「隙 間」

2009年08月31日(月) 「此処彼処」とそこかしこ

川上弘美著「此処彼処」
自伝的連作エッセイ、である。
このなんとも愛おしい感覚が、とてもうらやましく思う。

実際にある場所のことを、書いてみようと思った。

とあとがきにある通り、各題が具体的な地名や場所の名前がつけられ、そこにまつわる話が書かれている。
それらは著者の体験したものばかりである。

海外をのぞくと、八割方がわたしも訪れた、または縁がある場所だったのだから、なかなか面白い。
当たりがとてもやわらかくて、ほわり、としているように見せていて、そのじつ、幾重にもだんごのように重ねたかた結びの結び目のような頑固さやこだわりがあったりと、この人があってなるほどこれらの作品があるのだ、と深く何度もうなずいてしまう。

デビュー作がもし違っていたら、今の作風とは違ったものになっていただろう。

と言っている。

今の作風であってくれて、当人の希望はさておき、わたしはとてもありがたく思う。
ほかにいるだろうか。
このような作風の作家が。

月が不忍池にぷかりと浮かんだ。

台風の雨風もはや通り過ぎ、よよと池の端を回りながら帰っている。

ひんやりと湿った空気のなかに、動物たちの糞の匂いが鼻をくすぐる。

キリンやオカピやカバたちのものだろう。

買った瓶詰めのブルーベリージャムの香りを思い浮かべようと、鞄のなかに手を突っ込み、まさぐってみる。

そんなことをしてみても、封が開いてるわけではないのだから何の足しにもならないのだが、足しにならずとも安心感のような、勇気のような何かを与えてくれはしないかとすがりたくなるほど、匂いは霧のようにサラサラしっとりとわたしを包み込んでいるのだ。

瓶と蓋の鉄の匂いしか、伝わってこない。

しっとりとした匂いが、微妙なところで臭いにならないまままとわりついている。

いっそ強烈な臭いになってくれればよいものを。

これでは顔をしかめることも、鼻にしわを寄せることも、まして息を止めて走り抜けることもできない。

むずむずそわそわした宙ぶらりんの顔のまま、もくもくと歩くしかない。

「はん亭」の手前まできて、ようやく深く、鼻で息を吸った。



2009年08月30日(日) スーパーよさこい2009

目が覚めると祭り囃子が聞こえてきた。

諏方神社の大祭で御輿が前の道を通っていたのである。

やはり今日は、赤坂でブレークスルーに挑戦するのではなく、日本の祭りに興じようということにした。

昨日は朝からかなり長丁場で動いていたものだから、今日は無理せずにゆこう。

「スーパーよさこい2009」

に、行ってきた。
やはり原宿駅ステージが、一番熱い。
表参道の通りの一部や代々木公園内や明治神宮内やらの各地にステージが設けられているのだが、ここがわたしにとってはメインのステージに決めてある。

全国からおよそ九十チームが集まり、披露するのである。

予定表と団扇を係員からもらい、まずは腹ごしらえに、物産館やらの「じまん市」らがある方へ向かう。

「お好みもんじゃ」なるお好み焼きをもんじゃ焼き風にやわらかくまとめたものの見た目と香りに捕らわれ、まずはそれをいただく。

とにかく熱かった。
もんじゃ焼きのように、とろうり、とキャベツやなにやらをくるんでいて、はふはふいいながらペロリと平らげてしまう。

熱くなった口を冷まそうと、北海道岩瀬牧場の店にて「ホルスタイン・ソフトクリーム」を所望する。

もう少し、濃ゆい味や食感でもよかったのだが、そう思ったときには、既に跡形もなくなっていたので、うまかった、ということなのだろう。

すっかりこってりとなってしまった口の中を、あっさりさせたい。

こってりさせていた最中に、目のはしにチラチラと入っていた緑色の棒のものがあった。

きうりの一本漬けに違いない。

そうふんだわたしは、物産館をはしから順に追いかけてみることにしたのである。

見つけた。

カップに賽の目にカットされたメロンやらの脇に、氷の山に刺されたり寝かされたりしているきうりの一本刺しが。

メロンやらには目もくれず、つかつかときうりに近づいたわたしに店の兄さんは、きうりですか、といちいち確かめる。

「きうりです。一本、ください」

きうり一本ですか、と、ややためらいながら言い惑い、一本なんですがじつは、

「もう一本ついてくるんです」

いや、一本でいいんです、とわたしは拒もうとしたが、それも聞き分けがないように思えて、それなら、とうなずく。

わたしは河童ではない。
しかし、きうりは好きなほうである。

サクッ、シャクシャクしゃく。

と一本ずつかじりながら、メインの原宿駅ステージへと戻る。

途中、ロカビリーに合わせて踊っている一団と会い、それを珍しそうにビデオに撮っている外国人の姿を見る。

そのとき、インド舞踊かと見紛う色気たっぷりの衣装の踊り子たちがそこを通り、カメラも一斉にそちらに奪われる。

鳴子を手にしているので、これから原宿駅ステージへ向かう途中なのだろう。

各チームの踊りはもちろん、衣装もまた見所なのである。

「かなばる」というチームであった。
高知のよさこいとトリニダード・トバゴのカーニバルを融合させた、という。

これは、すごい。
レゲエの仕草が、色気だけでなく、コミカルに、絶妙なものとなっている。

次に惹かれたのは、

「上町よさこい鳴子連」である。
よさこい祭りがはじまって以来五十余年の歴史あるチームの子どもたちチーム。
銀賞をとったらしいのだが、ここはまた、反則的なほどの強力な技を有していた。

合間合間に、リーダーが声をかける。

「よさこい……」

すると踊り子たち(まさに小学生以下がほとんど)が片足をつま先立てて、

「大好きぃ〜」

と横におじぎをするように皆が一斉に答えるのである。

「見に来てくれるお客さんがぁ〜」
「大好きぃ〜」

「だいしゅきぃ〜」と、客のほうからも合わせて声があがる。

わたしは、必死に、口元をへの字に引き結び、こらえた。
しかし、目元はおろそかにならざるをえなく、すっかりまるっきり、だらしなく、垂れ下がってしまっていたのは否めない。

