| 2006年07月09日(日) |
自宅に放火する子供たち |
「 憎しみが混じる愛は、愛より強く、ただの憎しみよりも強い 」
ジョイス・C・オーツ ( 作家 )
Love commingled with hate is more powerful than love. Or hate.
JOYCE.C.OATES
人格障害者は、身近な者、大切であるはずの者を攻撃対象にしやすい。
配偶者や家族に対する暴力も、人格に障害があると出現しやすい。
このところ、子供が自宅に火を放って家族を焼死させる事件が多く、まさに語呂合わせではないが、その傾向は全国に 「 飛び火 」 している。
攻撃対象者に面と向かって対峙しない放火という手段は、小さい者、無力な者が力の強い者に立ち向かう術として、よく使われるものだ。
見ず知らずの場所に放火をする愉快犯を除けば、捕らえてみると、対象に恨みを抱く小心者か、当家の子供であることが多く、珍しいことではない。
しかしながら、これだけ全国的に連続することは異例で、本来あるべき親子関係というものが、崩壊しつつあるのではないかという危惧を感じる。
相互のコミュニケーションが、うまく行えない親子が増えているのだろうか。
子供に問題があるケースばかりではない。
幼児を虐待し、あげくの果てに死に至らしめる親や、育児放棄、あるいは逆に極端な過保護など、子供の成長を妨げる親も多い。
環境と生い立ちが人格形成に大きな影響力を与えることを思えば、子供に問題のあるケースも、「 親の責任 」 ということになるのかもしれない。
先日も、国立大学に通う学生が母親を殴殺したが、いくら立派な教育を施しても、親が身をもって体現しなければ、子供には伝わらない。
たとえば、口先で命の尊さを教えても、安易に自殺を図ったりするような親のもとでは、人命を尊いものだと実感できる子供は育ちにくい。
自己愛性人格障害者は、未熟な 「 自己対象 」 にどっぷり浸かっている。
自己愛を映し出す鏡のような 「 自己対象 」 は、自分でない存在だが、自己の一部のように感じられる身近な対象である。
わかりやすく言うと、たとえば幼い子供にとって 「 母親 」 は、自己対象の最たるものであり、常に自己の一部としての一体感を求めている。
正常に成長する者は、この 「 自己対象 」 の段階を経て、本来の対象との関係が発達し、自分と他人を区別できたり、相手を思いやれるようになる。
人格障害者は、未熟な段階の 「 自己対象 」 が、依然、幅を利かせる。
大きく成長しても、母親や、その他の家族や、あるいは配偶者、自分の子供などを 「 自己対象 」 から切り離せず、自己の一部と捉える者がいる。
相手も 「 独立した一つの人格 」 なのであるという概念に馴染めず、自己の一部だという意識が強すぎるため、思い通りにならないと気がすまない。
そのため、満足や願望が裏切られたときに、激しい失望と自己愛的怒りを引き起こし、自分を映す鏡を叩き割るように、破壊に走るのである。
育児困難や虐待も、家庭内暴力・殺人も、大切なはずの存在を害し、ときには殺してしまう心理は、こうした 「 自己対象 」 の病理に答がある。
たとえ家族間であっても、他人の自主性を認め、相手を思いやることで問題は解決するが、まず、危険な兆候があれば医師に診せるべきだろう。
世の中の治安が悪くなり、外で遊ぶ子供が少なくなってきている。
それが、母子融合的な子供時代が長く続く状況を増やし、さらに、現実の 「 対象 」 との関わりを発展させる機会を乏しくしてしまう。
対人関係は希薄になり、そうした人々にとっては、生身の人間を殺すという行為も、ゲームやアニメなどファンタジーな世界の出来事と差がなくなる。
自己愛性人格障害者が多い世の中になったのは、あるいは、これから先も増え続ける背景は、社会秩序や倫理観の変化とも関係が根深い。
社会全体を変えることはたやすくないが、まずは、各人が、自分の大切な人とのスタンスを、見直してみることから始めることが望ましいだろう。
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