「隙 間」

2006年12月27日(水) 相変わらずのこと

 相変わらずのこと。

 なぜ、私には「面接」という形式がいつも成立しないのだろう……?
 会話の主導権をとってしまうからだろうとは思うのだけれど(苦笑)
 相手が知りたそうなことを、こちらのペースで、こちらに不都合そうなポイントを包みくらまして、話したことにさせてしまう。
 面接のプロ相手なら、まず、通用しないだろう。さいわい、現場の担当者が実際に面接する傾向が強くなっているご時世だということと業界の体質ということに、おおいに助けられているのだとは思うけれど。
 世の中、甘く見ているわけではないけれど、厳しく見ても仕方がない、と思えているからこその、慢心からこぼれる言葉だろう。
竹林から出てしまえば、決してこぼせる言葉ではないが故に、今のうちに存分にこぼしておこう……苦笑
 しかし、全てを一度批判的な目で見てからでないと気がすまない思考回路は、便利なようで、たまに苦笑いしたくなるほど邪魔に思うときがある。
 一緒にいるひとがいたら、迷惑な話かもしれないけれど。

 そしてオリジンに久し振りにいったら、おばちゃんに「顔がちいちゃくなっちゃって、痩せました?」と聞かれた……。やはり、この生活の中で、自然に痩せているらしい。体重は変わっていないんだけれど、ね。
 ノートPCでまた打ち込み直さねばならないというのに、手書きだけはどんどん増えてゆく……。
 ああ……どうしよう。正月はまさに打ち込み三昧になりそうだ(苦笑)



2006年12月26日(火) 「箱男」

阿部公房著「箱男」
を読んだ。
前述の、京極作品がヒントと言うのは、正直「箱」という言葉のみ。タイトル買いだね(苦笑)
ホラーでもミステリでもない。段ボール箱に身を潜めて街で生活する。ただ一方的に「見る」側の存在に身を置き、「見られる」側はその存在すら生理的に否定してしまうので、完全に社会とは切り離された存在となる。
だけどやがて、「見る」「見られる」という関係が互いを干渉しあい、立場を入れ替えてゆくことになっていったりする。
「見る」という快感。
「見られる」という快感。
そして、
「虚構」と「現実」の錯綜。
一度くらい誰もが試したこと感じたことがあると思う。
例えば、バケツを頭からかぶってみたり、帽子で顔の前を覆ってみたり、そんなときの隙間から覗き見えるいつも通りのはずの風景が、いつもとは違って見えて、少なからず胸が高鳴った感覚を味わってしまったことが。
官能的なイメージは、この作品に期待してはならない。
むしろ、確信的に社会と個人の結びつきに対する不確かさを説いている、と思うべき作品だ。
「見る」ものがいれば「見られる」ものもいる。
両者の視点は、常に必要なものとして身につけておかねばならない……。



2006年12月21日(木) 安部公房と京極夏彦と……

 今日は次の本を探しに神保町へ。
 危うくまた重松作品に手を伸ばすところだった(苦笑)けど、理性がそれを押しとどめる。
 なんか、今その作品を読む時期じゃねえんじゃねえの? と、頭の中でささやき声が。と、同時に、ドクと話をしていた時の会話が頭をよぎる。
「安部公房なんか私は好きですけど」
 これはドクではなく、居合わせた看護士のお姉さんの言葉。
 それじゃあ、と本棚を移動して、一冊、それも本能的に手を伸ばす。
 何の本かは……京極夏彦作品がヒントになる、かもしれない(苦笑)

 今日は
「15653」



2006年12月20日(水) 「四十回のまばたき」

重松清著「四十回のまばたき」

を読んだ。
SAD(季節性欝病)の義妹は、毎年冬になると「冬眠」しに主人公の家に訪ねてくる。姉の妻が事故死した後、やはり彼女は訪ねてきた。誰が父親だかわからない子どもを宿して。
「心の中の穴ぼこ」という表現がある。誰しもが持っていて、気がつかずに跨いでいたり、柵を張って落ちないようにしたり、落ちても気がつかないままになっていたり、ひとそれぞれに必ずある、という。
自分の場合、たぶん、穴に気がついて、落ちるとわかっていて、わざと落ちてみるタイプだと思う……。
……迷惑な話かもしれないけれど(苦笑)



