学生諸君と話していて,「道徳」が話題になった。要は,「道」と「徳」を学ぶわけでしょう。「徳」を持っていないとリーダーシップを発揮できないというのが,日本古来の考え方でしょう。だから,「徳」を持つにはどうしたらよいのか。ある種の,日本的リーダーシップ論であるべきでしょう。こう話したら,これまで学校で習ってきた「道徳」はそんな代物ではなく,全然面白くなかった,とこういうのです。私の言うような「道徳」を教えられる先生が少ないのは事実でしょうが,教科書そのものがそうなっていないのが問題でしょうね。
学生諸君に聞いてみると,「道徳」では弱者の問題や差別の問題,を教えられたという。それはそれで大事だろうけれども,どうも,「わくわくする」ような内容ではなかったようだ。法治主義か徳治主義かという大きなテーマを念頭に置いて,そこのバランスをとることは必要だとしても,少なくとも「徳」こそがリーダーにとって必要な資質であること,これこそが教えられるべきだと思う。そして,かつてはそれが当たり前だった。かつて,官僚が尊敬されたのも「徳」を積んでいたからだろう(少なくとも官僚にそれくらいの心構えがあっただろう)。だから信頼できたのだろう(すべてではないとしても)。
最近の官僚の不祥事は,官僚にそういう「徳」を積む心がけが無くなったから生じているのだろう。そこで思い起こされるのは,学生諸君の言う「道徳」が面白くなかった,ということばだ。そう言えば,私も戦後教育を受けたわけで,まともに「道徳」は教えられなかった。小市民的教育(これを儒教では「小学」という)しか受けてこなかったように思う。ただ,かつての大学生が大言壮語していたことは事実である。そう言う意味ではまだまだ「大学」ではあった。
儒教では,専門の経学のほか,高級の倫理説や政治論を講究する。これを「大学」で学ぶ。まさに,我々は「大学」で学ぶべき内容を講究しなければならないわけである。理想国家・理想社会への到達こそがそこで学ぶ目標なのである(竹内照夫「四書五経入門」平凡社,第7章)。そういう「大学」での政治学など考えてきただろうか。今日の日本の大学が「小学における理知教育」に終わっていないか。「徳」まで考えているのだろうか。世の中,志が低くなってしまっているように思う。自省しなければならない。
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