「隙 間」

2006年11月29日(水) 一を見る目

 やっぱり世の中を見渡せば見渡すほど、物を言いたくなる……笑
 いじめ問題の再生教育委員会の方針やらに対しての報道や自民党の復党問題やら夕張市の再生問題やら……。

 ある意味、特殊な分野の仕事をしていれば、その業界に関わる問題だけを見つめていればそれだけで視野を調整して済ませることができる(と思う)。
 だけど、たとえばノンカテゴライズな業界に携わる人々にとって、これはたまらない。
 それをあるべくして受け入れることができれば(たぶんそれが普通のこと)、気にする必要はないかもしれないが、ただ受け入れるのではなく、咀嚼してから受け止めようとすると……どうしようもなくなってしまう。

 一をただ一として見るのではなく、無限の数の中に存在する一として見ること。

 その目を養ってゆく……。



2006年11月28日(火) 「幼な子われらに生まれ」とリライター

 重松清著「幼な子われらに生まれ」

 を読んだ。
 バツイチ同士の女の子二人を連れた女性との再婚、そして男は上の女の子と同じ歳の娘が一人いて、年四回の面会をしている。
 そんな複雑なひとつの家族の中で、男は自分が父親でいるべきなのかあるべきなのか、なるべきなのかなってゆくべきなのか、本当の父親として夫として今の父親として夫として、その様々なそしてたったひとつの立場にたつ自分自身とそれを取り巻いている家族たちの間で苦しむ。

 重松作品はありていに言ってしまうと、答えを突きつけるような明快さはない。ただ、主人公が道を選んでゆくその有様を伝えてゆく。
 その世界に押しつけがないから、気がつくと胸の奥にそっと侵入されてしまっている……。
 重松清は自らのことを「リライター」と呼んでいる。
 どこかにあるもの、そこにあるもの、を自分の言葉を使って書き直す。
 いい表現だと思う。

 今日は
「16656」



2006年11月27日(月) 地の利

 朝起きてみのさん観て、花まるでひな観て、気がつきゃ昼に!
 落ちてた! ヤバイ!
 慌ててお出かけの支度をする。
 ぎりぎりセーフ。やっぱ、都内在住の地の利だね(苦笑)
 都内ならだいたいのところに三十分前後で着くことができる。
 ……だから、ここから動きたくないんだよね。
 フットワークの軽さが活きるうちに、これを有効活用しなくては!



2006年11月26日(日) ストレッチ

 最近、腰が痛い……。
 柔軟を始めたのが原因かもしれない(笑)
 柔軟といっても、両足裏を合わせて座り込み、両外側の床に膝をグングンとくっつけるように揺さぶったり、そのまま下腹を前に入れたまま前屈しようとしてみたり、というだけのストレッチ(?)だけ。
 今までにこの前屈のストレッチというと、下腹はむしろ腰の側に引っ込ませて前屈していたのだけれど、ふと、前に入れてやってみたくなった(苦笑)
 もちろん、ほとんど前に倒れることができない!
 だから、背筋のほうに負担がかかって筋肉痛のようになっているんだと思う……。
 腹筋や背筋の筋肉痛は、他のところの筋肉痛とは違って、えらい不快感が伴う。
 なんか、部活時代に狂ったように筋トレをやっていた頃が懐かしく思い出される……。ほんと、バカみたいに暇があれば腹筋・背筋・腕立てをやってたものね(苦笑)
 今日は
「11919」
(腰痛でしんどかった……笑)



2006年11月25日(土) 「ビフォア・ラン」

 重松清著「ビフォア・ラン」
 を読んだ。
 ……この作品は、いわば重松清のデビュー作!
 探していつつも、なかなか見つからなかった。でも、やっとみつけた!
 なるほど……、今まで読んできた重松作品の原点、とはいえ、たしかに世界観は確立されつつあるような感じがした。たしかに甘さのようなものはあるかもしれない。
 だがしかし、芯は、できている。
 自分の作品たちに、それはあるのだろうか?
 そしてそれは、「芯」といえるものなのだろうか?

