年度末も押し詰まって,各種予算執行の締め切り日が近づいてきた。生協へ行くと,あちこちで予算執行のための買い物風景が見られた。当方とて例外ではない。
大学院の飛田君,徳能君ともども,買い物に走った。まだ,月曜日にも買うべきものが残った。それは月曜日に回した。なにせ,生協店舗で「蛍の光」が聞こえてきて忙しい思いをした。休み中は,店舗の閉まるのが早い。リンクショップは5時閉店。せわしない話だ。
どうも最近テレビを見ていると,鈴木宗男議員の横暴を伝えるものが多い。弱り目にたたり目,もう,これでもかこれでもかとばかりに,暴露話が出るわ出るわで,そんなの今になって何を言っているのという感じだ。そのくせ,氷山の一角などと報ずる。氷山の一角だとわかっているのなら,なぜ氷山を報道しないのか。
最近のマスコミで足で稼いで集めた情報が少ないとよくいわれる。発表ネタを垂れ流しているだけだといわれる。これについては以前書いたことがある。マスコミのレベル低下がじつはそういう鈴木宗男問題にみられる,不正の跋扈をもたらしているのである。
もし健全な報道が行われておれば,はじめから不正が跋扈するはずがない。政権交代がないから,という問題はあろうが,第三の権力としてのマスコミがだらしないから不正が跋扈することへの反省がほしい。
足で稼ぐと書いたけれど,足だけではない。頭もない。よく昔から,データはデータでしかない。それが情報になるには,データをつなぎ合わせて情報にする頭が必要である。情報が過剰だといわれる。そうではなかろう。データがあるだけである。まだ情報にすらなっていない。これをつなぎ合わせるだけで情報になる。
よく諜報活動,つまりスパイ活動というのが話題になる。華やかなスパイ活動が映画になったりする。しかし,本当の諜報活動の大半は地味な情報分析にあてられると言う。つまりデータを寄せ集めてこれを情報にまとめ上げるのである。
会社の有価証券報告書でも,たとえば,ゼネコン準大手のフジタの投融資残高で,「わざ」という不可解な会社への投融資残高が,「わざ」の開発事業がストップした91年以降も一貫して増え続けている。とりわけ91年から94年の投融資残高の純増額と受取利息額がぴったり一致する。「わざ」に年間20億円もの利息を支払う能力があったとは思えない。これは,フジタが利息分を追い貸ししていた疑いが濃厚だということになる。
投融資残高の増加,という単なるデータも,これを分析することよって,追い貸しだという情報に化けるわけである。もちろん受取利息としてこれが配当原資にすらなっているのである。商法でいう「蛸配当」以外の何ものでもない。この辺りのことについては,高橋篤史「ゼネコン自壊」東洋経済新報社,199-200頁に書かれている。
こういうデータと情報の関係を知れば,いかにデータ分析が重要かが分かるはずだ。皆さんもデータを集めて,これを情報にしてほしいと思う。そのためには頭がいる。そういう能力こそが企業をはじめとする社会において意味のある能力である。
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