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■ みえるみえない
見えないことっていろいろある。 のいと出会って猫が*見える*ようになった(理解しているというわけではない)。 病気をすると健康な身体のありがたさがわかるようになる。 まだ見えていないことがたくさんあるのだろう。そう思うと末恐ろしい。自分の狭量さが。 まだまだ見ていないものごとひとがたくさんあるのだ、と考えてもよいだろうか。
まず、自分で(あるいは信頼出来る人と共に)静かに考えたい。主客転倒しないように。
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毎週火曜日は生協の日(共同購入の配達がある日。実家で加入)なので、実家に行く。 祖母はまだ福岡の叔母のところだ。
車から降りて入口に近づいた私の姿を認めると、窓越しにのいが「にゃー」と鳴いた。 勝手口の鍵を開けて入ろうとすると、お隣りのMさんちの庭(こないだのいが集会に参加した場所)に熊猫が座っていた。「遊びに来とる」、と、おじさん。
実家で注文した分と私が注文した分を、それぞれ、冷蔵庫に入れたり取り分けたり。 その間のいは、流しに上ったりしている。「そこはあんたの上るところじゃないやろ?」と言って目を合わせると、(上ってないよ)と言わんばかりにさっと下りる。
掲示板にも書いたけれど、今日は面白い風景を目にした。 外で他の猫の気配がすると、のいはどこにいてもそれを感じ取り、うなり声を上げてそわそわと落ち着かなくなる。今日、その視線の先を見てみると、納屋の裏の方(栗の木のある場所)へ、見たことのないサビ模様の猫がのっそりと歩いていくのが見えた。 しばらくして熊猫が、隣の家から実家の裏手に停めた私の車の下に移動してきた。さらに先ほどのサビも両親の車の下に隠れた。そこに今度はのいと同じ茶トラの猫(のいより年かさなので「先輩」と呼んでいる)がどこからか現れ、都合3匹の猫が2台の車のあたり、微妙な距離を取りつつうずくまっていた(いわゆる箱座り)。猫の集会だ。 しかも3匹の猫は、のいがいる方を向いてうずくまっているようにも見えた。のいもまた、3匹のいる方を向いて、自分も集会に参加しているかのように箱座りをしていた。 推定するに3匹は皆オス猫だが、けんかする風でもなく(実際のいが集会に参加した時も無傷だった)、淡々とお互いを気にしつつそこにいるようだった。父に言わせると彼らはのいがいるのを見越して集まるようになったというのだが。 ところで先輩の姿を久しぶりに見たのだが、久しぶりに見る先輩は、のいよりほっそりしているように見えた。昔は本当に大きく思えたのに、すっかりのいの方が大きくなってしまった。外猫は運動量が違うのだろう。ノラだとすればなおさら。
窓越しにのいが見ていると思うと3匹のところへはなかなか行かれないけれど、でも応援している。
2003年03月25日(火)
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