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みんみん



 『クウネル』と『暮しの手帖』

るる再びです。

あるいはどなたか既にどこかでされていそうなお話なのですが。
『クウネル』(マガジンハウス、月刊)を『暮しの手帖』(暮しの手帖社、隔月刊)リスペクト(と、あえてこんな言葉を使ってみる)として位置づけてみる。

『暮しの手帖』の装幀がリニューアルしてそんなことを思った。ぴょんちゃんによれば、手がけているデザイナーさんが同じなんだそうだ。おおそうか、そういう見方をしたことはなかったぞ(本の装幀は見るけど)。私が言うのは内容から受ける印象についてだが、見た目も重要だ。
そうなんだー、と、本屋で改めて今出ている『暮しの手帖』を見たら、さらにまたなんというか一段と雑貨屋みたいな装幀になっていて、ちょっとレトロでおしゃれ?(語尾上げ)と言われているようで、しかしそれが却ってあれで、これはどうしたんだ、ペラペラだぞ、と思ったのだった。そしたらまたもやぴょんちゃん情報で、今号からまたデザイナーさんが変わったらしい。今度は『ミセス』や『翼の王国』(ANA機内誌)を担当されている方なのだとか。『ミセス』『翼の手帖』どちらもいい雑誌だとは思うけれど……
号を重ねるにつれてだんだんマガジンハウスの雑誌*らしく*なってきていている『クウネル』につられているわけではなかろうに、「本家」まで苦闘しているようだ。

だがしかし、『暮しの手帖』と『クウネル』の間には決定的な違いがある。

例えば宮脇愛子を取り上げるというような。
例えばそんな視点に向かうこと。
(余談だけど「宮脇愛子」と見たとき、ビテチョウ(注・『美術手帖』)かよ!と思ったけどそっちの−−イソザキさんの−−愛子さんじゃなくて、故・宮脇檀氏のお母様−−この方も故人−−だった。そりゃそうだ。)
堀井和子さんの○○、とか、伊藤まさこさんの○○、とか言うのではなくて。堀井さんや伊藤さんがどうこういうのではなくて、比喩だ。
『暮しの手帖』の人選だってすごいラインナップだ(った)けど、どうだ取り上げたぞーというところで終ってはいないと思う。

広告載せるな・スカート穿け・雑誌と共に人生を生きろ、とは言わないから、人の名前に頼らないでちゃんと見つけて、と、思う。
『クウネル』には花森安治がいないのだから(それは幸いでもある)、マガジンハウスなのだから、メジャーを活かして楽しくやってほしい(『LEE』みたいにならずに、と一言加えつつ。まあこれは大丈夫だろう)。

『暮しの手帖』も転換しようとしているのだろう。雑貨屋チックな表紙で『クウネル』を手に取るような男の子女の子たちも取り込んでゆけるかも知れない。いいじゃないか。
性差も年齢も(人種も)問わずに読める雑誌なんてそうそうない。ターゲットは呼吸をして*暮し*ている人だ。

なんて好きなことを書いたのはやはり、どこよりも新しくてずっと変わらない何かを期待しているからだろう。


付け加えると磯崎新夫人の方も好きだ。昔、原美術館で作品を観て衝撃を受けた。わりとミニマル好きだったりもするからだけど、これは私か、と思って(不遜な)。
今はもっとさらりと観られると思います。

2004年02月06日(金)
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