 ……。

 正式にデビューなんかしてないもの。
 お金もらってるわけでもないもの。
 だからまだ、間に合うもの……苦笑

 年末・年明け締切りのコンテストラッシュに向けて、プロットメモと手書きネタ帳とコンテストリストをにらみつけてみる。
 ……傾向と対策、そして夜中に眠っている間に小人が手伝ってくれないかどうかを考えてみる。
 期間限定で目指すのならば、と、やや強行スケジュールにしているのだからしかたがない。
 期限切るの、やめようかしら……笑



2006年11月22日(水) 「スプートニクの恋人」

 村上春樹著「スプートニクの恋人」
 を読んだ。
 二三日かけて読むつもりだったのが、はめられた……苦笑
 慌てて最後の一章のところで読むのをやめて、ぎりぎり二日にした。
 しかし、村上作品となると、文学作品という色合いが強くなる、という印象がある。世界的にも認められている作家だから、というのもあるかもしれない。
 既にそういう世界観が確立されているからなのかもしれない……。

 思わず引き込まれて、読まされてしまうような作品をいつか書くことができるようになるのだろうか……?

 もっとその前の段階か(笑)

 今日は
「7142」



2006年11月20日(月) 「口笛吹いて」

 重松清著「口笛吹いて」
 を読んだ。
 五編からなる短編集の、表題作。
 過去の、思い出の中のヒーローだった人と現在に再会して、思い出の中のイメージを現在のその人に重ね合わせて、半ば無理強いしてしまう……。
 過去と現在は違う、というのに。
 イメージを相手に押し付けてしまうことって、つい、やってしまう。
 それが相手にとって嫌なことであるとわかっているのに、つい。
「キミは真面目だから」
「キミはやさしいから」
「キミは頭がいいから」
 過去のイメージだけではない、よく知りもしないのに、なんとなくの印象でそれを押し付けた人格として、その人と向かい合ってしまう。本人が思っているのと、他人が思っているのとのギャップは、なかなか埋めるのは難しいし、判断しにくい。
 同じように、言葉遣いや表現も、だ。

 ……ほんと、難しいよね(苦笑)



2006年11月18日(土) 残すなよ……

 グルメ紹介番組に釘付け……笑
 でも一人で食べに行きやすそうなお店というのは限られてくる。そんなの気にしなくていいじゃない、と言われるかもしれないけれど、気になるものはしかたがない(苦笑)。ランチとかなら一人で平気で生けるんだけれどねえ。
 そんなお店紹介の番組に、我が(?)行きつけの店「徳万殿」が紹介された!
 「でか盛り」の店としての紹介。
 番組の翌々日に行ったのだけれど、ほとんど「興味本位のみ」で注文しているお客さんが目についた。
 食べきることを考えず、見ることだけしか考えていない。
 「足りないと言われるよりも残されたほうがいいつもりでこのボリューム」と番組の中で店主が言ってはいたのだけれど、やはりそれは客としてきちんと真摯に受け止めるべきだ。
「俺、残しても平気な性格だから」
 と、平気な顔して注文している若者に、ちょっと、ムカついた。
 平気で、残すなよ……。
 さすがにお店の人も、「かなり多いですよ」と大盛の注文のたびにお客さんに確認していた。
 そうそう、この店は普通盛り自体が他の店の「特盛り」に匹敵する。
 もしこの店に入ってしまった女の子は、「半ライス」で注文しましょう。
 味付けはピリリと香辛料の効いた濃い目の味付けで、無謀なほどに野菜の量がすごい。油は多いかもしれないけれど、肉の量はさほどでもないのでヘルシー、とも言えるかもしれない……苦笑
 神保町の駅の裏にあります。
 誰か挑戦してみる?(苦笑)



2006年11月16日(木) 竹林から見る「美しい国」

 今朝は、ちゃんとして寝たはずだったのにニ時間強しか寝れず、みのもんたのオープニング「おはようございます!」という挨拶に、きちんと正座して「はい、おはよう」と返していた(苦笑)
 なんかニュースでみたのだけれど、埼玉で国歌斉唱を拒否した学校の来賓、父兄を教育委員会に個別にその人間を調査して報告しろ、なんてバカなことを命令して、さらにそれをごもっともと受諾しようとした教育委員長がいたとか……

 ぶわっはっはっ……!

 「愛国心」に対するゆゆしき問題だっ! とか言ったらしいじゃないの。
 今の日本は軍国主義かっ!

 教育基本法改正案採決も、野党全員ボイコットでそのまま決議されてるし。

「美しい国」って、なに?

