| 2006年08月17日(木) |
ロシアによる銃撃と漁船拿捕 |
「 政治とは血を流さない戦争であり、戦争とは流血の政治である 」
毛沢東 ( 中国共産主義革命の指導者 )
Politics is war without bloodshed while war is politics with bloodshed.
Mao Zedong
靖国参拝に異論を唱えた加藤議員の事務所が、右翼の男に放火された。
主張を通すため卑劣な手段に訴え出ても、それは逆効果にしかならない。
人命とか、言論の自由など、これっぽっちも頭になく、単に 「 小泉憎し 」 の感情しかない連中も、嬉々として 「 それみたことか 」 と騒ぐだろう。
軍国主義でも、極右でもない人間の参拝支持論までが、このような狂人の愚行によって疑問視されるのは、残念だが仕方のないことだ。
参拝に賛成する人間も、反対する人間も多いが、意見の異なる相手を痛めつけようとか、放火しようとする狂人は、ごくわずかである。
首相の参拝が悪いわけではなく、加藤氏の反論が悪いわけでもない。
このような暴力的で非常識な輩は、普段から異常性を発揮しているはずで、世間が、そういうキチガイを放し飼いにしていることこそ問題である。
一夜明け、やはり中国、韓国は、「 次期首相の靖国参拝 」 について、実行すれば首脳会談をしないとか、予想通り、嫌がらせを仕掛けてきた。
中韓の執拗な態度に、「 戦後61年も経ってるのに、いまだに太平洋戦争を口実にしてインネンをつけるのか 」 と、立腹されている方も多い。
若い方はご存知ないかもしれないが、中韓が、日本の歴史認識や、教科書問題、首相の靖国参拝などに言いがかりをつけてきたのは最近のことだ。
戦後数十年は黙っていたくせに、近年になって 「 61年も前のこと 」 を外交カードに使い始めたわけで、その手口は姑息で汚い。
だから、マトモに相手にする必要などなく、「 近隣諸国の感情 」 などと騒ぎ立てず、毅然と無視すればよいのである。
昭和40年代、現在のように中韓が嫌がらせを仕掛ける前の話だが、今は亡き父から、戦中、戦後の話をよく聴いた。
父は戦時中、軍需工場の責任者として、多くの中国人、韓国人と、兵士の食糧である缶詰をつくる仕事をしていた。
既に戦局は悪化し、一般的な日本人の食糧事情も悪かったので、労役に使われていた中国人、韓国人の食事などは、惨憺たるものだっという。
勤め始めた最初の頃は、工場内に日本人も多かったから、昼食時になると日本人は別室でマトモな食事を採り、外国人は粗食に耐えていた。
彼らを気の毒だと思ったけれど、彼らに差別的な他の日本人の視線も気になるし、食事を分け与えることなどできなかったのである。
そのうち、仲間が続々と前線に送られていって、いつのまにか工場に常駐する日本人は、父一人だけになった。
父は昼になると、ルール違反ではあったけれど、缶詰の原料を大釜で煮込み、外国人労働者と車座になって、毎日、パーティをしていたらしい。
大半の日本人が 「 食うや食わずの生活 」 を送っていた時勢に、工場内では父と外国人労働者が、豪快にグルメな日々を過ごしていたのである。
バレたら銃殺モノだったが、当時の若者には死の恐怖など微塵もなかったし、元来、「 楽しきゃいい 」 という性格だった父は、気にしなかったらしい。
他所とは違い、満腹の作業員たちの作業効率はピカイチで、夕飯も食べたいため残業も積極的にこなし、父は 「 優秀工場長 」 として表彰された。
ある日、父にも 「 出征命令 」 が来て、その生活の終わる日がきた。
従業員全員が別れを惜しみ、「 無事に帰ってくるように 」 と涙で祈りを捧げたのだが、その祈りは無駄に終わった。
時は既に昭和20年8月、南方に出征する直前、終戦を迎えたのである。
終戦後、混迷する大阪の街には、迫害を受けて恨みを持つ外国人たちが、日本人に仕返しをしようとする機会を窺い、不穏な空気が立ち込めていた。
そんなとき、父をよく知る外国人たちが 「 この一家だけは攻撃しない 」 とかばってくれ、平和な暮らしと、順調な商売を助けてくれたのである。
長くなったが、そんなわけで父は、中国人、韓国人に差別感情がなかった。
その時代の人間には珍しく、塾に通えない近所の中国人の子供を集めて、無料でソロバンを教えたり、得意な数学を教えたりもしていた。
そんな開けっぴろげでフランクな父が、生前、「 ロシア人だけは許せん 」 と、ロシア人がいかに卑怯で、汚い民族かということを、頻繁に語っていた。
後年、歴史を学んで知ったが、「 日ソ不可侵条約 」 を一方的に破棄したことや、北方領土問題などを指して、そう言っていたのだろう。
アメリカへの留学も許してくれた父だが、最期まで 「 ソ連にだけは行くな 」 と言って、結局、いまだに私はロシアの地を踏んでいない。
根室市の漁船がロシアの銃撃を受け、一人が死亡し、船は拿捕された。
海上の国境線には、線が敷いてあるわけでもなく、その現場が日本の領海だったのか、ロシア領だったのか、検証することは難しいだろう。
ただ、この場所で、こういった問題が起きる原因は、明らかに日本の領土であるはずの 「 北方領土 」 を、ロシアが速やかに返還しないためである。
1855年、江戸幕府とロシアが話し合い、「 日露和親条約 」 により、歯舞、色丹、国後、択捉の4島は日本の領土となった。
その後、日露戦争に勝利した日本は、サハリン、千島列島も手中にした。
そして、第二時世界大戦が終局する寸前の8月9日、「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄したソ連軍は、サハリン、千島列島に侵攻し、占拠する。
しかも、無条件降伏をした8月15日以降も侵略は続き、北方4島すべてを略奪してしまった。
その後、日本は 「 もはやサハリン、千島列島を返せとは言わない。しかし、北方4島は昔から日本のものだから返して欲しい 」 と交渉を繰り返す。
やがて米ソ冷戦時代が訪れ、米軍基地になる恐れから交渉は頓挫する。
冷戦後、「歯舞と色丹は返す」との約束を取り付けたが、日本政府は当然の要求として「4島すべての返還」を求め続けている。
これが 『 北方領土問題 』 の概要である。
日本は 「 もともと日本の領土なのだから、そこに住んでいる人が困ってるなら助けてあげよう 」 という人道的援助を、現在も続けている。
なのに、その場所で、領海侵犯だとか何だとか言って、漁船に銃撃を加えたり、拿捕するとは、断じて許せない悪行である。
このような事件が起きると、人種差別や偏見とは縁遠かった父が、「 ロシア人は汚い 」 と言っていた言葉を、どうしても思い出してしまう。
靖国問題で中韓に気をとられがちだが、政府、外務省は、この問題について厳重に抗議し、納得のいく対処を求め続けてほしいと思う。
|