| 2004年06月09日(水) |
報道における偏愛と排他 |
窪塚洋介が飛び降り自殺をはかった。 一命を取り留めてまずは安堵。 それ以外に私は興味がない。 どうでもいいじゃん、と思う。
窪塚洋介がどんな暮らしをしようと、どんな思想を持とうとどうでもいいじゃん。
だけど、多くの報道関係者はそれ以外のことが何よりも大事なんだね。 いかにも事実と論証の積み上げの体裁をとりながら、結局自分の臆測の方向へ向けて牽引していくのだ。 とにかく、窪塚洋介は一般人の常識をはずれた変人で、言行が狂っていて、薬をやっているかもしれないから、排他すべきだ。 そのような先入観がまず堅固にあって、 「きっと絶対そうにちがいないんだよ、今はこれしか証拠はないんだけどね。でも絶対そうに決まってるんだから。みんなもそうおもうよねー?!」という誘導尋問みたいな報道。
とても不愉快だ。
この一件にとどまらず、報道というものが、好悪の多数決で決められていく。 メディアに認められた人は何をやろうと、虫酸が走るようなくだらないありきたりの賞賛のことばで飾られ、気に入られなければ、何をやっても臆測でけなされるのだ。 まったくもって、この国の報道の程度の低さにはあきれはてる。
そして、間違いだらけの情報の中から、真実と虚実を見分け、批判する力を持たなければ、本当に危険だと思う。
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