「 人生の前半は楽しむ機会に恵まれないが、その能力はあり、
後半は楽しむ能力に欠けているが、機会には恵まれている 」
マーク・トゥエイン ( アメリカの作家 )
The first half of life consists of the capacity to enjoy without the chance ; the last half consists of the chance without the capacity.
Mark Twain
体の痛みと、心の痛みは異質なもので、それぞれ別の苦しみがある。
どちらも辛いものだが、「 両方一度に襲ってくる 」 と、さらに痛みが増す。
最近、実は 「 左足ふくらはぎ 」 に違和感があり、特に、朝、目覚めるときに肉離れを起こしかけたり、つりそうになったりすることが多い。
短い期間だが、数日後には海外へ渡航するし、近場に、名医がいるという評判を聞きつけたので、珍しく、医者に看て貰うことにした。
原因は、「 古傷 」 と 「 腰痛 」 によるものだそうで、たいしたことはないらしいが、一応、飲み薬と湿布をもらってきた。
レントゲンを撮ると、背骨の形やら、脊髄の隙間などは理想的で、きれいな形をしているそうなのだが、何かしらの理由で、神経がズレているらしい。
薬や牽引や湿布よりも、ストレッチが効果的だといわれ、やり方を教わってきたので、今夜から、就寝前に始めようと思っている。
どこの病院も同じだろうが、患者の大半は 「 老人 」 で、病院まで来ているぐらいだから、どこか悪いのだろうけれど、元気そうに見える人も多い。
お年寄りは大事とも思うが、苦しそうな子供や、若者の患者が 「 元気そうな老人 」 の行列に続き、長い順番待ちをする光景は、複雑な気持ちになる。
けして、「 余命の長いほうが大事 」 と言うわけではないが、将来ある子供や、働き盛りで忙しい若者を、早く看てやってほしいとも思う。
老人医療費が値上がりしたことを云々する人も多いけれど、負担が少ないがために、リフレッシュ 気分で治療を受けに来る老人の割合も高い。
長生きするなとは言わないが、医師や病院の数には限りがあるし、深刻な急病で診察を受けに来る人もいるのだから、少しは自重すべきだろう。
もはや、若返る術などなく、自分も老人になっていく運命ではあるが、未来の担い手の邪魔をしてまで、世にはばかろうとは思わない。
やるべき最低限のことや、やりたい最小限のことは実行してきたし、やれる能力を出し惜しみしてこなかったという自負もある。
できれば、病院も 「 老人用 」 と 「 老人未満用 」 を設け、老人の延命と、若者の治療は、別の施設で対処したほうが望ましい気もする。
そんなことを考えつつ、痛む足を引きずりながら病院を出たとき、携帯電話に旧知の悪友から メール の着信があった。
内容は、「 恩人の死亡 」 を知らせるものであった。
すぐさま電話して詳細を確認したところ、死亡したのはずいぶん前のことであって、たまたま悪友が知ったのが今日だということである。
しかも、故人の名誉のために伏せるが、自然死ではなかったという。
恩人とはいっても、葬式に弔問するほどの関係ではなく、「 顔見知り 」 程度の付き合いだったのだが、学生時代にはよく世話になった人だ。
ここ十数年、会ったこともないし、滅多に話題にも上がらなかった人だが、既にこの世にいないと思うと、なんとも虚しい気分になる。
この人には 「 借り 」 があったので、それを返せなかった悔しさ、口惜しさが、悲しみ以上に胸に残り、今日は一日中、気分が冴えなかった。
帰りが遅くなったし、今夜は日記を休もうかとも思ったのだが、数日後には旅行に出かけるし、少しだけ、愚痴を吐き出させてもらった。
冒頭の言葉の通り、若い頃は何でも出来たのに、実行する機会が少なく、機会が増えた今も、気力、体力が衰え、結局、あまり人の役に立てない。
個人的な野心は達成できても、他人を幸せにしたり、昔の恩義に報いたり、社会に貢献することなど、なかなか程遠いのが実情である。
年金など、人生の 「 後半 」 に対する保障も気にはなるが、そこをどう生きて、何を目標とするのか、まだまだ自分には定まっていない。
ちと、珍しく落ち込み気味の 「 今夜の気分 」 である。
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