とにかく。
できることなら、朝から晩まで、全チームの演舞を観ていたくなる。

本場高知や北海道の「よさこい」やら「よさこいソーラン」やらを目の当たりにしたら、どうなってしまうのだろう。

街全体が、これに満ち溢れているなんて、わたしは帰って来られなくなるやもしれない。

あいにくの雨に水を差されたりもしたが、今年も感動を与えてもらった。

来年また、楽しみにしていよう。

鯨の串カツをいただきながら、思ったのである。



2009年08月29日(土) 「マーリー〜」と忙殺さるること

日中、赤坂なぞという特殊な街にいると、どうにも非現実的な気になって、疲労感がじわじわと後になってやってくる。

「RENT」のブレークスルー・チケットにことごとく外れてしまった後となれば、なおさらである。

当たって興奮状態にでもなれば、それは違うだろうが、どのみち脱力は免れないだろうと思う。

居心地のよい、馴染んだ場所、というとこが、やはりよい。

そこで、

「マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと」

をギンレイにて。

タイトルに騙されてはいけない。

住んでいる土地柄、そして敬愛する内田百ケン先生の影響、ひいては干支から、わたしに愛猫家のてらいがみられるかもしれないが、実は犬派なのである。

恋するなら猫であり、
愛するのは犬である。

どちらもいまだ飼ったことは、ない。

しかし、やはり犬である。

マーリーというレトリバーと、その家族の物語。

不覚にも、目尻が湿ってしまった。
いや、これは汗である。

生きてゆくなら、
仕事に、目の前のやることだけに忙殺されてろ。
余計なことを考えるな。
感じるな、見るな。
それが生きてゆく確かな方法だ。

正しい訳ではないが、「RENT」でマークがフィナーレに叫び歌う台詞である。

忙殺されることは、容易く、とても楽なことである。
それは仕事に限ったことではなく、目の前のやることすべて、においてである。

「せねばならない」ということに「諦め」を混ぜ込むことは、生卵を黄身を潰さずに殻を割るよりも容易い。

ひとは、

やりたいことを数えることから、
できることを数えるようになり、
やがて、
あきらめた数を数えるようになり、
さらに、
これからあきらめるだろうことを数えるようになる。

諦められないから、悩み、苦悩し、叫びたくなるのである。

それは素直に叫び、その叫びにまた耳を傾けるべきである。
ため込んではならない。

難しいところではあるが。

やりたいことを、たとえば仕事にするということは、一見羨ましがられるが、それは当人にすれば甚だ知らぬが仏、である。

極楽の地獄、地獄の極楽。
逃げたくとも逃げられない。
逃げ場もない。
すべての原因も解決も義務も責任も自分、の世界なのである。

やりたいことをやりたいなら、それくらいの覚悟なしに、やるべきではない。

だからなんなのだ。

と、云ってしまう自分もまた、確かな自分でもある。

だからなんなのだ。

と、今こそ云いたいほど支離滅裂な内容になってしまったようである。

今夜はここらでやめておくことにしたがよいだろう。



2009年08月28日(金) 「斜陽」としゃようでござる

太宰治著「斜陽」

没落貴族の一家が落ちてゆく日々の様をその娘を通して描いた云々、というあらすじの紹介文を目にしたことがあった。

その通り。

その通り、なのだが、どうも違う。
悲壮感やら夢窓感やら、そのような重たさやまだるっこしさやらが、ない。

つつみくらまされたかのような感すらある。

こうせよ。
それはならぬ。
駄目なものは駄目なのだ。

といった類いの、強く感ずる主張や思想が、太宰治の作品には、ない。

ように思える。

そこに流行作家となった彼の苦しみがあるのだろうが、それをいっては、物書きの万人が、当てはまるのであり、彼のみが例外、特別であったというわけではない。

ただ。

著者自身の人生の色が、勝手にページに染み出しているだけなのかもしれない。

本著に関していえば、三十路前で乙女(もしくは元お嬢様)でいる女の日々の呟き、日記のようなものであり、歌劇、ミュージカルのように、るるらららと、寂しさを音律で隠して幕がおりるまでステージを運んでゆくのである。

暗くなぞ、ない。



さて。

「ありがとうっ。助かったよぉ。おかげで無事に、アップできたぁ」

シュウゾウ氏の今朝のひと声、である。
午前中に最後のチェックがあるかもしれない、との話をして昨夜はあがったのである。

チェックされても、チェックが入るような図面は書いていないはずである。

それは、綿密に正しく整ったのを書いた、という意味ではない。

粗が見えてしまわぬよう、シュウゾウ氏と悩みながら、すっきりさっぱりとした図面を書いた、という意味である。

「今日は、のんびりしててよ。なんかやってるフリをしながら、さ」

ということで。

今日は、まるっきり「虫干し」の日であった。

思考は、まったく働かない。

小説の中身だとか、考えたり書いてればよかろう、というわけにもゆかない。

なにせ、思考はまったく働かないのである。

考えたものではなく、浮かんだものをメモ書きに書き留める。

わたしの場合、考えても、それはろくでもないものにしかならないのである。

どこかでおそらく、ちゃあんと考えておいてくれているだろうことを、期待するのみである。



2009年08月26日(水) 「ヴィヨンの妻」と衝動の償い

太宰治著「ヴィヨンの妻」

新潮文庫版である。
なるほど。軽妙な語り口で、なかなかな読みやすさである。

書評家がこぞって、

「太宰はちっとも、重苦しく陰鬱で気が滅入るばかりでも、ない。ユーモアがあり、軽妙な作品世界を持っている」

と口にしている理由が、うかがえる。

晩年に書かれた短編集であり、やや後ろ向きな背景がみられるが、それを描いている表現が、笑える。

書いてあるそのままに、真面目に受け取ってしまっては後ろ向きだが、あげた足をとりたくなるがままにとってみると、愉快な表現だったりするのである。

表題作の「ヴィヨンの妻」など、その妻と夫のやり取り駆け引きを見るに、あたたかくさえ思える。

さて。
だからというわけではないのだが。

わたしはどうしようもないことをことあるごとにクヨクヨと考える体質なのだが、衝動的に何も考えずにことを行うところが、まま、ある。

下着を、捨てたのである。

ご婦人ご令嬢の前で顔を覆い耳をふさぎ目をつぶってしまう次第ではあるが、何を隠そうわたしはトランクスを永く愛用している。

糸がほつれた、ゴムが心もとなくなってきた、先日ビリッと悲鳴がした、などということが最近重なったのである。

ひとつ目に付くと、ポイと捨ててしまう。
ふたつ目にかかることなく、ポポイと捨てる。

ゴミの日の朝に袋を、ぎう、と締めてポストの前に出し、よい仕事をしたような、すっきりした気持ちを味わったのである。

さて夜、物干しにぶら下がった下着の数を数えてみる。

数えるほどぶら下がってわけでもないのだが、念のため声に出し、指を差しながら数えてみる。

ひい、ふう。
みい。

みい、は、ぶら下がっているものではなく、履いているものを指している。

景気よくポポイと捨て過ぎた。
買い置きの引き出しを開けてみると、袋の封をされたままのシャツだけが、居眠りしていた。

履いたそばから、洗わねばならない。

上野の安い卸問屋が、婦人物ばかりを扱う店になっていた。
紳士物に入れ替わるまで、待とう。

とはいえ、べつにわたしがことさら自分が紳士であることを自負しているわけではない。

我が身窮したりとも士道を踏み外さんや、である。

士も志もなく、そもそもそれ以前の問題ではあるが。



2009年08月25日(火) サンバさんとよさ来い

仕事に行きたくねぃ。

などと、こぼすべきではない。
そんなことをこぼしたり思ったりするものだから、八時九時まで仕事がたて続くという顛末に至る、いや陥るのである。

仕事、大好き。

これで明日からしばらくは、七時までにはあがれるだろうことを祈ろう。

無理な気配がぷんぷんするが、それはそれ、である。

サンバッ。
サンバッ。

ドンドコドンドン、
ピーピーピピッピ、ピーッ!