 教育基本法改正案に含まれる、それに従う法令云々の、学習指導要綱だって関わってくると思うのだけれど、その中で国歌斉唱や国旗掲揚に触れていることを、当の生徒や父兄が知っているはずがない。
 普通のサラリーマンだって、仕事の上で法律を調べる、なんて機会はほとんどないのだから、なんか雲の上のお話のような気になってしまっているのではないのだろうか?
 仕事柄、法律や条令や通達やらを調べることがある人にしてみれば、ちょっと気になるから調べてみようかしら、と思うこともあるかもしれない。
 でも、一般国民にどれだけ内容が公表されていて認識されているのかは、眉唾ものだと思う。

「美しい国」って、わかる?

 日本のことを、日本を知らない人に向かって、どれだけ魅力的に伝えることができる???

 ……語る言葉の少なさに恥ずかしさすら自分に感じてしまう。
 清濁相併せ持つのがこの世の常。
 わかったような口をきいていると思われるかもしれないけれど、所詮、ここはそのために設けた「竹林」のあばら家なのだから、ご容赦を……苦笑



2006年11月15日(水) おとした!

 無謀な試みは、やはり無謀だった……笑
 来月末締切りのつもりでいたのを、五日前に急きょ見つけた某コンテストに出してみよう、としてみたのだけれど。
 二十枚しかあがらなかった。
 百枚の道は遠かった……。
 それはもう、しかたがない。
 朝イチみのもんたを観ながらも頑張ってはみたんだけどねえ。てか、そうか、相性が悪いのかっ、みのさんと!
 当初の予定の通り、来月末までじっくり書こう。
 今日は
「9194」



2006年11月13日(月) 冷水

 逃げや迷い、それはやっぱり自分ではわからないうちに、周到に自分で設けていたりする。
 そこへ、冷水をかけてくれるようなことがあって、初めてそれに気がつかされる……。
 ……とてもありがたい。
 ただし、それに自分が気がつくまでは、周りの人にとって無礼なことを働いていたりもする。やっぱり逆光を背負う覚悟がまだ足りていなかったのかもしれない。

 テンカウントが鳴り響いている。
 カウント・セブン、どうする?
 タオルを待つのは、まだまだ早い。

 冷水を、ありがとう(笑)
 そして、無礼を振りまき続けているかもしれない自分を、ご容赦かつ、ご指導お願いいたします……。



2006年11月11日(土) 前髪ちぎれた

 今日は朝みのもんたで起床……なんとかならんのかね、この目覚めは。
 昨日のあの一瞬をもうひとつ確かなものにしようとしてみる。
 ……無理。
 頭でどんなにひねってみようとしても、そんなものを描きたいんじゃない。と、いうことで……。とりあえずはイメージの裏付け(?)をすることに。
 で、ふと思い出したこと。
 学童クラブって、小学校三年生までっていう決まりがあったんだね。小学生はみんないいんだと思っていた……。
 それでも施設利用時間って午後の七時くらいまでなんだね、一部延長施設もあるにはあるけれど。
 いわゆる待機児童の問題だってあるから、なるほどこれは難しい問題だと思った。今のご時世、午後の七時に子どもを迎えに来れるような会社で働くことができているのは、いったいどれだけなんだろう?
 自分が知っている世界では、まず、難しいだろう。
 会社の近くの施設に預けるとしても、通勤ラッシュの中、子どもを連れてくることはあまり感心できることではないし、じゃあ、学校や自宅近くの、というのも無理がある。シングルマザーや共働き夫婦が増えているのに、子どもに対するインフラが追いついていっていない。これは、福祉施設に限らず病院施設、保育士や産婦人科や小児科の医師やら……なんだ、ソフトも足りてないや、きっと(苦笑)
 こんな社会だけれど、それでもなんとかやっていかなければならない。
 さて……。
 なんとなく、だけど、骨組みくらいは見えてきた……。
 あとは勢いで紙にペンを走らせるだけ……それが問題だ(笑)
 今日は
「9132」



2006年11月10日(金) 女神の前髪……

「チャンスの女神は前髪しかない」
 ……だっけ?
 そんな前髪くらいしかないのなら、掴んだとしても千切れてしまうに決まっている!

