| 2006年11月16日(木) |
石原発言に学ぶべき事柄 |
「 柔らかい物腰で話し、大きな棍棒を持ち歩け 」
セオドア・ルーズベルト ( アメリカ合衆国第26代大統領 )
Speak softly and carry a big stick.
Theodore Roosevelt
紳士面と軍事力を背景として、アメリカの外交姿勢は一貫している。
ならず者も困るが、腰抜けも人の役に立たないのである。
いじめ問題に関する石原都知事の発言に、「 ファイティングスピリットがなければ、一生どこへ行ってもいじめられる 」 という表現があった。
それを聞いた高校生から都知事宛に、「 一生どこへ行ってもいじめられるのは辛いので死にます 」 という自殺予告文が届いたという。
もし愉快犯でなく、当人の意思による手紙だとしたら、既にこの時点で、この高校生がなぜ 「 いじめられるのか 」 まで、十分に察しがつく。
また、仮にいじめが無かったとしても、このように歪んだ精神構造と、ひ弱で被害妄想的な発想を持っている人間が、発展的に生存することは難しい。
電車を遅延させたり、登山者をギョッとさせたりせず、できるだけ他人様に迷惑を掛けない形で、死にたければ黙って死ねばいい。
マトモな人間というのは、「 ファイティングスピリッツがなければいじめられるよ 」 と聞いて、「 ファイティングスピリッツを持とう 」 と思うものだ。
発言した石原都知事の気持ちについて、「 若者にファイティングスピリッツを持ってもらいたい 」 のだなと思うのが、正常な人間の感覚である。
太ったときに周囲から 「 最近、太ったんじゃない 」 と言われ、腹が立った、傷ついたと影で文句を言う人間もいるが、これも同様に異常者の発想だ。
発言者は、傷つけようとしているのではなく、急激な変化に対して、その人の健康状態を心配し、注意を促していると考えるのがマトモな人間である。
これら被害妄想者の深層真理には、「 自分の努力不足によって上手くいかない現実を、第三者のせいにしようとする 」 邪な気持ちが潜んでいる。
先日、郵便局強盗で指名手配を受けた警察官は、「 死にます 」 という自殺予告電話を入れていたが、結局、死ねずに逮捕されている。
どこの町内にもいる 「 死にます 」 と頻繁に告げる ( 大半は死なないが ) 連中も、被害妄想と同じく、責任を他人に押し付けたいだけである。
この警察官が指名手配を受けたのは、どう考えても、本人が郵便局強盗をはたらいたからであり、それ以外の理由など考えられない。
しかし、本人は 「 指名手配なんてするから、生きていけなくなったじゃないか 」 という逆恨みを持ち、その決定を下した人間に八つ当たりする。
そして、「 死にます 」 という予告電話を入れることにより、自分を窮地まで追い込んだ人間を不安にさせたり、後悔させようという復讐を試みるのだ。
いろんな人から、「 友達が “ 死にたい ”“ 自殺する ” と頻繁に電話してくるので困っている 」 という相談を受けることがよくある。
ここで自殺願望者に対し、うかつに相談に乗ったり、中途半端に同情したりなんかすると、つい忙しくて対応できなかったとき、大抵は逆恨みされる。
親切にしてあげたがために、「 裏切られた 」 とか、「 信じてたのに 」 なんて罵声を浴びせられ、厄介な目に遭ったという話も多い。
前述の石原都知事も、いじめられる側の人間に同情を示し、励まし、生きるガイドラインを与えてやろうとした親切心が、結果的に仇になった形だ。
それをマスコミが批判し、同じような歪んだ連中が揶揄する為、親切で男気のある好漢も、徐々に口を閉ざし、無関心を装う風潮が社会に蔓延する。
これで石原都知事が頭を下げたり、マスコミに叩かれたりすると、被害妄想の塊である 「 ひがみ集団 」 は、しばし溜飲を下げるだろう。
しかしながら、そんなものは一瞬の快楽であり、長い人生を総合的に評価すると、男らしく生きた人間の百万分の一も、「 得 」 などないのである。
遠まわしに 「 自慢するわけではないが 」 などと書くと、かえっていやらしいので率直に言うが、体力、腕力、闘争心の強さで、私は 「 得 」 をしてきた。
たとえばビジネスの場面でも、実際に暴力をふるったり、誇示するわけではないが、やはり、ひ弱な印象を与える人よりは、交渉が有利に進む。
また、大半の女性は本能的に 「 強い遺伝子を求める 」 習性があるので、私生活でも 「 得 」 することは多く、弱い男は 「 損 」 なのである。
ネットの世界でも、じめじめした恨み言や、ちまちました愚痴ばかり日記に書く男性がいるけれど、そういう人間の息子は、やはり 「 損 」 だと思う。
石原家と同じく、我が家も 「 文武両道 」 を尊び、幼い頃から心身を鍛え、喧嘩の仕方も親兄弟に学び、いじめで悩む必要など微塵もなかった。
もちろん、そうはいかないケースもあるだろうが、弱い人間を庇護したところで限界はあるし、甘やかしたところで本人の 「 得 」 にはならない。
いじめる側が悪いのは当然だが、そういった卑怯な輩に制裁を与えたり、制止させられるのも、結局は強い男であって、ひ弱では何もできない。
いじめ問題を機に、同情ばかりではなく、男らしく、強く生きることの意義、心身を鍛える重要性についても、社会が認識すべきだと思う。
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