陽気なブラジリアンが、微笑みかけてきている。
あいにく、鈴も笛も小太鼓も、わたしは持ち合わせていない。

ならば、と、小気味よい踏み足を刻めるほどの音感もなく、キラリと光らせることができる真っ白い歯を生やしているわけでもない。

今週末は、浅草サンバ・カーニバルである。

その告知貼り紙が、そこかしこに貼られているのである。

ということは、わたしは今週末、代々木・原宿にゆかねばならない。

毎年同時期に開かれる、「よさこい祭り」を観にゆくのである。

これは、いい。

高知や札幌まではゆけないが、代々木になら、ゆける。

とにかく、

老若男女入り混じったあのエネルギーとリズムと舞い踊る踊り子たちの飛び散る汗。

懸命に、楽しく、精いっぱい何かをやる、ということの素晴らしさを、あからさまにみせてくれる。

皆、素人で、ちびっ子だったり、ばあばやじいじだったりするのに、とにかく、かくもと言うほどに、恰好良い。

ついつられて、土産に鳴子を買って帰ってしまうほどである。

もし浅草のサンバに行ったとしたら、きんきんきらきらの羽根を背負って、けいれんしたゴーゴーのように肩を震わして、ぴーぴーホイツスルをくわえながら帰ってくることになるやもしれぬ。

ぼんでいあ。
おぶりがあど。
おぶりがあど。
あぢゅう。



2009年08月23日(日) 「無銭優雅」ちょとマチネっ

今朝はきちんと九時に起きたのである。

よし。
「RENT」のブレークスルー抽選に並びにゆける。
外れたら当日立ち見に並び直してもよいし、神保町に引き返して、昨日寄れなかった三省堂に本を物色しにゆこう。

そうして気がついたら、昼の二時を過ぎていたのである。

「ちょっとマチネぃっ」



さて。

山田詠美著「無銭優雅」

柳楽優弥と沢尻エリカ主演映画「シュガー&スパイス 風味絶佳」の原作者である。
「風味絶佳」ではなく本著に惹かれたのは、題名が「無銭」で「優雅」ときたから以外のなにものもない。

ざっくばらんにあらすじを言ってしまおう。

四十五才独身男女の阿保らしいくらいの子供じみた恋愛日記、のような物語である。

だからこそ。

まだ若い恋人たちにも、新婚のものたちにも、父と母になっているものたちにも、読んでもらいたい。

そこかしこに、それぞれの今に突き刺さる言葉が、ある。

「明日心中するつもりで恋愛しよう。そして明日もまた同じことをいって、一生それを続けよう」

まったく、鼻をかんで排水溝に投げ捨ててやりたくなるような言葉である。

しかし、これはまことしやかに、他に現れてくる名言金言を引き立たせてくれるのである。

恋人でいるということとは。
夫婦でいるということとは。
父母でいるということとは。
祖父母でいるということとは。

当たり前になり過ぎて気づかないこと、忘れてしまっていたこと、わからなかったこと。

それらを、鼻白むほどのふたりのおのろけようから、気づかせてくれる。

ふたりが出会い、そして今、そばにいること。

そこに意味を探そう、見つけようとせずとも、それぞれの日常のなかにそれはあるのである。

男性にはともかく、女性には、お薦めしたい作品であった。



2009年08月22日(土) 「リリィ、はちみつ色の秘密」

「リリィ、はちみつ色の秘密」

をギンレイにて。

記憶もおぼろげな幼いころに、母親を事故とはいえ自らの手で殺してしまったリリィ。
家出からリリィを迎えに戻った母とそれをみつけた父が目の前で揉み合いをはじめ、落とした拳銃を手を伸ばして求める母に渡そうとしてそれが暴発し、母は亡くなってしまったのであった。

「お前を捨てた女だ」

と父から聞かされ続いていたリリィは、夏、母の愛の証しを求めて家を出る。

たどり着いた蜂蜜農家は、かつてリリィの母が頼った家だったのであった。

時代は人権保護法が成立したときであり、人種差別が法的に違法だとしてもまだまだ当たり前であった。

母が頼った蜂蜜農家、そこは母の子守をしていた黒人女性であり、姉妹で暮らしている黒人だけの世界。
しかし蜂蜜の評判がよく、彼女らはそれに守られ、強く、生きていた。

そのなかに白人のリリィがひとり。

差別も偏見もなく、愛に包まれて過ごしている日々に、突如、社会の差別や偏見の刃が振り下ろされる。

リリィの母はリリィを見捨てたのか。
愛していなかったのか。

そしてリリィは、愛と、居場所を、みつけるのである。



リリィ役のダコタ・ファニングが、どうしても「安達祐実」に見えてしまう。

目を細めても、
片目をつぶっても、
振り向いて見てみても、

である。
しかし、さすが名子役といわれる由縁、素晴らしかった。

これはもちろん、ダコタ・ファニングに対しての言葉である。



2009年08月21日(金) 「コインロッカー・ベイビーズ」

村上龍著「コインロッカー・ベイビーズ」

初めての村上龍である。
これまで、おそらくどうにも肌に合わないだろう、と敬遠してきたのである。

帯に「解説・金原ひとみ」と書いてあったので、ついに手にとってしまったのである。

本著は、およそ三十年前に発表、野間文芸新人賞を受賞した。

なるほど、言われるほどの衝撃を受けなかった。
それはきっと、著者がまだ新人の類いのころだったことと、わたしがこれまでに、まだ僅かながら読み過ぎてきたあまたの作品からようやくわかりかけてきたわたしが求めるもの、との差があるからなのだろう。

生まれて間もなくコインロッカーに捨てられた、キクとハシ。

すべてをぶっ壊すために、キクは力を求める。

必要とされたいために歌を歌い、仮面を被り続け、その偽りの自分を懺悔するために、ハシは愛するものを殺さねばならない、と気付く。

乳児院から里親の家まで兄弟として育ったふたりは、別々の道に進む。

しかし、別々の道は知らず知らず、ひとつの同じ世界へと続いていたのである。

それは、世界のすべてがひとつのコインロッカーであったかのように、暗闇の閉ざされた箱のなかで弱々しく、あらん限りの声で泣くことしかできなかったあの頃に結局は戻ってしまうように、生きようとするか、生を諦めて楽になるか、葛藤し続けなければならないことを表すかのようであった。



