Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2008年05月11日(日) 飛び込み自殺という大罪



「 時間の無駄遣いは、一種の自殺行為である 」

                     ジョージ・サヴィル ( イギリスの政治家 )

Misspending a man's time is a kind of self-homicide.

                                  George Savile



東海道新幹線の、一列車あたり平均遅延時間は 「 一分以下 」 だ。

高速・長距離を運行する列車としては、世界に類をみない正確さである。


2005年4月25日に発生した 「 JR福知山線脱線事故 」 は、乗客106名と、運転士1名の生命を奪う大惨事となり、現在も後遺症に苦しむ人がいる。

事故の凄惨さはもとより、このニュースが世界中で大きく扱われた理由は、その原因が 「 約90秒の遅れに対する、運転士の焦り 」 だったことだ。

事故調査委員会は、「 運転士が無線の会話に気を取られ、ブレーキ操作が遅れて70km/h制限のカーブに116km/hで進入した為 」 と発表している。

その後、「 運転士のヒューマンエラーに限定するのはおかしい 」 など、JRの企業体質を問う声も出たが、原因が “ 遅延 ” だったのは間違いない。

わずか1分の遅延も許さない鉄道会社と、時間通りの運行を求める乗客のせっかちぶりは、世界中から大いに驚かれ、また、呆れられたのである。


大部分の日本人は、他人との待ち合わせや、約束の時間をきちんと守り、多少の個人差はあっても、それぞれが遅れないように努力している。

時間が守れない人間は 「 だらしがない 」 とみなされ、特にビジネスの世界では、人物評価の面で、それが致命的な欠陥となりかねない。

だから日本人は、常に約束の時間から、移動時間や身支度の時間を逆算することを忘れないし、目覚まし時計や、携帯のアラームは必需品である。

実際、約束の時間に遅れることは、その分だけ 「 他人の時間を奪う 」 ことに等しく、待たせた相手に何らかの “ 損害 ” を発生させてしまう。

相手が一人ならまだしも、三人の場合なら三倍、十人ならば十倍の損害を発生させているわけで、待たせた人数が多い分だけ、損害は拡大する。


最近は車での移動が多いけれど、酒席が予定されている日などは、当然、電車かタクシーを利用することになる。

先週も、二日連続で宴席が予定されており、JRの環状線を利用することにしたのだが、二日連続で “ 人身事故のため ” 運行が遅れていた。

彼らのアナウンスする “ 人身事故 ” とは、たいてい 「 飛び込み自殺 」 を指しており、東京、大阪などの都心では、連日のように人が身を投げる。

前述した日本人の 「 時間厳守主義 」 を支えているのは、公共交通機関のダイヤグラムだが、飛び込み自殺がある度、それは大きく狂わされる。

電車の運行が止まると、場合によっては 「 数十万人 」 の時間が奪われるわけで、その社会的、経済的損失は、計り知れない額にまで及ぶ。


遅れた電車を待つ間、ホームでは人々の喧騒が渦巻き、駅員に詰め寄る者や、口々に愚痴をこぼす者、誰かに携帯で連絡する者の姿がある。

よく考えると先週は 「 GWの連休明け 」 にあたり、そういうときは、えてして自殺する人間が増える時期でもあるから、遅延の覚悟が必要だった。

会社や学校に行きたくないなら、家で引きこもっていてくれたほうが、他人に迷惑が及びにくいのだけれど、自殺する側に、そのような配慮は無い。

そのとき、近くにいた若いサラリーマンが、同僚らしき連れに対し、なかなか面白い意見 ( というか愚痴 ) を言っている声が耳に入った。

彼の意見とは、「 自殺する人間は、どうやっても撲滅できないわけだから、それで電車を停める “ JR のほうが悪い ” 」 というものである。


つまり、「 飛び込み自殺があること 」 と 「 それで電車を停めること 」 は、常識的にイコールと考えがちだが、そこに問題があるのだと言う。

たとえ線路に飛び込む人間がいても、大多数の善良なる利用者に迷惑が及ばないように、停車も、減速も、しなければよいという意見だ。

当然、轢死体を引き摺って走るわけにはいかないので、先頭車両の頭部に 「 網 」 か 「 ショベル 」 のようなモノを付けて救う方法があると言う。

あるいは、そんな方法で救出できなかったとしても、線路の側溝などに人間が納まるぐらいのスペースを設け、そこへ押しやる仕組みも考えられる。

とにかく、日常的に 「 飛び込み自殺を企てる輩 」 がいることを知りながら、ダイヤを乱して停めるしか策がないというのは、鉄道会社の怠慢だと言う。


電車の運行を最優先して、轢死体を側溝に放置するなどという対処法に、人権活動家の皆さんが同意なさるとは思えず、実現は不可能だろう。

しかしながら、では 「 何十年先までずっと、このままで良いのか 」 というと、それはまた、間違った考えのようにも思う。

飛び込み自殺は 「 事故 」 ではなく、実行することで多大な迷惑や被害が及ぶことを知りながら、意図的に計画された行為である。

人間の一生には必ず終わりがあり、誰かが自殺をするために、第三者の貴重な時間の一部を奪うことは、よく考えてみれば罪深いことだ。

なかには、「 そんなに焦らず、のんびり行こうよ 」 という人もいるだろうが、日本流の効率的な生産性、信頼性は、時間厳守の基に成立している。






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