| 2006年08月01日(火) |
靖国に眠る英霊への供養 |
「 何かのために死なない人間は、生きるにふさわしくない 」
キング牧師 ( アメリカ人公民権運動の指導者 )
A man who won't die for something is not fit to live.
Martin Luther King,Jr
まるで、昔の日本人気質を表したような 「 骨太 」 の言葉である。
戦いの指導者は皆、いつの時代、どこの国でも同じなのだろう。
この言葉は、死ぬことを奨励したものではない。
信念を持たず、リスクを避けてばかりの後ろ向きな生き方を批難したものであり、そのような人間は、たしかに 「 生きているとはいえない 」 のである。
むやみやたらに喧嘩をふっかけたり、自らの意思を通すために軋轢を起こす必要はないが、常に 「 ことなかれ主義 」 では生きる価値も少ない。
ある意味、戦争中の日本人は、生きる目標がシンプルだったはずだ。
当時は、「 生きることは死ぬこと 」 であり、家族や国家のために、あるいは天皇陛下のために、自分の命を捧げるという大儀があったのだ。
逆に今は、「 何のために生きるのか、何のために自分の命を捧げるのか 」 という問いに対して、自分自身で答を考えなければならない時代である。
自分の人生を、より価値あるものとして、有意義に過ごしたいと考える人間にとっては、国家から死を強要された時代よりも、今のほうがいいだろう。
自由な選択肢の中で、精一杯に努力して、自らの人生を構築できる。
ところが、人生をつまらないものと考え、少しでもツライことや、自分の思い通りにならないことがあると挫折してしまう人は、その価値がわからない。
数かぎりない生き方、死に方があるのに、真剣に考えたり、悩んだり、未来に希望を抱くことを面倒がり、最も無意味な 「 自殺 」 で身を滅ぼす。
思わぬところから 「 昭和天皇のご意思 」 だと称されるメモが出たことで、にわかに靖国問題が議論されはじめ、マスコミを賑わせている。
ポスト小泉として次期総理就任が濃厚な安倍官房長官が、はたして就任後に靖国神社へ参拝するのか、中韓の反応はどうかなど、話題は尽きない。
靖国に眠る英霊に対して、現代の日本がもっとも恥ずべきこと、顔向けできない問題は、中韓の批難より、わが国内の 「 自殺者の多さ 」 である。
生きる道は死ぬことしかなかった時代に、子孫のため国を守ろうとして日本の礎となった英霊の魂を、いかに多くの馬鹿者が無駄にしているか。
しかも、そんな 「 自分が楽になることしか考えていない 」 連中にかぎって、世界平和だの、戦争反対だのと、腹にも無いゴタクを並べたがる。
英霊に手を合わせ、その遺志に報いるには、靖国神社へ参拝すること以上に、いまの日本人が、威風堂々と価値ある人生を謳歌することが重要だ。
自分や他人の命を粗末にする馬鹿や、人生を楽しめず、何のために生きているのかわからない愚か者を減らすことが、最大の供養である。
先祖が命懸けで守ったこの国を、どんな国にして、国民はどう生きるのか、それこそが我々に与えられた使命であり、末代まで続く永遠の課題だ。
靖国に誰が眠っているのかよりも、戦犯、非戦犯を問わず、そこに眠る人々が後世に託した共通の願いは何かを認識することが、重要である。
靖国参拝を、軍国主義への回帰だとか、過去の反省だとか論議することより、我々が幸せに恙無く暮らすことを、英霊たちは期待しているだろう。
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