「 こんな世の中になって欲しいとあなたが願う世の中に、
あなた自身が変わっていかなくてはならないのです 」
マハトマ・ガンジー ( インド独立の父 )
You must be the change you wish to see in the world.
Mohandas Gandhi
このところ、仕事も私生活も忙しく、日記を休みがちだった。
皮肉な話だが、健康で充実した日々が続くと、更新が疎かになる。
自分がなる前、「 コンサルタント 」 と名のつく人種は、大上段から机上論を振りかざし、評論家ぶって他人の行動を批評するものと、解釈していた。
実際、分析とプレゼンテーションだけが上手くて、他人には偉そうに指図をするくせに、自分では何も出来ないコンサルタントが、巷には多いと聞く。
また、それを迎える企業側も、コンサルタントの導入を単なる動機付けや、従業員の自己啓発程度にしか期待していないケースが実際に多い。
だから、戦略通りに従業員が動かなくても、導入の成果が挙がらなくても、コンサルタントはイライラせず暖かく見守り、口を閉ざすべきかもしれない。
外部の人間として分をわきまえ、黙って報酬を受け取るのも悪くない。
そういう意味では、関係各位の薦めによって自分がこの仕事を引き受けたことや、いまだに続けていることは、間違いなのかもしれない。
現役に未練が残る野球の監督やコーチと同じように、自分はクライアントの営業と一緒に現場を回り、前へ出て交渉や、問題解決に当たってしまう。
時間と経費が掛かるし、自分の立てた戦略によって、クライアントと一緒になって苦労するので威厳はないし、あまり得策ではないと自分でも思う。
それでも、口先だけの評論家として報酬を受け取りたくない気持ちと、戦略自体が間違ってはいないと認めさせたい気持ちが、自分を衝き動かす。
あるいは、そんな 「 自己満足 」 を捨てれば、もっと楽に儲けられるのかもしれないが、幸い、養うべき相手もいないので、何とかやっていけている。
また、仕事は生活のため ( 報酬のため ) の手段であるが、仕事を通じて得られるものは、お金や、地位や、名誉だけでもない。
最前線へ出て、若い人たちと一緒に仕事をすることによってしか、得られない情報や、知識や、築けない人間関係というものもある。
それは、現場で汗を流さない評論家には得られない、かけがえのない宝物なのである。
生涯現役とはいかないまでも、同じ一生を生きるのなら、なるべく評論家にはならず、できるかぎり 「 現場主義 」 を貫きたいと自分は思っている。
WEB日記で 「 時事問題 」 を書いていて、時々、嫌気がさしてしまうのは、評論家みたいなことを書いている自分や、周囲の姿に辟易するところだ。
せめて、その中で自分が気をつけていることは、なるべく 「 自分の言葉 」 で書くということと、「 主張を一貫する 」 という二点である。
大部分が既存記事の引用 ( というか、コピー ) で、僅かに自分のコメントを載せている日記などは、「 自分の言葉 」 が少ないので評論家っぽい。
また、主張が一貫せず、自分に不都合なら変えてしまうようでは、矛盾点が浮き彫りになるばかりか、作者の人間性も疑われてしまう。
憲法は、「 議論の余地などなく、変えるべきでないのだ 」 と語り、少年法は 「 時代と共に変えるべき 」 などと書かれた日記もあるが、矛盾だらけだ。
そんな矛盾と対峙する羽目に陥るのも、彼らが現実の世界から逃避して、気楽な評論家を目指したいという願望のなせる業だろう。
民衆の声を軽視するわけではないが、WEB日記で世の中がどうこうと叫んだところで、国家も、地域社会も、自分の生活環境すらも変わらない。
現状に不満があるのなら、日記など書いている暇に、明日の仕事の準備をするなり、社会奉仕活動をするなりしたほうが、よっぽどいいのである。
つまり私を含め、WEB日記で時事問題を書く人間は、単なる暇つぶしか、ストレス解消のために書いているわけで、世の中をよくする気などない。
もちろん、世の中がよくなって欲しいとは思うが、そのための努力は、日記を書くことではなく、日々の生活によって私は営んでいるつもりだ。
とまぁ、長くなったが、日記をサボり、これから忙しい年末にかけて、さらにサボる予定の我が日記について、先に言い訳しておく次第である。
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