Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2006年02月01日(水) 大阪市のホームレス問題



「 世に生を得るは事を為すにあり 」

                             坂本 竜馬 ( 土佐藩士 )

To be born into this world means you've come to accomplish a mission.

                             RYOMA SAKAMOTO



すべて人間には 「 死ぬ権利 」 は無いが、「 生きる権利 」 を有している。

当然、権利には義務が伴うので、それは同時に 「 生きる義務 」 でもある。


大阪市内を生活の拠点にしていると、ほぼ毎日 「 無宿者 」 を目にする。

浮浪者とはかぎらず、風呂に入り、それなりに身奇麗にしている者、労働の対価として収入を得ている者もいる。

昔はなかった呼び名だが、いつのまにか彼らは 「 ホームレス 」 と呼ばれるようになり、一種の生活形態として認知されるようになってきた。

彼らが 塒 ( ねぐら ) にしているのは、公園や地下道など、公共の施設や建物の一角で、家賃や使用料を支払ってはおらず、不法占拠をしている。

野外の場合はダンボールやブルーシート、あるいはテントなどで雨露をしのぎ、なかには調理器具などを使って炊事をする 「 本格派 」 も居る。


アメリカでは、経済力はあるのだが一箇所での定住を嫌って、キャンピングカーやクルーザーを住まいとし、移動生活を楽しむ人たちがいる。

彼らも 「 ホームレス 」 なのだが、日本にはほとんどいないタイプだ。

日本での大半は、あまり働かない、あるいは働けないといった事情に加え、施設への入所や、生活保護などの措置を拒んでいる人たちである。

あるいは、「 何かから逃れている 」 というタイプもあり、たとえば、借金取りから逃れたり、一時的に身を隠す必要がある人物もいる。

そればかりか、指名手配犯が潜伏しているケースもあるので、単なる貧しい人々として総称し、処遇を判断するには問題がある。


今に始まったことでもないが、普段は黙認されている彼らを、自治体が威力によって排除しようとする時がある。

大抵は、何かのイベントがあったり、工事などを行うときだが、特に、外国人観光客が大勢押し寄せるような行事があると、にわかに激しくなる。

1990年、鶴見緑地で 『 花と緑の博覧会 ( 通称:花博 ) 』 が行われた際には、かなり大規模に地下街や公園からの “ 閉め出し ” があった。

あるいは、彼らの存在が環境に悪影響を与えたり、治安を乱したり、悪臭、美化の阻害などによって、行政が動かざるを得ない場合もある。

当然、公園や公道の管理責任は自治体にあるので、地域住民からの苦情が多く、事故や犯罪の発生する恐れが強ければ、黙認などできない。


差別用語になるけれども、私が子供の頃 ( 35年以上前 ) には 「 乞食 」 と呼ばれる人たちを見かける機会が多かった。

ホームレスは彼らと違い、物乞いをしたり、他人からの施しを受けようとすることはなく、何らかの方法によって自力で生活している。

昔の乞食は、戦争で負傷した人や、戦災孤児のように、身体が不自由だったり、身寄りが無いために、やむを得ずそうなった気の毒な人が多かった。

今のホームレスは、努力次第で市民生活に参画できる人が大半で、事実、施設に入って再起を目指し、退所後に社会復帰した人も珍しくない。

つまりは、「 現状に満足している 」 のか、「 努力を怠っている 」 という人が大勢を占めているので、あまり気の毒な感じはしないのである。


人は皆、生きる権利があり、今の自分が恵まれた環境にあるからといって、貧困に苦しむ人に対し 「 一切、手を差し伸べない 」 のはどうかと思う。

個人レベルでは 「 実力主義 」、「 成果主義 」 に大賛成だが、国家レベルにおいて 「 弱肉強食 」 の構図が強すぎるのは、いい結果を生まない。

本当に成熟した政府というのは、「 努力した人は報われ、そうでなかった人も、ある程度の生活は保障される 」 仕組みが理想的であろう。

ただ、だからといってむやみに金品を与えたり、公共の場に住まわせたり、あるいは私財を投げ打って支援する方法が正しいとは思えない。

そんなことをしても、すべての人間を公平に救済する機会は生まれない。


その問題を公平に解決するために 「 福祉 」 という制度があり、富に応じた税を徴収して、弱者を公平に救済する主な財源に充てているはずだ。

もちろん、「 税金を払っているのだから、弱者に温情などかけなくてよい 」 という話にはならないが、ある程度、困っている人は助けられる。

ところが、ホームレスの多くは、国や自治体の準備した救済措置や、社会復帰への支援を拒み、好き勝手に野宿をして奔放に暮らしている。

つまり彼らは、「 自分たちの怠慢とわがままによって、現在の境遇にいる 」 わけで、国が彼らを見捨てたり、社会が彼らを突き放したのではない。

彼らを支援するという団体もあるが、彼らの生活を支援しているのではなくて、彼らの 「 主張 」 を支援しているだけのことが多い。


どこかの離島にでも住んでいるのならともかく、彼らは一般市民と同じ街に住み、自分たちだけで勝手に決めたルールで暮らしているのである。

定住せず浮浪すること、公共の敷地を占拠することなど、一般市民に許されない権利を、ホームレスだからという理由で与えることはできない。

たとえば疫病が流行った場合に、けして衛生的ではない生活を続ける彼らが、公園に遊びに来た幼い子供たちへの 「 媒体 」 になる危険もある。

皆さんの大切なお子さんが、そんな理由で命を落としたとしても、「 公園は彼らの住居なので、遊びに行った子供が悪い 」 と納得できるだろうか。

国民は等しく、最低限度の生活を送る権利を有しているが、それは同時に 「 最低限度の生活をする義務 」 でもあり、それに違反してはならない。


憲法13条には、国民は個人として尊重され、生命、自由及び幸福の追求に対する権利があると謳われている。

ただしそれは、「 公共の福祉に反しないかぎり 」 という注釈付きであり、公園に住んで浮浪したいという彼らの希望を、叶えるわけにはいかない。

収容施設を拡張すると同時に、もっと徹底的に不法占拠を撤廃し、現状に甘えさせないことこそが、将来的には真の救済措置となるだろう。

公園などから彼らを閉め出すことと、「 生きる権利を奪う 」 ことは別問題であり、それを混同して判断するのは、誰のためにもならない。

ただ、大阪市側にも問題があると思うのは、「 なぜ、この寒さ厳しい時期に退去をさせるのか 」 という点で、少し人道的配慮に欠けていると思う。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加


 < PAST  INDEX  NEXT >


Oldsoldier TAKA [MAIL]

My追加