| 2005年12月04日(日) |
ブログに参加すべきでない人物 |
「 賢者は、言うべきことがあるから話すが、
愚か者は、言わねばならないから話す 」
プラトン ( 古代ギリシャの哲学者 )
Wise men talk because they have something to say; fools, because they have to say something.
PLATO
時事問題、社会問題は興味深いが、日記のテーマには煩わしい。
書くとついつい長くなるし、面倒で、忙しい人間には不向きだ。
では、「 暇な人が書けばいい 」 かというと、それも違うだろう。
概ね、暇な人間というのは 「 生きた情報・使える情報 」 を持っていないし、何かの媒体から知識を得たところで、的確に分析や報告が行えない。
それに、「 暇 = 職場などで活躍の場が与えられていない 」 わけだから、その人の能力や資質、あるいは人間性などの評価も疑わしい。
書く作業が本職ならまだしも、趣味の域でしかないブログに、異様なまでの時間や執着を費やすのは、一般人としてバランス感覚にも欠ける。
ここ ( エンピツ日記 ) にもそういう人がいて、やはり偏執的、被害妄想的で、自分勝手な暴論による支離滅裂な長文を連日連夜、発信されている。
当然、「 更新頻度が高い = 暇 」 というわけでもない。
忙しい時間をやりくりして書いている人もいるし、書くのが速い人、あるいは遅筆の人などの違いもあるから、一概に決め付けられない。
ただの暇人と、工夫して時間を創って書く人の違いは、書く内容に現れる。
せっかく工夫して時間を創った人は、本当に書きたいこと、書くべき内容、読む人の多くが共感できる 「 公正で誠実な意見 」 を展開する。
それに対し、実社会で誰の注目も浴びずにブログでしか主張できない暇人は、世の中への愚痴、権威者の悪口、与党批判のみに終始する。
私がカウンセリングをしている男性の一人 ( 20代後半 ) も、以前、ロクに働きもせず、自分のブログを更新する作業に傾注していたという。
マメに更新するのでアクセス数は増え、掲示板への書き込みや、メールのやりとりも頻繁で、あちこちからオフ会に誘われたりもしたらしい。
こんな折、つい人間は 「 自分は人気がある 」 などという錯覚に陥りやすく、態度が傲慢になったり、持論のミスに気付かなかったりすることが多い。
そんな態度が反感を買い、ブログの掲示板で抗議されたり、オフ会に参加して実名を知る仲間からは、某巨大掲示板に個人情報まで晒された。
ストレスが身体面にまで及んで医者を尋ねた結果、「 うつ病 」 と診断され、2年の闘病を経て徐々に立ち直り、現在は少し症状が軽くなっている。
彼は学生時代から、スポーツのできない 「 いじめられっ子 」 で、それが不登校、引きこもりに繋がっていき、ニートになっていった。
実生活で彼の意見に耳を貸す者はなく、自己嫌悪、自己否定の渦中に身を置きながら、彼は静かに世間と距離を隔てていったのである。
ちょうどその頃、ブログ、ネット日記が普及し始め、彼は仮面をつけた匿名の世界で 「 自分の主張を他人に聞かせる 」 喜びを見出したのだ。
他に愉しみのなかった彼には 「 ブログがすべて 」 で、充実していた分だけ、失敗したときのショックも大きかったのだという。
私から過去の経歴を尋ねられた彼は、「 一部の不道徳な読者により、自分は傷つけられ、病気になったのだ 」 と、怒りを込めて語った。
大半の方は、以上の文章を読めばお気づきだと思うが、彼が 「 病気 」 であったのは、「 ネットでトラブルを起こすより、ずっと以前から 」 である。
たまたま病状が急速に悪化した時期が 「 その頃 」 だっただけで、その原因を誰かになすりつけたり、犯人扱いするのは筋が違う話だ。
彼は、自分を攻撃した人間を恨んでいるが、私からみれば、彼を 「 救いようのない立場 」 に追い込んだのは、むしろ好意的な彼の支持者である。
間違った意見に批判もせず、あたかも共感、支持しているかのごとく、彼を 「 人気者 」 だと錯覚させてしまった彼らこそ、問題があるように思う。
そんな顛末さえなければ、もう少し素直に自己認知を受け入れ、専門医の治癒的カウンセリング、私の開発型カウンセリングも楽に進んだろう。
基本的に、「 精神に異常のある人は、ブログに参加すべきでない 」 と思う。
また、極度に忙しすぎるのも大変だが、人間は暇すぎたり、誰からも期待されなかったりする状況で、健全な精神状態を保つことは難しい。
健全でない精神によって生み出された文章を、読まされる方も災難だが、それ以上に、書いている本人にとってのリスクが大きい。
前述の男性も、医者から 「 二度とブログに参加するな 」 と指示され、両親も同意して、自宅をネットに接続できない環境にしたそうだ。
私は彼に、「 ネットなんてなくても、人生は十分にエンジョイできる 」 という事実と、それを実現させる術を、レクチャーし始めたところである。
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