「 凡人は自分より優れているもののことは何も知らない。
しかし才能ある人は天才を直ちに見分ける 」
アーサー・コナン・ドイル ( イギリスの小説家 )
Mediocrity knows nothing higher than itself, but talent instantly recognizes genius.
ARTHUR CONAN DOYLE
ご存知 「 シャーロック・ホームズ 」 の生みの親である。
医学を修めて開業したが、その後、作家に専念したらしい。
冒頭の名言が正しいとするならば、逆説として 「 凡人でも、自分より優れていないもののことは理解できる 」 という見方ができる。
私はたぶん凡人なので、政府のおエライ人たちのことはよくわからないし、あまり興味もないし、自分のことで精一杯である。
ネット上では、総理が馬鹿だとか、姑息だとか、悪人だとか吹聴する人々も大勢いるようだが、彼らはどれほどの 「 才能ある人 」 なのだろうか。
他にやることもあるだろうに、明けても暮れても総理の批判に膨大な時間を費やす人々を、私は自分よりも 「 優れていないもの 」 だと思う。
だから私は、私を含めた全国民を代表して リスク を負っている総理を揶揄しないが、その批判にエネルギーを傾注する人々は馬鹿だと知っている。
日本国民は誰でも、満20歳になると国会議員の選挙権が与えられる。
選挙によって選ばれ、公職につくことのできる 「 被選挙権 」 は、参議院議員と県知事は満30歳、それ以外は満25歳以上の国民に与えられる。
つまり、30歳以上の人なら誰でも、その気になれば国会議員に立候補できるわけで、国会議員や総理大臣というのは、けして特別な人間ではない。
その立場に 「 なろうと努力した人間 」 と、しなかった人間という差があるだけで、それは彼らにだけ与えられた権利ではないのである。
私が 「 なろうとしなかった 」 のは、あまり 「 割の良い仕事 」 と思わないことや、自分の性分に合わないと判断した結果ではないかと思っている。
国会議員の中でも特に、総理大臣をやろうかなんて決意は、並大抵の勇気で出来ることではない。
小泉首相の場合も、平壌に行って北朝鮮の首脳と交渉したり、郵政を民営化するなどと提言したり、かなり革新的な行動を起こしてきた。
その結果が良いとか悪いとかはともかく、彼はその権限を獲得し、実行した人間で、私は 「 何もしなかった凡人 」 であることは間違いない。
もちろん、「 何もしなかった凡人 」 にも、その実績を評価したり批判する権利はあるけれども、自分は 「 何もしなかった 」 ことを忘れてはいけない。
そう思うから私は、たとえば政治の話をするときには 「 自分が何者か 」 ということを踏まえて考えを述べているし、これからもそうするだろう。
一度も政治の舞台に立ったことも、リスクを張って世の中の役に立とうとしたこともない様子の人が、「 小泉はあーだ、こーだ 」 と批判する。
たまにはよいが、毎日、かなりの時間をかけて攻撃材料を集め、執着的に難癖をつけて批判し、糾弾しまくるのは狂気の沙汰である。
当然のことだが、いくら繰り返したところで、それを小泉氏本人が閲覧することはないだろうし、メールを送っても事務方が笑い捨てるだけだろう。
大抵は、彼らも会社員だったり、何かの仕事を持っているはずだが、こんな無駄な作業に多大な時間を割いて、まともに働けているのだろうか。
まれに職場の話題が出ているが、給料が減ったとか、賞与が少ないとかの話ばかりで、「 だったら、本業に力を入れたらどう? 」 と疑問に感じる。
仕事には、「 自分にしかできないこと 」 と、「 自分がやったほうがよいこと 」 と、「 誰にでもできること 」 がある。
仮に小泉批判が 「 必要な仕事 」 だったとしても、自分や、その家族が健康で豊かな生活を維持するための 「 別の仕事 」 のほうが重要であろう。
当の本人は、批判を 「 自分にしかできないこと 」 のように感じて熱中しているのだが、周囲はさめた目でしか見ないし、ご家族は 「 災難 」 である。
そんな暇があったら、少しは自分や家族のために 「 マシな仕事 」 をするか、よほど働くのが嫌なら、家族サービスでもしたほうが望ましい。
だいたい、総理大臣の悪口なんて 「 誰にでもできること 」 であって、どんな立派な屁理屈を並べたところで、所詮は小学生の悪戯レベルである。
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