| 2006年07月24日(月) |
アメリカとイスラエル |
「 私は理想を捨てません。
どんなことがあっても、私は、人は本当は素晴らしい心を持っていると
今も信じているからです 」
アンネ・フランク ( 『 アンネの日記 』 の著者 )
I keep my ideals, because in spite of everything, I still believe that people are really good at heart.
Anne Frank
人の手によって苦しめられた人間が、最後まで人を信じ続ける。
アンネ・フランクの言葉には、虐げられた憐れみより、強靭さが感じられる。
とはいえ、歴史を振り返るまでもなく、防衛の手立てもない弱小の民族は、領土を侵され、略奪され、耐えるだけでは根絶やしに滅ぼされる宿命だ。
紛争もビジネスも、「 共存共栄 」 などあり得ず、あるのは 「 強存強栄 」 か、「 競存競栄 」 だけで、競合との軋轢は避けられない。
問題は、できるだけ物事を平和的、紳士的に解決しようとするグループと、そうではないグループがあることで、そのあたりが戦争の火種になる。
イラク戦争の是非を問う人も多いが、戦争というものは、一度始まってしまえば否応無く巻き込まれるもので、良い側も悪い側もない。
アメリカがイラクに派兵するずっと前から、イラク戦争は始まっていたと考えるべきで、世界はそこに巻き込まれただけの話である。
22日、レバノンのイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラとの戦闘を続けるイスラエル軍が、レバノン最南部のマルンラスという村を制圧、占領した。
今後、ヒズボラ掃討のため、さらに大規模な侵攻作戦が予想される。
複雑なのは、けして、レバノンとイスラエルの両国が戦争をしているわけではなく、イスラエルの標的はヒズボラという 「 テロ組織 」 にあるところだ。
傍目には戦争のようにしか見えないが、領土を拡大したいなどの目的などなく、イスラエル軍側は 「 悪い連中を懲らしめる 」 という認識しかない。
これを警察がやれば 「 悪者退治 」 となり、軍がやれば 「 戦争 」 となるわけだが、規模と、「 誰を巻き込むか 」 という点が、大いに異なってくる。
アメリカは総体的に 「 親イスラエル 」 という主義を貫いているので、今回も武器や物資など、側面的な支援をはたすことは間違いない。
状況によって戦渦が拡大すれば、直接的な派兵もあり得るだろう。
アメリカに長く住んでみると気付くが、アメリカで 「 反ユダヤ主義 」 といったレッテルを貼られるのは、かなり不名誉な印象を与えることになる。
イスラエル・ロビーたちは、かなり前から「 反イスラエル = 反ユダヤ主義 」 に繋がるとの広報活動を展開していて、それが効果を挙げてきた。
ユダヤ資本が財界の多くを占めているとか、ユダヤ民族が多いという単純な理由ではなく、一般的な米国民の大半が、その影響を受けているのだ。
アンネ・フランクも、おそらく本人が望みもしなかったことだろうが、現在でもイスラエル・ロビーたちに、「 ユダヤ人の象徴 」 として利用されている。
それは、恒久的に 「 正義と良心を誇りとする米国民が、守るべき存在 」 であり、他国から 「 余計なお節介 」 と言われても、揺るぎないものだ。
イラク戦争や、各地の紛争にアメリカが介入することに対して、各方面からの批判も多いが、そのあたりは 「 相手しだい 」 な部分もある。
第二次大戦では、むしろアメリカによるヨーロッパへの介入が遅れたことで、ユダヤ人、ポーランド人の犠牲が拡大したという批判も多い。
フセインが、もっと、ヒットラーのように 「 わかりやすい虐殺 」 を行っていれば、アメリカの参戦を正当化する声も多かったはずだ。
日本を舞台にして、ひとつのシュミレーションを考えてみよう。
たとえば、ある日突然、中国の後ろ盾を得た北朝鮮の軍隊が、日本海沿岸から上陸し、北陸の一部を制圧、占領したとする。
全国の自衛隊が応戦し、睨み合いが続く中、敵は地域住民を人質にとり、強制収容所に収監し、非人道的な処遇を与え続けた。
平和憲法の下、自衛のための応戦は可能だが、北陸の住民を救出するには、敵本国を攻撃し、戦争を早期に終結させる必要がある。
ここで、敵基地を攻撃できない日本に代わって、アメリカが軍隊を派兵したり、平壌に空爆を行うことになった。
間接的に加担している中国が常任理事国をつとめる国連は、「 あくまでも、話し合いで解決しなさい 」 と、アメリカの参戦に同意しなかった。
それでもアメリカは、同盟関係であることや、「 話し合いが通じない相手 」 であることなどを理由に、イギリスなどの支援を得て強行に派兵する。
毎日、北陸の強制収容所では、理由も無く地域住民が無残に殺されていく中、アメリカの一般市民の間では 「 戦争反対 」 のデモが相次ぐ。
イギリスの大衆は、「 アメリカのお節介に、なんで協力しなきゃいけないんだ 」 と、遠く離れた日本くんだりに派兵することを反対する。
空爆と地上戦で平壌を制圧したアメリカのおかげで、戦争は終結し、北陸市民の大多数は無事に開放され、日本には再び平和が戻った。
現在、イラク戦争はアメリカの暴走だとか、自衛隊員の派遣は違憲だとか騒いでいる人たちも、このケースでアメリカを批難することはないだろう。
逆に、このケースでアメリカが 「 あくまでも話し合いで 」 などと悠長に構え、その間に日本人がバタバタと殺されて、文句を言わない人は少ない。
前回も書いたが、それが人間の 「 二面性 」 というものである。
平和なときに 「 戦争とはなにか、平和とはなにか 」 を語る内容と、有事に語る内容が違うようでは、あまりにも身勝手であろう。
誰も戦争など望んではいないが、世界には独善的な勢力や、話し合いでは解決できない相手がいて、いつでも戦争に巻き込まれる危険がある。
強大な軍事力を持つアメリカという国は、動いては批難され、動かなくても批難されるという、独特の宿命を持っており、それが彼らの悩みの種だ。
日本の平和憲法を、とても素晴らしいと評価するアメリカ人もいる。
一方で、「 嫌なことは他国に押し付けておいて、自分たちだけが涼しい顔をするのは卑怯じゃないか 」 と、それを批判するアメリカ人もいる。
武器を持って戦っているのは他国の兵隊でも、世界を平和に保つ責任は、本来、地球上すべての民族に課せられた使命なのである。
アメリカが 「 好戦的だ 」 とか、イスラエルが 「 やり過ぎ 」 だとか批難しつつ、自分たちは優秀な平和主義者だと思うのは、ちょっと違う気がする。
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