昨日の私の日記のことなのですが、あの、「どこまで遠慮ってするもんなの?」ってやつ。
今日、嵐山光三郎の『文人悪食』を読んでいたら、ちょうどいいことが載ってた。 菊池寛の『私の日常道徳』からの引用。
「一、 私は自分よりは富んでいる人からは、何んでも欣んで貰うことにしている。何の遠慮もなしにご馳走にもなる。総じて私は人が物を呉れるとき遠慮はしない。お互いに、人に物をやったり快く貰ったりすることは人生を明るくするからだ。貰うものは、快く貰い、やる物は快くやりたい。 他人にご馳走になるときは、出来るだけたくさん食べる。そんなとき、まずいものをおいしいと云う必要はないが、おいしいものは明らかに口に出してそう云う。」
なるほどねえ。 快く貰い、快くやる。 お互い様って、すごく気持ちいいね。 お金と心遣いと、一方通行だったら、居心地悪いけど、 「いいからいいから!今日は私が払うから、今度よろしくね!」 って感じになったら、おごられるほうも、居心地悪くないし、おごるほうも、きまりいい。
そして、ご馳走になるものをちゃんとおいしく食べて、その場を楽しいひと時にすることが出来れば、払うほうとしても、満足だよね。
例えば、今日、5000円おごったとする。 そして、次回、5000円おごってもらったとする。 お金の収支はプラスマイナス0だけど、気持ちの上での収支は0ではないと思う。 何か人のためになった、という満足と、人によくしてもらった、という喜びで、きっとその人との絆はお金の結びつき以上の人間味あふれるものになるだろう。 まさに、「お互いに、人に物をやったり快く貰ったりすることは人生を明るくする」というわけだ。
思い出すのは、ヨウちゃんという友達なのだが、彼女は自称「プレマニ」。 プレマニすなわちプレゼントマニア。
人にプレゼントすることを喜びとする人なのです。 施しをしたい、なんて傲慢なものではなく、まったくもって、あげることそのものを本人がたのしんでいる。 ラッピンググッズを買ってきては自分の手ずからラッピング。
かくいう私もその恩恵になんどか預かった一人なのだが、不思議なもので、「もらったから、私からもプレゼントを」、とはじめはお付き合いでやっていたプレゼントがだんだん楽しくなってきた。
そうか。そうなのだ。 何かを貰うこともあれば、こちらから差し出すこともある。 それは望んでそうすることもあれば、状況から義理でそうすることもあるだろう。 だけど、誰しも与えられるだけということもなければ、貰うばかりということもない。
くれるというのなら、もらっておけばいい。 それに気が引けるのならば、次の機会に何かお返しをすればいいんだ。 もちつもたれつ。 そうして地球は回っていると思うと、救われたような気分になります。
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