長野県はかつて教育県の誉れ高く、教育熱の高い県民性なんですって。 市民のなかから教育を熱望してきた歴史があり、体制がそれに応える形で独自の教育がなされてきたようです。
「長野県方式」とでもいうような県外出身者から見るととても個性的に思えるなやりかたが今でも根強く残っています。
例えば、先生が生徒を名前の呼び捨てで呼ぶ、って、けっこうあるんでしょうか? 私にとっては衝撃的でした。 「名字+さん」以外で先生に名前を呼ばれたことなんてなかったから。 でも、名前で呼ばれたほうが親しみがこもっている気がするかもね。
長野県方式と呼ばれるようなことの、ほとんどは精神を理解できるものなのですが、私がひどく不満に思っていることが一つあります。
それはクラス替えのあり方です。
私は小学校1・2年が同じクラスで、3年にあがるときにクラス替えがあって、2年間同じクラス。5年になるときにもう一度クラス替えがありました。
そして、中学校では毎年クラス替えがありました。
ところが長野県では長くクラス替えは存在しませんでした。 小学校6年間ですら!中学校3年間など言わずもがな。 私はそのことをごく近年知ってとっても驚きました。
クラス替えがないどころか、担任もずっと持ち上がるんですって!
は〜・・・。 もちろんいいこともあると思うんですよ。 それこそお互いのことをよーく分かり合えるだろうし、長いスパンで段階的に力をつけていくことができるだろうし。
だけど、私にはそれ以上の弊害が危惧されて仕方ないのです。 例えば、ちょっとしたきっかけで友達関係がうまくいかなかくなって不登校になってしまったり、いじめにあってしまった場合、もちろん問題の解決のためにできる限りの努力をするべきですが、クラス替えをすることであっけなく解決することだってあるのです。
それが、ずっとクラス替えがないということは卒業するまでその閉塞した人間関係の中で耐えつづけるか、いつおとずれるともわからない一発逆転のチャンスを待ち続けるか・・・。
義務教育の中の人間関係にあっては、合わない人とうまくやっていく経験よりも、自分が本当に心許せる気の合う人を見つけ、充実した楽しい学校生活をおくる経験のほうがずっと大切じゃないのかなあと思うのです。
また、力のない担任に6年間とか3年間受けもたれた子どもの不幸を考えると、いてもたってもいられません。 もちろんそのクラスがいじめもなく誰にとっても楽しいものであるかどうかも担任の力量次第ですし、いろんなことに対する考え方だって大きく影響します。
最近、長野県でもだんだんクラス替えを行うようになってきました。 それに対して、多くの先生方は「残念だ。クラス替えなんて・・・」という論調です。
でも、ちょっと待ってくださいよ。 子どもの大事な3年間をあずかるだけの“責任感”と“考え”と“力”はあるんですか?
私が長野県で出会った先生のなかで、それだけのものをもった先生として、今、頭に浮かぶのは、わずか2人です。 もちろん、私なんてとても無理です。だから、クラス替えをして、友達、先生、なるべく多くの人とかかわりあうチャンスを持って、それぞれがその中から、よりよい人間関係を探していくのがいいんじゃないのかなあ、と思うわけです。
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