「隙 間」

2006年10月31日(火) 潜る……

 あああああ……。
 貫徹でなんとか校了。
 なんかせっかく貫徹したのに、三分の一が納得できなくてボツにして、帳尻合わせてなんとかまとめて……早産で帝王切開で未熟児な感じになってしまった感じがする。
 でも、まあ、次があるさ。
 とりあえず、今回は、なにはともあれ完全燃焼。
 次回は年明けのやつに向けて、気合い入れ直さなくちゃね。
 布団の海に、深く潜るとします……



2006年10月30日(月) 悔しくね?

 ニュースではイジメ問題、高校の未履修問題が騒がれている。
 その二つのニュースの中でキーワードのように自分が感じた言葉が「自殺」である。
 某高校の校長先生は、おそらく自責の念に苛まれて命を絶つという行動に出てしまったのかもしれない。そして、「イジメ」から逃れる……いや、戦う最期の手段として、自らの命を武器としてしまった子どもが、いる。
「自殺」に悩む人間に大概の人はこう言うだろう。

「死んでしまったら、未来にある喜びや楽しみや夢を手にすることができない」

 自分も同じことを口にしたことがある。
 だけど、そうじゃないんだよね。
 今がなくって未来はないでしょ、ということも考えなくてはならない。
「死ぬ」ために自殺をするんじゃない。戦うため、もしくは、守るためにそれを選んでしまうということを忘れてはならない。
 幇助するようなことを言っているのではない。

 ただ……
 なんかそれ(自殺)って、悔しくね?
 その後、いったいどうなったか、それが誰かに何かを残すことができたのか、自分自身がここにいたということを刻めたのか、自分じゃまったく確かめられないじゃん。
 そんなの、嫌だな。
 自分ひとりのために自分が生きているのではなくて、自分だけだと思っていても自分を知っている人が今その場にいなくても、どこかにいるってことを思い出してみると、その人が自分がいなくなったと知ったときにどう感じるか、というところを気がついて欲しい……。

 ……などと考えながら、気がつけば応募締切り前日になって現実逃避を始めてます。
 あかん。こりゃ、徹夜だあ……。

「全力で書き上げて欲しい。投稿したら思いっきり休んで、またムクムクと次回作を書きたくなるような人間の作品を待っている」

 えぇえぇ、全力してます。そりゃあもう、手書きアップした時点で「もう二度とこんなん(小説)書いてやるかっ! なにを好き好んでこんなん、おるかおらんかもわからん人間の物語をかかななんのんや!」と、叫びましたとも。
 でも、誰も強制していないし、自分でそれを選んだんだしね。そしてなにより、出来不出来はともかく(苦笑)、書き上げた時の、あの感情は、何ものにもかえがたい。

 さて、と……。
 またあの瞬間を味わうために、最期の山場に突入しましょっか。



2006年10月29日(日) 最高の夜

 今週末は、名古屋の真友が泊まりに来た。それはまさに、最高の夜を過ごすために。
 篠原美也子誕生日前夜祭ライブ、「puls」
 この日は、一年の中で最も大切な日々の中のひとつ。
 本っ当に最高の夜だった……。

 ……男二人で、だったけれど(笑)

 まあ、かれこれもう二十年(!)の付き合いになる、まさに「真友」だけれど、こういうとても素晴らしい時間を共に過ごしながら、人生を歩んでゆくものなんだねえ……。
 ……いつまでも妻子持ちの男を付き合せるなって?
 今度、奥さん子ども連れて来れるようになったら、立場が逆転すると思うので、それまではガマンしてください。奥さんも、なるべく大目に見てくださいませ……。

 さて、いつものことだけれど、篠原さんのライブに行くと毎回大切なことに気づかされる。
 それは彼女の歌の言葉であったり、直接の言葉だったり、ステージの上で凛と立つ姿だったり。

 想いを形にして相手に渡すことはできない。
 だから、言葉にして届けよう。
 拙い言葉でありのままを伝えられないのかもしれないけれど、
 ひとつでも多く抱きしめてもらいたい。

 誰かに想いを伝えること。それは彼女の場合「歌」という形であり、自分は「物語」という形である。
 しかも、意味を押し付けるものではなく、思うように感じてもらうことしかできない。そこには当然、解釈の違いや感じ方の違いがあり、思うように伝えられないのかもしれない。
 それでも、繰り返そう。
 そこに凛と立つ、素晴らしき姿を見ることができるのだから。



2006年10月26日(木) もろもろ

 今日は某社面接で川崎へ。
 履歴書を見直すと、自分って結構凄い学歴と職歴なのね、と他人ごとのように感心してしまう。こりゃあ、うちににこない? とお誘いが来るわけだ(苦笑)
 面接もやっぱり世間話に華が咲いて、なんの問題もなくすんでしまった。でもやっぱり、やっぱりなんだよねえ。
 はたからみれば「もったいない」「ぜいたくな」「甘い」とかいわれるんだろうけれど、そっちを背負う背中の広さはないです。
 今はまだやっぱりひとつのものを背負うことだけ目指して。

 そして!
 高校の履修不足問題が騒がれているね。
 大学受験を付属校だったおかげで経験せずに済んだ自分は、不思議でならない……とは言えないね。
 でも、やっぱり不思議は不思議。
 ゆとり、ぶっこきすぎましたね。それよりももっと昔からだったらしいけれど(笑)
 受験戦争の弊害、とひとことで言い切れるものではないのかもしれないけれど、なんか、淋しい……。
 中学の歴史程度の知識で充分だ、というひともいるかもしれないけれどね?