「ぷちっ」

 てな感じで(笑)
 だけどほんの一瞬しかない、という例えは当たっているのかもしれない。
 それはさておき、頭に浮かぶ風景も、一瞬のものでもある。それを忘れないように手を伸ばしてみて、掴み取れるかどうか。だけど無理に掴み取ろうとすると、儚くも消えていってしまうことも、ある。
 今日は、ふと一瞬だけだけれど、頭を横切った。
 この瞬間がまた、気持ちいい(苦笑)

 こういう感覚って、ほかの人にはあるのだろうか?

 自然にぼわって、頭の中に風景が浮かんできて、自分の意志とは関係なく、ただただどわあって映画やテレビみたいに流れるのって……。
 あやしいびょーき?
 病んでる?
 まあ、病んででもいないともの書きになりたいなんてことは考えないか……苦笑
 今日は
「14915」



2006年11月09日(木) 「かっぽん屋」「つきのふね」


 重松清著「かっぽん屋」
 やっぱり、重松作品は素晴らしい。
 短編集だけど、とりわけ「デンチューさんの傘」がよかった。自分をほんのちょっとだけ変えたいとの思いで、苗字の「田中」をとある場所に限って「デンチュー」と読ませる。
 いわゆる些細な変身願望の現れ。
 たったそれだけのことで、ものの見え方がかわることだって、ある。
 べつに「唯名論」者ではないけれど、言霊は信じているし、その怖さのようなものも感じたりしている。
 それはさておき、この本は巻末の著者へのロングインタビューがまた良かった。重松清いわく、「自分はリライターである」だそうだ。
 なるほど、いい表現だと思う。
 誰かの想いや出来事を本人に成り代わって書きとめてゆく。
 うん、これからは自分もそういう使い方をしてゆこう(苦笑)

 森絵都著「つきのふね」
 えーと……三時間で読んでしまった。
 悪くはない作品だった。それだけの勢いで読まされた、のかもしれない。
 直木賞作家さん。つい最近の。
 全体この作品の言葉というか、文字が「やわらかい」感じがする。同じ「ふとん」という単語を並べたとき、森作品の「ふとん」は羽毛布団のような感じで、重松作品の「ふとん」は和室の押入からよいしょと取り出すような質素な布団、といった感じ(苦笑)
 世界観の違いかもしれないけれど、男性作家と女性作家の違いでもあるかもしれない。

 自分の「ふとん」は、どんなふとんなんだろう……?
 思いついた人は、どうかこそっと教えてください(笑)



2006年11月08日(水) 生意気な奴になるために

 偶然ということはありえるのだろうか?
 偶然ではなく必然である……苦笑
 もし、上の言葉を信じるのであれば、今日の出会い(?)はもちろん、必然になるのだろう……。
 ……てか、何とはなしに立ち読んだ雑誌(?)で「これは」というものがあっただけなんだけれど(苦笑)
 ……石原慎太郎に「こいつ生意気な奴だなぁ」と、ぼやかせてやりたくなった(笑)
 突然の出会いに、急遽締切り設定が前倒しに!
 といっても、たかが一ヶ月だけれども……などといってても、前回それで痛い目を見たんだけどね。ちょいと反省しなければ。
 そう思いつくと、プロットの種が地面に落ちるのが見えた、気がする。早いところ芽が出てきてくれないだろうか。枚数が少なめなので、間延びせずに短時間を深く潜ることもできるし、短時間一発勝負、でいけるかもしれない……。
 あとは何かが降りてくるための下ごしらえを、きちんとしておくようにしよう。
 今日は
「16353」



2006年11月07日(火) 「抗議」のままであるべきもので、決して手にしてはいけない「武器」

 はぁ〜あ……。
 とうとう出ちゃったねえ。
 最期の「抗議」のはずだったものが、「武器」として使うことに気がついてしまった……。
 え、何がって?
 それは「自殺予告」ってやつでさあ……。
 本気かもしれないし、いたずらかもしれない。
 たぶん、いたずらのほうが確率が高いと思うけれど。だって、大臣宛なのに、身内宛の遺書なんて送る必要がないじゃない。テレビで関係者全員に遺書を書くことを知って、それを模倣してみただけのような気がするね。
 悪い意味でのいたずらではなく、現状の切実さを訴える意味での「真面目な」いたずらであるならば、まだましかもしれないけれど……。
 個人名など特定できる内容が記載されていない(?)ところに、「実は本気で本当のことがわかってしまうのが怖い」という気持ちが込められているんじゃないか、という考えもある。
 あって欲しくはないことだけれど、そうであって欲しい気持ちもある。
 そうでないと、こんな容易く触れてはいけないことを思いつきのいたずらとして手をだしてまっていたら、「おおかみ少年」になってしまうじゃないか……。