2006年12月19日(火) 「見張り塔から ずっと」

 重松清著「見張り塔から ずっと」

 を読んだ。
 この作品は、まさに「リライター」という彼のスタンスが前面に表現されているといってよいような作品だと思う。
 重松作品は一貫して結末や結論を押し付けるようなことはない。こうあるべき、という姿は必ずしも、そうでなくてはならない、ということではない。
 そうではない自分に対してのやるすべのない思いを、見守るようにして見つめていてくれる、そんな物語を描いてくれている。

 そろそろ他の作家の作品を織り交ぜて読んでゆかないと、バランスが崩れるぞ、と警鐘が鳴り響き始めている。
 森絵都・三浦しをん作品あたりのライトそうな世界でも手を伸ばして、リフレッシュでもしてみようかしらん……。

 リフレッシュというか、ネタを進めなくては……泣

 今日は
「14550」



2006年12月16日(土) リミット

 ……あと二週間。
 某コンテストの締切りまで。
 ボリュームは、五割をクリア。
 ストーリーは、三割をクリア。
 だけど……
 ……。
 向こうの彼が、まだ何をしたくて、どこへ行きたくて、本当に何を見つめて考えているのかを、明かしてはくれていない気がする……。
 形だけの結末じみた風景は見せてくれているんだけれど……いつものことだけれど、もうひとつ、何か隠れている気がする。
 まあ、風景を追いかけているうちに、それもきっと、何か気がつくことがあるはず。

 ……だと思う。

 今日は
「11441」



2006年12月15日(金) 「舞姫通信」と群衆の中で

 重松清著「舞姫通信」

 を読んだ。
 主人公の一卵性双生児の兄が突然の飛び降り自殺、幼馴染の恋人でもあった。彼の死後、彼女は瓜二つの弟である主人公に、その恋人としての姿を求め、弟もそれに応えていってしまう。いつしか弟としての存在としてよりも、亡くなっているはずの兄としての存在が彼自身の中でも大きくなっていってしまう。
 同時に主人公が教師として勤める学校には、過去に校舎から飛び降り自殺した女子生徒を「舞姫」として語り伝える新聞が毎年不定期に配りつづけられていた。その中の「舞姫」とは、実際の人物像とはかけ離れ、偶像として一人歩きし、信奉されている。
 そして、主人公の幼馴染の芸能プロダクションから、心中で一人だけ生き残ってしまった少年を「自殺志願者」としての付加価値をつけてデビューさせることに……。
 なんか三重奏って感じで、ヘビーな内容に思われるんだけど……

 そこが重松作品。

 生きることと死ぬことと、いることといないことへの自分自身への問いかけを真摯に描いてある。
 どこか、切なくて苦しくて、だけど、ぐっと大事な大事な綱だけは握りしめさせてくれているような感じ……。
 次の作品は既に手元にある。

 ……やっぱり、また重松作品(笑)

 グイン最新巻(第111巻)は三時間で読み終わってしまったんだもの。隔月刊グインのペースにも馴れてしまった怖さもあるけれど、実は、そうさせる栗本薫という作家の怖さなんだ、ということを忘れちゃあいけない……。
 ……まさに超人。
 なんとも言えない情けないほどのくだらない理由(※)でギネス申請が承認されていない、この世で最も長い、たった一人の作家による小説は、まだまだ続いてゆく。
 ギネスの規定が変わって認められるまで、きっと200巻でも300巻でも書きつづけて欲しいくらいだけど、第1巻が1979年発行だからね。27年間も単行本(文庫)で発行されつづけているんだから、凄いものだ。
 (※一冊にまとめられていないから、という理由らしい)

 教育基本法改正案、防衛「庁」を「省」へ、が可決されたねえ。
 いったいどういう内容なのか、たとえば、知ってる?
 国民が知らないうちに、国民を縛る物事が決められてゆき、いったいどこで、国民はそれに対して首を横に振る権利が得られるのだろう???