 さてさて、プロ野球日本シリーズも、決着がついたね。
 やっぱり「SHINJO」のためのシーズンで終わった!
 おめでとう!

 さあて、と……。
 打ち込みが半分終わったところで、とりあえずの仮眠をとって、最後の追い込みかけなくちゃね……苦笑
 履歴書に書ける「賞」が無さ過ぎる。職歴をカバーできるだけの何か、を安直に考えてみてるだけだけれど。
 紙だけの世界からWEBという世界への広がりを経て、いわゆる出版・編集・ライター業界は不況とはいえ、まだまだ可能性はある。
 もちろん、それだけで生活ができるようになるのは努力だけではなく、選ばれるという「運」も多分にあるだろう。

「運」

 ……すでに0.2%の当たりを引くという引きの強さ(?)を産まれ持っているのだから(苦笑)、それに便乗して「運」に任せても、悪いことはないかもしれない……。
 でももの書きの神様(?)が降りて来るか来ないかは「運」頼み。降りて来ていなくても、降りて来るまで繋ぎ続けられるような実力の裏付けが必要。
 今の時期にしか、集中して書き続けられないから、ね。
 それもそろそろ、お尻が見え始めているけれど……。



2006年10月25日(水) 手書きアップ

 今日やっと、長編の手書きがアップした。前作に比べてかなり遅いペース。
 神保町の喫茶店でコーヒー一杯でなんと六時間かけて三十枚(笑)、しかもラストまであがった!
 バンザーイ!
 ……てか、まだまだ打ち込みが残っているし、全体の推敲なんかはまだまだ山と残っている。
 ……間に合うのかっ!?

 そういえば、名古屋からたくましい助っ人が週末にやってくるな……。
 夜はノルマをこなしてから寝かせるようにしよう。いや、それじゃあ間に合わない。赤入れを済ませてから、原稿を渡そう。うん、それがいい。
 と、ということで、素晴らしき人生の共犯者たる友よ、待ってるぞ!(笑)

 明日は面接で川崎まで出かけるけれど、どこかB級グルメのお店はあるかしらん?
 今日は
「12757」



2006年10月24日(火) クドカンそして「天子の卵」にガスパッチョ

「クドカン」こと宮藤官九郎。超人気脚本家の彼は、仕事柄締切り前にいわゆる「缶詰め」状態になるとモノが書きづらくなるそう。
 缶詰め先に立派なホテルのスイートルームやらに閉じ込められると、どうもダメらしい、との話をとある番組で聞いたことがある。
 そしてまた彼が仕事をしている場所は「喫茶店」が多いらしい。「今度は何を書いてるんですか」「新しいドラマのシナリオです」とかお店の人に聞かれたり。
 ……自分も部屋にこもっていると、筆が進まない。打ち込みですら、おぼつかない。
 と、いうことで……。
 追い込みに向けて、いや、崖ップチにむけて(苦笑)、銀座へゴー。
 モバイル電源完備、ドリンクお替り自由、適度なざわめき、という諸条件を備えたお店、「マック銀座アイタワー店」に……笑

 ……エンジンをあたためるために

 村山由佳著「天子の卵」

 を読んだ(笑)
 なんだろう……。「星々の舟」を読んだときにも「なんだかなあ」と感じていたのだけれど、表紙の小西真奈美にコロリとやられて買ってしまった。
 この表紙でなかったら、別のを選んでいたね、絶対。装丁の恐ろしさを実感した。(苦笑)
 解説にもかいてあるけれど「凡庸」のひと言。だけど、そのあまりにもとことん「凡庸」に書き上げているところを素晴らしいと評価されていたけれど、なんだかなあ……という感じだった。
 映画はこの物語をさらに端折って描かれているらしく、評価はイマイチらしい。でも、いいもんね。小西真奈美の評価だけが良かったので、それだけを観にいくもんね(笑)、一緒に観にいきたいひとが……切なくなるからやめておこう(泣)
 東京ガスの妻夫木のCM、いいね。
「キミのハートに点火っ!」
「僕のハートは強火です」
 ……なんか好きだなあこのCM。
 最近は「僕のハートはとろ火です」にさせられかけているけれど(笑)
 必死にとろ火に両手をかざして暖をとってます。
 今日は
「23225」



