| 2004年02月12日(木) |
なぜ腕を振り上げる必要があるのか |
朝のニュースで、韓国の中学生が(多分通学のための専用バスで)座っている一人の子に対して、何人もの子が殴る蹴るの暴行を加えているビデオが流されていました。
先週でしょうか、やはり韓国で危ない運転にクラクションで警告を鳴らした路線バスに、クラクションを鳴らされた人が逆上してバスに乗り込み無抵抗の運転手を何十回も殴ったり蹴ったりする映像も目にしました。
私はこれらの映像の痛々しさに眉をひそめました。 それと同時に、その映像の不自然さが強く残りました。 暴行を受けて人形のようにたやすく右に左に揺さぶられる体。 それは、私にとってあまりにも現実味のないものでした。
例えば私が誰かに対してこんなふうに手を振り上げたり危害を加えるようなことがあるか、と考えると、どんなことが起ころうともあり得ない、なし得ないことだと思われます。
それは私が人格的にどうこう、ということではなくって、どんな出来事も、私に暴力という手段を選ばせる要因にはならないように習慣づけられているということです。
もし、これが道徳ということならば、私にそういうものが当たり前に身についているというラッキーに感謝します。 逆に、ニュースの映像でめちゃくちゃに暴力をふるっていた人たちは、きっとちょっとしたきっかけがすぐに暴力につながるようになってしまっているんだろうと思います。 こわいことです。
それとはまったく関わりのないことかもしれないのですが、いつの間にかK-1 など、格闘技が市民権を得るほどの人気を誇るようになったことを私は不安に思います。
少なくとも、4,5年前まで、「格闘技が好き」と言うような人はごく一部のマニアックな人でしたが、ご存知の通り、去年の大晦日は民放各局が格闘技番組を紅白にぶつけてきました。 そのことを初めて聞いたときは、「紅白にはかないっこないから、民放も開き直ったんだなあ」って、本気で私は思ったのですが、ふたを開けてみたら、老いも若きも、男も女もみ〜んな格闘技を見ていて、二度びっくり。
それが、暴力ではなくて、スポーツだと理解できればいいのですが・・・。
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