しゃぼん暮らし
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2005年11月30日(水) なまえに海あるひと[4]

霜月のおわりの日

わすれがたい一日となった

相棒ミヤモトさんと鎌倉へ取材小旅行へ
作詞・伊藤海彦氏(故)の奥様
作曲・平井哲三郎氏
にお会いできる機会をいただいた

うたがうまれるとき

を探しにゆく






(続く)


2005年11月24日(木) 「鳥になってしまうよ」

『セロ弾きのゴーシュ』生演奏付き影絵を
こどもたちと観劇

隣席にキクチさんがいて
つと目礼
教会のオルガン弾きのお母さんだ

底冷えの体育館
上着の前をきゅっとにぎる

それでもゴーシュは楽器をはなさない

なぜなんでしょう、キクチさん

とは問わなかったです



午後から

関内の日本新聞博物館、新聞ライブラリーへ
平日の昼間なのに満員である


和暦・西暦対照表

ずっとむこうまで紙色
ずらっと全国各紙の並ぶ棚

配架新聞一覧表をうっとりとみているうちに順番がきた


もとめていたデータには出会えなかった


2005年11月23日(水) めくり

祝日なれど
軍手して

区PTAの音楽交歓会

平台を運んだり
発声練習したり

「洋楽の司会ははじめて」と
PTA会長さん、本職は落語家さんだもの、さすがに手慣れている

わたしが演目をかいた
いくつもの学校の名前

めくり

が舞台のうえでひらひらとめくられてゆく

ボランティアスタッフのママさん連の名前もかいた 次々かきつらねる
みしらぬひとの

花束のような

おんなのひとのなまえって

いいなあ



ピアノを移動させるための機具をはじめて見た
もぐりこんでピアノを浮かせる

搬出がすべてすんだのは予定より一時間半あまりもはやかった
みんな手際がよくてびっくり

帰りにマツウラさんがそっと
きれいな箱を手渡してくれた

『青墨』



(わ、こんないい墨)