2006年10月19日(木) 我が身

 またまた別の某事務所からのお誘いが来た。恐るべし、我が職歴(苦笑)
 そりゃ、都市コンサルを経て設計事務所に勤めて、とくれば都市計画から建築設計までこなせます、てなことになるだろう。
 籍を置いていた会社に対しての外的評価が高いだろう、という自負も少しはあるけれど(苦笑)、自分は何でも屋を矢面にしてやってゆくつもりはない。
 語弊があるかしらん……?
 何でもできるけれど、ただの便利屋に終始してしまいたくはない、とでも言っておこう。
 まちづくり、都市計画、建築設計、そのどれも普通の(?)サラリーマンでは経験できない貴重な素晴らしい仕事に携わってきた。なにより、形として世間に残るものを作ってゆくという、とても誇らしく、そして、とても恐ろしいプレッシャーをはらんでいる仕事。
 これからは、形無きものを作り、目に見えないものを目に見えないところに残してゆくような仕事をしてゆこうと思っている。

 寺山修司も似たようなことを言っていた、ような気がする。
 小説・本というのは最も贅沢なものだ。無くても誰も困らない。本から何かを学べるではないかというやもしれないが、本なんかよりも、実際の生きている人間から学ぶべきものの方がはるかに重要なことである。本と見つめ合うよりも、人と話し合うべきである。

 最近の子どもたちは本を読んでいるのだろうか?

 子どもたちに限らなくてもいい。あなたは本を読んでいますか?

 自分達の世代あたりからいわゆる「マンガ世代」と言われて、文字よりも頭を使わないで済むマンガばかりを読むようになっていった。
 マンガの方が、絵があって頭に入りやすい、といって参考書の類もマンガばかり読んでいた気がする。小説なんて小学校の低学年の頃に、江戸川乱歩シリーズを読んでいたくらいだった。
 うん、むさぼるように読んでいたねえ……それが、ぱったりと読まなくなった。
 本を読んで漢字を覚えた。言葉を覚えた。
 だから本を読むべきだ、と一概に言い切れなくなってきているのが、難しいところだ。

 何故か?

 本には独特の漢字使いがある。いわゆる「当て字」の類。そして、実生活の中で使う漢字がそのまま小説の中で使われてはいないことも、気がつかなければならない。まあ、自分で小説を書くようなことが無い限り気にする必要は無いけれど。

 そして、今の感性の違いが大きくそこにあることを忘れてはいけない。

 今はいわゆるマニュアル本を始め、実際の現実と架空の方程式の世界との境界を侵害しかねない本が氾濫している。
 たしかにそういった類の本は参考までに有効ではある。
 だが……。
 それが真理ではない、ということを理解できないでいる人間が多くなっているような気がする。
 特に、頭でっかちの子どもたち。
 大人ぶって本で読んだ知識をひけらかして得意になって、大人たちを閉口させている子どもたち。
 なまじ「正しい」と思われる「知識」だから、大人も説得力をもって否定しきれない事態が起こったりしている。
「知識」と「知恵」はイコールではない、ということを理解させるには、あまりにも幼すぎて難しいところでもある。
 いち時期「完全自殺マニュアル」なる本が世間で話題になったことがある。人の命というものは、いともたやすく損なわれてしまうことが、ゲームの攻略法のように掲載されていた。
 一方、マンガやテレビの世界であっさりと人が殺されてしまって、それによって物語に感動や悲しみを印象付けるシーンが垂れ流されていたりもする。逆に明らかに「ここまで暴力を振るわれたら確実に命の問題に関わっているはずだ」という中で、それでもしっかりと生き残る場面も強烈に印象付ける演出をしてあったりもする。
 「知識」しか知らない器でそれを鵜呑みにしていたら、現実社会できちんとした物差しで物事を見ることができなくなっている、子どもやそのまま大きくなって大人になってしまった人間が、あちこちにいたりする。

 本を読むことは見識を広める「きっかけ」にはなる。「知識」を得る方法のひとつでもある。
 だが、「知恵」は決して本の中では手にすることはできない。実際に自分で見て聞いて話して、そして感じたことを考えて話し合って、ようやく「知恵」とすることができるかできないか、というものだ。
 ……と、思う。

 なにやら偉そうなことをつらつらと書き連ねているが、我が身を振り返ると、たいへん耳が痛いような気もする(苦笑)
 押しつけではないし、言うのはタダだから、ということで開き直ってしまおうと思う今日この頃……。



2006年10月18日(水) タフ

 小説を書いていて、「どうしても、ここから先に足を踏み込みたくはない」という場面がある。逆に、「敢えてこのシーンはここを描かなくてはいけない」という場面も。
 この話ではここまでしか描かない方がいいだろう、と判断していても、実際はそんな作者の意志などお構いなしにそこにあるシーンは流れてゆく。そうなると、その目をそむけたシーンだけが脳裏に残り、フラストレーションが溜まってゆく。
 シナリオをきちんと書いて、それに必要な物語を書きつけてゆく方法の作家さんはそれでもいいだろうけれど、自分は違う。流れてゆくものを、そのまま書きとめて、あとあと整理してゆく。自分で理論的に筋書きなんかを細かく決めてから物語を書いてゆくなんて器用な真似はできない(苦笑)
 そうなると、敢えて目をそらして溜まってしまったフラストレーションが、別の物語の中で突如、影響を与えることがある。
 ……まあ、それで自然に解消されるのだからいい、といえばいいのだけれど。
 そんなとき、ショートショートなんかを書く習慣があると、それをはけ口にできるから、自分の場合はそれで助かることもある。
 ときに、ほのぼのとした世界。またときには、正反対の世界。
 同じ火を見て「あたたかさ」をかんじるのと同時に「こわさ」も感じていなければ、ものは書けない。
 相反するものを内包し続ける。
 タフでいなければいけない。
 今日は
「14897」



