「 この世での私たちの仕事は、成功することではない。
失敗することである。
ただし、元気はつらつとして 」
ロバート・ルイス・スティーブンソン ( イギリスの作家 )
Our busines in this world is not to succeed, but to continue to fail, in good spirits.
ROBERT LOUIS STEVENSON
元旦の深夜は、いつもより静かな気がする。
窓から階下の街を見下ろすと、行き交う車の量も少ない。
誕生日になると一つ歳をとるのは当たり前だが、それは普段の日なので、今日のように物思いにふける環境が整うとはかぎらない。
新年の一日目が終わり、街が寝静まった今こそ、自分がまた生き長らえ、新しい一年に立ち向かおうとしている現実に気付きやすい。
次の誕生日が来れば46歳になるけれども、自分は過去に思い描いていた未来というものを、はたして実現しているのだろうか。
あるいは、これから先の未来に向けて、理想を現実化し得る準備は十分に整っているのか、そういった疑問に対峙する瞬間である。
改めて 「 人生とはなんぞや 」 などと振り返るのも面倒だが、この静けさと孤独の時間は、私を哲学の迷宮に引きずりこもうとする。
将来に対する不安はあるものの、今までの人生はまず 「 順調 」 だったように思うし、きっと世間様の水準に劣らない程度は幸せだっただろう。
その根拠は、まず第一に 「 大きな不幸がなかった 」 ということだ。
両親は早く死んだが、それが自分の成長を妨げたり、生き方に悪い影響を与えることもなく、精神的なダメージも感じていない。
唯一、不幸な事件といえば、阪神大震災で親戚を亡くしたことが思い浮かぶけれど、それで何かが変わったわけでもない。
戦争から立ち直った高度成長期に生まれ、バブル期に仕事を覚えた我々は、とりたてて生き難い時代を経験したわけでもなく、平穏に生きてきた。
人間の脳や情操というものは、三歳までに形成される部分が大きいというけれど、いまは亡き両親の教育や愛情について、心より感謝している。
途中から、あまり熱心に勉強しなくなったが、それでも希望する進路、思いがけず海外の学校まで進めたのは、幼い頃の鍛錬によるところが大きい。
問題は、その経歴を活用し 「 目的 」 を遂げたかどうかというところだろう。
両親は私に何を望み、何を 「 目的 」 とさせたかったのか。
生きているうちに聞いておけばよかったが、今となっては尋ねる術も無いし、また、それよりも 「 自分自身は何が望みか 」 という点のほうが重要だ。
もしも、人生の目的とは冒頭の言葉のように、簡単に成功してしまうよりも、元気に失敗し続けられることであるならば、いまのところ順調なようだ。
きっと本当の幸福とは、山の頂上ではなくて、そこに辿り着こうとして目指している状態に訪れているもので、その時点では気付き難いのだろう。
幼い頃、お正月になると新しい服が与えられ、お年玉をもらい、学校を休んで遊べることが嬉しかった。
当時は、「 大人になればいつでも自分の裁量で物が買え、自由に行動できるのだからいいなぁ 」 などと、大人を羨ましがったものである。
ところが、いざその立場になってみると、既に欲しい物などほとんどないし、自由をどのように活用すればよいのか、迷ってしまう場面も多い。
世の中で一部の人は、何らかの理由で本当に不幸だと思う。
他の大部分は、「 本当は幸福なのに気付いていなかったり、あるいは幸福になり得るのに行動できていない 」 という人が多いのではないだろうか。
私自身も普段は、「 幸福というには ○○ が欠けている 」 だとか、将来に向けて何かが足りないとか、幸福には未達であると思うことが多い。
でも実際には、元気で成功を夢見て行動している人間こそ、まさしく幸福な状態に置かれているのであり、それで十分に幸せなはずだ。
それより先の高みを目指すのはよいことだが、まだ何かが足りないと不満や不安があるぐらいが、実は一番充実している状態なのだろう。
そういった 「 幸福 」 に気付かない人や、結果がすぐに現れないことを悲観して、努力を忘れてしまった人たちは、自分から幸福を放棄している。
幸せかどうかは 「 気の持ちよう 」 だと老人の多くが諭すのも、たぶんそのような論理に基づいた話なのだろう。
自分が不幸であることを裏付ける理由や、住み難い社会であることを証明する理由ばかりを探す生き方は、それこそ不幸へのトンネルである。
夢が叶うことが幸せではなくて、叶えたい夢があって、健康的に努力している状態こそが幸せであると、今年も初心に帰って邁進していきたい。
また、今年出会う人たちにも、伝えていきたいと思う。
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