| 2004年03月21日(日) |
『セレンディピティ』 |
セレンディピティー素敵な偶然―
「偶然は信じない。すべて運命よ」 「神の定め?選択の自由はなし?」 「そう思うわ。自分で決めたつもりでも、運命は“サイン”を送って私たちを導くのよ。」
劇中でとても印象的だったこの言葉。 人は自分で決断し、選択して生きているように思いがちだけれど、それらは人智の及ばぬところであらかじめ定められた必然であり、偶然などはあり得ない。 まったく、そうとしか思えないような出来事もありますよね。
例えば、1月24日の日記に書いたようなこととかね。 本当に偶然では片付けられない不思議なことがあるものです。
さて、この映画の中で、二人はクリスマスプレゼントを求める人々でごった返すデパートで、同時に一つの手袋をつかみました。 一目で何かを感じとる二人。 でも、お互いに恋人がいました。
その時ではないのです。
彼女は言います。 「今はまだ、その時じゃない。もし、本当にあなたが運命の人ならば、今別れても、きっと運命が導いてまためぐり合うはず」
二人はファーストネームを告げただけで別れます。 運命のサインが訪れる時を信じて。
出会った瞬間にピンと来るものがあるならば、電話番号を聞いたり、住所を聞いたり、職業、年齢をお互いに知り合って、しかるべき手順を踏んで歩み寄っていく、それが一般的なプロセスです。
それをあえてそうしないで、運命にすべてを委ねた。 私はそこに、矛盾するみたいですけれど、強い意志というものを感じました。
人間は時間の流れに従って生きる宿命を負っています。 どんなに努力し、望んでも、状況が適わない時があります。 この二人の場合もそうでした。 状況が許さないことを理解しながらも、諦めることができなかった。 だからこそ偶然の名の下に引き寄せられる時が来るのを待つ決意をしたのではないでしょうか。
ロマンティックな話しですよねえ。 運命によって再会する二人なんて。
でも、現実には、そんなセレンディピティがごろごろころがっているわけでもなく、運命に委ねているうちに他のセレンディピティによって、思いがけない方向に動き出すこともあったりしますよね。 何がその人にとってのfortune opportunityかは、結局、神のみぞ知る、ということなのかな。
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