2006年10月17日(火) ドキュメント

 度重なるイジメ問題。
 口角泡を飛ばして猛烈にカメラに向かって不条理さを訴えているマスメディア。
 たしかに、とても悲しい、おきてはならない事態が起きてしまっている。長編のネタとかぶってきてしまっている……。どうしよう(苦笑)

 某局のドキュメンタリーを観た。
 ガイド・テラーはなんと宮崎あおい……。彼女はなんと二十歳!
 舞台「星の王子様」映画「初恋」「好きだ、」「NANA」ドラマ「純情きらり」……で活躍の最近個人的にはまりかけている女優さん。
 ……若いのに、すごいね(苦笑)
 ドキュメンタリーの内容は、モルジブ(?)の海面上昇問題。スマトラ台風、エルニーニョ現象によるサンゴの死滅、温暖化などの理由が重なり、リゾート地域ではなく普通の生活地域で、島が水没してゆくために離島しなければならない状況に追い込まれているらしい。
 今の温暖化対策の効果はたしか二〇五〇年頃になるんだっけ?
 遅かりし、とは思うこと無かれ……やらなければ、何事も始まりもしないのだから。
 うん、良いことを言った(笑)
 今日は
「12343」



2006年10月16日(月) ショック……

 今日はショックなことが……。
 長編打ち込みを一心不乱にやっていたら、落ちて、消えた……泣
 三冊中一冊ちょいまで打ち込んでいたのに、あああ……。バックアップも無いし、また打ち込みなおし。
 ああ、誰か助けて(苦笑)

 さて、またちらほらイジメの問題が露呈し始めている。この手の問題は、決して無くならない。しかも、保護者の目、世間の目、いろいろな価値観の変化がさらに問題に手を打つこと自体に障害となっていることもある。
 親が過保護になりすぎているからこそ、逆効果になっていることもあり得るし、過剰に反応するからこそ、学校の対応としても触れることを避けようとしてしまうこともある。
 子どもの側にもその影響がないとは限らない。
 親が過剰に反応する、自分達だけの世界である教室という世界にどかどかと踏み込んできてしまい、必要以上に大騒ぎされてしまうことを嫌い、もしくは自分がそんなことになってしまっていることを知られたくないと意地になってしまい、どんどん、悪循環に陥ってしまうこともあり得る。
 個性の尊重、というたいそうな名目の元に、誤った考えに陥っていることに気がつかずにいることはないだろうか?
 教育の現場、というものは、ある特殊なコミュニティでもある。そこに、世間一般の常識や物差しを持ち込んでメスを入れることが、必ずしも正しいこととは限らない。

 北朝鮮の国連決議など、これまたまさに戦々恐々といった事態に、どれだけの人が本当に切実な危機感を抱いているのか、個人的に知りたい気がする。
 かくいう自分も、言ってるほど危機感を抱けてはいない「赤信号、みんなで渡ればこわくない」的な感覚でいる。
 他人ごとじゃないのにね……。
 今日は
「14253」



2006年10月14日(土) 「トワイライト」と万博の思い出

 重松清著「トワイライト」

 を読んだ。
 重松作品はやっぱり、いい。タイムカプセルを掘り出しに集まった中年の男女が、それぞれの現実の現在と過去に想像していた未来という現在と向き合う。
 当時の担任だった先生が未来に残したメッセージ。

「あなたたちは今、幸せですか?」

 ……同じ言葉を今、自分にかけられたとして、みんなはどう答える?
 昔の自分が、明るく希望に満ちた眼差しで目の前に立ち、真っ直ぐに自分を見つめながら、
「将来の自分は、こういう風になってるはずだと思っているんだけど、実際はどうなってる?」
 その問いかけに、正直に今の自分の状況を胸を張って過去の自分に向かって答えられるだろうか。過去の自分の期待を壊さないように、うまく取り繕って安心させるだけのようなことを口にしていないだろうか。
 自分だったらたぶん、過去の自分に向かって言うだろう。
「今、キミが思い描いている未来の自分は、本当にキミ自身で思い描いた将来なのかい?」
 うーん、意地悪な答えだ(笑)
 当時の流行や、周りのみんながそういうことを口にしているから、てな理由で安易に将来のことを考えていなかった?
 野球をやっていたからプロ野球の選手、とか(苦笑)

 今もし、未来の自分へ向けて手紙を書くのならば、みんなはどんな手紙を送るんだろう?

