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みんみん



 長々縷々(主に負け犬)

だらだらと、というのが正しい。


日中、用事のついでに温泉に入ってきた。一昨日といい、いつも温泉入ってるみたいですな。
またとりわけおばちゃん度が高い。しかも常連さんが多いらしく、カランを使おうとしたらほとんどが「予約済み」だったりした。
乾燥肌に高温のサウナはよくないと聞いてから控えるようにしているのだけれど、あまりに寒かったので入ってみた。今日も雪が降っている。
とあるおばちゃん曰く、昨日テレビ見とったら、「道路に雪撒くな」言うとって、私のこと見とった(=見ていた)んかと思ってしもたわ。
おばちゃんのことを見とったわけじゃないと思うけど(笑)、でも多いのだ本当に。自宅前に積もった雪を道路に向かって放り投げる人が。
なぜそんなことをするかというと、雪を投げ入れる排水溝がなかったりする場合に、走る車で雪をつぶそうと、融雪装置でとかそうということのようだ。
でもほんと恐いのでやめてねー、なんてここで言っても絶対効果ナシ(笑)。

それにしても雪のない風景が恋しい。雪の日に生まれたから雪にも寛大な方だと思っていたが、だんだんと変化もするようだ。



先日の日記に書いたように、酒井順子『負け犬の遠吠え』ってばーりばり誤読されるんだろうなーと思っていのだけど、やっぱりそうらしい。ちゃんと読もう(笑)。
またわざわざマスコミで誤読させた(した)ままタームだけ借りちゃって特集を組んだりするんだろうなあ。この件については確認していないけれど、「老人力」の時はそんなこともあったと思う。
# A瀬川さんちにはセコムがついている。
  お金持ちになったんだなあと思った。
  セコムのついてる(元)アヴァンギャルド・アーティストの
  家って……
  なんていうのは大きなお世話と言う。たぶん。

しかし誤読というのは心しなくてはならないところで、こんなだといいなー、と思って読んでいるとそういう風に旋回していったりするからこわい。日本語だからわかると思ったら大間違いな話だということだろう(ネットで起きる諸問題もそこに起因するのかも知れない)。
誤読もまた作品受容の一面だと思う(これは本当にそう思う)。けれど、「何か」言おうとするならもうちょっと冷静になる必要がある。

ちょっと話がずれます。
いい作品というのは2つあると思う。
ひとつは客観的に見てよく出来ているもの。小説だったら面白い(この定義が難しいんだけど)とかそういうもの。巷間一般に名作と言われているものはここに入ると思う。
もうひとつは、作品の出来不出来とは別に、さまざまな解釈をはらみ/が可能な性格を持つもの。さまざまな文脈による誤読も含め、賛否両論をも含めた受容がある作品。
いま、後者はともかく前者についてはかなり大雑把な言い方になってしまっている。もちろんこれは後者について言うために対照的にマクラをふる必要があるからなんだけれども。
前者であり後者でもあるケースが、作品の懐としてはもっとも大きいということになるだろうけれど、時に、前者でなくても後者ではある、そんな作品(現象)だってある。

まあだけど負け犬勝ち犬についてに何か言おうとするなら、一応相手(筆者)の土俵に上りましょう、ということにはなるだろうな。勝ち犬・負け犬*論争について*語るならいいんだけど。
と書きながらすっかり論争(の誤読)そのものの方が面白くなっていたりもして、我ながらやなかんじだ。
酒井さんの本は面白く読んだ。あちゃー私もフグだわー、向田邦子より長谷川町子がかっこいいよなー、ってことは私は社民党なのね、なるほどー、とか。客観的数値が示されているわけではないけれど、鋭いツッコミ(しかもみんな少しは色気があったりするからなかなか言えないというか、ミもフタもないかも知れないというのでためらっているようなこと)に満ち満ちているので面白い。ていうかこんなの客観的数値で示されたところでよほど上手にやってくれないと興ざめかも。そんなの当たり前じゃん(ってこともないんだけど。本当は)、面白いことを面白くなくしないでね、と思ってしまったりして。

で、私は負け犬(未婚子無し・仕事持ちそれなり矜持あり)なのか勝ち犬(既婚子持ち・専業主婦)なのか?(笑)

ありうべき反応としては、あははー、わかるぅ〜、あるいは、へぇ〜そうなんだー、といったところか。AERAの小倉千加子氏との対談でだったか、その後酒井さんのところには「勝ち犬らしい私だって本当は」という身近な人たちからの反応があったらしいというけれど、それは著者が想像した展開ではなかったのではないか。
やはり落としどころとしては、マルコさんも(同じ酒井さんの『少子』を評して)おっしゃっていたパラダイムシフトということになるかと思う。まあそれだけやっぱりみんな狭いところを見て暮らしがちだとも言えよう。
後付けはともかく、著者が自分をネタにしているからこそ芸(研究にあらず)になり得ているのだとも思う。



中古CDなど届く。
とある曲を聴いていたらなんだか気持がうつったみたいになってこまった。そして久しく会っていない友達のことを思い出した。ひととおり聴いたけどうつりすぎていま再び家で聴く気持にはなれないなあと思った。気が向いたらカーステに入れよう、とか、そんな。

2004年02月05日(木)
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