 決まったんだから、文句を言うな。
 あなたが選んだ議員たちが決めたんだから、あなたが決めたとおなじこと。

 抗議デモの人の姿を、冷ややかに、無関心にスクランブル交差点を横切ってゆく群衆の中で、思う……。

 今日は
「15414」



2006年12月12日(火) 「親密すぎる打ち明け話」と、踊る〜……

「親密すぎる打ち明け話」
 を観た。
 フランス映画っぽく、静かで洒落た物語。
 人物がスマート。うじっとしたキャラのはずなのに、軽やか。
 他にもたくさんフランス映画を観尽くしたわけではないけれど、この作品は押しつけがましくもなく、突き放されたでもなく、心地よい距離感だったと思う。
 税理士がセラピストと間違われて始まった関係が、なぜそこまで物語が発展してゆくのか……苦笑
 演出とは、かくも素晴らしき力を持ったものだとは。

 と、いうのとは別の話で……笑
 なんだかやっぱり世間はニュースに満ちていて……。
 次から次へと、昨日までの悲劇は今日の悲劇にとってかわられてゆく。
 とことん、不平不満を煽るニュースが流れ、その行き所がなくなりはじめると、呆れるほど滑稽なニュースが流れてその方向性が変えられて。ひとつの悲劇がまた別の悲劇に主役を譲り、幕間にちょっとした喜劇が挿入される。

 果てしなく遠い過去から、おそらく絶えることなく繰り返されつづけている様々な事象を、拾い上げて伝えているのは人間であり、聞いているのも人間である。
 それぞれがその全てを見ることができないのだから、言われたこと、聞かされたことでしか知る(本当の意味での「知る」ことではないけれど)ことができない。

 視聴者は、やっぱり踊るしかない。

 踊るのではなくなったら、それはもう、視聴者ではなくなってしまうから。
 せめて、ちゃんとわかったうえで、踊って欲しい。
 そして、踊るように、したい。

 流されるのではなく、流れてゆきたい。
 
 ……。
 あっしぃあとぉさえぇ、のこぉせぇなあくてえぇもおぉ〜♪
(篠原美也子「Dear」より)

 最近、「Tokyo22:00」「なつかしい写真」を繰り返し聴いている。シャッフルでリピート再生(全150曲前後あるはず)しているはずなんだけど、なぜかこの二曲のところでだけ、聴き入ってしまう……笑

 今日は
「11834」



2006年12月10日(日) 一分とは……?

 一年ほど前の自分のとある記録とにらめっこ……。
 ……う〜〜ん。

 終わってるね(笑)

 いやあ、よく頑張ってた、偉いぞっ自分!(苦笑)
 最近はその記録をとっていないけれど、再びとりはじめなければならない日が近づいてきている……。
 あー、めんどいだろうな、ほんと。
 まあ、健康診断のたびに、血中コレステロール値のグラフとにらめっこするのに比べれば、まだまだ、なんのその。
 ちーに縁のある家系(?)なのか、ちーには逆らえない。なるがまま。なされるがまま、なにごとも(苦笑)
 増えるものは増える。増えたいっていうのだから、宿主(?)としては、甘やかしてやりたくなるのが、人の情け、てか「一分」てやつ。

 さて、自分のどこにその「一分」とやらを見出すか……。

「人生の全て」

 なんて答えはダメなのだろうか……?

 木村さんも藤沢さんも山田さんもビックリ、てかい?
 ある意味ポジティブ、ある意味わがまま、な答え。

 「一分」だらけの世の中に、幸あらんことを。

 今日は
「11335」



2006年12月09日(土) 「硫黄島からの手紙」

「硫黄島からの手紙」

 を観た。
 そう、観た……。銀座シネマクラブのポイントが貯まったんだもの、タダで観れたんだもの。
 だから……
 観た。

 いやあ、よかったよお、タダで観ておいて……笑
 感想は、

「それで……?」

 のひと言。
 どれだけ感動的なドラマや、胸に訴えるようなテーマがあるのかと思いきや……。

 全く、ないっ!

 ただもう日本人俳優の名演技だけを観にいったような感じだった。
 これだったら、単純にテレビで、日本の放送局で、ドキュメンタリーを作ったほうがよっぽど、よかったと思う。
 て、今夜ドキュメントやってたけれど、あのCGはいただけなかった、興ざめするだけだった……(苦笑)

 「父親達の〜」と「硫黄島〜」の二本立て上映で1800円、てところが妥当な感じだった。むしろ、「父親達の〜」のほうが、観ている人間の心を、いい意味でも悪い意味でも、「むむっ」とこさせるものがあるような気がする。
 とはいえ、前作を観ているときは「二作目とワンセットだから」という、不満に対する予防線が張られていたから、そう思えたのかもしれない。
 ……映像は、よかったよ(笑)

