singersong professor KMの日記

2003年02月13日(木) 修士論文口頭試問

 修士論文審査には口頭試問がある。これをパスしないといけないわけだ。もちろん自分の指導してきた大学院生の場合とそうでない院生の場合とでは,自ずから心構えが違う。

 自分が指導してきた大学院生の場合,内容もわかっているし,聞くこともない。だから,そうでない審査委員の方が発言が多いことになる。ことしもこれまで2件,そういう自分の指導してきたのではない大学院生の審査を済ませた。なお,自分の指導してきた院生の口頭試問が残っている状態だ。

 自分が指導してきていない院生の修士論文審査の場合,まずはその論文をていねいに読む必要がある。この場合,2通りある。ひとつは自分がそれほど詳しくない分野であったり,多少知っていても十分調べ切れていない分野で,論文が一応の水準に到達している場合である。もう一つは,どんな分野であれ,論文が水準を十分クリアできていない場合である。

 前者の場合,論文が水準をクリアしている場合は,原典に当たってみたりして本当にそうなのか確認などしながら読むわけだけれども,知的欲求を満たせるので,大変とはいえ楽しく感じることさえある。で,質問も厳しく聞きはするものの,気分は悪くない。

 問題は後者,水準をクリアしてしているか疑わしい場合だ。かつてと違い,修士課程に多くの院生が入ってくる時代なので,評点もBありCありとはいえ,こういうのは読んでいて楽しくない。もちろんDは論外である。通常こういうDなどというのは論文を取り下げさせるわけだ。

 BでもCでも,とにかく楽しくない。憂鬱である。まず,書いてあることが信用できない。原典に当たってみると,まったくそんなこと書いてない,などということもある。読むのに時間がかかる上に,生産的でない。最近はこういう論文も結構ある。幸い,今年,これまで審査した2件ではそういう憂鬱な論文はなかった。しかし,いずれにせよ,修士論文審査というのも結構つかれるものなのである。一応水準をクリアしていても,当然,気になるところはいっぱいある。それをいちいちチェックしながら読むわけである。だから疲れるわけである。

 上述のように,今年はそんなにひどいのがなかったのでよかった。そこで引用された論文も,口頭試問の後からも,気になって読んでみて,それなりに理解が深まったものもあって,ある意味で「収穫」もあった。さて,口頭試問後半戦はいかがなりまするやら。


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