 真実の助けの叫びが、届かなくなってしまう。

 ……なんか、耳が痛い、かも(苦笑)
 調子のいいことは、あまり周りに言わないように気をつけましょう。自分自身はそんなつもり毛頭なくて、本音しか言っていないんですが……。

 今日は
「15650」



2006年11月06日(月) 「嫌われ松子の一生」(映画)、「トリアングル」

 今日は朝五時にあまりの空腹感に目が覚め、ご飯を炊いて、みのもんたと一緒に朝を過ごしてしまった。
 なんやこれ、最悪な朝やんけ……笑
 とはいえ、午前中で二合をペロリと平らげてしまう。胃袋も欲求を解放されたがっているのだろうか……と、腹をさすりながらお出かけ。
 二合平らげたとはいえ、水道橋の隠れた名店「フラミンゴ」で大盛パスタをまたもやペロリ。
 そして神楽坂へ……。

「嫌われ松子の一生」

 を観た。映画のほう。
 この映画って、泣く映画だったっけ……。
 豪華な出演陣、とりわけ、主演の中谷美紀は、素晴らしい!(笑)
 コミカルで、切なくて、テンポが良くて。
 それに、ボニーピンクが、かわゆい!(笑)
 いやぁ、デビューシングルから一時期までずっと聴いてたから、なんか、嬉しかった。「Blue Jam」を引っ張り出して、また聴きなおそう……。

 俵万智著「トリアングル」

 を読んだ。
 自身初の長編作品とのことで、映画化もきまっているとのことだった。
 うーん、読みやすくて、ついつい読まされてしまった(苦笑)
 短歌が彼女らしく折り込まれていて、なるほど、いい個性になっている。こういうのも、さすが、という感じだった。

 今日は
「15507」



2006年11月04日(土) 紫紺祭

 神保町をふら〜っと歩いていたら……
 太鼓の音と、リーダーの声が!
 今週末は学祭シーズンじゃないかっ!
 と、いうことはこれは……!

「紫紺祭」!!

 そう、我が母校の学園祭!
 といっても、高校のほうだけれど。
 いやあ……相変わらずこの日取りでやっててくれたのね、嬉しい偶然(?)!
 校庭(アスファルトの二十五メーター四方くらいの)では、応援団のリーダー公演がやっていた。よかった、これだよね、これ!
 学祭といえば、まさに、これ!
 リーダーといって馴染みのないひとにはちょいと説明を。
 つまりは、応援団の演舞、でよいのかな。拍手や、掛け声や。
 相変わらずの演目で、やっぱり、相変わらずの援団いじめ(いじり?)の合いの手も入っていた。
 う〜ん、両足広げて踏ん張って、イナバウアーばりに上体をそらして、かなりきっつい姿勢のまま、それをビシッときれいな形で保持するんだけれど……。
 それがまた、三三七拍子の一拍子ごとにピタッと止める。
 すると……
「まだまだぁっ」
 と、ギャラリーから、まだ次に行くなよ、もっと耐えろよ、そのままそのまま、という、ストップの声がかかる。
 リーダーを振っている援団の代表は、ふくらはぎはピクピク、上げた腕はブルブル、になりながらも、もはや「こんちくしょう」の一心でそれに応えるように戦う。
 いやぁ〜、すっかり「まだまだ」コールに便乗して楽しんでしまった。
「あらしのぉ〜……はぁ〜くしゅっ!」
「ねらいうち」
 懐かしいねえ。最後の校歌まで堪能させてもらった。
 当時、「おまえら校歌を覚えなさ過ぎだ!」と、先生たちに呆れられて、期末テストの現国やら、のテストの設問に、
「校歌の歌詞を正しく書け」
 なんてのが出たことがあった(笑)
 それでも覚えていなくて間違うやつがいたね。
 校歌よりも、「紫紺の歌」のほうが記憶に残ってたりする。
「こおーき、みーつ、われえらがぁー……」
 なんて(苦笑)

