| 2006年08月20日(日) |
時事日記を書く難しさ |
「 馬鹿は自分のことを賢いと思い、賢明な人間は自分が愚か者で
あることを知っている 」
ウイリアム・シェークスピア ( イギリスの劇作家 )
The fool doth think he is wise, but the wise man knows himself to be a fool.
William Shakespeare
作家の名言については、作品中で使われた 文章 も引用している。
冒頭の名言は、『 お気に召すまま [ As You Like It ] 』 からの引用だ。
およそ人間の性格というものは、「 生い立ち 」 と 「 環境 」 によって形成されていくことが多く、外的な要因に大きく影響されやすい。
しかし、同じ家で生まれ育った兄弟でも、まるで性格が違うといった現象も実際にあり、それがすべてだとも言えない。
幼い頃、童話 『 三匹の子豚 』 を読んだ方も多いと思うが、家を建てなさいと言われ、長男はワラの家、次男は木の家、三男はレンガの家を建てる。
現実には、通気性の乏しい 「 総レンガの家 」 など住環境最悪で、次男による木の家が一番マトモだが、その話は、とりあえず置いておこう(笑)。
物語では、ワラの家、木の家が狼に撃破され、三男の建てた頑丈なレンガの家に全員が避難して、事なきを得てメデタシ、メデタシとなる。
同じ家に育っても、まったく同じ環境というわけではない。
兄に可愛がられたり、いじめられたりして、弟の性格が変わることもあるし、兄の良い面、悪い面を見て、何かを学ぶこともあるだろう。
前述の童話では、兄弟の性格の差を、「 努力 」 とか 「 マメさ 」 の違いによって表現し、手を抜かずに努力することの大切さを教訓として伝えている。
仕事でも、恋愛でも、、マメに一工夫することで、ライバルに差をつけたり、成功の決め手になることが多く、何事も、創意工夫と努力は欠かせない。
では、「 努力する人 」 と 「 努力しない人 」 では、どこが違うのだろうか。
基本的に 「 努力する人 」 は、自分が全能の神ではないことを知っていて、欠点を補おうとか、知らないことを学ぼうとする姿勢を持っている。
だから、世の中の森羅万象に興味があり、自分の知らない世界や価値観についても、他人の話に耳を傾け、素直に吸収することができる。
相手が 「 間違ってるな 」 だとか、「 自分とは意見が違うな 」 と思ったら、批判したり攻撃する前に、「 なぜ、そういう意見なのか 」 を先に考える。
人の思想、思考にも必ず 「 その根拠 」 はあるもので、たとえば、歴史的な事実を相手が知らないとか、情報が不足していると、誤った認識を持つ。
また、心理学を学ぶとよくわかるのだが、相手が精神病だったり、心身症のある場合には、とんでもない思考回路を持っていても珍しくない。
そのことから、「 努力しない人 」 の特徴も、簡単に割り出せる。
気持ちのどこかで、まったく根拠もないのに 「 いつも自分は正しい 」 と思い込んでいて、「 だから、なんとかなる 」 と盲信し、他人以上に努力しない。
それほど世間のことも知らないのに、自分が信奉するもの、偉いと思う人の言ったこと、古い価値観だけを基準に、違う意見を退け、話も聴かない。
そのため、日本映画はすべて駄作とか、クラシック以外は音楽じゃないとか、シェークスピア以外は読むに値しないとか、極端な論法に走りやすい。
価値基準は、つねに 「 自分 」 にあり、自己満足の意識しかないので、他人と競争したり、助け合ったりする仕事では、大抵の場合、失敗する。
そこまで自分を過信し、他人を見下せるベースは、どこにあるのか。
学生時代の一時期、少し勉強して 「 まぁまぁの大学 」 を出て、「 まぁまぁの企業 」 に入ったことを鼻にかけていて、それを根拠にしている例が多い。
逆に、最難関の大学を出たり、日本のトップ ( 東大で世界ランク101位 ) では満足できず、海外の上位校を出た人に、そんな人は少ない。
また、なんらかの事情で高校や大学に進めなかった人も、学校歴の不足を何かで補おうとする人が多いので、愚かなプライドに自滅しないものだ。
中間層の、自分では 「 賢いほう 」 だと盲信しているお気楽な人にかぎって、「 九九のできない若者 」 などを槍玉に挙げ、見下す傾向にある。
時事問題の日記を書く場合の難しさは、実は 「 自分は何様か 」 という部分にあり、なかなか悩むところである。
ご立派な政治家や、大企業の経営者、各国の国家元首に 「 物申す 」 資格が、はたして自分にあるのかという点が、つきまとう立場にある。
そこで、日記を書く多くの人は、時代の潮流をつくるのは、そういう人物たちではなく 「 一般大衆 」 という視点に立ち、個人的な意見を述べる。
そうすることで、自分の浅はかさや、知識不足といった問題を解消できるのだから、この方法には利点が多い。
ただし、それに甘え、なんでも 「 言ったもん勝ち 」 みたいに暴論を繰り出すばかりでは 「 努力 」 につながらないので、そこは注意が必要だろう。
興味深いのは、「 読者を馬鹿にした日記 」 である。
彼らの日記では、「 小泉が馬鹿 」、「 支持する国民が馬鹿 」、「 マスコミが馬鹿 」、「 有難がって読んでる奴も馬鹿 」 という論調が多い。
つまり、「 いま、これを読んでる君も馬鹿 」、「 賢いのは唯一、自分だけ 」 と言ってるのと同じで、読者を見下して悦に入っているのである。
精神分析の観点から興味があるので、私は面白がって読んでいるのだが、そんな日記を読んで賛同している方々の心理にも、興味深いものがある。
書いている人から 「 馬鹿だ 」 と罵倒されても読みたい心理など、自分には未知の領域があり、世間には、まだまだ勉強すべきことが多いのである。
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