Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2005年11月16日(水) 禁煙に至る道のり = その2



「 真理という大海原は、発見されぬままに、私の前にあった 」

                  アイザック・ニュートン ( イギリスの科学者 )

The great ocean of truth lay all undiscovered before me.

                                ISAAC NEWTON



禁煙に至るもう一つの大きな動機は、「 匂い 」 である。

これが気になりだしてから、禁煙を目指す動きは一気に加速した。


自分自身は誰からも 「 臭い 」 とか 「 匂う 」 などと言われたこともないが、だからといって、「 煙草臭くない 」 とは安心しきれない。

街中には 「 煙草臭いなぁ 」 と思う場所や、あるいは人物をよく見かけるが、あまり面と向かって 「 煙草臭いですね 」 と指摘することはない。

けっこう言いたい放題、豪胆に話す私ですらこのような有り様なのだから、世間のおとなしい人々が、ズバッと注意する場面など少ないはずだ。

数あるエチケットの中でも 「 匂い 」 に関しては、尺度が目に見えないこともあり、自分で意識して 「 発生を抑える努力 」 が必要となってくる。

だから人々は風呂に入り、歯を磨き、汗を抑えたり、香水を使ったりするのだが、「 煙草の及ぼす匂い 」 に関しては、意外と無頓着に陥りやすい。


煙草を吸う知人の一部に、「 強烈に煙草臭い人 」 がいる。

その人自身は、自分が煙草臭いのだという事実を認識していない様子で、そのことを気に留めることもなく毎日を過ごしている。

私が、他人から煙草臭いと言われないからといって、あるいは、自分自身の放つ煙草臭さを認識しないからといって、臭くないという保証はない。

それに、非喫煙者は喫煙者よりも 「 煙草の匂いに敏感である 」 と思われ、喫煙者である自分が感じるよりも数倍、非喫煙者は匂いを察知する。

その不安から自分を解放するのは簡単で、ただ 「 禁煙 」 さえすればよい。


煙草の是非を問う場合、まず第一に健康面に関する影響を議論されることが多く、それは喫煙者自身の健康だけでなく、周囲への害悪も語られる。

しかしながら、この論議は 「 煙草を吸っても長生きをする人がいる 」 とか、「 煙草より健康に悪いものがある 」 などの反論も呼ぶ。

事実、私自身もこのような反論をしてきた一人だったので、いまでも 「 健康のためという目的で禁煙を始めた 」 というわけではない。

たぶん将来的にも、健康が目的で禁煙しようとは思わなかっただろう。

だが、「 カッコ悪い姿を晒したくない 」 とか、「 自分は他人から、臭い奴だと思われたくない 」 という気持ちは、それよりも強いものだったのである。


それらの理由に加えて、「 時代はもはや、煙草を過去の遺物として葬ろうとしている 」 という潮流を、そろそろ認めざるを得ないという実感がある。

その昔、カッコ良い男の必須アイテムとしてもてはやされた煙草は、もはやその地位を失墜し、不快な害悪をもたらす怠惰な嗜好品と成り果てた。

ここで 「 吸う権利 」 を主張するには、それなりの根拠が要る。

しかしながら、残念なことに煙草には 「 吸わざるを得ない理由 」 というものが、実はまったく存在しないのである。

煙草を吸わないとストレスが溜まるとか、退屈だとか言うけれども、煙草を吸わなかったからといって、実際に死んだり、病気になる者はいない。


実際、アルコールや薬物に比べ、ニコチン中毒というのは禁断症状が軽く、何か別の 「 気晴らし 」 でもあれば、忘れてしまう程度である。

海外旅行で長時間、飛行機に乗って煙草が吸えない場面でも、他に楽しいことがあったり、美味しいものを食べたりしていれば苦にならない。

あるいは到着までの間、眠っていた場合も、煙草の世話にはならない。

また、煙草の 「 味 」 が美味いというのも説得力に欠ける話で、吸っていた私でさえも、それを心から 「 美味しいもの 」 だと言い切れない。

カッコ悪く、嫌な匂いがし、健康に悪そうで、美味いものでもなく、吸わないで我慢できないこともない、それが煙草なのである。


このように煙草は、本来なら不必要なはずのものを、何かの暗示によって必要だと信じこんでいる幻想から、世の中に成立しているものである。

だから、それなら 「 やめよう 」 と決めた。

当初の一週間ほどは、無意識にポケットまで手が伸びて煙草を探したり、「 ここらで一服 」 と、禁煙を忘れそうになったりもする。

それはけして 「 吸いたい 」 という欲求などではなくて、どちらかというと、「 習慣的 」 な動作の一部になっているだけのことだ。

この繰り返しが何度かあって、自分にとっての煙草は 「 切り替えスイッチ 」 だったんだという事実に、初めて気付かされた。


接続状態を 「 ON 」 から 「 OFF 」 に切り替えたり、「 右 」 から 「 左 」 に場面を切り替えるスイッチの感覚で、煙草をよく吸っていた。

現実の自分は、煙草の力など借りなくても、頭を切り替えたり、気分転換をはかることが可能なわけで、禁煙二週目からは、その問題もなくなった。

禁煙方法はズバリ 「 ただ、吸わないこと 」、これだけである。

代用品のガムなどを使ったり、徐々に本数を減らすなどすることは 「 禁煙とは困難なもの 」 と自分で認めることになるので、一切しなかった。

ただ吸わなきゃいいだけの簡単な話だと自分に言い聞かせて、「 根性 」 とか 「 気合 」 みたいな要素を求めなかったことも、成功の一因だと思う。


結論からいうと、煙草をやめたければ 「 吸わない 」 という4文字だけを守れば、誰でもやめられるのである。

周囲の 「 禁煙を失敗した人たち 」 の失敗例を聞くと、大抵は 「 気力でやめようと戦った 」 ことが敗因になっている。

禁煙を 「 たいへんなこと 」 と位置付け、精神力をもって立ち向かおうなどとする姿勢が、結果的には禁煙を困難な苦行に昇格させてしまうようだ。

そうではなく、「 煙草を吸わないだけのこと、赤ん坊にでもできること 」 だと意識し、煙草を吸うよりも、もっと楽しいこと、充実することを求めていく。

こんな感じで禁煙した結果、以前に比べて大きな変化はないが、たとえば、非喫煙者に対して、以前よりも堂々と接せられるようになった気がする。






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