 さて、頭の中のとっちらかったものを、ようやっとこさ、眺めることができるような、そんな気持ちの確立のようなものができ始めた。
 なんか最近、逃げてるよなぁ、と。
 背負っていく覚悟を決めてたはずなのに、また、生活のためだとかなんだとか、聞こえのいい理由を手にしてみて横道にそれようとしている。
 ええい、しっかりしろっ! と、激を入れる。
 まだまだ、なにひとつ苦労の「く」の字もしていないじゃあないか。
 せめて「苦」の字くらいは経験しないと、苦労を語る資格なんかない。まあ、何を「苦」とするのかは個人の差もあるから、なんとも言えないかもしれないけれど。



2006年11月03日(金) 「二番目のキス」と、親と専門家と外に流れている情報

 神楽坂で

「二番目のキス」

 を観た。
 ドリュー・バルモア、かわいいじゃないっすか!
 久しぶりに見かけた。チャーリーズ〜以来じゃないかしら。
 レッドソックスの熱狂的ファンの恋人になった彼女とその彼の、クスッと笑わせられつつも、温かく見守るようなラブストーリー。
 あんな彼女、欲しいっす……笑

 ようやくテレビ番組で「いじめ」をテーマにしたものが放送し始めた。
 いろんな先生が顔を出している。ヤンキー先生や夜回り先生や……。
 なんか、前にもちらっとこぼしたことがあるけれど、マスコミの報道の仕方って問題がある、と思う。まあ、視聴者の受けありき、だから仕方がないのかもしれないけれど……。
 問題は全て「学校」にある。「教育委員会」は何をしている。「学校が子どもを殺した」なんて遺族のコメントを繰り返し流したり……。
 遺族の方には、本当に何をどう思っていて、それがそのまますべてマスコミが発表しているのかどうかはわからないからお悔やみ申し上げます、としかいいようがない。
 だけど……。
 だけどね?
 よお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜く、考えよう。
 思い出してみよう。
 振り返ってみよう。
 子どもが追い込まれてゆく過程を、一番、身近で見ていたのは、いったい誰?
 一番、子どもが手を差し伸べて、言葉をかけてもらいたかったのは、誰?
 同時に、一番、子どもがこの人たちにだけは心配させたくない、と切に願って、耐えて、必死に隠そうとしていたのは、誰?

 親、でしょう?

 突然、「あ、俺もうダメ。死んじゃおう」なんて、いじめられた初日に決断するようなことは、まず、ありえないと思う。
 たぶん、本当は、遺族のご両親も、悔やんでいるはず。自分の手で、愛する子どもを守ってやることができなかったのだから。そういった心情が、マスコミからこぼれてくるのを、あまり目にしたことがない。
 悲しみや苦しみで打ちひしがれている遺族の方々は、きっとこのあと、自らを責め続けることになるんだろう。

「あのとき何故、もっと早いときに耳を傾けておかなかったのか」
「とっとと学校なんかに行かせないですむようにしてやらなかったのか」
「何故、頑張れ、なんて励ましてしまったのか」
「もとより、何故、見て見ぬふりをしてしまったのか」

 お偉い先生方の活躍を期待しつつ、人の親っていうものの難しさを痛感するね。今の大人は、子どものまま大人になったようなところも多分にあるし、これからの親の世代っていうのは、もっとそれが顕著になると思う。
 なんせ、見渡せばなんかしらのマニュアルが氾濫しているし、専門家の知識も無差別に流れ込んでくる。
 マニュアルじゃないでしょ、人間って。
 素人だから手を出しちゃいけない、専門家に任せるべきだ、なんてすぐにほっぽっちゃう。
 子どもの専門家は、その子の「親」であるはずなのに……。
 病気、の範疇に踏み入ってしまったら、それは専門家に任せるべきだけれど、ね。



2006年11月02日(木) 東京タワーかくありき「幸せのポートレート」「光ってみえるもの、あれは」

 ううう……。
 今日も昼まで起きられなかった(泣)
 ま、とりあえずドクに予約連絡をいれて、いざ、芝大門へ。
 さくさくっと世間話をして(苦笑)、処方してもらう。久しぶりの東京タワーを見てビックリ。
 いや、別に普段見ていないわけではないのだけれども、普段というのは昼間の姿しか見ていなかったから、今日の夕方、もう夜に近い、ライトアップされた姿は久しぶりだった。
 なんか、何年ぶりかに見上げたような感覚がして、おいおい、いつ見ていようがいまいが、一切関係なくこの場所にずっと東京タワーは立ちつづけているじゃないか、と思い直す。
 そうなんだよね。
 誰がいつ見ていようが、自分は常にそこにあるのだから……。

