしり、うすら高く積まれた文庫本の塔が乱立し、残るはさらに上を目指すだけの状態になっています。

本来職場の机にあるべき資料や冊子を、あるべき場所にもってゆかねばならない立場にもなるので、それで相殺されるはずです。

十八さんに当時社内の席替えで引っ越しする際、

「お前の机ってさあ、すんげえ散らかってるくせに、箱ごと右から左、みたいにできて羨ましいよ」

と言われてました。

「箱の中をのぞいたら、半分以上いらないもんがあるんだろうけど」

整理整頓が苦手です。
とりあえず箱に放り込んでおきます。

そんな箱を処分するべきよい機会です。



2009年10月16日(金) I quit!?

「Helloe!! I'm Mark Cohen,on BUZZ-LINE...Jesus!」

スタジオのアレクシーにカメラをかえすまでもありません。

ハロウィンを前に、南京錠で閉ざされたアパートの扉をぶち壊してよいでしょうか。

ジョアンヌがロープを持って現れる前に、ウォッカで乾杯し、サイバーランドの砂漠の月をジャンプして飛び越して、たっぷりの禁じられた牛乳にしゃぶりついてよいでしょうか。

わたしはエンジェルのように、すべてのひとをこころから優しく思うことは、できません。

エイプリルのように、悲嘆と絶望に我が身を明け渡し、別れを決意するほど潔くありません。

「なんでお前は、いつもからは想像つかないそのエネルギーを、そんなところで発揮しちゃうの?」

十八さんに、わっかんねぇ、と首をひねらせてきました。

Mr.18's voice is in my ear.

「ねぇ〜。お昼いっしょにいかなぁい?」

昼休みに、わたしの背後をうろうろしていたトップになぜか親しみを持たれてしまってます。

「約束があるので、すんません」
「なんだぁ〜。約束があるのかぁ……」

はたからみたら、なぜあなたは笑顔でトップからの誘いを断れちゃうの? と、信じられない顔をされるでしょう。

本当に約束がありました。念のため。

ヘラヘラしながら、毒を吐く。

立場云々かまわずに。

他力本願の他力とは、協力者に限らず敵でさえも。

「お前はさぁ、なぁんで、自分が損する相手に限って、全力で噛みつこうとするの?
得する相手には見向きもしないのになっ。
俺はそれが残念、いや、ドキドキさせられる」

Mr.18's voice is in my ear.

勝てる相手に噛みついて負けるより。
負けるとわかる相手に噛みついて負けるほうがいいでしょう。

勝つにしても相手の血が流れるなら噛みつかず。
自分が流すのなら噛みつきます。

甘噛みですが。

ネズミーマウスに崖から蹴り落とされた夢なら、なんて素敵なんでしょう。

ジョアンヌにカウベルを用意してもらって、マークにマイクの配線トラブルを解決してもらって、ジョアンヌとマークにタンゴでキリキリ舞いしてもらって。

ベニーにひと泡ひかせて、ライフカフェで皆と「Wine&Beer!!」で乾杯して、ロジャーがやっと重荷の告白をしてミミと自分自身と向き合って、アレクシーからマークに「契約書を送るからサインして。がっぽり稼げるわよ」と声がかかって。

「Helloe!! I'm Mark Cohen,on BUZZ-LINE...Jesus!」

冒頭に戻る。

Don't breathe to deep.
Don't think all day.
Diving to work.
Drive the otherway...

Goes away
this play the game...

このご時世です。
さらにそこからのはじまりに関わってゆくなら。

「マネジメントの立場でやってゆかないとね」


ベンジャミン・コフィン?世の登場ですか。

ライフサポートのミーティングで、

Mark,I'm Mark...

3Dアイマックスで、フィルムの破片が目の前で散らばりそうです。

Halloween...



2009年10月13日(火) 「四度目の氷河期」

荻原浩著「四度目の氷河期」

御徒町から谷中まで、何もかもかも脱ぎ捨てて、大声をあげながら全力で走って帰りたい気持ちです。

これは、たまりません。

軽妙で、巧妙で、珍妙で。

可笑しくて、切なくて、やるせなくて。

初めてスペースマウンテンに乗ったときのように、あれよあれよと振り回され。

そのすべてが、心地よく、飽きることない絶妙なタイミングで読み手を揺さぶり。

じわあっと目頭を熱くさせたかと思えば、顔が熱くなるほど恥ずかしい気持ちにさせたり。

ぽかぽかとあったかくさせたかと思えば、ひとりではいられないほど胸を苦しくさせたり。

ちょいとぶ厚いけれど、損はさせねいっ!
読んでみやあがれいっ!