 物語の背景にあったのが大阪万博と太陽の塔。
 自分の記憶に残っているのは筑波万博なんだけれど、約二十年前にもなるんだね……。
「くるま館」の乗り物が一番印象に残っている。
 父親と姉、そして母親と自分のペアで乗り込んで、スクリーンに合わせて身体を左右に揺らせてて(実際は傾いたりはしていない)、後で父親に馬鹿にされたんだよねえ。
 あとは……
 3Dメガネの何かを観てビックリしてた記憶があるくらい。
 こんなんだから父親に「どこへ連れてってやっても覚えてないんだから、やんなっちゃうよなあ」と、ぼやかれてしまう(笑)
 てか、小さい頃にいろいろ連れて行き過ぎだって……。

 長編のネタ帳が、気づくと三冊目に突入している。
 打ち込みはほとんどしていない……誰か無償で打ち込みやってくれる人いないかしら……。このままじゃ、下読みのお願いにもだせやしない(泣)
 今日は
「6595」



2006年10月13日(金) 在り方

 さてさて、今日は新宿にまずは面接……面談に行ってきた。
 設計業界から手を引くつもりで仕事を辞めたのに、とある事務所から「うちで働いてみませんか?」とのお誘いをもらったので、とりあえずお話だけは聞かせてください、という流れに至っていた。
 前の会社に比べれば、規模は確かに小さい。だけれど、それがゆえの社内における温度差がない、というなかなかよいところではあった。まあ、腹を割ってお話しましょうか……ということで、約一時間ほど仕事の回し方やら勤務形態やらを、雑談を交えて話をする。
 ありがたいことに、かなり前向きに受け止めてくれた……。

 後はこちらの返事如何のみ。

 待遇は想像以上によい。
 私的な事情についても、ある程度の理解を示してはくれているようだった。ただ……。
 ただ、一点だけ検討の余地がある……。
 それを考慮して、返事をしたいと思う。
 これからの自分のあり方を踏まえて。
 今日は
「13764」



2006年10月12日(木) めんどい……

 とある縁で、都内某設計事務所の方からお声がかかり、一度お話しましょうという運びになった……。
 慌てて資料を整える。だって、この業界に復帰する気は無いのだもの。用意なんかしていませんってばさ。小説のストックなら用意はしているけれど……苦笑
 さて、どこまで売りを出して、どこからを引きにするか、ひと思案が必要。
 明らかに、前の会社以上の環境なんかは望めないだろうし、そうなれば、普通の(あくまでも設計業界の)仕事をこなせない身体となり、普通の(あくまでも一般サラリーマン、たったの二時間の残業で「あ〜あ、働き過ぎちゃったよ」なんて真顔でいう世界)仕事でなんとかこなせるようにやってゆくしかない、ということは揺らぎようの無い事実なのだから、どこまで妥協点をその二つの世界の間でひくことが出来るか、ということが重要になる。
 普通の人は……語弊があるかもしれないけれど、普通の会社で普通に与えられた仕事を普通にこなすことですむ。だけれど、普通とは違う場合、自分の全てを周りの全てに対して調整してゆかなければならない。
 そしてそれをどこまで周りにこぼしてゆくのかも、自分の責任の元に考慮してゆかなければならない……。
 ……あ〜あ、めんどくさい。
 ま、しかたがないけれどね。誰だって自分で自分に責任を持って、自分ときちんと向き合って暮らしているのが、普通のことなのだから、ね。
 今日は
「12243」



2006年10月11日(水) 「a(エイ)」

 やっとこさ、調子が落ち着き始めた。
 この波を乗り切れば、それこそようやく仕事……に向けて動くことが出来るってなあものだ……苦笑
 サラ・ヴォーン、ビリー・ホリデイを久しぶりにかけて聴いてみる。
 特にビリーは、やっぱり、何者でもないビリーだ。
 彼女が「a(エイ)」と歌えばそれこそがまさに「a(エイ)」であるように、自分も自分の表現を手にしたい。
 誰かから聞いたものでもなく、どこかで読んだものでもない、自分だけの言葉……。
 唯物論? 唯名論?
 小難しいことを考えても、正しいことはわからない。感じるだけにしておこう……。
 今日は
「14607」



2006年10月10日(火) 高齢社会と少子化対策と「プルートで朝食を」

 上野の不忍池ほとりにて……。
 ベビーカーを押す女性を、老婦人方が十重二十重に取り囲んでいる光景に出会った。
 生後一歳にも満たない双子が乗せられたベビーカーと、お母さんの背中にはこれまた一歳くらいの赤ちゃんが背負われている。