やはり、同じ「村上」ならば「村上春樹」のほうが肌に合う。



2009年08月17日(月) 「バーン・アフター・リーディング」

「バーン・アフター・リーディング」

をギンレイにて。

夏バテ休みボケの頭にぴったりなのは、お馬鹿なブラピです。

ブラピに限らず、作品自体、お馬鹿でした。

マルコビッチやジョージ・クルーニーやらまで出ていて、こりゃないだろう、さすがハリウッド。

脱力して笑うのを忘れてしまうほどのお間抜け作品です。

上映後明るくなってから、ようやくなんとか乾いた笑いを絞り出しました……。

ブラピがモンキーダンスのような振り付けでノリノリに踊ってる。
イヤホンつけたiPodで、なものだから、お馬鹿丸出し。

予告編でも観られたシーンです。

しかし。

セリフのあちこちに「ファッ○ン」だとか「○ァック」だとか、いわゆる罵声や怒りの表現として出てきます。

十分に一回くらい、そして連呼もするし。

それだけでもう、なんか、ドタバタコメディなんだな、という感じです。

うぅん……。
ひねってもこれ以上、何も出てきません。



2009年08月16日(日) 「浮世でランチ」

山崎ナオコーラ著「浮世でランチ」

永作博美さん主演で映画化された「人のセックスを笑うな」で文藝賞を受賞しデビューした著者。

十四歳と二十五歳の「私」が、交互に描かれてゆく。

どちらの私も人付き合いはかなり苦手で、そのなかで出会った、触れ合った同級生の友だちや上司や先輩とも、やはりうまく付き合ってゆけない。

どうしても、どこかで線をひいてしまう、離れてしまう、突き放してしまう、逃げ出してしまう。

二十五歳の私は会社を辞めてアジアへ一人旅に出る。

辞める前に一度だけ昼食を一緒にとった上司、ミカミさんと、メールや手紙を道中に送ったりする。

「外国にいると、どうしても自分が日本人だと思わされてしまって、とてつもなく日本に帰りたくなります」

との私にミカミさんの返事は、

「そんなことで帰ってこないでください。誰のものでもない自分の答えをみつけてから、帰ってきてください」

というもの。

ミカミさんは協会に毎週通い、神はいる、と信じるひとであり。

私は、十四歳の頃は「神様ごっこ」を友だちらとしていたときに神様と文通していたのに、ある日、神なんかいない、と断定していた。

文通相手の神様は、実は「ごっこ」をしていた同級生の女の子だったのだが、神なんかいない、事件で、すっかり交流がなくなってしまっていた。

二十五歳の私は、タイのゲストハウスで、そこで妻となっていた彼女と再会する。

だからといって深く親交をあたため直すようなことをするわけでもない。
別れ際に手のひらに忍び込まされた手紙がひとつ。

帰国後、新しい会社でも前までのようにランチはひとりで、とひとを避けていた公園のベンチに座っている私に、女の先輩が弁当箱を片手に近づいてくる。

「となり、いいかしら」

ミカミさんのときでさえ、頑なにランチを断り続けていたのに。



筆名にパンチはあるが、作品にパンチはない。

しかし、気づかぬうちにボディブローをしこたま打ち込まれ、下半身にまったく力が入らない、立ち上がるどころか、立っていることすらできない、かのように、軽妙な作品。

それはやや言い過ぎかもしれない。

が。

読後感は爽やかで心地よい。



2009年08月15日(土) IKEAに、ら・ら・ら。グレてやる

ら〜ら〜♪
らら〜ら〜♪
らら〜ら〜♪
だ〜けど〜♪

ずっとずっと一緒に♪
いよ〜お〜ね♪

(大黒摩季「ら・ら・ら」より)

いませんでした。

「ららぽーと船橋」に、里帰りついでにやってきてみました。

わたしにとっての「ららぽーと」は、ガンプラを買ってもらったところであり、当時はたしか「イケヤ家具(イケダ?)」の広大な売り場の子ども広場にある、プラスチックボールで埋まったプールみたいなところでガシャガシャ遊ぶ、という場所にはじまり。

ドライブシアターなんてものがあったり。

そごうの回転ラウンジのレストランがあったり。

巨大迷路アトラクションがあったり。

アイススケートがあったり。

ザウスが隣にあったり。

そのあたりから、ぱったり離れておりました。

ザウス跡地のマンションを当時の会社の同期が設計プレゼンをやりだしたのを見て、

魚屋さんが驚いた。
ぎょぎょっ。

などという縁があったりもしました。

さてさて、すっかり浦島太郎です。

「IKEA」

だって、その昔の記憶の家具屋が今さらになって復活して注目されてるのか、と思っていたくらいです。

青と黄色のボールプール。
また見られるのか。

と懐かしく思っていたら。

別物。

だったんですよね。

そこで。

夫婦共に古くからの友人である一家と、「IKEA」にて待ち合わせしました。

うわっ。
二姫たち、ますますかわいらしくなっとうとよ。

「こっちこっち」

と迎えにきてくれた二姫たちが先導してくれたその先に、「やっほ」と手を振る妊婦のカコがいました。

つわりによる体調不良の話を聞いていたので、やや心配してはいたのだけれど。

どうやら大分落ち着いてきているようで、ひとまずひと安心、元気そうでした。

と。

「うっす」と隣に立ち、二姫たちがよじのぼりそうな勢いで、つかまったりとびついたりしている「かなた」に、わたしは「うっす」と返しました。

「うっす」と返すや否や、わたしはすぐにカコの顔を見て、尋ねました。

「だんな、グレちゃったんか?」

かなたが、鮮やかな茶色の短髪姿になってしまっていたのです。

「うん。妊婦が家事もなんもしないもんだから、グレたみたい」

このノリが大事です。

髪を染め直すために、いったん色素を落としているだけでした。

スラム・ダンクの、わたしは読んでいないので詳しくはわかりませんが、なんとかというキャラクターに、似てるように思いました。

誰だかわからないけれど、ライバル校のエースだったと思います。

やいのやいのと昼ご飯をららぽーとでとりながらくだをまいていると、

「ねえ」

と姫たちが任天堂DSをわたしに差し出したのです。

「ともだちコレクション」というゲーム。

キャラクターを様々につくって、そのキャラクターたちの日々を手助けしながら見守ってゆくゲームです。
テレビCMで、優香さんが「アッコさん、日村さんにふられちゃったぁ」と、なかなか笑わせてくれることをしているやつです。

そこにわたしのキャラクターを作って、ということでした。

ああ、ゲームの中のわたしは、いったいどんなキャラクターになってゆくのでしょうか。

それが気になり、それ以降はもう、気もそぞろです。

「大名の服」を着せたら、とても喜んでいました。

たとえ変わった感性だとしても。
頑張れ、DSのなかのわたし。

駅まで送ってもらう車中。
あのときはああだった、そのときはこうだった、と昔話に勢いがつき。

なにせ二十年来の付き合いにもなりますが、今までに話す機会なく過ぎてきた話もあります。

気がつくと、夫婦の「実は」の馴れ初め話になり、紆余曲折の月日がかかったのは誰のせい、な話になってゆき。

ああもう。
犬もお腹いっぱいですわ。
ええやないのん。
それがあって今、こうして大切な家族になっとんねんやから。

と笑うわたしに、それはそれはもう、「その通り」といった顔のおふた方でした。

ちっ。
ええのぉ。

たんと胃腸薬を飲んで、胃もたれに気をつけようと思います。

そんな満たされた一日でした。

「じゃあ次に会うときは、連れてきてくれるひとがいるってのを待ってるから」

とのかなたの言葉に、飲み込んで言わなかったことを、ここでつぶやいておきます。

「グレてやる……」

この歳でグレるなんて……。



2009年08月12日(水) 特別な作品「RENT」


ブロードウェイ・ミュージカル
「RENT」

を赤坂ACTシアターにて。

オフ・ブロードウェイからトニー賞ピューリッツァ賞他を受賞し、伝説的なミュージカルとして映画版も制作されました。
その映画版を、ちょうど無職時代に観ました。

ええ。
自分の明日の見えなさなどというのは、まだまだあまいな、とも思いました。

映画版でも、キャストの半分が劇場でのオリジナルキャストが器用されていました。

深夜番組の「スジナシ」などを録画していると、そのミュージカルのCMが挟まっていたりするのです。

わたしのはHDでもDVDでもなくビデオテープなものですから、早送りする手を止め、衝動的にチケットを手配していました。

大人一枚なんて、なんとかなるものです。

英語です、もちろん。

Hi,Ken.
Hi,Mike.
Ken,This is Junko.
Junko,This is Ken.