2005年11月22日(火) 『青天』


〈短歌絶叫コンサート〉

我が家に
あたらしいファックスがきて
第一便がこのお知らせ

驚いた

黒々と力強い文字をじっと見つめる
逗子、舞踏家さんとのセッション

福島御大
ますますお元気そう
この秋、CDつきの写真集出ています

そういえばこの秋は
わがふるさとの朋友、荒木泉教諭が制作をしてくれて
能登での講演(絶叫つき)も実現したのだった



ふしぎ

こころ
おどる


2005年11月20日(日) 甲羅ホテルの水音

青系しおりひもを買った

だけで嬉しくなってしまい
すすまない

豆本をちまちまつくる予定だったのに
なんだか友人のCDジャケット袋なる物(限定版らしい)を作成していて
過ぎた

古布を裂いて
ジーンズをたくさん裂いて

太い針で縫う

楽しくなってきて
いろんな色の皮をつぎはぎしてハードな
エプロンもつくった
姉妹にはいまいち不評だが
今度の餅つき大会用にと


日曜日
ひとりで1929ホールへ

トリエンナーレのやすらぎ施設空間になっていて
甲羅ホテルでのんびり
裏は大野一雄氏の衣装部屋になっている

すごい

いいのか

貸し切りみたい


と思いつつ
眠ってしまう




はた



と目覚めるととっぷり日が暮れていて
あわてて家に帰る


姉妹がミニスカサンタになっていた


これ、きて、どっかいきたい
とはしゃいでいる


夕飯の支度をしていてるあいだ
ちょっとそのへん遊びにいっといで、と



作務衣の男をおともに
おくりだした



2005年11月19日(土) まえぶれ

午前中
ママさんコーラスの練習

指揮棒をふりながら
「ここはロマン派でゆこう」と言う

先生ったら、びい型、っていがいと言文いっちだなあ、と
思いながら
『蘇州夜曲』



昼は町内会の行事で街路にさつき植え作業
中央大通り

ユイとふたりで

土をどんどんかぶせていった


道はながく

いろんなひとたちがペアで
かぶせた土のうえを踏んでいる


それがすむとペットボトルの水を手に手にかかえて

子供達が走った



2005年11月18日(金) ラテン語学生

ガラスの靴が生えてきて
棺の中のさらわれた女の子たち

さっき観たばかりの映画『ブラザーズグリム』の場面を
想いながら


レクイエムの楽譜をひろげて
逐語訳をかきこんでいたら


どみの、どみに、てぃぃび、

うたうときだけの言葉、って

いい


ここは温かくて
湯気


となりでタバコをふかすご婦人

のところへ
娘さんがやってきて

これ、のんでみて

とじぶんのアイス・コーヒーをさしだす



楽譜ひろげたまま聞くともなしに


もうすぐね、という話


あ、こっちのほうがおいしいね



紙袋の説明をはじめた


リング、ピロゥは
母のお手製でゆくらしい

わたしはその由来を知らなかった


2005年11月17日(木) 垂直感染

川田悦子さん講演『つながっている命』
を聴く

川田龍平君のお母さん

闘う母

偏見
差別

血液精剤
静脈注射


聞き慣れない語に
きんちょうしつつ2時間余り



思いの外クールで明晰な語り口に
これはもともとこのひとの持つ資質なのか
つちかってきたものなのか


未成年で実名公表

子供やじぶんの誇りをまもるために
離婚した

家の押入を改造して
インターフェロン投与をつづけてきた日々




トランペットを吹く少年




「同情しないよ」

「おまえはおまえ」



龍平君がいちばんの親友にびょうきを告げたときの言葉





2005年11月16日(水) なまえに海あるひと[3]

