■2005年07月25日(月)
― パニック&パニック ―
先週の木曜日。朝、用事があってBFに電話したら、声の様子がオカシイ。熱があって扁桃腺も腫れているらしい。会社はお休みすることに。翌朝には平熱に下がってひと安心。でも大事をとってもう一日会社をお休み。 私はこの日からしばらく忙しく翌日の土曜日も出勤の予定。仕事途中、BFから「熱がまた上がってきた」とのメール。心配しつつも、10時になんとか仕事を終えて会社を出た。BFに電話を入れると「薬を飲んでも全部戻しちゃうんだよ…」と息も切れ切れの苦しそうな声。ああ大丈夫かな、急いで帰らなくちゃ! BFの家に着くと、なぜかBFのお父さんがドアを開けてくれた。お母さんもいてどこかに電話をしている。ただならぬ様子のお二人…、どうしたの?! 急いで家に入ると、ぐったりとしたBFの姿が…。BFは夕方から40度の熱が続いて、薬も飲み物も全て吐いてしまい、汗は一滴も出てこない。脱水症状を起こしていて危険な状態だった。本人も危険を感じて、実家のご両親に来てもらったらしい。お母さんは救急車を呼ぶために電話していたの。 あまりのことに私はオロオロするばかり。救急車が到着しても、患者であるBFのほうが冷静に救急隊員に病状を説明していた。ああ、自分が情けないよ…。 夜間診療の病院が近所になかったため、救急医療センターで点滴と治療を受けて帰宅。その後、離れて住んでいるBFの妹さんと連絡が取れて、妹さんの運転でBFの実家の近くの夜間診療病院へ運ぶことに。 妹さんの冷静な指示と判断で、移動中も氷で冷やしたりカラダを支えたりする私。年下の彼女に頼り切ってしまい、ますます自分が情けないわ…。 経口薬は吐いてしまうので、病院では座薬の解熱剤を処方してもらい、明日また点滴を受けにくるように言われた。この日は私も一緒にBFのご実家に泊まった。座薬を入れたし点滴のおかげか汗も出てきた。あとは治るのを祈るばかり。 翌朝…。熱が下がった!扁桃腺の腫れはおさまってないものの、食欲も少し戻ってきてスープを残さず飲んでいた。本当に良かった!ひと安心したところで、私と妹さんは仕事へ、BFは点滴を受けにお母さんの付き添いで病院へ。 仕事は難航してあまりはかどらなかったけど、毎週土曜日は実家の母(骨折中)を見舞いに行っているので、夕方には会社を出なければ。帰り支度をしていたら、大きな揺れ…地震!目が回ってしまったよ。 揺れがおさまって会社を出ると、地下鉄がストップしている。仕方なく東京駅まで歩いて移動。東京駅に着けばなんとかなるかな、と思いきやもっとひどくて、ほとんどの路線が運行中止。それから約2時間、私は駅構内から動けなかったのだ。 JRったら全然ダメだ!!対応が悪い!!! 運行中止はしかたない、そりゃわかる。でも今の状況や再開のメドを、逐一、報告してくれてもいいんじゃないのぉ??! 待ちくたびれてイライラが頂点に達した頃、京浜東北線が運行再開とのアナウンス。ダッシュでホームへ移動し車内へ。電車にやっと乗れても、徐行運転で目的の駅までいつもの倍以上の時間がかかった。やれやれ…。 BFの高熱と地震で、私の“パニックに弱い性格”が明らかになってしまったこの週末。急病や災害の時だからこそ、落ち着いて冷静に行動する必要を大いに感じました…。
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