で、英語の教科書がよだれで張りついてしまってたわたしが、なんということでしょうか。

だいじょうぶです。

映画であらかたの台詞は把握しているし、字幕付きの公演ですから。

この「RENT」。

「ブレークスルー・シート」

なるものがあります。

生みの親であるジョナサン・ラーソンが、

「金がなくても、すこしでもこの作品にアーティストを目指すひとたちに触れて欲しい」

との思いから、十シートだけ半額で観劇できる座席を毎公演用意してあるのです。

その十シートをめぐって、入口の前で抽選が行われます。

「当たった方を盛大な拍手で迎えて、当たった方はそれに負けないリアクションで、喜びを表現してくださいっ」

では、最初の番号は。

「……!? !!!」

涙を流して抽選券を空に突き上げたり。

声にならない悲鳴を上げてただただ係員に駆け寄ったり。

ひと幕の群像劇が、そこにりました。





で。

幕が下りました。

なんでしょう。

なぜわたしはここにひとり、いるのでしょう。



誰かが隣で目を潤ませてくれていたり。
表現し難い感情を拳に込めて激しく叩いてきてくれたり。

涙はすぐにたまっても、泣き方をどうやら忘れてしまったようです。



激しく。
茫然。
です。

この「RENT」を生み出したジョナサン・ラーソンという人物。

舞台の完成した姿を、みていません。

公演の幕が上がるその日の未明。
ファルマン症(?)による胸部動脈瘤破裂で、帰らぬひととなってしまいました。

ジョナサン・ラーソン。
三十五歳。

ピューリッツァー賞も、トニー賞も、その他様々な賞を受賞するも、彼はそれを受け取ることができませんでした。

だからこそ、

「伝説」

と呼ばれるところがあるのかもしれません。

そんな風評は、掃いてドブにでも捨てっちまえ。

です。

伝説は、この胸のなかに。

です。

生は、素晴らしいエネルギーを、与えてくれます。

「No day,but Today」

未来なんかない。
今日があるだけ。

未来なんてものは、ありません。

断言します。

今日のうちからある未来なんてものは、ただの都合のいい偶像です。

今日を積み重ねた結果、過去は生まれてゆくのかもしれません。

が。

形ある未来など、有り得ないのです。

だからこそ。

形作ろうと、今日をしっかりと生きるのです。

劇中、ロジャーとマークのわたしがキャストと一緒になって、歌い踊り回ります。

誰しもが、影を抱えているものです。
その影をつく言葉、メッセージが、きっと、いや必ず、胸を揺さぶるはずです。

オールキャスト、そして。

ジョナサン・ラーソンに、感服です。



2009年08月11日(火) 「南極料理人」

暦の上では立秋も過ぎた。

ということで、芸術の秋としよう。

「南極料理人」

をテアトル新宿にて。

堺雅人主演。
極寒の地南極、ペンギンもアザラシも住まない遥か内地の、富士山よりも標高が高い「ドームふじ基地」。

その極寒の地で、ほっこりあたたかくて、やっぱり厳しく寂しくて、それでもやっぱりあたたかい日々を描く。

レビューで、

男版「かもめ食堂」

と書かれたところもあるが、わたしは「かもめ食堂」をみていない。が、おそらくあっているだろう。

堺雅人、きたろう、生瀬勝久ら、クセもの揃いの役者陣が、存分にクセを活かしてあちこちをあたためる。

伊勢海老を食料庫でみつけた。

皆がそれを聞く度に、

「エビフライでしょ」
「エビフライだよね」

と言い、「いや、刺身とか」と調理担当の堺雅人が反論するも、

「みんな、エビフライの気持ちになってるんだからさ」

と隊長に諭され、テーブルには伊勢海老まるまる一匹のエビフライがそれぞれの前に。

「頭のみそを、タルタルソースにいかしてみました」

ひくにひけず、かぶりつく。

「なんだ。その」
「やっぱり、刺身だったな」

基地のメンバーは男だけの八人。

四百日以上も共に過ごせば、家族のような会話になる。

七時に起こしてっていったじゃない。
起こしたけど起きなかったじゃん。
あ、それ僕のジャージ。
おい、おはよう、ていってんだよ。おはよう、は、どうした。
いいから、ね。
よくないよ、お・は・よ・う 、おいっ。
まま、いいじゃない。

それだけではない。
「超長距離」恋愛だったり単身赴任である。
電話代は、

一分間七百円強。

電話の脇に置かれている砂時計が、いい。

無情にさらさらと流れ落ちてゆく。

そんなだから、失恋もある。

「ちくしょーおぉっ。渋谷とか、いきてぇえぇーっ。ここで死んでやるーっ」

そんななか、隊員たちの唯一の楽しみが、やっぱり食事なのである。

調理担当とはいえ、堺雅人は海上保安庁の調理番であり、専門の料理人ではない。

しかし、ありったけの腕をふるい、皆の笑顔を食卓に生み出すのである。

料理とは、素晴らしい。

美味いものが、欲しくなる。

そんな作品である。



2009年08月10日(月) 「八月の路上に捨てる」とスジナシ。京野ことみの決定打

ビデオに録りためた「スジナシ」の今回分を観た。

ゲストは京野ことみさん。

「スジナシ」とは笑福亭鶴瓶師匠とゲストが、まったく顔を会わさずにスタジオに入り、事前の打合せも筋書きも、まったくなしに一発勝負の即興ドラマを演じ、後ほどそのビデオを観ながらゲストとそのときどきの心境やらを語る、即興ドラマ・トークバラエティ番組である。

これまた、絶妙だった。

舞台は一般的な住宅の縁側。

すべてアドリブのその場任せ。
互いが何者かということさえも、互いに知らせていない。

縁側で休む京野。庭の脇から、うちの猫が逃げ込んできたはずだが見なかったか、と鶴瓶が現れる。
ずっといたが見ていない、と怪しげな鶴瓶をさっさと追い返そうとする京野に、「こちらお住まいの方の妹さんですか?」と、鶴瓶が仕掛ける。
「いえ、私は妻です」と受け返す京野に、「いやいやもう少し年上の方の妹さんですよね?」と、さらにたたみかける鶴瓶。

