長野県の教員って85パーセントぐらい信州大学教育学部卒業だから、私みたいな教育学部じゃない学部を卒業したようなのはアウトロー。 教育について圧倒的に素人です。
今日は、附属中学校に公開授業の参観に行ってきました。 一緒にいった同僚の先生たちは教育学部の頃から、何度となく参観しているし、教育実習もしてきているから、「まあ、こんなもんだよ」 なんて、言ってたけど、かなり特殊だよ!良くも悪くも。
長野県には附属中学は二箇所にあるんだけど、今まで私は松本にあるほうしか行ったことがありませんでした。 今回初めて長野のほうへ。 敷地内にはいるやいなや、等間隔にきちんと立ち並んでいる生徒 「おはようございます!」 おお!おはようございます。 びっくりした。
校舎内にはいっても廊下に等間隔に生徒が立ち並んでいて、同じ表情で口々に挨拶してきます。
はっきりいって、気持ち悪い! なんなの?この子達。まるでお人形さんじゃないの。 その不自然さに気づかずにやらされているとしたら、悲しいことです。
以前、どこかで読んだのですが、この世の中に存在するものはすべてエントロピー増大の法則にしたがって、発散、拡大の方向へ無限に広がり続ける性質を持っているんですって。 それは、人についても言えることで、無秩序に広がりゆくのが自然の姿であるから、型にはめようとすることは自然の流れに反して、無理をすることであると。
まあ、これは原則論で、現実にすべてのものが無秩序になり、なにもかもを自然の成り行きに任せたりすると、社会がたちゆかないので、程度の問題になってきますが、明らかに、あの子どもたちは、コントロールされすぎている、と、私の目には映りました。
中三の国語の授業を参観させてもらいました。 すばらしい授業でした。先生方の教材教具の下準備の綿密さ、すばらしさ。 こういう授業を積み重ねていけば、子どもたちにすごく力がつくだろうことは明らかでした。 すべてをまねすることは不可能だとしても、ひとつずつ私も授業に取り入れて生きたい、と思いました。 ただし、生徒はあまりにも従順で、レールの上をひたすらにひとつの目的地に向けてもくもくと走っているように見えました。 それは、授業が理想的に成立している、ということとは、少し違いました。 生徒は、ほとんど盲目的に、その授業の目指すところに、なんとかしてもっていこうとしているようでした。 きっと、長年の積み重ねで、そういうもんだ、と思い込んでいるのでしょうけれど、はたしてこの子達はどんな大人になるんだろう、と考えたときに、私は、暗い気持ちになりました。
全体、規範、常識というものに従順で、上手にいろいろなことを説明できて、問いに対する答えがうまく見つけられる人
それはもちろん批判されるような性質ではないけれど、それだけしかないような人に私は魅力を感じることは出来ません。 子どもには、一人一人本当にすばらしい、きらりと光る何かがあります。 それを押しつぶして、隠し切って、ひとつの型に当てはめてしまうような教育はいやだな、と思いました。
もうひとつの附属中学への参観については、2002年5月24日の日記に感想を書きましたが、同じ附属中でも、違うもんですねえ。
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