「 空腹な人間は宇宙に絶望しないし、そもそも宇宙のことなど考えない 」
ジョージ・オーウェル ( イギリスの作家、ジャーナリスト )
People with empty bellies never despair of the universe, not even think about the universe for that matter.
George Orwell
多くの日本人は、昔の 「 大名レベル 」 の贅沢な食事をしている。
持家比率は世界のトップクラスで、週休二日制が定着し、休日数も多い。
日本には 「 衣食足って礼節を知る 」 という “ ことわざ ”があって、それは 「 生活が豊かになり、初めて礼節が重んじられる 」 という意味だ。
ところが現在の日本は、歴史上かつてない豊かさに恵まれているにもかかわらず、礼節は地に墜ち、耳を塞ぎたくなるような報道で溢れている。
親が子供を虐待死させ、子供は家に放火し、公務員は飲酒運転で市民を轢き殺し、教師は女生徒を陵辱し、阿鼻叫喚の 「 地獄絵図 」 が広がる。
近頃では 「 礼節 」 を見出すことなど困難で、前述の 「 衣食足って礼節を知る 」 という言葉の信憑性を、日々、疑いたくなるばかりだ。
少し前の日本は、今ほど豊かではなかったかもしれないが、もうちょっとは、礼儀とか、人情とか、世間の結びつきがあったように感じてならない。
礼節が 「 崩壊 」 した理由として、親兄弟、隣近所、友人、夫婦、師弟などの人間関係が、近年、著しく変化したことが大きいのではないかと思う。
昔は、親が少々頼りなくても、「 子供は町内で育てる 」 ような気風があり、よその子も遠慮なく叱りつけ、善いことをすれば褒め称えた。
今は、「 プライバシーの保護 」 が進み、隣近所は干渉しないのが当たり前になり、子供の養育や躾の役割を、すべて親が担う時代となった。
ところが、生き方や価値観の多様化が認められ、親といえども子供の奴隷ではなく 「 一人の人間 」 としての自由や、個性、権利を主張し始める。
その結果、親であることを忘れたわけではないが、個人的な趣味や、生き甲斐、楽しみを犠牲にしてまで、子育てに集中しなくなる親が増えてきた。
学校では、一切の体罰が禁止され、かつての 「 師弟関係 」 は消滅して、先生と生徒の間柄は、いつからか 「 友達関係 」 に変わってきた。
夫婦、友人の関係も、携帯電話やメールで 「 いつでも連絡がとれる 」 ようになり、逆に、相手の様子を気にかけたり、思いやる機会が減ってきた。
日本人は徐々に、「 集団 」 から 「 個 」 の時代に変わってきたのである。
欧米流の 「 実力主義 」 という思想の 「 悪い面 」 ばかりを取り入れ、対人関係の不調和が目立ち、他人と協力して何かを成し得る技術が衰退した。
豊かにはなったけれど、大切な 「 礼節 」 を失ってしまったようだ。
ときおり、「 個人主義 」 と 「 利己主義 」 の違いを知らない人をみかける。
外資系企業などの提唱した実力主義は 「 個人主義 」 のことで、それぞれの社員が互いの役割を果たし、協力して全体の発展に寄与することだ。
ところが、それを 「 自分の功績さえ上がればいい 」 のだと勘違いし、自分勝手な行動に走ったり、自分の権利、手柄ばかりを主張する人も増えた。
利己的な姿勢は、勤務する企業や同僚との連帯感を失い、常に 「 集団 」 ではなく 「 個 」 で接するため、誰に対しても疑心暗鬼になる。
他人が 「 自分よりも、いい思いをしているのではないか 」 という疑念から、妬みやすく、「 何でも他人のせいにする 」 一種の人格障害に陥っていく。
利己主義な人でも、一時的には仕事が上手く運び、成功することがある。
しかし、自分の手柄や苦労、権利ばかりを主張して、他人の悩みや、痛みや、保護すべき権利を理解しようとしないので、周囲から浮いてしまう。
企業や同僚からは、「 能力はあるが、使えない奴 」 だとか、「 個人の業績は挙げられるが、全体の生産性を落とす奴 」 といった評価を下される。
そうなると、本人も仕事がつまらなくなり、定時に出社し、人並みの仕事をすることさえ困難になって、ついには、社会生活に適応できなくなる。
いよいよ生活に困ったら、企業を敵に回して個人の権利を訴え、「 会社のせい、国のせいで、こうなった 」 と、「 集団 」 に 「 個 」 で立ち向かう。
豊かな社会になり、空腹に苦しむ人が減ったのは良いことだが、衣食住が足りて、「 礼節 」 ではなく、「 利己的な野心 」 を身に付ける人もいる。
自分が豊かになったことを振り返り、他人に感謝する姿勢を忘れない人は 「 礼節 」 を重んじるようになり、そうでない人は逆方向へ向かう。
たとえ実力主義の世の中になっても、周囲に感謝する姿勢さえ失わなければ、それを利己主義と取り違えることなど、滅多にないはずである。
親子も、隣近所も、師弟も、お互いの権利ばかりを主張しないで、連携して全体が成功するように導ければ、ほとんどの人間関係は上手くいく。
その過程で自然と発生するのが 「 礼節 」 であり、無理やり子供に押し付けたり、他人に強要しても、社会がよくなるわけではないだろう。
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