さあ、ここで、

ははあ。これは浮気目撃の修羅場物語か。

と、流れができはじめたように思える。

「小学生くらいの娘さんと、おられますよね?」と鶴瓶がさらに背景の手掛かりを口にした瞬間、

「いえ。三つの娘ですっ」

間髪入れずにかぶせるように京野が答えた。

もはや、浮気路線ではない物語へと、話は流れ出してゆく。

中古住宅であること、たしかに自分も見たことがある、と、拍車をかけはじめる京野。

このままオカルト路線に落ち着かせるように見え、さあそれからどう展開させそして集結させてゆくのか、と、そのとき。

「お宅の逃げ込んできた猫ちゃんって、触れますか?」

京野の決め手のひと言。

「二年前に、事故で死んでしまってます。でも、ちゃんと、いるんです」

ここまでオカルトぶりをねじ込ませる。

「あ、ほら、いた。おいでっ」

鶴瓶が家の奥を指差し、そこで「はい、カット」との声がかかって終了を告げる。

打合せもなにもしていない。

京野ことみさんは、最初の「ずっといたが、猫など見なかった」という己のセリフを、最後に見事な終着点として生かしたのである。

すべては、互いが手探りしながら、あうんの読みで話を展開させてゆくである。
しかも、事前にまったく打合せも、それどころか顔もあわせずに、である。

これは視聴率目当ての連続ドラマなどを観るより、ずっと、面白い。



さて。

伊藤たかみ著「八月の路上に捨てる」

芥川賞受賞作品である表題作ほか二編を収めている。

なるほど、なかなか芥川賞「らしい」作品である。

三十歳の誕生日に離婚届を出す、という自販機のベンダーのアルバイトをしている敦と、

もうすぐ再婚するというバツイチ子持ちの女性・水城さんは、

ペアで毎日都内の自販機をトラックで回っている。

敦は脚本家を夢見て今のアルバイトを続けているが、学生時代からの付き合いの妻は出版社勤めの夢破れ、マンション販売代理店で心身とも疲れ果てながら、それでも純に「あなたは夢のために頑張って」と働き続ける。

これは本来、とても理解ある嬉しい言葉であるのかもしれない。

しかし、わたしは違う。
違った。

励ましや優しさや応援の気持ちや言葉はもちろん、欲しい。
しかしそれだけでは、ダメなのである。

「応援もするけれど……」

の、「けれど」の言葉を口にして欲しいのである。

さて作中の敦も、やはり同じだったのかもしれない。

妻は次第に病み、仕事も辞めざるをえなくなる。
病んだまま次の仕事も見つからず、

「あなたばかり好きなことをやって、どうしてわたしはしてはいけないの」

と、ついに心が切れてしまう。

「出口がないの、出口がない」と、つぶやきながら、毎日泣いている妻。
敦は重苦しい空気を避けるように、浮気に走る。

それがバレて離婚になればいい、とも思う。

しかし、やがて自らの口で、浮気とは関係なく、妻に伝えることになる。

「やっと言ってくれたね」

その後、それこそ出会ったばかりの学生の頃のようなデートを、それ以来久しぶりに、する。

いや。
できるようになった。

最後の一日。

そんな四方山話を、水城さんにとつとつと話す。

水城さんは、自分がもうすぐ再婚することを敦には話さず、オトコっぷりのいい反応でうなずき、またひっぱたいたり、する。

なかなか、いいコンビの、物語である。

また「安定期つれづれ」という作品は、もうすぐ「おじいちゃん」になる英男が、娘が戻ってきたものだからそれを機に禁煙しよう、というところからの物語である。
里帰り出産、というわけでもないらしい、とやがて気づきはじめ、妻の静子と気を遣い気を遣い、娘と、見舞いにたまにやってくる旦那とを見守ってゆく。

「人生に安定期なんてないのかもしれない。
誰かと暮らすとなればなおさら」

なかなか深い言葉である。
そして禁煙パイプによって日毎煙草の味が薄くなってゆくのを日記にしてゆくのだが、その都度、なかなかよい言葉をもらしてゆく。

「大人に子供もないが、娘は、一歩、子供を過ぎた。
大人になるのはまだ遠い。
安定期にいたっては、大人のもっと先にある」

「そもそも煙草なんて吸わずに生きていられた。
娘だって、妻だってそうだ。
だから、安定期というものには、一生お目にかかれないだろうし、それでいい」

「子育てで自分の人生が自分のものでなくなるようだが、そこには快感ほどではなくとも、間違いのない気安さがあった。
五月に溶けてゆくことを許すようなすがすがしさが、あった」

このそれぞれの言葉を確かにするには、本作を読んでみてもらいたい。



2009年08月09日(日) 吉本隆明論、進化と分化と進歩の我論

街はすっかり、お盆休みの様相を呈している。

谷中霊園から千駄木駅へと続く「三崎坂」は大行列であった。
日暮里からの電車内では、もはや見慣れた「ポケモン・スタンプラリー」に東奔西走する親子姿。

親もまた子の頃に、繰り返していたのだろう。



鹿島茂著「吉本隆明1968」

団塊の世代、では一部崇拝され、信奉された思想家・吉本隆明氏の論を著者がわかりやすく論じ直したものである。

吉本隆明とは誰か、団塊の世代より若い者たちには、

作家・吉本ばななの父

といえば、ふうん、と思う者がいるかもしれない。

ずばり言おう。

スターリニズム、とか、プチ・ブルジョア、とか、プロレタリア、とか、よく知らない者にとっては、ちんぷんかんぷんな代物である。

わたしは、その類いにすっかり含まれている。

ちんぷんかんぷんなりに頭に残ったのは、高村光太郎にまつわる小話ばかりであった。

高村光太郎といえば「智恵子抄」であるが、彼はあの「地獄の門」の「考える人」の作者であるロダンの弟子であったこと。
そして、妻である智恵子さんに対する愛妻家である、ということ。

しかし愛妻家もどうやら方向を間違えたものであった。

ということである。

妻である智恵子に「性のユートピア」を見出していた。

そのような姿勢で、毎日同じ屋根の下で寝起きから仕事中から、見つめられ、求められていたら、妻側からみればたまらないのは当然であろう。

妻は女であると同時に、男と同じ「人間」なのである。



真面目な話もしておこう。

「分類化されることは、それが衰退をはじめたからこそなせることである」

といった類いのことが書かれていた。

昨今「ジャパニメーション」などと、日本の漫画・アニメが世界的に認められ、「アニメの殿堂」やら政界までも騒がしている。

つまり、これに当てはめれば、既に日本の漫画・アニメは、

「隆盛の時期は過ぎた」

とも考えられる。

思い当たることはないだろうか。

復刻、焼き直しの首のすげ替えばかりの作品、等々。

週刊漫画雑誌などをパラパラと眺めてみると、二十年以上前と大して物語の中身は変わっていない。
絵柄も、当時の作者のアシスタントだったり影響を受けたのであろう見慣れたもの。

変わった作風、と目についたものは、だいたいが台湾だとか海外の若手作者の実験的なものだったりする。

マーケットとして、やはり我々ベビーブーム世代を取りこぼすことはできない。

パチンコやらの娯楽遊戯に、次々と当時の漫画が題材にされている。

音楽業界もまた然り。
バンド再結成やら、ベスト盤やら、まぎれもない。

ゲーム業界もまた、さらに激しく同じである。

つまりこれらは、ある程度の衰退の時期をとうに迎えている、といえるのではなかろうか。

常に進化を遂げてゆくことは、甚だ困難なことである。

過去から現在を踏まえて、その先へゆかねばならない。

しかし現在、手を変え品を変え、目先だけが変わることにかまけているだけではないだろうか。

それは「進化」ではない。
ただの「分化」であり、前になど一歩も進んではいないのではないだろうか。

たかが数十年の進歩は、進化ではない。
であるから、進化していないことを憂うこともまた詮無いことなのかもしれないが、作り出すことができる、それを支えることができる世代の者として、思うところはあってもらいたい。

