Tonight 今夜の気分
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2006年11月09日(木) 義を見てせざるは勇なきなり



「 勝利は最も耐え抜いた者にふさわしいものである 」

                    ナポレオン ( フランス第一帝政の皇帝 )

Victory belongs to the most persevering.

                             Napoleon Bonaparte



勇敢な人間は、たとえ 99戦を全敗しても、勝利への希望を捨てない。

逆に、たとえ 「 99勝 1敗 」 でも、愚かな小心者は簡単に挫折する。


人生における真の忍耐力とは、敗北に耐える力や勇気などのことであり、単純に、ただ我慢強いというだけの意味ではない。

いつも前向き思考で希望をもって生きる人に対し、悲観論者たちは軽薄な楽観主義者だなどと蔑むが、己の忍耐力の無さを認めたのと同じである。

悲観論者、楽観論者の区別をとわず、一生のうち何度かは、誰にも不運な出来事が起こるし、競争に敗れたり、不振の続くときがあるだろう。

世を憂い、自殺を企図する人間は、特別に不運が多いわけではなく、将来への希望を描き壁を乗り越え、未来を開拓する勇気に乏しいだけだ。

たとえ自殺せずに長生きしたところで、そのような逃げ腰の人間が社会に役立つ可能性は低いかもしれないが、自殺などされたら周囲が迷惑する。


したがって、自殺は臆病者、卑怯者の 「 現実逃避 」 でしかなく、人間として最低の行為であるが、その論理を児童にまで適用することはできない。

現実的に児童は、ほとんどの場合、親や社会の庇護によって生き長らえている存在で、個人の裁量によって生き方を決めることなど不可能に近い。

また、勝利や成功による達成感も、失敗や敗北などの屈辱に耐えた経験も少なく、いまと違う未来を夢見ようにも、お手本となる世界を知らない。

育て方にもよるが、無垢で純真な子供心は、人間のエゴイズムや、社会の暗部、汚濁した闇に遭遇したとき、その適切な処し方にも慣れていない。

だから、愚かな大人の自殺と、幼くして自らの命を絶つ悲劇を、同列に考えることなどできないし、同じような対策を講じることも無益の極みである。


大人の世界にも 「 パワーハラスメント 」 などといって、職場の力関係やら、利害関係による嫌がらせ、いわゆる 「 いじめ 」 が存在する。

いじめによる児童の自殺が社会問題になっているが、一部の教員も、たとえば校長にいじめられたなどとして、自殺したというマスコミ報道がある。

現在の教育現場は、ただでさえ満足な授業のできない最近の教師たちが、生徒と自分自身をいじめから守るため、本業そこのけで会議に忙しい。

よほど性格の悪い嫌な上司がいたとしても、大人は自分や、自分の家族を守るため、そこで問題解決能力を発揮すべきだし、その機会はある。

職場を替わるのも一つの方法だし、個人の力量を発揮して地位を獲得する方法もあるし、自殺などという愚行に走る正当な理由は、どこにもない。


いじめによる自殺について、誰が悪いかという議論になった場合、自殺した人間が大人であるなら、いたって結論は簡単である。

生きることは、他に選択肢のない 「 義務 」 であって、正当な理由も無しに義務を放棄した 「 自殺した本人 」 が、どう考えても一番悪い。

しかし児童の場合は、前述の理由から、自殺した子を責めることが妥当とは思えず、それは、死に至らしめた 「 いじめっ子 」 についても同じである。

では、子供に罪はないのだから、すべて学校側が悪いのかというと、教師がいじめを先導していたという特殊な例を除けば、また違うように思う。

学校には児童を安全に保護する責任があるけれど、すべての児童に対し、交友関係を監視できないし、もし実行したなら、息苦しくてたまらない。


一番悪いのは、自殺した生徒の親を除く、他の級友の 「 親 」 である。

おそらく、自分の子が通う学校で、児童がいじめに遭い自殺したと知るや、大半の親は自分の子に、「 いじめなかっただろうな 」 と詰問するだろう。

その後、自分の子が関与していないと聞いて、ホッと胸を撫で下ろしたり、加害者とおぼしき子の親に対し、胸中で躾の不行き届きを非難する。

たしかに、躾の話になると、「 加害者の親 」 も悪いが、「 友達がいじめられているのに、何も行動を起こさなかった子供の親 」 に躾の罪はないのか。

無関心を装い、「 義 」 や 「 勇 」 といった日本男児の美学、崇高な精神を尊ばない姿勢こそが、か弱き命を救えなかったといって過言ではない。


どんな教育を施しても、どのように社会秩序を保とうとしても、全体の何割かは悪いことをする人間が現れるし、それを防ぐことはできない。

それは大人の世界でも、子供の世界でも同じことである。

誰かが悪意の犠牲になったとき、まずは、被害を受けた本人が立ち向かう勇気を示すべきだが、何かの事情で本人の手に負えない場合もあり得る。

そんなときでも、社会がいじめを 「 卑怯な行為 」 だと認識し、たとえ火の粉が及ぼうとも、各人に断じて許さない気質があれば、弱者は救済される。

戦争反対、非暴力も結構だけれど、親が 「 保身のエゴイズム 」 に染まり、「 モラルを貫く勇気 」 を示さない風潮が、子供にも伝染している気がする。






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