Tonight 今夜の気分
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2006年10月17日(火) イジメ と 自殺 と バカ教師



「 教えることは、二回学ぶことである 」

                 ジョセフ・ジュベール ( フランスの倫理学者 )

To teach is to learn twice.

                                Joseph Joubert



職業選択の自由は、国民すべてに認められた共通の権利である。

努力して資格を得たり、試験に合格すると、やりたい職業に就ける。


ただし、人には 「 職業適性 」 というものがあって、その仕事に従事できる十分な能力を有していても、適性が合致しないと円滑に働けない。

職場の人間関係に悩んだり、職責の重圧に潰されて頓挫する人の中には、自分でも 「 こんなはずでは 」 と、失敗の原因に首をひねる人が多い。

それなりの大学を出て仕事に就き、同期の中に 「 歯が立たないライバル 」 がいるわけでもなく、自分なら人並み以上の活躍はできるはずと感じる。

そう思いつつ働き続け、さほど大きな失敗もなく徐々に自信をつけ、実力を認められて難易度の高い仕事を任された途端、心身に変調が現れる。

ある者は無難に克服し、ある者は 「 無能 」 のレッテルに甘んじ、ある者は精神科の助けを借り、ある者は職を離れ、ある者は 「 自殺 」 する。


それは 「 職業適性 」 の ミスマッチ に拠るところが大きく、本人の能力が低いわけでも、とりたてて精神が デリケート というわけでもない。

自分がどの職業に適しているのかを知るために、「 職業適性診断テスト 」 なるものも存在し、利用することで “ 多少は ” 参考になる。

だが、もっと簡単に、もっと正しく、自分に合った仕事を知る方法は、自分がやろうとしている仕事を 「 情熱をもって愛せるかどうか 」 を知ることだ。

うつ病を経験した勤め人の大半は、「 仕事とは、つらいもの 」 だと認識しており、逆に、仕事が楽しくて夢中になっている人に、うつ病は皆無である。

たとえ精神病にならなかったとしても、情熱をもたずに、嫌々ながら働いているような人は、どんな職種であっても 「 マトモ な仕事 」 などできない。


北海道の小学校、福岡の中学校で、相次ぎ 「 イジメ を苦にした自殺 」 が起き、社会問題となっており、いたたまれない気持ちにさせられる。

特に許せないのは、福岡の事件で 「 イジメ を誘発した 」 のが担任の教師であったという事実で、遺族の無念を思うと胸が痛む。

これが大人の世界なら、自殺する人間のほうが悪い。

なぜなら、自殺も一種の 「 殺人 」 であり、たとえどんな理由があろうとも、苦痛から逃れるために自分を 「 殺す 」 ことなど許されないからだ。

だが、子供の場合は、自分で解決する能力も、機会も与えられないうえに、人生に立ち向かう術を教えるはずの大人が 「 敵 」 では、どうしようもない。


この教師にかぎらず、「 教育 」 という仕事に対して、目的意識や、情熱や、やりがいを微塵も感じていない人間が、いまの教育現場には多い。

どんな思想を持とうと勝手だが、国旗、国歌に敬意を示さない 「 権利 」 を主張する 愚か者 や、それを支持、擁護する 愚か者 もいる。

彼らを 愚か者 と呼ぶのは、右翼、左翼などの思想的観点からではなくて、教師のくせに 「 権利 」 という言葉の定義を知らないからである。

権利と義務の最大の違いは、権利には必ず 「 選択肢があること 」 が条件であり、逆に、義務には 「 選択肢がないこと 」 が条件となる。

たとえば、日の丸に代わる国旗があったり、君が代に代わる国歌があるのなら、彼らの言う 「 権利 」 も成立するが、そのいづれも存在しない。


裁判所は、そのような 「 国語的議論 」 ではなく 「 法的基準 」 を裁定する場所なので、法的には通るかもしれないが、国語的には 「 × 」 である。

どうしても君が代が嫌ならば、代わりの曲を日教組で提案し、国民投票でもやって大多数の支持を得られるかどうか、審議にかける 「 権利 」 はある。

もし、君が代を支持する人数のほうが多ければ、民主主義の原則として、潔く従うべきだし、晴れて推薦曲が選ばれたら、胸を張って歌えばいい。

自分が嫌だから歌わないとか、国旗を掲揚しないというのは、権利に関わる選択の問題ではなく、単なる 「 わがまま 」 でしかない。

私自身、国歌に敬意は表すけれど、たとえば国民が君が代に代わる新しい国歌として、SOL’dOUT の 『 TOKYO通信 』 を選んだら、もちろん従う。


話が横道に逸れたが、能力はともかくとして、個人の自由や権利の主張に忙しく、教育という仕事に誇りや情熱を感じている教師は激減した。

嫌々やっているから、教育に携わる技術的水準は低く、授業も満足にできないわけで、ましてや 「 人格形成 」 まで指導できるはずもない。

きっと、会見に現れた教育長やら、校長やら、文部省の役人らは、自分の子供は 「 私学 」 に通わせ、公立学校のレベルに無関心なのだろう。

冒頭の言葉どおり、人を教育するのは 「 自分が二度学ぶ 」 ことに等しく、本当に教育に情熱をもっているなら、こんな バカ教師 は生まれない。

失った命を救うことはできないけれど、二度とこのような悲しい事件が起きないように、地上から 「 やる気のないバカ教師 」 を廃絶してもらいたい。






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