昭和初期のラジオドラマ集を読んでいる


ふるい本
ほろほろの表紙
旧字

本のさいごに放送日の日付と作品が並んでいる

伊藤氏は詩人、そして放送作家でもあった
『飛翔』『霧の季節』

この時代の恋人同士はおたがい敬語でかたりあうのである
そして音楽や効果音のくっきりした
丁寧なつくりに


はるかな温かな気持ちになる


寺山や藤本義一、川崎洋などの
さいしょに音波に乗った作品なども面白い



合唱団の来年の演奏曲に
練習中のモーツアルト『レクイエム』と

もうひとつくわわったのは

この伊藤海彦氏・作詞 荻久保和明・作曲の合唱組曲
『季節へのまなざし』



あまりのぐうぜん

おそろしいように嬉しい



2005年11月15日(火) 晩秋、はらんの

長電話

というのは秋の季語ではないか
と思ったが見あたらず

晩秋の夜らしく
ある女の子からはらんの恋話を聞く


姉妹
えらく静か、と思っていたら
ホットケーキ投げをしていた

手に皿をもっておたがいに受けては返す

叱られると思って
こっそりとしていたらしい

「なんでそんな寒いとこで」
「だって、ここが一番きょりがある」

廊下にちゃんと
紙を

ひいている




2005年11月14日(月) 風の病院 耳の病院

深夜

「みみがいたいみみがいたい」

と泣く子供

なんの前触れもなく、だ
しばらく、おさまる様子もない

桜木町の救急病院へ

ちゃんと歩いて電車に乗って
「いたいいたい」と言いながら
着いた

待合いで
やはり子供が

鼻の穴にものを詰めてぬけなくて困って
救急へきていた


診察が終わる頃にはもう「いたい」と言わなくなって
風邪の熱による急性中耳炎、と診断

翌日
耳鼻科へゆく

薬局でせがまれて
最近でまわっている
幼児のための薬を飲むための


薬を包むゼリーのようなものを買う


便利だが

解せん


2005年11月08日(火) プレス

と名札のあるひとたちが

「映像?」ときかれていて
「・・・」「うーん、手でみるテレビのものです」

風は港からくるけれど
襟をたてていれば寒くない

炙りチァアシュウ丼なるものの列についている
昼食時

横浜トリエンナーレでつきそいバイト
平日で晴れ晴れと貸し切りのような一群
交代でお昼をとるけれど
誰かしら行方不明になってしまって

たよりないよ、埠頭





未亡人に手紙を書く

なぜこんなに緊張する?
と思いつつ

誰でもだれかをなくしたものであるのに








2005年11月07日(月) フルで

落ち穂ひらひ
息をふきかけると文字が浮きあがるのこと


わからなくて枯葉清掃



跳び箱

みんながみんな跳べる
あとは、うつくしくとぼう、かかえこみを、と



授業参観、ふたりの教室をいそがしく回る

この季節
教科書の下巻をわすれないことね

四年生、ついたては要らないの?
男の子と女の子もうべつべつに着替えるの


名前はしってるんだ、学校中の先生の名前、お友達の名前ぜんぶかんぺきに言える いちねんせい自閉症のM君はふつうクラスでもだいじょうぶ


なまえが

はしからはしまで連なっている地平線

おぼれてもいい?
こっそり





2005年11月06日(日) キャラメル巻

中華街

南門はペニーレインである

ふりやまない

革命うさぎさん教室
『キャラメルマキアート』を観る

あまくてたいくつな芝居

しかし地下の空間はあたたかく、手作りのうつくしいランプが灯り
心地いいのだった

ライヴを聴きにきた、ことにしようと思い直す


国籍不明のギタリストを怪演した久米さん、劇中、久米さんのつくったねじれたさみしげで不思議な楽曲をスティーヴが
唄いあげる

いい歌い手って間合いのとりかたがうまい

そして
なんという誠実さ






2005年11月05日(土) 郷愁の収集

黒板の字を

テスト前の生徒さんのように
ノートに書き写す

何時の時代の教室風景だろう
ダルマストーブ、木の机


近所の刑務所矯正展



綿菓子、焼きそば、お餅をついて
にぎやかに人々が行き交うなか
塀のなかのみなさんの作品が並ぶ 

毎年リポートしてるような、しかし、
今年はドールハウスが流行筋なのか

おびただしいハウスのなかでも
ひときわ目をひく

学校は

網走から出品の〈山の学校〉



黒板は極小

チョークの字はさらに小さい






  巨塀越えて
  蝶々
  花野に自在なる





横浜まで

みしらぬひとの
言葉は届けられた


2005年11月04日(金) すもものはんこ



写真がとどく

ぷらむ短歌会がこの秋おしまいになって
まだ少しすかすかする

なにかのひょうしに
横浜線に乗って
南大沢にいってしまいそうだ





ファイナル吟行も
とても和やかだった

みんな優しかったな

なりゆきと雨で
とある青春映画を鑑賞したのだった

映画みて
ごはん食べて
うーん、と唸って
すぐ短歌をつくる



うーん、といって


笑いながら








「ありがとうございました。」




2005年11月03日(木) オーヴァオール



オーヴァオールが

とても似合っていたひとがいて
彼女が着ると色っぽくて粋な感じなのだ

手足がながくて絵画のモデルさんだった

はじめて会ったときから
ずっとオーヴァオールで一度だけ仕事帰りの正装をみたような記憶があるのだれど
印象に残っているのは
その姿



ヌードだと
すこし料金がいいの



コスチュームと
ヌード

2種類あるのだとおしえてくれた



第七の制作部屋で
制作の仕事の、いろんなこと、

劇団第七病棟はいつも既製の劇場ではなかったものだから
開場前にねんいりにトイレ掃除をしたり
ずぶぬれになりながらお客様の傘札を受けとったり
折込みにゆくときは
いつも重いほうのチラシの束をもったり


そんなふうに

教えてくれた



まいにち終演後
制作チームはビールを飲みながら上野駅まで歩く


いつだったか


帰りの電車で
彼女がさきに降りて

手をふるとき


紙袋から
オレンジをほおってくれた



閉まるドアのすきまから

果実が届く



すこし訛りがあって

その音でわたしの名前を呼んで




投げた





(あのときのあなたと同じくらいの歳になったよ)



オーヴァオール

着てみようかな



2005年11月01日(火) なまえに海あるひと[2]

なんとか詩人体系本のなかに
きばんだ住所

しらされることも空に浮いている
おおきな図書館のデータのなかにいくつも墓標があらわれてくる

生きているのか死んでいるのか
わからぬひとの言葉が

ふえてゆく

不思議

けれども
言葉のなかにかくじつにそのひとは生きていて
とてもちかくにいる

と感じること



会えないだろう




どこかで

思いながら調べている


そのあかるいさみしい安堵


会う、ってどういうことかな


年譜


、年生まれ






しろいしろいゆめをみているような









そして平成になってから
変奏された
男声四部の合唱曲版校歌


テナーの独唱とフルート助奏

ただ一度だけの演奏のための楽譜

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