「 一人旅をしているときには、好きな人たちのこと、残してきた人たちの
ことばかり、ふしぎに思い出すものだ 」
リチャード・ホームズ ( 作家 )
When travelling alone your mind fills up strangely with the people you are fond of, the people you have left behind.
Richard Holmes
すっかり、一人暮らしが長くなり、自分の生き方として定着してきた。
この先、誰かと一緒に暮らすかもしれないが、今のところ計画はない。
若い頃は 「 寝に帰る 」 だけの部屋だったが、最近は、遊ばなくなってきたせいか、部屋でのんびりと過ごす時間が多くなってきた。
そうなると、今まで以上に 「 居住性 」 が気になるようになってきて、部屋を整理したり、掃除する頻度が高く、わりと “ こぎれい ” に片付いている。
この前の盆休みも、古い書類を処分したり、不要品を粗大ゴミに出したり、本やレコードをまとめて友人にあげたりして、部屋全体が身軽になった。
実用品を、要る物、要らない物に分類するのは簡単で、奥に収納し使っていない物は、どんなに高額な物でも、たいてい 「 要らない物 」 である。
そこに収納していることすら忘れているようなら、一度処分して、どうしても要るときには、また買えばいい。
判断に困るのは、「 思い出の品 」 である。
意味不明なオブジェや、使い道のないプレゼントなどは思い切って捨てたのだが、「 写真 」 とか、「 はがき、手紙 」 などの処分には悩んでしまう。
写真が 「 衣装ケース2個分 」、はがきが 「 1個分 」 ぐらいあって、とりあえず、はがき ( 大半が年賀状 ) は現状維持とした。
いづれも、子供の頃から残してきたもので、ふと眺めていると、その時々の思い出が甦ってくるものだが、滅多に眺めたりしない品々だ。
写真は、さすがに多すぎるので、見覚えのない風景や、自分がどこに映っているのか見当たらないような 「 珍品 」 を、少しは処分することにした。
まず、年代別に分け、学生時代までの写真は、とりあえず残した。
次に、仕事関係で撮った写真は、その大半が、まったく今となっては不要な物だったので、ごく一部を残して、ほとんど捨てることにした。
その他は、旅行の写真、彼女 ( その時々の ) と撮った写真、友人と撮った写真、家族の写真、証明写真などである。
目が悪くなったせいか、被写体が小さく写っているものは 「 虫眼鏡 」 で見たりしながら、一点づつ、要る、要らないに分けていく。
その都度、アルバムに貼るなどして整理すればよかったのだが、不精をして現像屋さんの袋に入れっぱなしにしていたりするので、作業は難航する。
女性と映っている写真は、捨てずに持っていると 「 未練がましい 」 ようだし、捨ててしまうのは 「 薄情 」 な感じがして、処理に悩んでしまう。
この先、結婚して、誰かと一緒に住むことにでもなれば 「 捨てる理由 」 が出来るのだが、さしあたって予定も無い。
そんなことを考えていると、一つの疑問に突き当たった。
この部屋に、女性と映った写真が存在するということは、それと同じ写真が、少なくとも一時的には、彼女たちの手元にも存在したはずだ。
その写真を、持ち主の女性たちは、どうしたのだろうか。
いづれも美しい女性ばかりなので、別の彼氏ができたり、あるいは結婚 ( 実際に結婚したと報告を受けた人もいる ) したり、しているはずだ。
こっそりと隠し持っている人も中にはいるかもしれないが、大半は処分されていると思って、間違いないだろう。
一枚づつ、最後に眺めながら、こちらも処分することにした。
たちまち、「 衣装ケース1個 」 でも余裕のある状態に減り、かなりスッキリとしたのだが、ここで重大な事実に気がついた。
近年では、DPE に出さず 「 デジカメ 」 で写真を撮っているため、メモリーカード や CD を処分しないと、まだ、女性の写真は残っている。
写真を捨てたからといって、すべて彼女たちとの思い出が消えたわけではなく、その記憶は、心に刻まれ、どこかに残っている。
それは、相手の方にとっても同じだろう。
記憶を共有するということは、「 人生を共有する 」 ということと同じであり、美しい風景や、楽しい瞬間を、お互いの右側、左側で過ごしてきた証だ。
一人暮らしは、人生の 「 一人旅 」 に似ており、ふと、静けさの中で、過去に愛した人のことなどを、ぼんやり思い出すときもある。
前向きに、「 これから出会う人 」 に希望を馳せながらも、「 あの時、こうすりゃ良かったんだよなァ 」 などと、未練がましく後悔する夜もあるのだ。
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