| 2006年11月28日(火) |
海軍小型特殊潜航艇 回天 |
「 長い道のりだった。 しかし、我々はここまで来た 」
アラン・B・シェパード・ジュニア ( アメリカ最初の宇宙飛行士 )
It's been a long way, but we're here.
Alan B. Shepard, Jr.
海軍のテストパイロットから、NASA に参加した最初の宇宙飛行士。
いまでもアメリカでは、「 歴代の英雄 」 に選ばれる一人である。
1961年、マーキュリー計画の最初の 「 フリーダム7 」 で宇宙へと旅立ち、アメリカ人としては初の有人飛行に成功した。
僅か15分28秒の弾道飛行ではあったが、この成功が後のジェミニ計画、アポロ計画につながり、彼自身も、引き続き宇宙計画に参加した。
1971年にはアポロ14号に搭乗し、月面に降り立つ5人目の人類となったが、このとき月面でゴルフをするパフォーマンスで、世間を沸かせた。
当時、宇宙飛行は人類の夢と憧れの象徴であって、その成功は、実利的な意味合いだけでなく、多くの人々に生きる勇気や、希望を与えていた。
米ソは宇宙開発に競って巨費を投じたが、その成果は十分にあったのだ。
すべての技術開発や、乗り物の製造が、そんな夢の結晶であれば良いのだが、悲しいことに、そうではないケースもある。
大型航空機が事故により墜落したり、テロリストの凶器と化してビルに激突したり、客船タイタニック、飛行船ヒンデンブルクの事故などの悲劇も多い。
だが、それらは少なくとも製造段階においては 「 夢 」 を背負っていたわけで、最初から搭乗員に死を招く目的でつくられたものではない。
軍事兵器である戦闘機や艦艇の大部分も、敵に対する攻撃、殺傷能力を携えてはいるが、搭乗員の死を前提に生産されたものではなかった。
かの 「 神風特攻機 」 も、組織的な戦闘が不可能になっていた航空戦力を活用する主旨で行われ、当初から想定して生産されたわけではない。
そういう意味で、史上もっとも悲しい乗り物は、旧日本海軍の特殊潜航艇 「 回天 」 ではないだろうかと思う。
別名 「 人間魚雷 」 とも呼ばれた回天は、頭部に約1600kgの爆薬を装備し、通常は潜水艦に搭載された状態で移動する。
そして敵艦を発見するや、接近して母艦を離脱し、搭乗員の操縦によって敵艦に体当たりするという有人魚雷として、はじめから生産されたのだ。
神風特攻隊には、ごく少数だが 「 生き残り 」 の人がいて、出撃したものの整備不良によって不時着したり、海中に転落して助かった人もいる。
出撃した回天搭乗員89名の中に、生存者は一人もいない。
シドニー湾北部で、第二次大戦中に同湾を攻撃し、同国艦艇を沈めた後、母艦に帰還せず行方不明となっていた特殊潜航艇が発見された。
発見したダイバーによると、いまも驚くほど原形をとどめているというので、おそらく回天ではないと思われる。
当時、小型特殊潜航艇は9種類つくられており、すべて人間魚雷というわけではなかったので、別の型によるものだろう。
戦争に、良い戦争も悪い戦争もないが、旧日本軍の最大の愚行は、玉砕という消耗戦に明け暮れた点に尽きるわけで、愚かで悲しい事実である。
日本がこの先、戦争に巻き込まれるかどうかは別としても、この報に接し、このような愚かな兵器だけは、二度と生み出さないように願うばかりだ。
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