分化・進歩の先の、その一歩を。



2009年08月08日(土) 「レイチェルの結婚」

よく寝た。
十時間は寝たであろう。

昨日は仕事であったのに、あろうことか、自力のみで過ごさねばならない事態に陥ってしまったのである。

つまるところ、朝、ただわたしが間抜けなことに忘れて出てしまっただけなのだが、よくのりきった、と思う。

自分をほめてあげたい、とはまさにこのことである。

作業は短期集中。

ぼやぼやしはじめたときは、とにかく手を離し触らない。
しかし、サボっているようには見えぬよう、スケッチを書きながら収まりを考え悩んでいるように見せる。

かつて片目だけ開けて居眠りする技を身につけていたが、それも今では懐かしいだけのものである。

とにかくのりきったのである。

そして、そのまま寝たのだから、それだけ寝たのだろう。

この休みの間、できうる限りは節薬しなければならない。
何かにつけて、完休日を疎かにしていたものだから、そのツケが年明けからずっとの低調に響いているのやもしれない。

いや。
そのせいにしたいだけ、なのかもしれない。

そはさておき。

「レイチェルの結婚」

をギンレイにて。

麻薬依存症の施設から退院したばかりのキムは、姉のレイチェルの結婚式に出席する。

家族の最も幸せな日に、最も悲しい告白をする。

幼い弟イーサンを殺したのはわたしだ。

家族の皆が知りながらも触れずにいた事実。

イーサンの子守を任されたキムは、車で湖に行った。
帰り道、運転する車ごと、湖に橋から落ちてしまったのである。

「わたしはあのときラリってた。そんなわたしに、なぜ、イーサンを任せたりしたの」

母にはじめて問い詰める。

「とても仲良く、うまくやっていたからよ。でも、まさか殺してしまうなんてっ」

すべての複雑な思いを込めて、母の頬を、張る。
母も同じく、拳で、返す。

顔にアザがある姿で結婚式に出席するはめになるのだが。

そして、キムがリハビリ集会の場で、嘘の体験告白をしていることがバレてしまう。

その嘘の告白に

「勇気づけられ、立ち直れた。キミに感謝している」

という青年と、レイチェルがいるその場で出会ってしまったのである。

「いったいいつ、わたしたち姉妹が叔父から性的虐待を受けていたっていうのっ」

レイチェルが怒りと失望に満ちた涙を流す。

「だけど誰も傷つけてないじゃない」
「嘘をついてるかぎり、回復なんかしっこない」
さらに、レイチェルは告白する。

「問題ばかりのあなたに両親はかかりっきり。わたしなんて見向きもしなかった。どれだけ寂しかったかわかる?
それなのに、あなたばかり幸せで、わたしは不幸なヒロインです、なんて言わないでっ」

キムの胸に、強く、深く突き刺さる。

キム役のアン・ハサウェイが、いい。

それ以外は、他人の結婚式を観ているだけのようなものであった。



2009年08月06日(木) アキバから酒場へ

にーさん、俺、旅に行ってきます。

予行地と暑気払いの昼食をとっていたときのことであった。

どこの寺へ自身を見直しにゆくんねん?
違いますって。それをやらなきゃならないのは、にーさんの方でしょ。
日々是すなわちすべて禅なり。歩くときも食べるときも、寝ているときさえも「禅」なのだよ。

……。
……。

もう、話していいっすか?
あい……。

金沢と名古屋と三重に、行ってきます。
誰と?
ひとりに決まってるでしょう。
さびしーのおー。
いいんです。強行軍ですから。

予行地はなんと、美術館めぐりをするらしい。
展示品をみるのではない。

「建物」を、見に行くのである。

有名建築家の作品、つまり設計した建物を見ることは、なかなかためになる。

そのために出かける者にそうでない者が同行すると、はなはだ疲れてしまうものなのである。

あちらへふらふら、こちらへふらふら。
近づいて、離れて、
見上げて、のぞいて、
さわって、たたいて、

「すみません、お手を触れないよう」
「関係者以外の方は、立ち入らぬよう」

と注意されることも、しばしば。

「名古屋から三重へゆくアシが、いいのがないんすよね」

レンタカーじゃなければ、近鉄くらいじゃないのん?
なんで知った顔なんですか。
地図みて最初に気づく程度のことやん。
いやぁ。さすが、にーさん。
馬鹿にしとるん?
いやいや……からかっただけです。

思い立ったひとり旅の心強い味方は、夜行バスである。

ひとりなら座席の空きもあるし、夜遅く出発、早朝着、新幹線の半額だったりもする。

休憩で寄るサービスエリアで食うアメリカンドッグの、鼻にガツンと抜けるマスタードがなんとも愛しく思える。

深夜なので閉まっている店やシャッターや、閑散とした休憩所の空気も、いい。

「にーさん。調べてみましたよ」

予行地が、前回わからないままになっていた問題を解いてきたらしい。

その問題とは、

「AKB48とは、本当にメンバーが四十八人いるのか?」

である。
三十路の男が、なんともイタい話である。

「なんか、いっぱい、いました」

ウィキなるもので調べてみて、メンバー一覧があり、その数を数えはじめたところで、

「もの凄く、イタい気持ちになって」

数えるのはやめたらしい。

もっと早くに気づき、忘れるべきだったろう。

「AKBって、アキバの頭文字だって知ってました?」

イタい。
イタイタしすぎる。

今さらだが、秋葉原をアキバと呼ぶのが、若者の略語や造語だと思われているやもしれぬ。

それこそ間違いである。

秋葉とかく「アキバ神社」という歴史ある由緒正しい神社がある。
つまり、アキバこそ正しい地名なのである。

昔は野原が広がっており、秋葉の野原、から秋葉原と呼ばれるようになり、アキバハラでは読みづらい、漢字を素直に読み「あきはばら」でよかろう、となったらしい。

短気早口舌足らず、の江戸っ子にはありがちなことである。

「SK……なんとか、て姉妹グループみたいなのもあるんですよ」

SKB、かしらん?
さあ、そんな感じでした。
S……サ
K……カ
B……バ?

酒場かっ。なんか全員が、酒ヤケしたしゃがれ声で歌ってて、ひねもした感とうらぶれた感がたっぷりで、コアな支持層つかんでそうやな。
金持ったおやじたちが、小遣いつぎ込みそうですよね。
なけなしの小遣いをはたいて、なぁ。
CDとかポスター、カレンダー、写真集買い込んで、で、奥さんにつめたーい目でみられて。
奥さんは愛犬抱えて頬ずりして、だんなはそのお気に入りの子の写真集を抱いて。
ああ、終わってますね。
うむ、終わってる。

正しいかどうかはあやしいが、

SKE……48?