 ……高齢社会問題と少子化問題。

 そんな世間にひと筋の光明(?)が見えた気がした。御婆様はみな、笑顔がほころんでいる。

「私も双子だったのよ」
「あらあ、大変だろうけど頑張ってちょうだいね」
「赤ちゃんは、いてくれるだけで家を明るくしてくれるからね」

 うん、たしかにそうかもしれない。
 これは小学一二年生の時の担任の先生から、焼香に来ていただいたときに聞かせていただいたのだけれど……

「先生、男の子を育てられて、本当に良かった。手はそれはかかったけれど、上のお姉ちゃんの時よりも二人目ってことで余裕を持てたのかもしれないけれど、楽しかった」

 ……その時、どんな顔をしながら先生に語ったのだろう。
 一人目の子どものときは、その子だけに一生懸命になってしまうけれど、二人目のときはそんなこともなくなる。だから、子どもは二人以上育ててはじめて、本当の子育てが出来るのかもしれない。

 子を持つ親の気持ちは、実際に自分がその立場にならない限り、全て机上の空論になる。だけれど、自分は子であり、親もいる。親が子であった頃の気持ちは、きっとみな一様に想像できる。子は親にならない限り、親の気持ちは知りえない。

 ……これ以上は、自分の立場を悪くするだけなのでやめておこう(苦笑)

「プルートで朝食を」
 を観た。
 そう、この「プルート」とは、惑星ではなくなった冥王星のこと。全ての境界を越えて銀河を目指し、太陽系の端っこの冥王星で休憩がてら朝食を取ろう。そしてそのもっと先を目指してゆこう。といったような内容の劇中のセリフがある。
 アイルランドでのIRAによる過激派活動、爆弾テロ、反英国思想、そんな拘りにとらわれず、はるか未来を目指そう……。
 ちょいとまた小難しいことを話し始めたと思われるかもしれないけれど(苦笑)、映画自体はもっと別のテーマの物語(笑)
 生まれて間もなく教会に預けられた男の子が、自分は男であるよりも女であることが自然な姿だと幼い頃から思い、それを貫き続ける。そして、自分の本当の母親探しにロンドンへと向かい、そこで様々な出会いと恋をし、疑問だった本当の父親を確かめそして更に父親の口から母親の居場所を知り、その姿を見ることができた……。
 幼友達の一人がIRAの革命活動の挙句命を落とし、やはり幼友達の女の子は彼の子どもを身篭っていてその子を産み育てる決意をする。そしてその彼女と彼女の生まれくる子どもを傍で見守り共に育ててゆこうとする物語……。
 日本で生活をしている限り、民族問題や思想による偏見問題とは縁が無い……いや、あまり縁が無い、とは思うけれど、それでも、どこにいようが、人は産まれ、育ち、暮らしてゆかなければならない……。
 う〜ん、作品自体は面白くて楽しかったのだけれど、背景やらを想像してゆくと深い話になってゆく……苦笑
 今日は
「13881」



2006年10月09日(月) 真面目に世界問題

 北朝鮮が核実験の成功を報じる。
 安倍総理はお隣の韓国で首脳会談を行っている。私見だが、もし本当に核実験を行ったという事実が確認されれば、間違いなく頼みの中国や韓国からの制裁は免れないだろう。
 最後のカードを切ってきた、というところだろうか。
 制裁が行われれば、民衆に対する抑圧がさらに高まるだろう、といってもすでに民衆のみならず官僚にまで影響は及んでいると思われているが、こうなると、政府としては一度切ったカードを押し通すしかなくなるだろう。
 実験は「成功」ということによって、もしそれが設計通りの威力を発揮されていない失敗作だとしても、爆発には成功しているのだからウソではない、という士気の拠り所とするには充分である。政府による情報操作で、どうとでも国民を操ることはできる。それは戦時中のわが国においても実施済みである。
 であるならば、その作り上げられた偽物の士気を粉微塵に砕き、現実を知らしめなければならないだろう。強行手段をうたうのではない。それは、もっとも愚かしい勘違いである。
 世界の警察を吹聴しているものが、その道を選ばないことを、ただひたすら祈るのみである。世界の警察はすなわち死の商人の暗躍を示唆していることも忘れてはならない。そしてそのしわ寄せは当然、我が身にも降りかかってくることも、忘れてはならない。こちらがどう反論しようと、先方からすればそんなことは一切関係ないと判断するのは当然の理なのだから。

 さて、この件に関して、国民がいったいどれだけの間、忘れずに議論する意識を持ちつづけることができるのだろうか。一週間もすれば、おそらくこれに代わって、もっと身近なワイドショーネタに席巻されているだろうと思うのは自分だけだろうか……?
 所詮、国民一人の力では何ひとつ出来ることのない違う次元の出来事だと、早々に割り切ってしまうだろうから……苦笑
 今日は
「13460」



2006年10月08日(日) 妄想と月夜の関係

 今日は東京ドームでスマップのライブがあるらしく、駅前がものすごい光景になっていた。

「チケット、譲ってください」

 と書かれた紙を顔の前に掲げてじっと立ち続ける女の子達。
 なんだかその光景を眺めていると
「シャチョーさん、いいコ、いるよ」
「ビョーキ、ダイジョブよ」
 と、聞こえてきそうになる……。

