Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2006年08月31日(木) 左遷が労災認定の理由になる時代



「 愚かさもまた神からの恵みである。

  しかし決してそれを誤用してはならない 」

                       ヨハネ・パウロ・2世 ( ローマ教皇 )

Stupidity is also a gift of God, but one mustn't misuse it.

                              Pope John Paul ��



若い頃は平気だったが、近頃は、残暑の厳しさを辛く感じるようになった。

認めたくはないが、着実に体力は衰えを示している。


一昔前の日本人は、スポーツに 「 道 」 を付けるのが好きで、たとえば、「 野球道 」 とか、「 空手道 」 などと称しては、そこに精神論を求めた。

大学時代は、近代的な設備と、高度なスポーツ運動学の整備された環境にあったので、合理的なトレーニングに励めたのだが、高校は違っていた。

なにかと 「 根性 」 が重視され、真夏の炎天下であろうが、練習中に一滴の水を摂ることも禁止されており、非科学的な運動を強いられたものだ。

いまにして振り返れば、「 よく、死人が出なかったなァ 」 とも思うが、誰一人として、熱中症や日射病に倒れた仲間はいない。

それは、当時の学生が、平均的に今の若者より体力があったわけでなく、倒れるような種類の学生は、早々に部を去っていたからだろう。


辛いばかりで、あまり効果の上がらない練習を繰り返した結果、身体能力は高くないが、やたらと忍耐力だけはあるという選手が、多く輩出された。

当然、輝かしい成果には縁遠かったが、「 根性至上主義 」 の我々にとっては、記録よりも根性、入賞よりも根性が、最も大事だったのである。

過酷な試練は、必要以上に部分的な筋肉を酷使し、選手生命の短縮や、各種機能の低下を招いたが、すべてが弊害ばかりでもなかった。

厳しい状況に耐え忍ぶ精神力や、たった1歳年齢が上なだけの人間から、要求される 「 理不尽な指示にも妄信的に従う素直さ 」 などが養われた。

そして、肉体的に 「 どこまでの試練に、正気で耐え得るか 」 という限界を学ぶという、他では得られない貴重な経験を積むことができたのである。


戦争は遠い昔の話で、また、現在ほど 「 個性の多様化 」 が認められない時代だったから、皆、「 何かに “ こだわり ” たかった 」 のかもしれない。

体育会系の人間にとって 「 根性 」 というのは、その対象として選びやすい要素であり、美学であり、哲学でもあったのだろう。

とにかく、命を削るように走り、マゾ的に、渇きや、苦痛や、疲労を甘受し、それに耐えられない者と自分の差を、優越的に眺めては悦んでいた。

人生は競争であり、逆境や火熱に耐えることであるということを、一般社会に出る前に体験したことは、その後の人生にも役立っていると思う。

仕事で感じるストレスやプレッシャーとは質が違うけれど、己の限界に挑戦し続け、泣き言を漏らさず、倒れても立ち上がる習慣が身についた。


職場での 「 左遷 」 が原因で、うつ病になったという訴えから、労災が認定されるという事例がみつかった。

この患者は、都内の化粧品会社に就職後、経理部に配属されていたのだが、ある日、群馬の工場へ配置転換となり、総務課に異動させられた。

そこで、彼の机だけが窓際に離れて置かれ、給与は11万円減額された。

その後、吐き気、頭痛、けん怠感が生じ、うつ病の診断を受け入院したが、退院後、体調不良から本社への転勤を求めたところ解雇されたという。

担当弁護士は、「 同じような悩みを持つ人たちを勇気付ける 」 として、今回の労災認定を歓迎し、企業側は、今後も係争する構えをみせている。


労災の認定基準として、「 職場環境と発病との因果関係 」 は重要な要素であり、この場合、すべてが事実ならば、因果関係は十分に認められる。

誰だって、自分の机だけが仲間と離れた窓際に置かれたり、給与を11万円も減らされたら、待遇に不満を持つし、それを悩むだろう。

ただ、ここで気になるのは、「 うつ病になった因果関係 」 だけでなく、席を離されたり、給与を減らされた 「 理由 ( あるいは因果関係 ) 」 である。

合理的に収益を上げようとする普通の企業ならば、社員のモチベーションを意図的に下げたり、生産性を落とすようなことはしないものだ。

小学校ではないのだから、「 ちゃんと仕事をしているが、なんとなく気に入らない 」 などの理由では、席を離したり、給与を下げたりはしない。


つまり、この人は、「 うつ病と診断される前から、戦力として認められていなかった 」 わけで、その企業にとって、必要な人材ではなかったようだ。

その人を知らないので、その人が 「 有能 」 か 「 無能 」 かを知る術はないが、少なくとも、その企業にとっては不要な人材だったはずだ。

彼自身の問題点は、自分の能力や実績が正当に評価されていないと思うのなら、病気になる前に転職しなかったところにある。

あるいは、どうしても会社に残り、貢献したかったのであれば、気を病む暇があったら、奮起して、待遇や権限を勝ち取る努力をすべきだったろう。

本当の意味で、企業側に責任があるのは、中途半端に不遇な扱いをするのではなく、正式な手続きを経て、早期に退職させなかった点にもある。


オリンピックは、「 参加することに意義がある 」 という。

だが実際には、足の遅い人や、不自由な人が、「 私も参加したい 」 と要望したところで、メンバーに加えてもらえるわけではない。

ここでいう 「 参加する意義 」 とは、勝利を目指すことが大前提であり、企業活動に参加する目的も、業績に貢献することが絶対条件なのである。

精神病にかぎらず、病気は 「 罪 」 ではないが、それを理由として、貢献度が低いのに厚遇を望むことは、いささか筋違いであろう。

また、スポーツの世界も、ビジネスの世界も、健康管理は 「 自己管理 」 が原則で、体を鍛えるのと同様に、精神を磨くのも仕事の一部である。


企業側にも問題があるようなので、この労災認定に異存はないが、仕事が原因でうつ病になった人たちが、こぞって申請をし始めたら大変である。

たちまち日本企業の経営体質は弱体化し、団体レースでいうと、もっとも、ペースの遅い人に、全体が合わせなければ進めない構造になるだろう。

うつ病にかぎらず、給与が少ないと嘆く社員さんたちに理解してもらいたいのは、その少ない給料も、貢献度の高い人が稼ぎ出しているという事実だ。

ストレスやプレッシャーの少ない仕事、通勤には不便な仕事を放棄しても、その仕事がなくなるわけではなく、誰かが代わりにやってくれている。

前述の弁護士は 「 同じ悩みを持つ人々を勇気付ける 」 と言うが、権利を主張する勇気よりも、逆境に立ち向かう勇気が必要なのではないかと思う。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加


 < PAST  INDEX  NEXT >


Oldsoldier TAKA [MAIL]

My追加