 なんか、こういう不満がたまってくると、筆が進んだりする。だから、これはまあ、よしとしておこう……苦笑

 今日は
「12163」



2006年12月08日(金) 「卒業」と腰痛と……

 重松清著「卒業」

 を読んだ。
 最新刊。このタイトルにしてこの時期の発売に、商業的戦略の結果なのだろう、なんてことは置いておいて(苦笑)
 四編による短編集の構成。このスタイルはもはや重松スタイルといってもいいのかもしれない。その中の「あおげば尊し」は、個人的な体験を含めて、ちょっと、しんどかった。
 いやべつに、卒業式の国歌斉唱・国旗掲揚問題がテーマになっているわけではない、念のため……。
 そしてまた、学校の教育問題がテーマになっているわけでも、ない。あしからず。
 まあ、学校との関係はあるのだけれど……。
 それぞれの作品が、別の重松作品との関連性もあるので、読んでみるとなかなか興味深い。

 何度読んでも、重松清の世界はガツン、そして、ごわぁんとやられてしまう……笑
 元々はルポライターから始まり、ゴーストライターもつとめ、そして作家として培ってきたからこそ、の世界だと思う。
 それこそ、経験がものをいう……?
 たしかにそれは、ある。
 でも、経験だけではどうしようもないこともある。経験だけなら、長く生きてきた人に敵うわけがない。ごくありきたりすぎて、うっかり見逃してしまうような出来事で、同じように誰しもが経験してきているはずの出来事を、ふと、それに視点を向けることができるかどうか……。
 ……ストック、ストック、ストック。
 掘り返せ、掘り返せ、掘り返せ……。
 今まで見て聞いて、見逃したふりをしてきた全てのことを、それが当たり前のことだと言い聞かせてきたことを……。

 ……なんてことをしていたら、腰痛が悪化(?)してきた。
 歩くのがしんどい……行きは歩いて帰りは電車で、てな感じで今日も頑張る(苦笑)
 歩かないと、頭が回らない気がしてしまうから。
 今日は
「15883」



2006年12月06日(水) スマイル・オン・ザ・ドレッド

 なんだかなあ……。
 最近の政治の話を見たり聞いたりしていると、呆れてものも言えなくなる。
 「べーやん」(安倍さん)も、いったい何に向かって尻尾を振っているのだろうか?
 べーやんだけじゃない。
 相手との駆け引きで勝つために必要なことなのだろうけれど、そのほとんが国民にとって、全くと言っていいほど必要ではないことだったりする。
 今、揚げ足を取って突き崩そうなんてことをやってる場合じゃないでしょ? なんてときに、やれ行けえ、それ行けえ、てな感じで「我、敵将の首に迫ったり」てな得意満面の顔で攻め立てて、肝心の議論の結論を出させまいとしていたりする……。
 まったく、そんなこたあ、俺たちは、これっぽっちも、どうだって、い、い、ん、だ、よ!
 てな感じでストレスが溜まってくる(笑)
 まあ、議論の本筋を微妙にずらして議論そのものを成り立たせない、なんてのは常套手段なんだけどね……。

 それはさておき、いつもの薬局に、「ドレッドの彼」と密かに読んでいる薬剤師の青年がいた。久しぶりだった。本当は、きれいめなお姉さんだったら嬉しかったんだけれど、それはそれ、これはこれ、でそこそこ、嬉しかったりする。
 ドレッドの加減が、随分と弱くなっていたのが気になった。
 ……でも、
「どうしました?」
 なんて聞けない(笑)

 ドレッドの下からのぞくメガネの下のつぶらでやさしげな瞳に、こちらも笑顔で答える。
「お大事に」
「ありがとうございます」



2006年12月05日(火) セルフ……

 ドクとまた文壇談義(苦笑)
「谷崎(潤一郎)は、晩年はちょっと……だよねえ。やっぱり中期のが面白いよ」
「谷崎ってまともに読んだことないんですよ。たしか伊豆かどこかの人でしたよね」
「関西にいた頃のがいいんだよ。といっても二回くらいいたと思うんだけどね」
「そうそう、熱海、でしたよね、たしか。関西にいたんですか……」
「そうそう、三島(由紀夫)の流れに川端(康成)がいるんだけど……」
「安部(公房)作品も私、好きですよお」
 ドクと助手の女性と自分の三者三様に華を咲かせる……笑
「で、処方はどう?」
「あ、これとこれだけでいいです」
「あ、そう、これ、いらなくてすみそうなんだ。そりゃあ良かった。で、新作は書いてるの? 今度読ませてよ」
「ええ、まあ、今度……」

 ……こんな感じ(笑)
 冬化粧の東京タワーを見上げながら、まあ、こんなもんか、と苦笑い。
 現在の日本医学界に頼ったところで、今のところどうしようもないのだから、自分でその医師の知識を借りてやってゆくしかない。

 セルフプロデュース?

