「 この世の中は、他の人間の自由を保護することによってのみ、
自分の自由を守ることができる 」
クラレンス・ダロウ ( アメリカの弁護士 )
You can only protect your liberties in this world by protecting the other man's freedom.
Clarence Darrow
冒頭の名言は、以前にも引用した気がするが、また引っ張り出してきた。
最近の日本人にとって、「 肝に銘じるべき 」 言葉という気がする。
恋は盲目というけれど、惚れた女性が少し自分勝手だったり、わがままを言ったり、ヤキモチ を焼いたりしても、可愛く感じるものである。
しかしながら、女々しい男性が自分本位な理屈を並べたり、自分の無能を棚に上げて嫉妬深かったりすると、これはもう手に負えないほど醜い。
一昔前の日本人は、着飾ったりせず質素な生活を営んでいたが、少なくとも、そういった卑しい心の醜さを理解し、「 恥を知る 」 ことには長けていた。
他人の言動は痛烈に批判する一方、自分には甘く、己の権利ばかりを主張するなんて輩は、そりゃ少しは居たかもしれないが、発言権などなかった。
いまは、そういう 「 恥知らず 」 が パソコン を駆使して、勝手きままに有害電波を撒き散らすのだから、社会がよくなるはずもない。
沖縄知事選が終わって、自民党公認候補の就任が決まった。
毎回、選挙で与党が勝つと必ず、候補者ではなく、有権者を誹謗中傷する連中が現れ、それに刺激されたのか、ネット上でも同様の発言が飛び交う。
大抵、そういう連中は、与党、総理に対して 「 独裁者 」 という表現を好み、普段は 「 民主主義 」 やら、「 自由 」、「 権利 」 やらを声高に叫ぶ。
ところが、有権者が 「 民主的な投票 」 によって与党を選んだ途端に、その結果を悪しきものとして断定し、有権者をバカ扱いするのである。
自分の思い通りにならなかったからといって、有権者の大多数による意思を否定する姿勢の、どこに 「 民主主義 」 を唱える資格があるのだろうか。
多数の意見が必ずしも正しいとは言い切れないが、民主政治のよいところは、仮に間違った政策をとったとしても、独裁制に走る危険がないことだ。
つまり、政府が無能だったり、首相が狂人だったとしても、そのような政府や代議士は次の選挙で敗北するのだから、長く続くことはない。
政治に対して、まったく関心がないわけではないけれど、それを四六時中、監視していなくても、自分の生活に没頭できるのは、その恩恵である。
だから、「 どうでもいい 」 とまでは言わないけど、私は自分の仕事をして、生活を充実させ、そのうえ暇が余れば、このような時事日記を書いている。
逆に言うと、個人の幸せは 「 国任せではなく、自分で築くべき 」 システムにあるわけで、それが上手くいかなくても、政府に八つ当たりなどしない。
また、今回のように 「 沖縄 」 が舞台となる選挙では、その結果を批判する側に 「 差別意識 」 が潜んでいる可能性も高い。
左巻きの人間や、エセ平和主義者は、この結果に対して 「 戦争で痛い目に遭っても学習しない馬鹿者 」 というレッテルを、沖縄県民に押し付ける。
これは選挙戦だけでなく、たとえば米軍基地問題などで、沖縄県が政府に協力しようとすると必ず起きる批判であり、それは沖縄だけの特徴だ。
沖縄は東京や大阪と同じように、日本の都道府県の一つであり、特別扱いする必要はないと 「 普通の人間 」 は思うはずだが、連中は違うらしい。
彼らにとって沖縄は、個人の意思など持たず、反政府、反米を唱えていればよいのだと決め付けているわけで、それは差別以外の何者でもない。
いまさら 「 沖縄 = ひめゆりの塔 」 でもなく、そこには普通のビジネスマンや、学生や、商店主など、本土と変わらない日常の生活がある。
多少の地域性はあるだろうけれど、戦争体験だけで政策を判断する人など少ないわけで、過去ばかりにとらわれず、ちゃんと将来を見据えている。
なのに、「 戦争体験を忘れたのですか、与党を支持しちゃだめだよ 」 などと強要するのは、靖国反対を国民に教育する 「 某国政府 」 と同じだ。
冒頭の言葉通り、自由と平等を説き、民主主義を求める意思があるなら、好ましい結果でなくても、民主的な決定は喜んで受け入れるべきだろう。
そんな気など微塵もない連中が、日頃 「 時事問題 」 など語っているから、こういった ボロ が出て、すべての矛盾が浮き彫りになるのである。
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