らしい。

S……サ
K……カ
E……エ

名古屋の栄を拠点としている、らしい。

東京のオタクの街である秋葉原の次に、と選ぶなら、名古屋なら別の街があるだろう。

しかし、そこをあえて選ばない戦略、らしい。

売れているのか、よくはわからないが、名プロデューサーのなすことであれば、なにかしら学ぶべきものがあるのだろう。

どこに、なにがあるのか、あなどれない世の中である。



2009年08月04日(火) 「英国王 給仕人に乾杯!」

「英国王 給仕人に乾杯!」

をギンレイにて。
第二次大戦以降のチェコの激動の時代を、ひとりの給仕人の半生を通して描く。

とにかく「軽快」。

チャップリンの作品のように、明るく軽快なテンポと音楽とキャラクターで、皮肉を笑いにのせて描いてゆく。

それぞれの時代のチェコを、百万長者を目指す給仕人ジーチェが、まさにテーブルの間を軽やかにステップを踏んで回るように描いているものだから、悲しみの色がまったく感じさせられずに時代だけがめまぐるしく転換してゆくのである。

笑い飛ばしてゆく皮肉のひとつひとつは、まぎれもない悲しみの史実である。

ナチスによるチェコ支配。
優性種思想による結婚や交配制限。

終戦後、資本主義体制からの転換による全財産の没収。
財産あるものが罪とされ、刑に服する。

しかし、このような深刻な激動の時代を描いているはずなのに、最後まで陰鬱さや重圧感をみせない。

これは、傑作である。



2009年08月02日(日) 「ホルテンさんのはじめての冒険」とメリハリ

「ホルテンさんのはじめての冒険」

をギンレイにて。
ノルウェーのハートウォーミングな物語。
勤続四十年の生真面目な電車運転手のホルテンさん。
定年退職最後の乗務に、はじめての遅刻をしてしまい、毎日同じことを正確に繰り返してきた日常から、はじめて行き当たりばったりの出来事にでくわしてゆく。
全編にわたってのどかななか、常にさらさらと雪が舞っている光景に、寒さや厳しさなど微塵も感じさせない。
気候風土の違いなのだろう。
ホルテンさんの送別会で、鉄道職員全員が

「シュポシュポ……」

と振り付きで歌ったり、警笛音で車両を当てたり橋をいくつ渡るか当てたりする鉄道カルトクイズを楽しむシーンは、なかなか面白かった。

「タモリ倶楽部」そのまんま(笑)

ただし、評通りの感動やらは、ないように思う。
ただ飽きずに最後まで観させてもらえる作品ではある。

作中ホルテンさんが飲んだウィスキーのなかに、「響」があったのには思わずニヤリと笑ってしまった。



さて。

ささいなことで、もっと大勢的なことを、とは思いつつも、気になってしまう。

これは硬めな雰囲気で、とするものと、柔らかい雰囲気で、とするものの両者で、その使い分けが混同してしまっている。

「わたし」と「私」だとか、「〜と言った」という表現を是とするか否とするか、だとかである。

「〜と言った」という表現は、できれば使うべきではないものである。

それではまるっきり作文じゃあないか。

といったところなのである。

が。

なんだかよくわからなくなってしまうときがある。
そもそもが作文レベルだといわれてしまわぬよう、心得てゆかねばならない。

メリとハリをきちんとつけつつ、「聞く」のか「訊く」のか、向かい合ってゆかなければ。



2009年08月01日(土) 「扉をたたく〜」と「おとなり」と「ディア・ドクター」

ピチュ?
チュチュッピチュー!

ポケモンスタンプラリー真っ最中のようです。

おねーちゃんと、ぼくと、おとーさんが緑の電車の乗り降りを繰り返したり、

ピカチュウのサンバイザーをかぶってスタンプ台を探して構内を右往左往したり、

「ほら、降りるぞ」と、スタンプブックや車窓に夢中の子どもたちを汗だくのまま引率していたり、

しています。

猫も杓子も、PSPだのDSだの携帯ゲームを広げているのには腹が立ってますが、この光景は、なんだかほのぼのさせられます。

さて。

今日は映画サービスデーです。

「扉をたたくひと」

恵比寿ガーデンシネマにて。

大学教授のウォルターは妻を亡くして以来、惰性の繰り返しの日々を送っていた。
空き家同然にしていたニューヨークの自宅に久しぶりに戻ってみると、ジャンベ奏者のタリクが恋人とふたりで住んでいた。
「紹介屋に騙された、すぐに出てゆく。だから警察には通報しないでくれ」と、荷物をまとめて出て行こうとする。
彼らは違法滞在者だった。

行く先が決まるまで、いればいい。

タリクたちとの共同生活がはじまる。
無気力、無興味でひと付き合いさえしてこなかったウォルターは、若者タリクと、彼の打楽器「ジャンベ」に惹かれてゆく。
が、ある日。
タリクが地下鉄の無賃乗車の誤解をされ、ウォルターの目の前で逮捕される。

タリクは移民手続きは入国まもなくしていたが、正式な認可証が届かないまま、何年も経っていた。
以前は政府もおざなりな管理で黙認してきたのが、「9.11テロ事件」を機に移民に関して手のひらを返すように、厳しく、非情に、なっていた。

小学校にも通った。
だから大丈夫だと、そんなものだと、周りもみんないっていた。

ウォルターは、拘置所に何度もタリクに面会するために通う。

釈放されたやつは誰もいない。何年もここにいるやつだっている。
俺はなにひとつ、犯罪を犯したことはない。

釈放のために奔走するウォルターだが、政府の力の前になにひとつ、報いることはできなかった。

ジャンベの練習は続けてるかい。
上達ぶりを見せてくれ。

軽快なリズムが、しんみりと胸にしみてくる作品だった。

続いて

「おと な り」

同じく恵比寿ガーデンシネマにて。

隣の音や声が筒抜けなほど壁が薄いアパート。
一度も顔を合わせたことがない隣同士の男女。

しかし、毎日の生活の音や声だけは、かけがえのない繋がりとしてふたりを結びつけていた。

珈琲を挽く音。
空気清浄機の給水アラーム。
フランス語を発音練習している声。
そして鼻歌。

岡田准一演じるサトシと麻生久美子演じるナナオの、とても素敵な恋物語。

最後の最後まで、顔を合わせない。
ひたすら、壁越しの音だけで、ふたりの間を繋いでゆく。

最後は、それまで散々すれ違っていたふたりの壁一枚の距離が、取り払われる。

鼻歌は、素敵です。

合唱祭で練習した歌は、絶対に忘れてはいけません。

ちーくーごー♪
へいやのひゃくまーんの♪
せいかつのさちーよぉー♪

有明の海に流されてしまいたいです。

場所を新宿に移して、

「ディア・ドクター」

あの名作「ゆれる」の西川美和監督作品です。
とにもかくにも、観ずにはいられませんでした。

なら、サービスデーじゃなくても観にゆけや。

とのご意見は、粛々と受け止めさせていただきます。

主演が笑福亭鶴瓶だからというのは、忘れてください。





観てください。





鳥肌が、いやそんな生易しいもんじゃあない。
「さぶいぼ」が首根っこのあたりから、ぞわぞわとたちました。

西川美和というひとは、なんてすごいのだろう。

そして、

余貴美子という女優に、まずは「ブルブル」っとさせられました。

僻地医療問題云々などと、紹介文にかかれていたとしたら、無視してください。

そんなきれいごとを、西川美和というひとはおそらくかいたりしません。
それはおまけです。
人間の、ひとの、ぐっと腹の奥にあるものです。

弱さだったり、
強さだったり、

悲しさだったり、
強かさだったり。

つるべぇさんやし、女性の監督さんやから、とタカをくくって観てみてください。

土下座して顔を上げられなくなると思います。





ああ、脱帽です。


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