 健気なファンの皆様、ゴメンナサイ……。

 そんな怪しげな妄想の世界を必死に打ち消しながら(苦笑)、神保町でネタ書きに勤しむ。

 昨日今日と、とても綺麗な月が夜空に浮かんでいる。
 久しぶりの再会に、ほっと胸を撫で下ろす。

 昨日は十六夜、今日は立待月。

 月が満ち、そして欠け始める、ちょうど美しさにおいて一、二を争う時期(個人的な感想だけど)。
 こうして月を見上げていると、妄想に拍車がかかってくる……て、物の怪じみてる?(苦笑)
 お世話になっている某サイトでのコンテスト用に、一つ書き上げてみようかと思った。
 ……本命の長編が迷走し始めているから、ちょうどいい気分転換。だと思って(笑)
 少し今までと路線が違う、と思う。頭の中で流れてゆく風景が、たぶん、今までと違う。ひょっとすると、筆が追いつかず表現しきれずに終わってしまうかもしれないけれど、我ながら自分に期待したい。
 書き上げたらその某サイトにて投稿するので、ご期待(?)下さいませ。
 今日は
「20158」



2006年10月06日(金) まんてん

 今日は郵便受けに見たことのある封筒が入っていた。
 九月に応募したコンテストの主催社からだった。

「一次審査通過のお知らせ」

 なんとまあご丁寧なことだろう……。
 嬉しいお知らせを片手に、軽くガッツ(苦笑)
 受賞作品に選ばれれば、出版のチャンスにそのまま繋がるコンテストだから、是非とも審査の方々、よろしくお願いいたします、と空に向かって手を合わせる。
 空からは容赦ない大粒の雨……目に入って痛かった(笑)

 一次通過をしたのなら、このまま一気に受賞するくらいのつもりでいたりする。少し調子に乗ってます……。

 さてこの大雨の中、やっぱり足は止まらない。
 やっぱり神保町へ。

「まんてん」でカレーを食べる。ここのカレーは、我が家のカレーの作り置きの味と食感に限りなく近く、しかもボリュームが丁度いい。
 しかも、高校の母校が学校ぐるみ(?)でお世話になりつづけているお店だから、なんとなくノスタルジーな気分も味わえる。
 雨も何も関係ない……。
 ただ、もっちりたっぷり、カレーを胃に飲み込んでゆくだけ。

 往復は歩きではなく、さすがに電車に乗りました……苦笑



2006年10月05日(木) 我が目を耳を疑え

 なんとか体調も落ち着いてきた今日この頃、いいところで落ち着いてもらいたい、などと他人ごとのように言ってしまうけれど(苦笑)
 ふとした弾みに、グンッと自分が引っ張られる感覚も、何だか楽しいアトラクションのように感じる……笑

 さて、小学生のイジメによる自殺事件、教育委員会が謝罪したねえ。遺書を「手紙」と言い通していたのも改めてきちんと「遺書」と言い直していたし。
 立場や時勢やいろんなことがあって、きっと「遺書」として扱うことに不明確なものがあったから、あえて当時は「手紙」と呼ぶことにしてしまったのだろうけれど、たしかにそれには無理があったんだろう。「手紙」と呼ばなければならなかった教育委員会の人も、きっと、辛かったのかもしれない。

 世論にニュースを伝える際、一番重要視されるのが本来は「客観性」だった。ところが、個性的なキャスターが注目を浴び、視聴率や人気を得てゆくために、「個性的」な発言、「共感を得られる」発言を求められるようにもなっている。

 たとえば、悲痛なニュースを伝えるキャスターは、決して明るい笑顔で伝えることは無く、むしろ、悲しみをあらわにして伝える。
 もし、ニュースのなんたるか、を考えた際、無表情・無機質に伝えることこそが本来の姿なのかもしれないと思う。

 ニュースを聞いた人間が、他者の私情や主観をまじえることなく、自分自身の感性でその出来事を捕らえなければならないはずだ。
 だけど、悲しいことにそんな伝え方では、視聴者が良いニュースなのか悪いニュースなのかの判断力が不足している、というのが現状ではないだろうか?
 一歩間違えれば、誤った正義感を真の正義だと、キャスターが口にしたニュースをそのまま鵜呑みにしてしまう愚かな人たちで溢れてしまう恐ろしさがある。

 そのキャスターが伝えようとしているニュースの是非は、本当に正しいの?

 自分が影響を受け易い性格だと自覚しているからこそ、常に斜めに物事をみることを忘れないように心掛けている……。
今日は
「11047」



2006年10月03日(火) 出会い

 次なる本を探しに神保町へ。
 正直、当てが無かった。いつもは、なんとなく「おっ、目が合った」という感触があらかじめあって、それを買って読むのだけれど……。
 今回はまだ、ない。
 文庫のコーナーを二、三周ぐるぐる回って、はたと村上龍作品のところで足が止まる。「春樹」の方は読んでいるけれど、「龍」の方はまだ読んでいない。それじゃあ、と思ってとある一冊を手にしてみて(比較的、目が合ったに近い感じだった)、ふと、平台に目を向ける。
 ……来たっ。

 何故、それまで気がつかなかったのだろう。
 何故、このタイミングで目が合ったのだろう。

 普段見慣れない作者ではないはずなのに、ちょっとしたサプライズなのだろうか……苦笑
 ああ……こんな出会いもまた素晴らしい。
 今日は
「8418」



2006年10月02日(月) イジるっ!