 仕事だけではなく、健康(?)まで生涯やりくりしなくてはならないなんて……ま、いっか(笑)
 他の人には決してできないこと、と前向きに考えましょう。
 他の人は、決してやらなくてすむことなんだけれどね(苦笑)

曰く、
「孫子(そんびん?)ともあろう方が、王に他国へ逃げ出さぬようにと足を切断され車椅子の身の上となり、さぞ、悔しいことでしょう」
孫子曰く
「どうして悔しいことがあろうか。これによって常人では気づくことのない別の世界を窺い知ることができたのだから、感謝こそするべきことだよ」



2006年12月04日(月) 気のおけない……

 私は付き合いの古い一部の者たちを除いて、「本音が見えない」人らしい。

 基本、人見知り。
 原則、小心者。

 だから、私自身が馴れていない人に対して常に己を韜晦し続けているのかもしれない。付き合いが長くなっていると、私自身がようやく落ち着いてゆくのがわかると思う。
 だけれども。
 一見なはずなのに、自分の中の一切を、小出しにしたりせず、ばら撒いてしまうこともある。そんなことは、ごく稀ではあるけれど。

 公の社会では、個を殺し、社の顔を意識しなくてはならない。
 だから、
 私の社会では、存分に個のままでいるように。

 昨日は嫌でも、今日は好かもしれない。
 じゃあ、明日は?

 とりとめもなく、うつろいゆく己のままを素直に、そのままであるように……。

 今日は
「15666」



2006年12月03日(日) 「父親達の星条旗」と「麦の穂を揺らす風」と勝手と容認と……

 あ、さてさて……

「父親達の星条旗」
 を観た。
 クリントのおっちゃん監督だし、ドリームワクースでしょ。「ミリオンダラー〜」とかを観ていないから、イマイチおっちゃんの評価をやや斜めにみていたんだけれど……。
 おっちゃん、なかなかやるなっ!
 世間の表と裏と(もちろんマスメディア含む)、理想と現実と、歴史と現実と……なかなか良かった。
 第二弾の「硫黄島〜」を観てみたいからとりあえず、という気持ちで観にいったんだけれど、とりあえず、なんかとんでもない、と思えた。

「麦の穂を揺らす風」
 を観た。
 アイルランドのイギリスからの独立をめぐる当時のアイルランド人の若者達の物語なんだけれど、これはまた、ズン、ときた。
 簡単に、アイルランドに対する不当なまでの軍をはじめとするイギリスの問題を、イギリス人である監督が批判的なテーマで描いている。そのことが、すごい。
 独立を目指し共に闘ってきた同志が、独立後にまたその有り方に対してまた内部分裂してしまう……。それぞれの過程で、裏切り者、反政府の犯罪者として、幼馴染が幼馴染をそれぞれ銃殺しなくてはならない連鎖を繰り返してゆく……。

 いかにそれぞれの作品の中で、それぞれがそれぞれの正当性やそうせざるを得ない状況だとはいえ、一人の人間の命を奪い取らなければならない、というのは過ちだといいたくなる。
 戦争、災害、自殺。
 どんな理由であれ、失われるものはどれも、同じ。
 宗教や民族の問題でもめることだって、あったって、いい。
 だけど、その結果、いかに効率よくその問題を解決しようとして命を奪うという手段を選ぶことだけは、許されない。

 ……だけど、自分の大切な人が理不尽なまでの勝手な理由で命を奪われたら、その相手に対して、命を要求せずにいられるのか、ということについては、首を縦に振ることはできないかもしれない。

 ……人間って、勝手だよね。
 正しいことは人の数ほどあって、間違ったことも人の数だけあって。
 どれだけのことを、それぞれが容認し合えるのか、が大切なのかもしれない。


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