Tonight 今夜の気分
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2006年04月27日(木) 羨望のメカニズム



「 ねたみは、記憶のように持続し、鼻かぜのように治りにくい 」

                       ハリー・スタイン ( アメリカの作家 )

Envy is as persistent as memory, as intractable as a head cold.

                                 HARRY STEIN



成功すると誰かにねたまれたり、中傷されたりすることがある。

問題は、ねたむ側も、ねたまれる側も、それに気付いていないところだ。


数十年に亘って韓国と争っている 「 竹島問題 」 も、あるいは 「 靖国神社参拝問題 」 も、基本的には 「 ねたみ 」 の様相が強い。

もしも日本の戦後復興が遅れ、豊かになっていなければ、周辺諸国からの風当たりも弱く、目の仇にされることなどなかっただろう。

自分より豊かな者、幸せそうな者、力量の勝る者に対して、ねたみを抱くのは自然な現象で、それが国家単位になると戦争の原因にまで発展する。

かといって、日々の国民生活を考えると、軋轢を避けるために成長を止めることもできないので、このような争いは解決しにくい問題なのである。

プラス思考が優れているとは言わないが、マイナス思考の人間がイマイチ幸せになれないのも、このような 「 ねたみ 」 が災いしていることが多い。


精神分析では 「 嫉妬 」 と 「 羨望 」 を明確に区別しているが、嫉妬というのは簡単にいうと 「 やきもち 」 のことである。

彼氏または彼女、夫または妻が、自分以外の誰かに好意を寄せていたり、上司が自分に興味を持ってくれなかったりしたときに起こる感情だ。

それに対して羨望というのは、いわゆる 「 ねたみ 」 や 「 うらやみ 」 の類であり、相手が自分よりも才能や幸せに恵まれていると感じる気持ちである。

このような感情は誰にでもあるものだが、強すぎると、怒りや恨みの感情に変わり、相手や自分までもを破壊してしまうほどの心理状態に発展する。

心の中で、相手が失脚したり、破壊されたりすることを願い、そんな自分に気付いたとき、今度は自己嫌悪のジレンマから抜け出せなくなる。


羨望を公然と主張して、反体制運動に身を投じて革命家になるような人物もいるが、彼らが指導者になった国は、大国への敵意をあらわにする。

実際には、そんな人物は稀であり、もっと陰湿に、表面上は上司や政府に従いながら、長く心の中でねたみの気持ちに虐げられる人が大半である。

英国の精神分析学者メラニー・クラインは、「 羨望が人間のあらゆる破壊性の根源だ 」 と著書に記し、ねたみに秘められた危険を指摘している。

シーザーが暗殺されたのも、あまりにもローマ市民の英雄になってしまったことで、他の政治家たちが権力の一極集中を恐れたからだ。

心の平穏を保つためには、自分の心の中にある攻撃性、破壊性を直視して、きちんと自分の心の中で対処できるようになることが不可欠である。


うつ病患者の多くは、「 自己愛型人格障害 」 の傾向が強く、自己愛と羨望は強い因果関係で結びついている。

けして彼らが、もともと自己愛の強い人間だったわけではない。

むしろ、部下や子供の成長を自分のことのように喜び、自分と相手を同一化し、相手の成功が自分の成功だと思っているようなタイプのほうが多い。

親子関係でも、会社関係でも、この同一化が崩れ、一体感を失ったときに、羨望が起こり、それに対処できない結果として鬱状態に陥るのだ。

部下や子供に同一化し、一生懸命に指導している間はよいが、彼らが成長して自分の言うことを聞かなくなると、その一体感が崩れてしまう。


リストラや転勤で鬱状態になる人が多いのも、長年尽くした会社との一体感が崩れたという感情に起因している。

会社に対して、「 あんなに会社のために働いたのに、裏切られた 」 という気持ちが強い人は、途端に不機嫌で孤独になる。

真面目に働いてきたという自負が強かったり、部下や子供に対して面倒見のよかった人ほど、相手から 「 裏切られた 」 という思い込みが激しい。

しかも、自分は不遇だが、調子よく成功している人間もいると知るや、病的な羨望にとりつかれ、破壊的な衝動の虜になってしまう例も多い。

ちょっとしたことでも羨望の感情が高まって、それを相手にぶつけられないために、怒りや攻撃性が自分に向いて、憂鬱に陥っていくのである。


昔から日本社会では、嫉妬や羨望を 「 醜いもの 」、「 卑しい感情 」 であるとみなされてきたので、そういった人々は本音を吐露しにくい。

だから、たとえば個人のホームページで、他人やら政府のアラ探しをしては中傷記事を書いたりして、羨望の感情を代替して表現する人物が多い。

心の中の攻撃性、破壊性を代替して 「 ウサ晴らし 」 しているだけなので、主張は矛盾だらけだが、書き方は実に几帳面で細かい。

本当は、そんなことをしている暇があったなら、自分が幸せになれるように努力したほうがいいのだと、誰よりも彼ら自身が気付いてはいるはずだ。

掲示板に共感者が書き込むと一体感が得られるのでご機嫌になり、異論を申し立てられると見下して 「 バカ扱い 」 するのもこのタイプである。


ねたむ側にも問題点はあるが、「 ねたまれやすいタイプの人 」 というのも、ちょっと困った人たちである。

成功をしたときに他人からの羨望をかわすためには、たとえば挨拶などで頻繁に 「 おかげさまで 」 という言葉を使うなどの方法がある。

自分が今日あるのは、支えてくれた人々のおかげであるというふうに、成功しても感謝の気持ちを忘れてはいないという意志を示すことが望ましい。

竹島問題にしても、靖国問題にしても、国際世論は日本の主張を支持するだろうが、我々は 「 ねたまれている 」 ことを忘れないほうがよい。

言うべきことは言うけれど、お金や握手や笑顔だけではなく、復興を助けてくれたという感謝の意志を示すことも、大事なように思ったりする。






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