 今日はネタ書きに長居をしていた某チェーン店での一コマを。
 スーツに身を包んだ人たちがぞろぞろと店内を物色し始めた。現場服に身を包んだ人もいる。そして若い男性一人が二階の店内を巻尺片手に寸法を測り始め、他の人たちは一階に下りていった。
 天井に向かって巻尺の先端を伸ばして、天上から床までの高さを測ろうとしていた。
 改装のための現場調査か、とわかったけれど、おいおい、その測り方じゃ、測れるわけ無いでしょうが……ほら、言ってるそばからペヨン、という音と共に巻尺の先端が折れ曲がって床に垂れ下がってくる。
「逆向きで測った方がいいですよ」
 思わず口を出してしまった。

「床に先をつけて、そう、壁沿いに天井に向かってスルスルと」
「あ、ほんとだ」

 慣れていないのかしら、と思いながら様子を見守る。測った寸法をメモに書き込んで、また色んなところの寸法を測り始める。
「改装ですか?」
「ええ、まあ」
 ここでちょっと、モヤモヤっとイタズラごころが湧き上がってきた(笑)
「現調なら、寸法だけじゃなくて仕上材とかのチェックもしてありますか?」
「え? はあ……」
「まあ、チェーン店だから他店の参考図もあるんでしょうけれど……」
「え? 知らないです」
 ……おいおい、大丈夫ですか?(汗)
「設備とかはいいんですか?」
「僕は設計だけなので、別の人が見てますから……」
 ……あらあら、本当に大丈夫ですか??(汗)
「設計は、知らない、で済ませられるもんじゃないですよ。設備も電気も、全部知らない設計に、設計はできませんよ……」
 ……自分はそうではなかったけれど、ここでは棚に上げておこう(苦笑)
「コンセントの位置は? 排煙は? 設計に絡んでくる設備なんかいっぱいありますよ?」
「あ、はい……」
 うん、間違ったことは言ってないですよね、Kさん?(苦笑)
「資料は用意できるもの全てを用意しておいた方がいいですよ?」
「でも、他の人が取ってると思うから、いらないと思うんですけど……」
「あなたが「思う」ことなんて関係ないですよ。必要かそうでないかは、あとで判断すればいいんだから、とにかく全部を知るようにすべきですよ。いらなければ後で処分すればいいんだし、必要なものがなくて、それが後で手に入らないかもしれないんですから」
 ……間違ってないですよね、Kさん?(苦笑)
 トレーを片付けて席を立つ。
「あの、お客さんは設計の方ですか?」
「私は、ただの通りすがりの名も無きものでござんす……」

 一部分、誇張はしてあるけれど、まあ、だいたい以上のような感じ。
 誰かをイジるって、楽しい!(笑)

 知らないことは罪である。
 知ってこそ初めて必要なものが判断できる。

 今日は
「12141」



2006年10月01日(日) 「夜のピクニック(映画)」「カポーティ」「ストロベリー・ショートケイクス」

 今日は月一回の映画感謝デー。
 銀座と渋谷ではしごしてきた。
 まずは銀座で、

「夜のピクニック」

 を観た。
 原作の文庫を読んであったので、映画になったときにどうなるのか、を楽しみにしていたのだけれど、まあ、自分の青春の思い出を呼び起こしながら観るとよいかもしれない。
 続いて、

「カポーティ」

 これは、作家トルーマン・カポーティのお話だったんだけれど、頭の大事な箇所で……落ちてしまった。ショック。
 でも、まあ、観終わって思ったことは、良い作品だということ(苦笑)
 作品全体の雰囲気も良かった。役者さんも良かった。
 そして場所を渋谷に移して、

「ストロベリー・ショートケイクス」

 を観た。
 女の子四人のそれぞれの恋や仕事や日常を描いた作品。主演が池脇千鶴! 久しぶりに見かけた、お気に入りだった女の子(笑)
 宮嵜あおい、蒼井優、永作博美といい、映画女優に転進している女優さんが多い。
 ドラマ女優と違い、映画女優さんは存在感があるように思えてしかたがない。

 本当は「シュガー&スパイス」を観ようと思ったんだけれど、あまりの人の多さに敬遠してしまった。
 ……柳楽優弥や夏木マリの演技を観たかったのだけれど、仕方が無い。

 さて、あとは自分の作品にこの諸々がどう影響を与えてゆくのか?

 自分でもわからない。わからないのに、影響なんてでるのだろうか……?(苦笑)
 まあ、必要なものは体に自然と残るはず、というどこかの言葉を信じよう。


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