「 彼が愛される最大の理由は、彼の作った敵の多さにある 」
エドワード・スタイヴザント・ブラッグ ( アメリカの政治家 )
They love him most for the enemies he has made.
Edward Stuyvesant Bragg
誰からも愛されたいと望むのは、人として自然な気持ちである。
ましてや政治家の場合、ごく一部でも、有権者の反感を買いたくはない。
ただ、それが 「 本物の愛 」 かというと疑問で、浅い一時的な人気に過ぎないようでは、八方美人などと陰口を叩かれてしまう。
そのような 「 カラ人気 」 を本物の愛情や信用と錯覚して、有頂天になってしまうようでは、大きな政治家にはなれないのも現実だ。
民主主義の危険な落とし穴が、ここにある。
責任のない一般社会の人々が、いかに批難しようとも、将来的に 「 あれでよかったのだ 」 と言われる施策を、辛抱強く実現する勇気を持つこと。
国民全体の利益を長期的展望に立って考え、一時的に反撥を食らっても、強く信念を貫くことこそが、「 公の責任 」 を持つ者には必要である。
任期中最後の終戦記念日に、靖国参拝を果たした小泉首相を、批難する人もいるだろうし、「 立派だ 」 と思う人もいる。
戦没者に対する畏敬の念は、それぞれの立場やら、年齢やら、受けてきた教育などによって異なるだろうから、何が正しいとは言えない。
現代日本の礎を築いた英霊たちを、中韓と結託し、ないがしろにしようが、この国を 「 戦争犯罪国 」 と自虐しようが、すべては個人の自由である。
ただし、靖国参拝によって 「 日中関係が悪くなる 」 という意見は、明らかに間違っていると言わざるをえない。
参拝すれば中韓両政府が不快感を示すけれども、参拝せず、彼らの顔を立てたところで、日中関係が良くなるわけではない。
野党議員などに多くみられる反対意見者は、中国に内政干渉されて、先祖の弔いもできない状態を指し、それを 「 良い日中関係 」 と言うのだろうか。
太平洋戦争の反省とは、平和な社会の実現を目指すことであって、中国や韓国に逆らわず、彼らに媚びへつらうことではない。
靖国問題がなくても、彼らは 「 日本が軍国主義への回帰を目指している 」 という主張を、ことあるごとに展開している。
たとえば、昨年、『 男たちの大和 』 という戦争映画を劇場公開したことなどを例に挙げ、日本人は反省がない、戦争を肯定化していると怒っている。
私は映画が好きで、戦後、日本が製作した戦争映画を数多く観てきたが、戦意を高揚する映画など一本もなく、そのすべては 「 反戦映画 」 である。
平和を願う日本人の自主的な努力は、すべて、ねじまげて解釈され、正しく伝えられたことなど一度もない。
教科書問題をはじめとして、彼らは日本人に 「 反省 」 を求めているのではなく、自分たちの支配力が及ぶように 「 従属 」 を求めているだけである。
政治的思惑のある中韓はともかく、それに気づかず、彼らの尻馬に乗って、日本の自主性や、自衛権を否定する 「 逆賊 」 が多い事実は許しがたい。
いくら自由にものが言える国だとはいっても、そのような国益を脅かす連中には、何らかの処罰も検討すべきではないかと思う。
幸いに、まだ 「 愛国心 」 を持つ人間が大半を占めているので、売国的な政党は、政権も取れないし、売国奴は職場で 「 浮いている 」 だろうが。
そんな愚か者でも 「 有権者 」 である以上、良心のある政治家も、その票が欲しいのが実態である。
実際、過去の優れた政治家の多くが、自分と組織の得票のために、信念を貫くことなく、あやふやな態度で、お茶を濁してきた。
小泉首相においても、混乱を避けるため、妥協を余儀なくされた。
任期切れ寸前の参拝に対し、「 立つ鳥、跡を濁した 」 などと批判する馬鹿もいるが、これは、将来の日中関係において、重要なアプローチである。
けして、中韓に対し 「 喧嘩を売る 」 わけではないが、正常で、対等な日中関係の土台をつくるためには、必要な措置だったとみて間違いない。
政治でも、企業でも、能力と信念のある人間は、そうじゃない人間、仕事のできない奴から、陰口を叩かれ、中傷を受けるものである。
嫌われたくないがために、軋轢を避けるようでは、その資質が埋没する。
靖国に参拝しないことを 「 諸外国への “ 配慮 ” 」 などと勘違いしている人も多いが、それは “ 配慮 ” ではなく、実際には “ 後退 ” でしかない。
たとえ内外の大きな反撥にあっても、将来的な国益のためには、それらに耐えることが、管理責任を担っている人の責務である。
ポスト小泉の中で、能力面だけを比較すると、谷垣氏はイチオシの逸材だが、組織の長は、知的教養だけでなく、人格的力量が不可欠なのでNG。
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