Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2006年09月12日(火) 9.11 の英雄



「 本当の英雄とは、まちがって英雄になってしまった人だ。

  英雄も普通人と同じように、正直な臆病者になることを夢みている 」

                          ウンベルト・エーコ ( 評論家 )

The real hero is always hero by mistake ; he dreams of being
an honest coward like everybody else.

                                  Umberto Eco



凶悪な殺人鬼が、何の罪も無い人々を大量虐殺したとしよう。

その犯人を捕らえ、死刑にすると、「 死体を一つ増やす 」 ことになるのか。


悪夢の 「 9.11 」 から五年が経ち、あの日の衝撃を忘れた人、あるいは、数多くの犠牲に何も感じない人々が、それを 「 過ぎたこと 」 だと言う。

アメリカが主導する 「 テロとの闘い 」 は無意味で、むしろそれは、憎しみを増幅させ、新たなテロや惨劇を助長する悪行だと説く。

罪を憎んで人を憎まず、報復は無意味だと、「 殺人犯を死刑に処すれば、死体が一つ増えるだけ 」 のような論理で、聖人を気取る反戦論者たちだ。

あの日以来、テロリストに頭を下げ、その責任は一切追及せず、攻撃されたアメリカが悪いと、ブッシュや小泉総理が笑っていれば、よかったのか。

そうすることで、本当に世界からテロが無くなり、恒久的な平和が得られるのであれば、死者や遺族から憎まれ、恨まれても、彼らはそうしただろう。


あらゆる宗教を認め、その一つに 「 アメリカ人を皆殺しにすること 」 を教義にするものがある以上、信者を根絶やしにしないかぎりテロは続いてゆく。

テロ支援国家を攻撃し、捜査を充実させることで、規模の拡大を防いだり、発生件数を抑えることができたとしても、けして 「 0 」 にはならない。

だが、「 何もしない 」 ならば、さらに善良な人々の犠牲が増え続け、破壊を武器とした勢力による支配は、ますます強まるばかりだろう。

あの日の犠牲に誓い、テロの台頭を抑えるべく立ち上がったアメリカの姿勢は、善でもなければ、けして悪でもない。

アメリカ人はテロの犠牲に遭い、その後すぐに家族をイラクへと出征させる二重苦を負ったが、それは、「 そうするしかない 」 選択だったのである。


戦争に 「 良い戦争 」 も 「 悪い戦争 」 もないが、少なくともテロとの戦いは、ベトナムと違って 「 殺戮 」 が目的ではなかった。

単純に犯人を探し出して 「 殺す 」 ことだけが目的なら、もっと手っ取り早い方法で、簡単に ケリ をつける手段もあっただろう。

何者かを 「 殺す 」 ことよりも、二度と、市民が惨劇に巻き込まれず、平和に 「 生き抜く 」 権利を守りたいからこそ、時間の掛かる方法をとった。

そこで、「 9.11 」 を上回るアメリカ兵の死者が出たからといって、統計学的に 「 何もしないほうがよかった 」 と分析することなどできない。

大事なことは、死者の数ではなく、「 何のために戦ったか 」 であって、その死は、突然、無念に葬り去られた死よりも、はるかに目的と意義がある。


もちろん、それがいかなる死であっても、「 死を礼賛 」 するわけではない。

日本の TV でも、「 9.11 」 を再現するドラマが放映されたが、そこに描かれた勇気と栄光は、すべて 「 生きるための努力 」 に他ならない。

極限状態に追い込まれ、それでも一縷の光を求めて必死に生きようとした人々の事実を目の当たりにすると、いかに命が大切かと実感する。

逆に、自爆テロや、思い通りにならないと、死ぬ素振りをみせて周囲の気をひこうとする馬鹿どもが、いかに愚かな卑怯者かが改めてよくわかる。

英雄とは、生きる勇気を抱き続け、まっとうに生きる人々の生命を守り抜く人々に与えられる称号で、常に、死んで片をつける クズ とは対極にある。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加


 < PAST  INDEX  NEXT >


Oldsoldier TAKA [MAIL]

My追加