といった具合です。

荻原作品といえば、滑稽、とも違う、やはり解説にある通りの「ケレン味」あふれる舞台装置、ともいえる設定です。

僕のお父さんはクロマニヨン人。

という少年ワタル。
母親はロシアの研究所に研究員として数年間遺伝子研究をしていた経験を持つ遺伝子学者。

原人「アイスマン」の研究に携わっていた。
アイスマンの遺伝子を自らの卵子に受精させ、そうして僕は生まれたんだ。
研究のために雌(つまり女の子)を生み分けしなきゃならないのに、間違って僕(雄、男の子)ができちゃったから、お母さんは日本へひとり帰されちゃったんだ。

僕の髪が茶色っぽいのも、じっとしてられなくて走り回ったり大声で叫び回ったりしたくなっちゃうのも、クロマニヨン人の血がそうさせてるんだ。

そんなワタル少年が、さまざまな葛藤や歓喜を交えて青年に成長してゆくのです。

彼を支え、引っ張り、つまづかせ、やっぱり肩を支えてくれる素敵な友だち、大人、大切なひと、サチ。

舞台装置のオチは予想内ですが、それが最後に、涙と鼻水の猛吹雪を呼び込みます。

極寒のロシアの地で、これ以上ない人肌のあったかさを、確かめられること間違いありません。



2009年10月12日(月) 「路上のソリスト」とその手で

「路上のソリスト」

をギンレイにて。

名門音楽学校を途中退学したナサニエルは路上生活者となり、弦が二本しか残っていないバイオリンをひきながら暮らしていた。
記者でコラムニストのロペスが彼の音楽にその才能を感じ、コラムで彼をとりあげ、ふたりの関係は深まってゆく。

路上生活からナサニエルを引っ張り出し、その音楽の才能を世に出したいロペス。
統合失調症によって、不安定なナサニエル。

彼を助けたいのか。
助ける自分に酔っているだけなのか。

「RENT」をみて、路上生活の現実を忘れてはならない。

上野公園で、
不忍池で、

毎週末、炊き出しに列ぶひとたちの背中を追い越しながらみている。

一線を踏み出せば、わたしも列んでいたかもしれなかった。

冷暖房の利いた部屋での想像ではない。
崖の淵での、現実的な想像だった。

あのうすら寒さだけは、確かなものだったと信じている。

怖い、のではない。
寒い、のである。

寒さをしのぎあえる仲間がいるから、「RENT」は寒さを実感させずにすんでいるのである。

しかし、痛み、は残されている。

「路上の〜」に戻ろう。

この手の作品を観ると、無性に楽器がひきたくなる。

何かを作り出すことができない手でも、せめて音を作り出すことができる。

親の手は子への愛を生み出し、
夫婦の手は互いへの愛を生み出してゆく。

誰しもが、その手で何を生み出しているのである。



2009年10月01日(木) 「あの日、欲望の大地で」

十月一日、映画サービスデーでした。

しかし平日で仕事帰り。
帰りがけに丁度よいやつはないか、と探してみたら……。

あった。
場所は銀座で帰り道。
しかも九時から上映ならば、なんとか間に合う。
腹は減っているが、それより映画。

しかも作品紹介を読んで、ピンときたのです。是が非でもゆかねばならない、と。

そうして、

「あの日、欲望の大地で」

を銀座テアトルシネマにて。

なんともいえない、しかし、わるくはない作品でした。

キム・ベイシ(ジ)ンガーとシャーリー・セロンの二大アカデミー女優が、素晴らしい。

「女」と「妻」と「母」と「娘」と、それぞれの視点でそれぞれの内面の葛藤や衝動を描いています。

それが三世代、実の母娘の間で、歳をとり、立場が入れ代わって描かれてゆくのです。

しかも、時代を行き来しながら、です。

根本は、とても苦い物語です。



母親が不倫。

それをひそかに知ってしまった娘が、脅しのつもりが、浮気相手ともどもガス爆発でふたりを爆死させてしまう。

娘は浮気相手の息子と恋に落ちてしまう。

そして駆け落ちし、妊娠、出産。

娘は産後わずか二日で、ひとり立ち去ってしまう。

娘は成人し、日ごとゆきずりの男と一夜を共にする暮らしを続けていた。

そこに、生後二日で置き去った自分の娘が現れる。

許されない自分の母親と、母親として許されない自分。

常に自分を、罪の意識から傷つけ続けてきた。

本当の愛は、罪の意識の向こうに、置き去ってきた。

許されない自分。

唯一の愛。

唯一の居場所。

彼女を待つ彼と、彼女を許し受け入れようとする娘。

彼女は人生を、ここからやり直すことができるのか。



ひとは少なからず、自分の立場を選んで生きてゆく。

「女」として。
「母」として。
「娘」として。

「男」として。
「父」として。
「息子」として。

どれに従うか。

そもそもの「ひと」として。

どれが正しいのかは、なかなかわからないものなのです。

そのときに、

どの自分を信じ、
従うか……。


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