「幸せのポートレート」

 を観た。
 ハリウッド映画(?)は、いいね。
 さくさくっと観れて、あまり頭を使わずに感じられて(苦笑)

 川上弘美著「光って見えるもの、あれは」

 を読んだ。
 今までの川上作品が広東料理のメインがどどどっと続くのに対して、今回の作品は、点心のビュッフェみたいな感じだった。
 ようは、とっつきやすくて、だけど、なんかガツンとくるものが欲しくなる読後感を感じてしまった。
 なんとなく、だけれど……
 一般向けにテイストを変えてみたのかもしれない……考えすぎ?
 今日は
「16680」



2006年11月01日(水) 潜り過ぎた! 「メトロに乗って」「サンキュー・スモーキング」

 朝イチから映画をはしごするつもりだったのに、目が覚めたらもう昼過ぎ!
 びっくりしたねえ……。目覚ましもいくつもセットして、携帯のアラームも二時間を十分間隔で鳴るようにしていたのに、さすがナルコ(?)、一切動じず!(笑)

「メトロに乗って」

 を、まずは観た。
 これはもう、役者・大沢たかおの存在に一発でやられた!
 思わず「ホロッ」とさせられた……。この作品は前評判通り、傑作かもしれない……言い過ぎ?
 ストーリーとかはなんか、特筆するほどではないかもしれないけれど、テーマソングの「プラットホーム」を歌っているsalyuの声が切なくてとてもいい演出になっている。くそっ、文字だけしかない歯がゆさを痛感させられる(苦笑)

「サンキュー・スモーキング」

 を次に観た。
 これはもう、痛快愉快、そしてちょびっと考えさせられる、ためになる作品。
 物事の考え方や、議論の仕方やら、皮肉と笑いを織り交ぜて展開してゆく。これも観て損はない作品だった。

 ちなみに、喫煙を推奨する類の作品ではないです。

 ただ、ね……。
 健康を害するものであり、他者に害を与えるものではあるけれど、例えば、の話で、未成年に影響を与えるからマンガ・アニメの中での喫煙の場面を制限もしくは禁止する、といった話になっている、なんて世の中は間違っていると思う。
 それじゃあ、高コレステロールで若年性成人病の危険が囁かれているのだから、それにもっとも影響を与えるべく世の中にあるもの……

 ファーストフード、コンビニ弁当業界の類

 を批判しなくてはならないんじゃないの?
 とは考えられないだろうか。
 全てのコレステロールの原因となる食材・料理のラベルやメニューの隣には、グロテスクなドクロマークや、肥大化した肝臓、動脈瘤(りゅう)……etcの類のマークを必ず表示しなければならない、とか、購入や摂取する際には、健康診断の検査値を提示しなければならない、とか、なるでしょ。

 要するに、否定や攻撃することは誰にでもできる。文句だけ言えばいいのだもの。
 そうではなくて、自分できちんと判断して、選択することを学ばなければならないはず、とこの作品は語っている。
 判断・選択するには、一部の人間が勝手に規制して目に触れないようにしてしまったら、選択肢にも挙がらなくなり、調べる、自らの責任で選択する、といった成長の過程で必要なものがどんどん乏しくなってしまうことにもなりかねない。

「臭いものにはふたをしろ」

 な世の中になっているよね、最近のニュースとか見ていても。
 自分、もしくは一部にとって不都合なものは、目に触れないように細工する。

「子どもの命」
 とか、
「足りない履修」
 とか……苦笑

 理想と現実のギャップなんだろうね。
 素晴らしい子供たちの学校生活、進路指導、教育、実績、世間、そして、理想論。

 そうそう、マニアックだけれど、自分が大好きなマンガ「墨攻」が、映画化されるんだね。あれ、原作は小説?
 ……とにかく、あの壮大な物語のどの場面を映画にするのか、興味津々。
 専守専衛を信条とした墨家の策士。だけど、やはりこの物語の中でも社会の矛盾が描かれている。
 子供向けのマンガではないから、大人も充分楽しめるし、感心させられる。本屋で見かけた人は、ちょいと読んでみてもらいたい。


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