| 2002年03月06日(水) |
長引く不良債権問題の本質 |
今日の日経,マーケット総合面「大機小機」欄に,(パピ)「長引く不良債権問題の本質」というのがありました。
「不良債権」というとらえ方は銀行からの視点である。世の中では,銀行は何をしている,金融庁はどうするつもりだ,という視点から議論され,何でも金融サイドの課題にされがちである。銀行が過去の後始末を早く終え,金融機能を回復することは重要・緊急であるが,そちらの側面だけの話なら,問題はこんなに長引いてはいない。 不良債権を借り手の視点からみると,返したくても返せなくなった債務の重荷である。なぜ返せなくなったかはそれほど単純ではない。今やむしろ重要な課題は,借り手が国際競争力のある企業として復活し,借金を返せるだけの実力をつけることだ。そうでなければ不良債権処理は賽(さい)の河原となる。 それこそ「構造改革」なのだ,という声が聞こえる。それはそうなのだが,「不良債権の最終処理を行うことにより,資源が成長分野に流れ」「2,3年内に解決する」(骨太の方針)は少し楽観的すぎないか。現在直面している問題の本質はもっと根深く,日本人の適正な「時価評価」が迫られているのだ。
ここで言われていることは,私が以前から言っていたことでもあります。私は貸借対照表貸方の問題ではなく借方が問題だ,と言ってきました。まさにそのことを言っているのです。ようやくにしてこういう論調が増えつつあるのですが,この記事は「大機小機」という囲み記事でしかありません。まだその段階でしかない。というか一向に本質理解が進まない。苛立たしい限りです。
小泉首相は,大恐慌期アメリカのフーバー大統領になぞらえる向きも,ようやくにして現れています。不況対策ではなく,不況をむしろ深刻化したのがフーバー大統領でした。
この間,橋本首相が,緊縮財政と金融ビッグバンで失敗したのが1997年でしたから,同じ轍を踏む小泉首相の気が知れません。一度目は悲劇だが,二度目は喜劇だと誰かが言っていましたが,まさに,その通り,喜劇そのものです。鈴木宗男などという役者も現れたりして。
|