決して決して、彼女は私という個体の感情の発露ではありません。
個体の根本基底から連続するのが彼女でなければ、
個体が崩壊する時にだけ出現するネオンランプのようなものでもありません。
何故なら、数学的表示が崩壊した時に彼女は生まれこないからです。
何故なら、合理が瓦解しても残るのは情感だけではないからです。
何故なら、朱熹のような理知だけで人が区別出来ないからなのです。
私は彼女を愛していますが、彼女は愛してくれないし、愛してはいるけれど好いてはいないからです。
ジェットコースターに挑むカナブンのように一瞬で肉体は、プチプチです。
個性が好き、などという現代の恋愛至上主義、つまり恋愛の最で馬鹿な、
人の言われたことを自分の保守で肯定するような感情総体を、
どのように弄繰り回しても出て来はしないのです。
闇夜で漣薫る初夏の海辺で、ホワイトピンクの頬がうっすらと色づいている彼女が、
丹頂鶴のように舞っています。
私は、いつかいつか、この場から永遠に立ち去らなくてはならないでしょう。
永劫、帰ってくることは出来ないのですから。
理性でも感情でも聖性でもってしても尚、帰って来れないのです。
合羽を脱ぐように、肉の皮を剥ぐのが先になるのでしょうか。
道先は、晩秋の雪がチラチラ遊ぶ無限の平原のように広がっています。
注記;「漣(さざなみ):日本映画「漣」も意識し使用。」、「薫(かお)る」、「発露(はつろ)」、「根本基底(こんぽんきてい)」、「崩壊(ほうかい)」、「瓦解(がかい)」、「朱熹(しゅき):中国、南宋の儒学者」、「一瞬(いっしゅん)」、「好(す)いて」、「挑(いど)む」、「至上(しじょう)」、「弄繰(いじく)り回(まわ)す」、「闇夜(やみよ)」、「頬(ほほ)」、「舞(ま)っている」、「丹頂鶴(たんちょうづる)」「永劫(えいごう)」、「尚(なお)」、「合羽(かっぱ)」、「剥(は)ぐ」、「晩秋(ばんしゅう)」
執筆者:藤崎 道雪